734. 魔物の王2回戦目VS闇飛ぶ翼 ~始動
暗闇の世界に眠る、大きな体のコルステイン。何かの気配をずっと感じながら、静かにその時を待っていた。
ふと、夜明けに頭に響いた精霊の声に目を開ける。
『闇飛ぶ翼よ。立つのだ。飛び立ち、お前の力を見せなさい』
『いつ。今。いつ』
『もうじき。その時が来たのだ。次の魔物の勢いを、こちらが抑える時間は終わった。
お前一人で疲れるなら、家族を呼ぶのだ。そして一度、魔物が後退する時。彼らを導きに行きなさい。彼らの力は整った』
『分かる。出来る。魔物。多い。殺す。ギデオン。龍。呼ぶ』
『そうだ。お前が最初の門となれ。お前を超える数が敵。留めるのだ。留め、後退した後に』
『呼ぶ。龍。ギデオン。分かる。呼ぶ』
光に輝く声は腕を伸ばし、コルステインの月光のような髪を撫でた。
『お前の仲間が増えた。共に進む仲間にもう一人、サブパメントゥの者がいる。魂に光を持つ者だ。その者がお前を龍とも繋ぐだろう』
『誰。ホーミット』
『違う。これから逢う。その者がイーアンとお前を繋ぐ。心を許しなさい。彼は優しい』
輝く手は、コルステインの夜空の色の頬をそっと撫でると、少しずつ光を和らげて消えた。コルステインは夜明けの空を、暗闇の中から見上げる。
「いる。来る。沢山。殺す」
声なき声を呟いたコルステインは、少しその場に座ったまま留まり、それから谷の上の岩場へ上がった。
海は太陽の輝きを少しずつ光に変えて、薄っすらと水平線に明るい線が現れている。
「明るい。ダメ。光。ない。光。消す」
ちょっと頭を掻いて、考えたコルステイン。日が上る前に、海に向かって両腕を突き出した。コルステインの立つ岸壁と、向かい合う海面の全てから霧が立ち上る。
薄っすらとした霧はどんどん増え、瞬く間に海霧が辺りを包み始めた。それでも霧は治まらず、海は沸騰したように波の穏やかさはそのまま、泡立ち、弾けた泡が更に細かな霧を生む。
コルステインが両腕を突き出して1分後。その体の周囲は、何も見えないくらいのぼんやりとした霧の世界に変わった。
「もっと。もっと。ある。大事。光。消す」
しっとりした霧に目を閉じるコルステインは、決して濡れることのない体で大きく息を吸って、ゆっくりと黒い翼を広げる。その翼は一度だけ動くと羽ばたくことなく飛び立ち、霧の中、コルステインを沖に運んだ。
沖に出て戻る時間の漁師たちは、急に立ち込めた霧に驚く。海に網を掛けておいても、魚が一匹も掛かっていなかった。
『今日はおかしい。魚も移動したのか。時期は違うが、嵐の頃と似ている。あっという間に霧で見えなくなったのも、奇妙だ』灯台の光が殆ど見えない位置で、漁師の舟は陸へ戻ることにする。
「さっきまで雲もなかったのに」
「暖かい日だけれど。海霧の速さが異常だ。出方も陸から来るような変な出方だった。網だけは引き上げよう。嵐になれば持ってかれちまう」
気温はそのままだが、海霧が肌に掛かれば静かな風の動きで冷えてくる。網を舟に上げると、風のやんだ海上に気味悪さを感じながら、漁師たちは急いで陸へ戻る。彼らのすぐ上を大きな黒い影が一つ、飛んでいくのを見たものは一人もいなかった。
それさえ見えないほどの濃霧に覆われ、海辺一帯は、空気の済んだ晴れた朝から、白くぼんやりと淀む朝に変わった。
*****
闇の中にちらつく赤い二つの光。絶海の孤島から影は動いて、歩く足に合わせて、海上に浮かび現れる岩の道を進む。踏むことを知らず、当たることを知らない体は、道を作り出すものの、その上を歩いているわけではない。
真っ直ぐに進んだその先、切り立った海岸を抜け、森の内を進み、大きな城の上階へ入った。道は何も遮りを受けることなく、ただ真っ直ぐに伸びていた。
石造りの暗い王の間。窓を閉じた隙間に、曇り空の淡い光が僅かに縁取る。玉座に腰掛け、虚ろなままの老王の後ろから、二つの赤い光が揺れて現れた。
『時間切れだな。ではこちらの番だ』
黒い影は、玉座に付いた丸い石の玉に顔を寄せて呟く。割れた音の声は、風に散った塵の雑音。耳障りな物音のそれ。背後の声に、老王は無反応で、玉座の背凭れにだらしなく寄りかかったまま、瞬きもしない。
触れているように見える指が、丸い玉の輪郭をなぞる。
『太陽の民ドルドレンはいない。龍神の子イーアンは早くに龍に変わったが・・・ここにいないな。正邪眼の剣の男もいない。大地の光バニザット。精霊の鍵フォラヴもいない。龍の目ミコーザッカリア・・・あの日に死ななかったな・・・・・ここにいるのは闇の翼コルステイン。地を食らう牙ホーミット。ホーミットはまだ隠れているか』
丸い石の玉の中に揺らぐ煙。千切れる絵のように漂い、映す誰かの声も響いては消え、散り散りの絵は音と動きを持って、玉の中を行き交う。
『イーアン同様。厄介なコルステインめ。今はどれくらいだか・・・先に潰せるかな』
縺れた白髪の老王の頭頂部に触れ、黒い影は笑い声のように音を散らせた。『廃人だな。駒にも使えない』そう呟くと、玉座の玉に息を吹きかけた。息は玉の中に吸い込まれ、渦巻きながら暗い水の内側に届く。玉の中に映された千切れた絵は、水の内に蠢く揺らぎを見せ、その揺らぎは無数に膨れ上がる。
『海を切り取れ。進め。同胞。同じ粒から移ろう幻を生め。闇の翼を壊しにかかれ。大地の牙を陸へ上がり探しに行け』
オリチェルザムは玉を一撫でし、用事を済ませたとばかり、老王などいないように、その背を向けて孤島へ戻って行った。
*****
厚い霧に覆われた海上。
コルステインに、時間の感覚は分からない。光が届かないことだけは理解出来る。テイワグナ国に面した、海域全てに海霧を発生させた後、その体に届く熱を感じた。
「もう。いる。来る。まだ。来ない。来る」
海の中から何かが上がってくる。しかしそれは、すぐにではないとも知る。コルステインは霧に包まれ、光の届かない海上に浮かんだまま、待った。何時間もそのままに。
体に響く熱の強い場所へ。夥しい気配の強い場所へ。時折、移動しては、どこから来るのかを全身で感じ続けた。
そして突如。体中に熱が入った。コルステインの大きな青い目が見開く。真下から何かが長大な範囲で一斉に動いた。次の瞬間、海が突然大揺れし、前後真っ二つに割れ始めた海面は、白い飛沫を立ち上がらせて、更に沖へ急速に下がる。
コルステインは急いでその場を離れて、もっと上に移動して振り向く。二つに分かれた沖側の海が、巨大な壁のように立ち上がるのを見た。
その壁は凄まじい勢いで伸び、立ち上がった壁の中には無数の影が動く。『魔物。沢山。殺す』コルステインのいる高さまで伸び上がった海の壁は、その声を合図に、一斉に魔物を噴き出した。
コルステインの声に反応した、黒い群れのような魔物が一気に襲い掛かる。その場から逃げないコルステインの青い目が邪魔者を睨みつけ、声なき声が吼えた。
その吼え声だけで、最初に飛び込んできた魔物の殆どが、青黒い炎に包まれて燃えた。コルステインは両腕を広げ、翼を真上に伸ばすと勢いを付けて前方に振り下ろす。大風が巻き起こり、炎の熱を持つ突風が、次々に飛び出す魔物に中り、千切るように撥ね散らして空中を駆け抜ける。
白い霧の中に青い煙も混ざり合う。霧を動かした突風に、コルステインは光が増えた気がして、風を抑えた。
魔物は波の壁を伝って、海底から夥しい数が駆け上がってくる。コルステインは高速で飛び、翼と腕に触れる魔物は全て消滅させる。
だが何かおかしい。コルステインには、何がおかしいのかまでは分からない。同じ者を倒し続けている。それしか分からなかった。
高速で飛ぶ、闇飛ぶ翼コルステイン。陸を襲いにかかる魔物を弾き消し、一匹たりとも陸へ行かせないよう、吼えながら、消し潰しながら、風以外の力を振るって挑む。しかし、自分が高速飛行すると、それでも霧が消えてしまうことに気づき、どうすれば良いのかと困った。
これを続けながら、立ち上がっていた波の壁が揺れたのを見たコルステインが、ハッとして顔を向けると、波は後方へ引きずられるように突然に下がり、海底がむき出しになった。海底を覆う岩は、いきなりひび割れて崩れ、見る見るうちに、赤い粒のような光が海底の全てに現れる。
「魔物。オリチェルザム。目。ある」
遥かな昔に、これを見たことがあると思い出す。そしてすぐ理解した。このままでは、自分の手に負えないことが起こると。
コルステインは霧を一度見てから、少し顔を歪め、突風を放った。突風が駆け抜けて魔物を片付けている間に、海底に顔を向け、口を開けて呼ぶ。霧が散らされ、光が斑に差し込む。
「メドロッド。リリュー。ゴールスメィ。マース。来い」
その名を呼んだ時。海底に蠢いていた赤い光の岩に一瞬で亀裂が走る。亀裂は猛烈な勢いで、むき出しの海底を裂き開き、その場所にあった赤い光の群れは掻き消えた。
亀裂から噴き上がる青黒い煙。白い海霧に混ざりながら、コルステインと同じ形の異形の数人が、コルステインの並びに形を現す。
女の体に、トカゲの尾と4枚の長い翅を付けた者。男の体に、鳥の翼と4本の腕を持つ者。男でも女でもない体に、腕の代わりの大翅が付いた者。男の体に、羽毛のない翼と獣の四肢を持つ者。
全員、体色は夜のそれ。毛色と瞳の色は様々。彼らはすぐに自分の役目を理解し、順々に口を開けて吼えた。吼えた声は、正に今、触れんとするほど接近した魔物を掻き消す。顔の向けられた前にいる全ての魔物が塵と化した。
5人が気にしたのは、光だけ。コルステインは他の4人に攻撃させ、海霧を起こす。波を熱し、蒸発させた霧は、瞬く間に空から下を埋め尽くす。
霧が空から下を隠し切ったと知るや否や、5人は方々へ飛び、それぞれの領域を持って攻撃に移った。コルステインは頭の中で命じる。決して陸に動かすなと。決して逃すなと。何度も伝える。
返る答えに『波を止めるか』と入り、コルステインは向こうから勢いづいて迫り来る大量の水を見つめる。その量を前にして『止める』静かに答えた。
あらゆる場所の海水をかき集めたような大津波が、太陽の光を遮る分厚い霧に、影を見せてコルステインたちの真上に立った時。
テイワグナを中心に、ティヤー境、ヨライデ境までを守るため、5人はその体を作っていた形を解き、巨大な炎と化した。青く黒く突如、一面を染め上げた燃え盛る業火は、飲み込もうとする大津波を炎の壁で迎え撃つ。
業火は炎の姿をして炎にあらず。青黒い炎に触れた、水の全ては、焼ける暇も与えられずに存在を消されて消え散る。波と一緒に襲った魔物は全て、津波のそれと共に、欠片一つ残すこともなく、消滅を繰り返すのみ。
大津波は波飛沫を立てながらもその先には進めず、魔物もまた水の壁から飛び出ても、進むことは遮られた。
サブパメントゥの5人は、冥土の業火と化した力で大津波を弾き続けた。
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