699. 東に出張挨拶 ~朝
次の日。イーアンは少し早起きして、台所で粉生地を練った。今日は出張である。帰ってきて、支部で食事かもしれないけれど、もしも早めに戻れたら。
「昨日確認したら。食材で早めに使った方が良さそうなものが、結構あります。夜にでも料理して食べれたら」
せっせと生地を練り、ちょっと暖かめの場所に、生地をボウルに入れて置く。濡れた布巾を掛けて、やんわり木蓋も乗せる。『お昼前に戻っても使えます。夕方ならもっと使う幅が広がりますね』安心安心と呟いて、手を洗ってベッドへ戻る。
ドルドレンが目を覚ましたので、ちょっとベッドに一緒に入って温まってから、二人で起きる朝。
「イーアン。美味しそうな匂いがするのだ」
ハハハと笑うイーアンは、伴侶に、さっき生地を練っていたと話した。『今日は東へ行きますね。ハルテッドとベル、ティグラスに会いに。うまく行けば、帰りにモイラにも会えるかもしれないけれど』だから、夕食用に生地をね・・・イーアンがニコッと笑うと、ドルドレンはイーアンを抱き締めて頬ずりする。
「イーアンが夕食を作ってくれる。うちで。俺のために。昨日も作ってくれたけど、俺は毎回嬉しいと思う」
ずっと嬉しいよ、と微笑むドルドレンは、ご機嫌でイーアンにキスをした。イーアンもニッコリ笑って、お返しにキスをする。『旅に出る前に、出来るだけ。おうちに馴染みたいです。早く帰りたいなと言える、憩いのおうちですよ』ね、と笑うと、伴侶も嬉しそうに頷いた。
着替えながら、東へ行ったら魚も買おうよと、二人は話し合う。マブスパールで、馬車の食材も買っておこうとか、馬車で使うお布団も買おうとか。時間が許せば、買い物する予定も加わった。
「一日で大忙しも、まぁね。こんな時ばかりでもないから、頑張ろうか」
ドルドレンは、愛妻(※未婚)の頭にちゅーっとして微笑む。支度を済ませ、支部へ朝食を摂りに向かい、広間で食事をしながら話し合う、本日の予定。
出かけるのは、職人たちに朝の挨拶とお茶を出してから。今日の道順は、東の支部⇒ティグラス⇒モイラの宿⇒食材の買い物⇒布団・・・・・
「結構、いっぱい、いっぱいかもな。先ほど『頑張ろう』と言ったばかりだが。時間の都合もあるし、布団は、今日じゃなくても良いかも知れない」
「そうですね。モイラの宿もすぐですが、町の中まで龍ではいけません。歩くと時間がかかりますね。まして私、翼も出せませんし」
「そうなのだ。俺も一緒に行かないと、角もあるから説明が必要」
ティグラスは喜ぶと思うよと、白い角を見てドルドレンは笑う。イーアンも笑って『彼は知っているのでは』と呟いた。ドルドレンの弟・不思議なティグラス。彼は純粋な心に、いろんなことを知っていそうに思う。
あれこれ話しながら、朝食を終えた二人は、それぞれの行動にまず移る。ドルドレンは執務室へ行って、朝の報告書に目を通してから出る。イーアンは厨房へ行って、お茶をもらって馬車へ運ぶ。
まだ誰も来ていない裏庭外の馬車の荷台に、お茶のお盆を置くイーアン。もう後、15分もすれば誰かは来そうなので、ちょっとそのまま待つ。
馬車の内装を見ながら、最後は扉が付いて、車輪が付けられて・・・と、想像する。買って来たばかりの時は、床も抜けていて、天井と壁以外は壊れたようだった。あれから、毎日。ミレイオたちがコツコツ進めて、もう、どこにもないような素敵な馬車がここにある。
すごい人たちと一緒にいるんだなと思う、しみじみ感動する手仕事。イーアンは、自分も同じようなことが出来れば良いな、そう、いつも感じる瞬間。そんなこと高望みだと知っていても。
ぼけーっとしていると、向こうから気配が近づいて来たことを知り、それが親方だと分かる。龍の気配は、親方かオーリン。でもこのエラそうな、龍気ムンムンはバーハラーである。
「バーハラーは、親方そっくりです。龍も相性でやって来るのかしら」
威圧感満載の燻し黄金のバーハラー。必要ないくらいの、大振りの尻尾の振れ具合で、西の空から登場。
あんなに振ったら方向変わりそう、とイーアンは思うが、そこは板に付いた大袈裟具合なのか。別に方向は変わらず、真っ直ぐこちらへ来た。
イーアンが手を振ってお出迎え。親方も気が付いて、手を上げた。ここでイーアン、思いつく。この距離なら。
背中に6翼を急いで出すと、驚いた様子で、少しゆっくりになったバーハラーに向かって飛んだ。
『どうした。何か』親方も驚いて、真横に来たイーアンに挨拶もおいて訊ねる。イーアンはニコッと笑って、親方の背中に回り、親方の脇から両腕を回した。
ハッとするタンクラッド。振り向くと、同じ色の鳶色の瞳が笑ってる。『お前』もしかしてと笑顔が浮かぶ親方を、イーアンはぐっと持ち上げた。重いっ・・・けど、ちょっとだから、と思って頑張って浮かぶ。
少しグラッと揺れたものの、龍気を増やすと重量も軽減した。バーハラーが気が付いてくれて、龍気を返してくれる。親方の胸をガッチリ抱き締めて、イーアンは親方を抱えて少し上まで飛んだ。
「イーアン。お前・・・・・ 有難うな。重いだろう、震えている」
「親方が一番重いです。ハハハ。でも大丈夫です。龍気をもらっていますから。そろそろ降ります」
親方は胸囲もある。イーアンの両腕は、巻きつけることが出来ない腕の長さのため、力全開で気を抜けない状態。
タンクラッドは嬉しくて、イーアンの手に自分の手を重ね、少し震えている力の入った手を撫でた。無理させたな、と思うが、イーアンの翼で宙に浮いている・・・一緒に飛んでいるのが嬉しかった。
「お前は優しいな。もう良いぞ。充分だ」
はい、と答えたイーアンが親方を抱えたまま、そっと地面に向かって降りる。
それを裏庭口に出て見ていたドルドレンは、ビックリした。『何があった』と慌てて走ったが、特に何もない。もう一度、降りてきた二人に、何があったかと急いで訊ねた。魔物でも出たのかと訊けば。
「違う。イーアンが俺を抱えて飛んでくれた。それだけだ」
満足そうに、親方は後ろに立ったイーアンの翼を撫でた。真っ白い翼は畳まれて消える。見上げる弟子に微笑んで、その頭を撫で『有難う』とお礼を伝えた。
イーアンも笑顔で頷き、それから今日は東に行くと伝える。『オーリンたちが来たら、そう伝えて下さい』夕方には戻るつもり、と言うと、親方は了解してくれた。ドルドレンも、自分たちの道順を大体教え、『何か起こればその時は連絡する』と付け加える。
それから二人はミンティンを呼んで、一緒にミンティンに乗り、東へ向かう。見送るタンクラッド。少し冷めたお茶を飲み、入れ替わりでやって来たオーリンを迎えた。
「すれ違ったよ。今日、行くんだな」
ガルホブラフを降りたオーリンが、空の向こうを指差して、自分のお茶を受け取った。親方は、自分が朝一番、イーアンの翼で飛んだことを話した。
タンクラッドはデカイから、重そうなのに。頑張ったなと、オーリンは苦笑しながら『良かったな』と伝えておいた。満足な親方。続いてやって来た刺青パンクにも、同じように話して、こっちにも『良かったわね』と、あっさりあしらわれた。
可笑しそうに笑う二人はそれぞれの持ち場へつく。鼻歌、親方。出張から早く戻って来い、と思いながら、今日も、作業に精を出す朝が始まった。
空の上で、イーアンとドルドレンは、話しながら東の支部へ向かう。『ベルとハイル。顔を見せたら喜ぶと思うが。帰りたがりそうだ』笑う伴侶に、イーアンも頷く。『彼らは北西の支部が好きだから』と答えると、最近、ザッカリアが通っていると伴侶が教えてくれた。
「楽器を習いに行くのだ。ギアッチが一緒に行くが」
「ザッカリアの龍は翼ではないから、ギアッチも乗りやすそうです」
そうか、良かったと思うイーアン。楽器を習いに通っているザッカリア。それならハルテッドたちも、北西の支部と繋がりがあるから。ザッカリアが旅に出れば、また少なくなるにしても、今だけでもと思った。ザッカリアの為にも、楽器が上達するのは良いことだと思う。
「話は変わるけど。王の招待がな、そろそろだと思う」
王様の日時はいつなのか。はっきりしていなかったような気がして、それを確認すると『多分それを書いた、招待状が改めて来る』の返答。
「緊張するけれど。こちらから返事を戻して、大体すぐに早馬が来るのが常のような。今回は謝りたいと言っているし、きっと明日には招待状が来るだろう。日にちは近いうち、という具合かな」
王様だけで良いのにねと二人で話しながら、同席する他の人たちが心配、とした懸念は付きまとった。セダンカもいそうなので、とりあえずは、無難な状態でありそうには思うものの。
『その席でまた、一悶着なんて冗談じゃないな』伴侶は苦笑いで、この話を終えた。眼下には、東の支部が見えてきていた。
温かな東の地域。温風に等しい春風が、低い大地をのんびり撫でる中。二人は、光が遊ぶ川沿いに、龍を降ろした。ミンティンに待っていてもらうと伝えると、青い龍はすぐに眠る。
二人で支部に歩き、一応ねとドルドレンが中に入って、ホールで騎士に挨拶する。『総長、また来ましたか』驚く騎士に眉根を寄せた総長。
「何だその言い方は。来てはマズイのか」
「いえ。そうではなくて。遠いのに」
龍だから、とドルドレンは表に顔を向けて、困ったように言う。とりあえず今日の用事は、クズネツォワ兄弟だと言うと、受け付けてくれた騎士は少し面食らった顔をしたが、すぐに呼びに行ってくれた。
「今の反応。何だったのでしょう」
「さて。あいつらが何か浮いているのか。だとすると、魂胆が見える」
フフンと笑ったドルドレンを見上げ、イーアンはその魂胆はもしかして、とそこまで思って止めた。聞こえてきた声が、ハルテッドの声。向こうから手を振って小走りに近づいた、美人なハルテッド。
「おお、ドルもいる。イーアン、よく来たね」
ドルドレンにまず、ドンと肩を叩いて挨拶代わり。それから、笑顔でイーアンを抱き締める。仏頂面のドルドレンを無視して、嬉しいハルテッドは『また会えた。良かったよ』と喜びを伝えた。イーアンも、しっかり抱き返してニッコリ。
「元気にしていましたか。今日は挨拶に」
「元気・・・え。挨拶。挨拶って、まさかもう」
「おう、ドルとイーアン!わざわざ会いに来たの?そろそろ帰ろうと思ってたのに」
ベルの声がホールに響き、3人は暗いホールから、明るい外の光を背にした男を見た。ベルが優しい笑顔で寄ってきて、ドルドレンの背中を叩いて『おはよう』と言い、弟に貼り付かれているイーアンにも微笑んで『おはよう』を言う。
「帰ろうって。お前は何を言ってるんだ」
ドルドレンが眉を寄せてベルに言うと、ベルは肩をすくめる。『退屈だ。地域は好きだけど』だからね・・・と何かを含んで笑う。
「彼らは異動希望を出したぞ」
ベルが言う前に、4人の横から来た統括のアミスが、先に伝えた。困った顔をしているアミスに、ドルドレンは小さく溜め息をつく。
「アミス。今日はただ挨拶に来ただけだった。機構の話はこっちに報告で入ったか?」
「大雑把な内容ではね。ドルドレンたち5人が本部へ異動したんだとか、その程度だ。理由はさておき」
それを聞いたハルテッドは、イーアンを見て『本部に行くの?』と慌てて訊ねる。『旅は』言いかけて、さっと口を押さえた。アミスはちらっと茶色の長髪の男を見たが、彼には訊かず、総長を見つめる。
「アミスにも話が行くと思ったが。どちらにしても、いずれは皆に広まる話だ。そうした挨拶で、今日はここへ。イーアンは彼ら兄弟の友達だから。俺も一応だけど」
「一応って何だ。一応?」
「いいよ、ベル。こいつはそういうヤツ。俺はイーアンが友達だから、別に良いの」
アミスはもう少し詳しく聞きたいと言い、ドルドレンは彼と話すことにした。『イーアン。ベルたちと外へ。暖かい場所で話しなさい』ちょっと微笑んで外へ視線を動かすと、イーアンは頷いて、兄弟と一緒に外へ歩いた。
ドルドレンとアミスは、ホールの長椅子に座り、今のところの状況を報告する。アミスは、総長の本部異動について、国王からの任命・任務が直に影響したことを聞き、かなり驚いていた。
「そうなのか。国王が。それじゃ、機構は騎士修道会の運営ではない感じだな」
「実際の権限はこっちだ。機構自体は国のものだから、予算も何も、向こう持ちというかな。任務については相談の末だ。俺たちが動くことは、かなり前から、王の中で決定していたから」
「機構が設立する前から・・・だな。イーアンが絡んだから」
そうかもしれないけれど、と笑うドルドレン。アミスを見て小さく首を振る。『魔物が。ハイザンジェルは恐らくもう。打ち止めだな』低い聞き取りにくい声で伝えた内容に、統括アミスもゆっくり頷いた。
「見越していたのか?王が。魔物が出なくなることを。その言い方だと、魔物が出なくなることを見越していた王が、わざわざ魔物を資源にする部門を作って、諸外国に魔物製品を国を上げて売りつけるような印象だが」
「そうなりかけたことも。だが、違う。続きがあるんだよ。この国で終わったとしても、次は」
「まさか。まさか・・・別の国で魔物が出ていると言うのか?ドルドレンたちはそれを退治に」
「そんなところだな、と。言えれば早いのだが。それだけでは済みそうもない。イーアンは仕事を続けるから、魔物退治がてら、回収してこの国に輸送する。
また、それを通じて、相手の国にも魔物を活用できる方法を伝えに出かけるような・・・まぁ、言ってみれば、付随すること、連想出来ることは、大体『任務』とされているよ」
アミスは黙った。この男の苦労は、どこまで続くのだろうと思う。だが、同情は感じたものの、当の本人は、さほど辛そうでもない笑顔を向ける辺り、イーアンと一緒であることが、彼にとって大きいのかとも思えた。
「それではアミス。次はあいつらの話だ。何だって?異動希望」
ハハハと笑うドルドレンに釣られて、アミスも笑いながら首を振り『あの兄弟と来たらね』そう呟いて、この短い間に何があったかを、黒髪の騎士に話して聞かせた。
表に出ている3人は、青い龍の側に行ってお話中。イーアンの嬉しいこと。ザッカリアは、とても楽器が上手くなったこと。
「あいつは勘が良いのかな。音感も優れているよね。2度3度、同じことやらせると、すぐ自分の物にするの」
「そう。ザッカリアは教えるの楽しいよ。上手く出来ない部分も頑張るし。素直なんだよね、悔しがらないって言うか」
ベルにもハルテッドにも誉められて、お母さんイーアンは得意になる。『あの子は素晴らしい子です。きっとあなたたちのような素晴らしい、楽師顔負けの腕前になりますよ』えへんと、胸板を張るイーアンに、兄弟は笑う。
「ギアッチも一緒に来るんだけどさ。ギアッチみたいなこと言うね、イーアンも」
「ギアッチ、煩いんだよ。こっちが教えてる最中で、『もうちょっと分かりやすく』とか、『言葉遣いが』とか。ザッカリアが楽器を弾くと、止めても誉めてるし」
ハハハハと笑う3人。笑いながら、3人とも思うことは一つ。ザッカリアが旅立ったら、ギアッチは寂しがるだろうなという、それ。それはベルとハルテッドも同じだった。
笑った後、ちょっと間が開いて、ハルテッドが笑顔のままイーアンを見た。それから、少し遠慮がちに訊く。
「もう。そろそろなの?行くの」
イーアンは頷く。思うに、そうなるだろうことを言うと、ベルも目を伏せて笑顔のまま、大きく息を吸った。『その。さ。何だ。ザッカリアが、時々。不思議なこと教えてくれて。後ちょっとしたら出るって』ベルは言葉を切って、オレンジ色の瞳をイーアンに向ける。
「そうでしたか。最近、私は支部の外で、馬車を作る職人と一緒に作業します。タンクラッドとミレイオ、オーリンです。彼らが旅の馬車を作って下さっていて。その側で仕事しているものですから、ザッカリアたちと接触はなく」
「タンクラッドさん。来ているんだ。マジかよ、もっと早く戻れば良かった」
話を遮って、悔しそうなベルが本音を吐くと、弟が嫌そうな顔をして『やめろ、気持ちワリィ』と、兄から離れてイーアンに寄った。
「でも。そうなんだ。やっぱり、もう行くんだね。その挨拶だ、今日」
ハルテッドが覚悟を決めたように、イーアンに微笑む。その瞳に少しだけ潤いが増えた。
イーアンも微笑んで頷き『そうです。恐らくもうじき』そう答える。それから、馬車歌の解釈と、魔物が出なくなってからの日数、次の場所を示唆する夢を見たことを、イーアンは兄弟に話した。
彼らは黙って聞いてくれて、時々、静かに唾を飲み込む音がした。
イーアンは彼らに出来るだけ、現時点で分かっている情報を、話しておきたかった。ここから始まり、そしていつか戻る日に、彼らに全てを話せるよう、たった今。今日、この日を物語の序幕として・・・その幕の内側に立っている、舞台の一歩手前をしっかり伝え、彼らと共有したかった。
自分たちには何も出来ないと、それを理解していても。付いて行けたらと。角の生えた龍の女の話を聴く、二人の男の中にはそんな思いが揺れていた。
お読み頂き有難うございます。
今日、ご感想を頂きました!読みながら受け入れて下さったとあり、とても嬉しく思いました。そして応援もして下さいました。優しい言葉に励まされます。本当に有難うございます!!
ご感想を頂いて、自分でも感じたことを活動報告に載せました。これからも、どうぞ宜しくお願い致します。




