72. 服の威力
翌朝は日が昇ってから動き出し、朝食を叔母さんに出してもらってからの出発となった。民宿で2泊も出来る遠征はなかなかないので、誰もが充分に休めた。
イーアンに着替えさせた方が、と食事中にスウィーニーが総長に言う。理由は『支部に着いたらどうなるやら』と。
お茶のお代わりを持ってきていた叔母さんが、それを聞いて『あんたは何て子なの』を第一声に『イーアンにあんたたちと同じ格好させて』と怒り始めた。そんなに他の男が気になるならちゃんと守ってやれば良いだけのことでしょう、と無責任だとか騎士のくせにとか、(女目線で)言いたい放題を甥っ子にぶつけた。
イーアンの方を見て『ごめんなさい。この子がひどいことを言って。あんたは娘みたいな感じがして』黙っていられないわ、と叔母さんは同情しながら微笑んだ。そして朝食を寡黙に食べ続ける一同を見て『イーアンに世話になっている、と言うなら、服装くらい自由にさせてあげるべきよ』と言った。全員が叔母さんとは目を合わせずに頷き続けた。
「イーアン。その。昨日買った中に、もう少し目立たない色の服があれば、それに着替えてもらうことは出来るだろうか」
叔母さんが台所に消えたのを確認したドルドレンが、控えめに提案した。叔母さんの言うことは実に耳が痛いが、さすがに80人を抱える男所隊の支部で、イーアンの女性らしい姿は危険すぎる。徐々に慣らして、抵抗を付けてから・・・と相談すると、イーアンはすまなそうに微笑んで頷いた。
「叔母さんの気持ちがとっても嬉しいです。ただ皆さんが気にして下さるのも分かります。私が魔物のお尻を切るところを見てる人たちでも、服が変わるとそうは見えないみたいだし」
アティクが下を向いて吹き出した。他の面々も顔に手をやって笑うのを抑えている。ドルドレンは一瞬笑いかけたが、一旦目を閉じてから一呼吸して『イーアンが何をしていても綺麗なのは変わらない。ただ刺激が強すぎるんだ。格好が女性らしくなると』あの場所では特にね、と付け加えた。
朝食後、叔父さんとロゼールと一緒にイーアンは厩へ行き、鍵を開けてもらって中に入り、馬車の積荷から服を選んだ。貴重品や危険物がある・・・と伝えただけで、屋根と鍵の付いた厩に入れてくれる、良心的な叔父さんに感謝した。
『あんたの戦利品だろう。かみさんがあんたを気に入ったから、次は気楽においで。今度はすぐ、ここに馬車を入れられるようにしておくからね』と、急ごしらえで、自分たちの馬車や馬を詰めてくれた厩を見渡して言ってくれた。
ロゼールと中に戻ると、ドルドレンが入り口で待っていた。『総長、あんまり地味な格好させないであげてほしいです』とロゼールが上目遣いで頼んでいた。ドルドレンは困った顔をして『お前の気持ちも分かるが、今日は仕方ないと思え』と答えた。アホがイーアンに飛びついてみろ、俺が部下を殺しかねんだろう、と。(対処が極端で物騒)
そうして部屋に戻ったイーアンは群青色の服を着替え、試着した中で一番控えめな色彩の服を着た。
新しい服をこんなに買ってもらって・・・と思うと、自分の給料が出たら返したくなるのだが、そこは贈り物として受け取ったほうが良いんだわ、と思うようにした。御礼は別の形でも出来る、と着替えた服を眺めた。
全体が透かし模様の生地(要はレース)で出来た、乳白色の襟の開いた前合わせのブラウス。ブラウスの丈が腰を覆うまでの長さ。下に穿くズボンはミストグリーンの、足に張り付くような柔らかい薄い生地で作られていて、ブラウスの生地が腰のミストグリーンを透かして見せる。
クローブ・ブラウンの上着は、生地に同じ色で抑えた光沢のある刺繍が上品に施されていて、胴体は細く張り付き、肘下と腰から下に向けて広がるドレープが優雅に影を作る。裾は足首まである丈だが、ベルト以下は腿が出るように開いているので、動きには差し支えない。20cm幅の広い革のベルトで上着を押さえる着用。昨日も履いていた膝上までの長い革靴と同じ色のベルトはとても存在感がある。
色彩としては、この服が一番落ち着いている色に思えた。生地や作りはうっとりするほど綺麗だけど、目の覚めるような鮮やかな色ではないから・・・とイーアンは服を撫でた。
イーアンが着替えて出てきたので、ドルドレンは前日同様の固まりと感嘆の吐息を漏らし、廊下で抱き締めた。
支度の済んだ部下が廊下に出て、一瞬その光景に後ずさったが、総長の腕の隙間から、イーアンが苦笑して『気にしないで』と視線で合図を送ったので、総長の感動という範囲に留める。
ドルドレンを落ち着かせてから、それぞれ準備が整ったところで、叔母さんと叔父さんにお礼を告げ、一行は支部に向かって出発した。
馬を進めながら『一番目立たない服、と言っても』とダビが笑った。『目立たないのがそれですか』と続けたのはギアッチ。『どうしてそう、私をかき乱すのですか』と白金の髪を振り振り悩ましく俯くフォラヴを、ドルドレンは『勝手に乱れてろ』と一蹴する。ロゼールがニッコリしながら『やっぱりイーアンはそういう格好のままが良いですよ』と言うと、『あれでは魔物を解体するのに、手伝ってやらないと』とアティクが呟いた。
聞こえてくる称賛。嬉しいけれど、むず痒いと言うか。慣れない誉められ攻撃に、イーアンは照れ笑いをし続けるのみだった。アティクの独特な誉め方が面白くて好きだが、笑うのを抑えた。解体って・・・・・
トゥートリクスが馬を寄せて『イーアンは綺麗な格好も良いけど、俺たちと同じ格好もサマになっていたと思いますよ』と伺うように大きな目をきょろりと向けた。
ドルドレンとイーアンは顔を見合わせて微笑んだ。それからトゥートリクスに向いて『ありがとう。戦闘の時はいつもの服にします』と伝えた。 ――トゥートリクスはきっと、イーアンが戦闘に来なくなるのではと思ったんじゃないか・・・と。ドルドレンもイーアンも気が付いた。澄んだ緑色の瞳を嬉しそうに細めて、トゥートリクスは、うん、と頷いた。
殿にいるスウィーニーとシャンガマックは、前から聞こえてくる会話を聞いているだけだった。スウィーニーは叔母さんに叱られて、若干気落ちしていた。自分では気を利かせていたつもりだったから尚更だった。
シャンガマックは昨晩、茶屋の従業員と良い感じになりかけたが、夕食時間が過ぎたことに気が付いて『また』と伝えて宿へ帰った。夕食は済んだ後だったが、叔母さんに一食分もらい、そのまま就寝した。
翌朝、朝食の時のイーアンを見て心底たまげ、着替えた今のイーアンを見た後は、もう頭の中が混乱していた。茶屋の女性は、自分よりも若くて落ち着いた良い性格で、容姿も文句なしの女性だったが、既にそのことは消えていた。
なぜ皆が普通に彼女に話しかけらるのか。それが分からないくらい、シャンガマックの心臓は鳴りっ放しだった。なぜあんな格好になったのか。総長が贈ったのか。これからもあの姿なのか。先頭を行く青い馬に乗る姿を、ただただ、ぼうっと眺め続けた。
一行は、針葉樹の数が少なくなった後の、広葉樹の林も抜け、行きの道で休憩した廃村に入った。時間は昼前だった。宿で休めたのもあり、疲れも少ないので、30分休憩を取ることにした。
昼食と分かった時点で、全員がイーアンに加工ブレズをねだったので、馬車を止めるとすぐイーアンはブレズをせっせと切り始めた。ロゼールが塩漬け肉を薄く切るのを手伝ってくれたので、10人分もすぐに済んだ。『二人で作るとあっという間ですね。それで普段と変わるならこっちの方が良いですね』とロゼールは言った。
そして馬車の荷台に腰かけたイーアンが立とうとすると、ロゼールが手を貸して『なんだか姉が幸せになったみたいで、俺も嬉しいです』とそばかすのある顔で笑った。イーアンも『そうですね。ロゼールは弟みたいだもの』と答えた。
和やかな昼食はあっさりと過ぎる。30分は早く、ふたたび馬上の時間となる。
ドルドレンはイーアンの保護状態が一層固くなり、イーアンは『ご迷惑を掛けます』と謝った。服が違うだけなのに・・・とイーアンは思うが、それだけ人というのは、見た目というか、普段の姿勢の影響が大きいということなのだろう、としみじみ身に染みて感じた。
廃村の後の道は、まばらな木々が並ぶ林の道で、その後に草原に出る。草原までくれば、もう支部は目と鼻の先だった。午後の日が傾き始める頃、わりと早い時間に支部が見えてきた。
「こっからだな」
大きく息を吐き出すドルドレン。そんな大袈裟な、と笑いかけたイーアンの横に、フォラヴが馬を寄せて『早く部屋に入って下さい。私が輩を引きとめている間に』と真剣な顔で提言したので、笑えなくなる。
「総長。私が先に行って、支部の状況をざっくり見てきましょう」
ダビが許可を求めたのでドルドレンは頷いた。ダビが馬を走らせると、後ろからはギアッチが呼ぶので、ドルドレンは馬を返して馬車に寄った。
ギアッチは『馬車の荷ですが、ロゼールと私で部屋まで運びますから、注意することだけ教えて下さい』と言う。イーアンがお礼を言って、骨の粉の袋だけは決して水に濡らさないように、と伝えると、『服の箱もだ。丁寧に扱え』とドルドレンが加えた。
支部に近づくにつれ、ウィアドの周りの密度が高くなる。左右を見れば横並び。イーアンは申し訳なくて、こんなことならスウィーニーの言うようにチュニックであれば良かった、と後悔した。――服だよ服、と『ただ服が違うだけですよ(中身は一緒!)』と心の中では叫んでいるが、その服の効果があまりに凄かった。服屋の奥さんは、最高の服飾プランナーだ、と改めてその力に敬服。
ダビが戻ってきて、状況を報告する。
全員訓練で裏庭に出ているので、今なら広間にほぼ人はいない、という。いても、今週の料理担当が厨房に入ってるくらいだ、と。
「ウィアドは俺が見ますから、門に入ったらすぐ行動して下さい」
とスウィーニーが進み出た。スウィーニーが馬担当。フォラヴとダビも一緒に行くということで話は決まり、いよいよ門に入った。
スウィーニーに馬を任せ、急いで支部の扉をくぐった4人は、ダビの報告どおり広間に数人しかいないことに安堵した。ドルドレンがイーアンの肩を目一杯抱き寄せて、足早に広間を通過する。裏から大勢の声がする。今のうち。イーアンは既に小走り状態で、足の長いドルドレンに合わせるので必死だった。
「良かった。余計なのはいませんね」
フォラヴがホッとして階段を上がる。ダビも『とりあえず大丈夫かな』と呟いた。ドルドレンの表情は険しいままで、『安心するのは早い。俺たちが戻ったと分かればすぐ会議がある』とこぼした。
「今すぐに矢面に立つのは避けられるが、目的はイーアンが普段時に自由な服で過ごせることだ。輩には、徐々にこの状態のイーアンに慣らさないといかん。遠ざけつつ、慣れさせつつ・・・早めに彼女の作業場を造るか・・・・・ 」
聞いていたイーアンは、どうにも迷惑を掛けていることに申し訳なくなって『私はチュニックでも』と言いかけるが『駄目』と3人に同時に閉ざされた。思い遣りが厚くて、本当になんて良い人たちと感動するが、申し訳ないのは変わらなかった。
部屋へ着いてすぐに中に入り、ドルドレンが何かを考えたらしく、フォラヴとダビにイーアンを預ける。『イーアン。ちょっと二人と一緒にいてくれ』と言い残して消えた。
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