716. イヌァエル・テレンへようこそ ~光の中で
タムズは北西の支部へ向かう。ミンティンに乗ったイーアンとドルドレンは、北西支部で事情を少し話そうと相談した。
「今日は一日、こんな急な動きが続くかもしれない。職人たちに言わなければ」
「そうですね。まだ半日なのかと思うと、信じられません」
オーリン辺りは気が付いていそうだな、とイーアンは思った。彼のことだから、もう空に向かったかもしれない(※当)。
「後で、で良いのだ。ティグラスの最期と・・・新しい命を受け取った様子を教えてほしい」
ドルドレンは、イーアンにゆっくり話を聞かせてほしかった。イーアンは了解し『それは。壮絶。そして奇跡の時間でした』とそれだけ伝えて微笑んだ。まだ、彼の最期の瞬間を思い出すと泣きそうになる自分がいて、とにかく凄かったことは伝えた。
「俺もかもしれないが。イーアンも目が腫れている。ひどく泣いたことは分かる」
「そうです。大泣きしました。心が張り裂けそうでした。だからここまで顔が変わってしまって、もう少し治まってから出かけたかったのですが、ビルガメスが『早く行け』と」
ハハハと笑う黒髪の騎士。本当に心から安心した。きっと大丈夫では・・・そう信じる自分がいた。それは正しかった。シャムラマートを慰めながら、ティグラスの思い出ばかり話していた数時間。あれはもう、すっかり過去のものとなったのだ。疑いもない事実として、受け入れて良いこの展開に感謝しかなかった。
「これからどうするのだ。俺は空へ行くのだろうか」
さっきはタムズが何も言わなかったねと、イーアンに訊くと、イーアンは振り向いて首を振る。『あなたはまだなの』別の人が行くと教えた。少し驚いたドルドレンは理由を訊く。
「俺が一番乗りかもと思っていた」
「違うの。ビルガメスは他の誰かを連れて来いと。もう大丈夫と分かっているのですが、ビルガメスとしては念には念をなのか。お母さんの結界の威力は強烈でしたから」
「お母さん。って誰」
「ビルガメスのお母さんです。始祖の龍。彼女の結界は半端じゃありません。私は彼女の力の一部を見たのでしょうが、とても。とてもじゃないけれど、自分があそこまで出来ると思えません」
「凄いことなのだ。ビルガメス・ママ。上には上がいる。で、彼女の結界を命懸けで弟が解いて、許されたのだ。それもまた凄い。ティグラスも凄いし、ビルガメス・ママも強烈である」
イーアンも頷く。『ですので、ビルガメスとしては、まずは誰でも良いから、ドルドレン以外の人を』お試し・・・かしらねと、小さな声で戸惑う愛妻の顔に、ドルドレンも複雑だった。
「うむぅ。それを訊くとビルガメスに俺は大切にされていると、その意味では嬉しいものの。何か犠牲者のように聞こえる分、微妙な心境だ」
「私もそう。でも、結界を解いた以上、龍の約束ですから大丈夫なのですが。『とりあえず普通の人なら、入れるかどうかだけで、命に問題ないのだから』と。この話は後でします。慎重な辺りは、さすが長生きしていると言えるのかも」
二人がこんな話をしていると、眼下に北西支部の草原が見えてくる。
ドルドレンは気が付く。タムズは誰かをここで捕獲(※犠牲者その1)するつもりかもと。イーアンもきっと同じことを思っているだろうから、この話はしないでおいた。
北西の支部の裏に降りた3人。ミンティンは待機させて、出てきたタンクラッドとミレイオに挨拶をした。すぐに彼らは、さっき光が空を覆った現象について訊ねた。タムズが前に出て、彼らに教える。
「全てを話すことは時間がかかる。しかし何が起こったのか。それは言える。イヌァエル・テレンは開放された。よって、私は連れて行こうと思う」
ミレイオはハッとした。タムズは自分の視線を捉えて微笑む。タンクラッドもさっとタムズからイーアンたちに顔を向けたが、ドルドレンは小さく首を振った。多分。タムズは、ミレイオなら大丈夫と思っているのかも知れないと。
「私・・・行きたい」
「私もそのつもりでここへ来た。ミレイオ。しかし一つだけ伝えておくことがある。恐らく大丈夫だろうとは思うが、サブパメントゥの君であることに変わりはない。君が無事であるように祈るが」
「タムズ。私は光に憧れたと言ったわ。もしこの命が空に着くなり消えても、私は満足」
ミレイオはニコッと笑って頷いた。『旅は私がいないと、ちょっと可哀相かも知れないけど。でも私は飛び込みだし問題ない』そう続けた。
ビックリするイーアンは目を見開いて『ダメです、ミレイオ』と声にならない声を出す。ミレイオはくるくる髪の女を見つめ、微笑んだ。
「イーアン。私がもしもよ。死んじゃったとしても。それはそれよ。そうなったら、あんたは私じゃない誰かが、絶対に守ってくれるもの。私は怖くないの。光を見たくて生きてきた人生だから」
「ミレイオ。君は何て強い」
タムズは少し目を細め、人の背格好とまるで変わらない、サブパメントゥの男に感心した。光を恐れるどころか、目指して進み続ける。命が消えても喜びに至ると空を望む、その姿勢。
「まるで。ティグラスのあの時間を、もう一度見ているようだ」
タムズの言葉にドルドレンが顔を上げる。タンクラッドは目を彷徨わせて、視線の合ったイーアンに『誰だ』と小声で訊ね、彼女に、それはドルドレンの弟であることと、その話を後ですることを言われ、了解した。
「イーアンと一緒にいる君を見て。サブパメントゥの者がどうして、女龍に触れて平気なのかと考えていた。それに君は光の時間を恐れない。自分から光を手に入れる服を着る。それも不思議だった。そして、理由を理解はしたものの」
タムズはゆっくりと首を振り『まさかここまで。ミレイオ、君こそ行くべきなのか』独り言のように思うことを呟くと、タムズはミレイオに腕を伸ばした。
「私の手を取りなさい。例え君の体が消えようとも、私は君を・・・君の憧れた光の空へ連れて行く」
ミレイオは真顔のまま、自分の前に腕を差し伸ばした男龍を見つめ、『有難う』の一言と共に、その手に自分の手を重ねた。
すぐに振り向いて、イーアンたちに『馬車はもう出来たのよ。後は私じゃなくても出来る』と伝えた。
「待て。ミレイオ。お前本当に」
「タンクラッド。大丈夫よ。私、ザンディが死んでから・・・いつでも。命が消えるのは怖くなかった。もし最期が空なら。それは私にとって、最高の人生なのよ」
何も恐れない笑顔でタンクラッドに微笑み、彼の手を少しだけ握った。『あんまりエラそうにするんじゃないわよ』ハハッと笑い、その手を離すと、次にドルドレンを向いて『勇者よ。あんたは絶対にイケる。頑張って』と伝えた。
それからイーアンを見て『一緒に行くんでしょ?』そう微笑んだ。イーアンは思いっきり頷いて『来るなと言われても行きます』と答えた。
ミンティンを浮上させ、イーアンは6翼を出す。ミレイオはタムズが片腕に抱えた。彼はミレイオの顔を見つめ『勇敢な者を。一日に2回も見るとは』静かな眼差しを向けて囁くと、その大きな翼を勢い良く広げ、光の塊となって飛び立った。
イーアンもミンティンと一緒に龍気を集め、タムズの光の後に続いた。
白い二つの光が空へ吸い込まれるように消えていくのを、タンクラッドとドルドレンは見送る。空を見つめるタンクラッドは、その顔はそのままに、横に立つ総長に話しかけた。
「何が。あったんだ。この空の色。ミレイオの・・・いや、あいつが死ぬわけはない。あいつは、絶対に戻る」
「タンクラッド。そうだな。俺もそう思うよ」
タンクラッドは眉を寄せて空を見つめる。『ミレイオ。戻れよ』呟く声は、ドルドレンに沁みた。弟を送り出したあの時間を、今もう一度、繰り返しているような気持ちだった。
一方。高鳴る胸を感じながら、タムズの片腕に抱きかかえられて、一気に空へ舞い上がったミレイオ。
あまりの高速に外が見えない。横にもイーアンの気配がするから、側にいるとは分かるものの姿までは見えない。
タムズの体は輝きを増し、白い光の膜が彼を覆い、彼の腕の中にいる自分もそれに包まれている。タムズの大きな体が温かく、このまま消滅しても未練はないと思えるほど、ミレイオは感動していた。
「ミレイオ」
頭上から厳かな低い声が名前を呼び、見上げると金色の瞳と目が合った。『いよいよだ。イヌァエル・テレンに入る』彼の顔は笑っていなくて、ミレイオを心配しているとも、無事を信じているとも見える。
「有難う、タムズ。私は今、最高に幸せよ」
「君の笑顔を。私たちの世界で見たい。笑ってくれ。ミレイオ。誇り高きサブパメントゥの宝石よ」
イーアンはそれが聞こえる。泣いてたまるかと歯を食いしばる。絶対にミレイオは大丈夫。サブパメントゥでも何でも、昔、入っていたのを香炉の煙で見たもの。ミレイオの無事を信じて、これもまた第二の試練と突入を覚悟する。
「あなたに誉められただけでも素晴らしかったのよ。横にいるイーアンは私の妹よ。私はどこまでも光の差す方を目指すわ」
ミレイオは、最期の言葉のようにタムズに答えると、ニコッと笑った。タムズはミレイオの笑顔を見た後、その頭にもう片手を添えて自分の胸に押し付けると、今こそと、その言葉を口にした。
「イヌァエル・テレンへようこそ」
境目の消えた、色だけが異なる空の向こうへ。光の輝くその空の世界へ、タムズとイーアン、ミンティンは突き抜けて入った。
タムズはミレイオを両腕に包んで飛び込んだ。その鼓動と彼の気配を、決して聞き漏らすまいと集中し、確認しながらイヌァエル・テレンの大地へ向かう。向かう先は始祖の龍の丘。速度を緩めながら、久しぶりに『心配』を感じる自分にも驚きつつ、そっと抱えたミレイオの顔を見ようとする。気配は生きている。鼓動もある。
「ミレイオ。ミレイオ」
押し付け過ぎて窒息でもしたか、と今更慌てたが(※タムズも慌てる)ミレイオは意識がないようだった。目は閉じ、口元からは温度のある息が静かに出ているが、名前を呼んでも反応がなかった。
「ミレイオッ」
タムズは力の抜けた彼の体を片腕でしっかり抱き、ミレイオのピアスだらけの顔に声をかけ続ける。『ミレイオ。イヌァエル・テレンだ。ミレイオ』頬に触れて顔を上向かせるが、ミレイオは動かない。
気が付いたイーアンがすぐに側へ来て、ミレイオを覗き込み、さっとタムズを見上げる。タムズは『丘に』と言うと、急いで丘へ飛んだ。
イーアンは心配でならない。大丈夫なはずである。始祖の龍は差別しない。絶対に大丈夫、と思うのに、ミレイオは目を閉じていた。タムズが焦っているのが怖い。丘がすぐに見えてきて、イーアンはタムズの真横について飛んだ。
丘に待つ男龍たちとティグラスを見つけ、その近くへ二人は降りた。男龍たちはタムズの抱えてきた男が丘に置かれるのを見て、少し気になったように近づいた。ティグラスも一緒に来て覗き込む。
イーアンはミレイオの頭の側に膝を着き、『ミレイオ。着きました。ミレイオ』何度も何度も呼びかける。
「どうした。彼は・・・サブパメントゥの男か」
ビルガメスは意外そうにタムズに訊ねる。『そうだ』答えるタムズの動かない視線に、ビルガメスは少し眉を寄せた。
「彼に会ったことは俺も何度かあるが。人間を連れてくると思っていたのに」
「俺もこの者を知っている。タンクラッドと一緒にいた」
ルガルバンダはミレイオを見つめて、少し首を傾げた。『あの時も思ったんだ。何でこの男は龍を恐れないのかと。思い当たる理由は一つだけだった』人の肉体を持った男の側に、しゃがみ込んだルガルバンダは、その刺青だらけの手を撫でた。
「ミレイオというのか。ガドゥグ・ィッダンの模様を持つなんて、話には聞いていたが。彼だろう?宝石は」
ニヌルタはビルガメスに訊く。ビルガメスは少し黙った後、『ふぅむ。模様自体はそうとしか思えないが』と呟く。
「サブパメントゥの者も、数は多い。話だけしか知らないのは俺も同じ。そうかとは思ったが、この模様をもつ者が、他にもいるか分からなかった。それに本当に創っていたとはな。
しかしそうか。この絡みで出会うとなれば、そう捉えて正解か。彼だろう」
「この模様に守られて、彼はここにいられるのか。それとも始祖の龍の結界が解ければ、他の地下の者も入れるのだろうか」
ビルガメスの見解の後に、ルガルバンダは聞いた。ミレイオの側で声をかけるイーアンは、彼らの話は聞こえるものの、それどころではないので、一生懸命にミレイオに話しかけ続ける。ビルガメスはその様子を見つめながら、思うことを呟いた。
「昔はな。入れたというから、恐らく入れるだろうが。しかし居心地の問題はあるだろう。ミレイオはこの模様がある以上・・・大丈夫ではないかと思うが。他の地下の者は、例え来たとしても、体に影響が出るだろう。始祖の龍の時代、彼らは光を罰にはされていない。結界後だ。それまで解けたのかどうか」
タムズも心配が募る。自分が連れてきたミレイオ。約束を叶えたとはいえ。ミレイオは光を望んだとはいえ。
サブパメントゥの者に祝福は出来ない。イーアンなら出来るかも知れないが、他の龍は出来ないこと。ティグラスにはせめてと、祝福を与えたが。守護ではなく、彼は祝福に値することを、その存在に加えたかったからだった。
祝福を受けなかったミレイオは、このまま息絶えるのか。目を、覚まさないのか――
「ミレイオ、男龍が全員います。あなたは空にいるのです。ミレイオ、目を開けて」
イーアンは泣かないと決めたから、ミレイオは絶対に生きていると信じて、ずっと話しかける。焦りと不安が胸にひしめくのを振り払いながら、ミレイオの体に力が戻るにはどうしたら良いのか必死に考えた。
「龍気が使えません。ミレイオは、この方はサブパメントゥだから。どうしたら良いのでしょう」
ビルガメスを見上げるイーアンに、大きな男龍も答えが出てこない。サブパメントゥに連れ帰るしかないのだ。自分たちがイヌァエル・テレンで回復するように。『サブパメントゥに』言いかけた横で、ティグラスが動いた。
「この人は生きている。死なないよ。この人は、俺と似ている。この人の世界の鍵を開けたんだ」
「ティグラス。それはどういう意味ですか。ミレイオはどうして目が覚めないの」
「もうすぐ戻ってくる。俺がここに来た後だから、体はこのままだ。だけど魂が遠くにいるよ。もうすぐ戻る」
ティグラスの言葉は不思議で、イーアンはすぐに理解が繋がらなかったものの、安心して頷いた。ティグラスが大丈夫と言うなら。
ティグラスはイーアンの横に屈み、ピアスの付いた顔を見つめ『沢山。飾る。光を愛してる。いつも光と一緒。魂も光を見つけた』そう言って、ニッコリ笑うとミレイオの額に口付けた。
「この人は光を魂に入れる」
イーアンに笑顔を向けたティグラスの素直な言葉。イーアンもゆっくり頷いて微笑んだ。タムズはティグラスに訊ねる。『それは。精霊がそう、君に教えているのか』男龍の金色の瞳に、ティグラスは微笑む。
「そうだよ。これで良かったんだ。そうだね、ミレイオ」
ティグラスの言葉と共に、ミレイオの瞼がすっと上がった。覗き込んでいたタムズもイーアンも目を見開く。男龍たちも、開いた目を見て少し驚いた。
「ここは。空なの?」
自分を覗き込む男龍やイーアンたちに、ミレイオは訊ねた。その瞳は金色の輝きに変わっていた。
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