6. 出会いは水の中から
「夢の・・・・・ 」
ドルドレンは思わず声に出し、慌てて口を閉じた。 ウィアドが『おいおい声出すな』といったふうに主を振り返る。
その目を逃れるように顔を反らせ、姿勢を正してから馬の背を降りた。ドルドレンは緊張を解かないまま、さっと泉の周囲に目を配り、不審なものがないか確認する。
あった。 不審。
水の中、波打ち際よりも少し奥に、何かが水から出ようと動いている。 目を凝らし、剣に手を忍ばせた時、ドルドレンは目を見開いた。
つい、剣を持った手を緩めてしまい、剣が鞘に戻る「カチャン」の音が鳴った。
不審なものは、素早く音のした木々の方に顔を向けた。
思わず、一歩前に足が出た。 まさか本当に、泉の中に女がいるとは。
ドルドレンと目が合った不審者は泉の中で動きを止め、困惑しているのか、立ち尽くしている。
そして、ドルドレンが何かを言う前に女は声を発した。
「あの、落ちちゃって・・・・・ 」
言葉と一緒に困ったように眉を下げる。 夢のまんまの成り行きに、ドルドレンは呆気に取られて動けなくなった。
違うことと言えば、自分が裸ではないことくらいだった。
固まる黒髪の男の反応の無さに、女は水から上がろうかどうしようか困っている様子で、ぶつぶつと独り言をこぼしていた。『どうしよう、上がりたい』とか何とか。
ドルドレンが状況をなんとか理解し始めた時、後ろにいたウィアドが鼻先で主の背中をつついた。『早くしてやれ』くらいの態度を感じ、意識を戻したドルドレンは、女に数歩近寄って質問した。
「名前は」
女はちょっと身構えたように目を見つめ返したが、すぐ下を向いて首を振った。言いたくないのか。ドルドレンは女の名前を聞きたかったが、夢とは異なり、とりあえず答えがないので次の行動に出た。
どう見ても危険そうには見えない相手だし、女というのもあり、ドルドレンは近づいて腕を伸ばした。
「こっちへ。 冷えるだろう」
相手がもしも魔物なら腕の一本が消えるかも、と過ぎったが、とにかく女を水から出すことを選んだ。女は差し出された腕を見て目を瞬き、小さく頷いて水際へ歩きにくそうに進んできた。
近くまで来て、女は右腕を伸ばす。進んでいる際に足に水草が絡んで足が重いようなので、ドルドレンはその腕を掴み、自分の体に引き寄せた。
ドルドレンの力強い引っ張りに、女がよろめき倒れかける。ドルドレンが両手で支えると、女は踏みとどまって身を起こし一歩離れた。 そしてすぐ、まとわりつく水草を蹴散らすように足を振った。
「ありがとうございます。 すみません、手伝ってもらって」
ちらっと上目遣いにドルドレンの顔を見上げ、女は礼を言った。
彼女は自分の格好を見回し、衣服が水で貼りつく動きにくさに溜息をつき、すぐに髪の毛を束ねて両手で絞り始める。その顔をよく見ると、やはり ――夢の中の、あの人物だと確認できた。
黒い髪で鳶色の瞳。白くも茶色くもない中間くらいの肌の色。
垂れ目で、眼窩が少し窪んでいて、鼻は高く、唇は薄い。濃度のない顔、というか。何となく石に彫った面のような雰囲気がある。年齢は自分と同じくらい... いや、上なのか。
女の背丈はドルドレンの胸辺りくらい。腕を掴んだ時に感じた、しっかりした肩幅と、女にしては力のある広い手は印象的だ。
見た目そのものも風変わりだが、ずっと気になっているのは、この女の衣服が見たことのない形をしていること。これまでを思い出しても、似ている服は記憶にない。
変わった衣服だと、上から下まで眺めていれば、自然と女の体の線に意識が移る。
豊満な女が多いこの国の人間とは違う。濡れた服が張り付いている体の線は、何というか、言ってみれば中性的のような・・・・・ 胸や腰の形がよく分からない。男と言われたらそれも通用しそうだし、女と言われればそうだと思う、と答えてしまいそう。
そうだ、声もだ。 夢の中の女の声は、中性的であった。目の前の女も同じで。
ドルドレンがじっと見ていることに気が付いた女は、自分を見下ろす澄んだ灰色の瞳を覗き込んだ。そしてドルドレンが彼女を観察したように、女もまた、黒髪の男の全身をさっと見回し、
「綺麗な色ですね」
忙しなく動いた視線を、ぴたりとドルドレンの瞳に重ねた時、女はにこっと笑って誉めた。まるで何か憧れを捉えたような、ほんの少しの寂しさを伴う熱い眼差しを向けて。
その表情を見た時、ドルドレンの体の中で何かが揺れた。心臓? 胃? 何かがドクンと大振りに動いた。
じっと見つめる女の眼差しが自分の体に、これまで感じたことのない影響を与えていると分かり、ドルドレンは唾を飲み込む。 何でだ? 何がそう感じているのか、はっきりしなかった。
女は、黙りこくった目の前の黒髪の男に、ちょっと考えたように言葉を繋いだ。
「あなたの目の色が。 すごく綺麗だからと思って・・・・・ 」
返事のない自分に対して、何の色が綺麗なのかを説明した女の屈託ない笑顔に、ドルドレンはハッとした。
「いや。 あの、そうか。 ありがとう、あまり聞き慣れない言葉で驚いてしまった・・・・・ 」
ドルドレンは礼を言いかけたが、女がくしゃみをしたので、慌てた。 急いでクロークを脱いで女の肩にかけ、自分よりも頭一つ以上低い背に合わせて腰を屈め、クロークを前に引き寄せてブローチを取り付ける。
女は驚いている様子だったが、素直にじっと受け入れていた。
ドルドレンが女の顔間近でその鳶色の瞳を捉え、「とりあえず森から出たほうが良い」と思いつきのまま口にすると、女は目を彷徨わせたもののすぐに頷いて了承した。
――ずぶ濡れの女をこのまま森に置いていくことは自分には出来ないし、それに見た目が気になる。突然泉に「落ちた」のであるとしたら、もしかしたら魔物の出現元とも関係があるかもしれない。
言葉は通じているが、女の様子から行き先が分かっているようには思えない。
とりあえず、連れて戻ろう。 夢のこともあるし、ドルドレンはこの女を保護することに決めた。
ウィアドはこの間、泉の水を思う存分に飲んで、げふっとげっぷを出して満足そうに男女を眺めていた。
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