680. 旅人はアリジェン家として
青い龍に乗って帰る、王都までの空の道。パヴェルは暖かい日差しと風を受けながら、自分の昨日と今日を噛み砕いて記憶に残す。
その中で思い出す、助けてくれたイーアン。前に座る総長の、妻の印象。変わった人だなと思うが、それは悪い意味ではなく、パヴェルからしたら、良いだけしかなかった。
貴族間で度々、彼女の話題は出ていたから、何となくは知っていたが。初めて実際に見て、会話し、対応を受けると、彼女は全く噂と違っていた。
殿下の話も会食時に伺ったことがあったが、殿下の話される印象の方が、遥かに近いと思った。噂に上がる彼女の話は、専ら『奇妙な面』それと『魔物退治向けの粗暴な怪物』そして『生まれも卑しい下品で無教養な女』。
騎士修道会の総長が見初めたところから、貴族女性の嫌味も絶好調だったため、どこへ行っても、イーアンの印象が一度会話に出ようものなら、それは『醜い顔で、無情な魔物向けの女』の話題でしかなかった気がする。
そんな人物を、騎士修道会が長く置くだろうかと。いつでもパヴェルは首を傾げた。そうした会話には参加しないようにしているので、会食でも接待でも、舞踏会の挨拶でも、他人の陰口が始まる席には、やんわり退出を願って避けていると、噂が常に一人歩きしているようにしか感じなかった。
実際に見た彼女は。風変わりだが、決して醜くなどない。なるほど、見たことのない顔つきだが、すぐに分かる、正直そうな鳶色の瞳と、素朴で柔らかい表情。顔自体は、黙っていると石像を思わせる。すっきりしていて、それは綺麗だと思えた。だが良く笑う。笑うと子供のように見えた。
どことなくイヌのような(※パヴェルはワンちゃんを飼っている)雰囲気で、ぽけーっとしている時は、何歳なのか、男女のどちらなのか分からなくなる。どちらでも通じそうだし、子供のような顔もするから、年齢が嵩んでいる気もしない。
それに小さな角は綺麗だったし、黒い髪の毛は渦巻いてふかふかした様子から、ちょっと撫でてみたかった(※イーアンが撫でられる理由の一つ=髪フカフカ)。
話してみれば、発音が少し異なるものの、丁寧に喋ろうとする。敬語の使い方が曖昧だが(※パヴェル採点B+=要努力)相手を気遣う姿勢が言葉にも出る。親切だったし、思い遣りも豊かな女性だった。
そしてはっきりと言えることは、彼女は絶対に頭が悪いことはない。それはとんでもないと思った。下品で卑しい無教養、とは誰のことか。
心は正しく、品もある。何も卑しくもない。無教養では会話も出来ないだろうに、楽しい気遣いのある会話を続け、謝罪にパヴェルが切り替えた時の口調は、裁判官のように無駄もなかった。
殿下は彼女にご執心と言われているが(※ホント)。それは、不思議でも何でもない。下手な貴族女性よりも正直で楽しいし、誠実な人間性が見える、安心できる相手である。特に悪口を囁かれるような、そんな行いを好んで行うとは思えない。
良識のある、普通の、少し特徴的な見かけというだけの女性だった。友達になっても良いだろうと思える、そうした『イーアン』を理解したパヴェル。彼女を大切にする総長に、きちんとそれを伝えようと決めた。
「イーアン。彼女は綺麗ですね。とても力強い気力が漲っている。生命の源のような綺麗な、湧き出でる泉みたいだ」
「顔が、じゃないのだな。雰囲気を誉めている。彼女は俺が見て、一番美しい女性だ」
少しパヴェルは笑う。笑みのない総長に『失礼でしたか』と答えてから、言おうとしたことを説明した。
「彼女の顔。それをよその男が直に誉めて、夫のあなたが嬉しいか分かりませんでした。直接、外見について誉めて良いなら、また別の言葉が用意出来ています。聞きたいですか」
ちらっとパヴェルを振り向いて、ドルドレンは首を振った。『言わなくて良い。配慮に感謝しよう。それは、前向きな感想であると信じている』それだけ言うと、総長はまた前を向いた。
「顔のことで。愚かな者が、彼女もあなたも苦しめたのです。そのことにすぐ、触れて良いと思えませんでした。ですが私から見ても、彼女はとても魅力的です。まるで古の時代を思わせる、孤高の美しさです」
「有難う。そこで止めておいてくれ。それ以上は結構だ」
ハハハと笑うパヴェルに、ドルドレンも苦笑いする。二人は龍の背で、それから少し話をして、青い空の中を進んだ。
「それと。イーアンに改めてお礼を伝えて下さい。彼女は、旅人の私を恐れず、連れて戻って食事を用意してくれました。旅人ではない、と打ち明けたすぐです。正体を尋ねるよりも、私に空腹を訊ねました。
そして美味しい軽食を与え、何も聞かずに仕事に戻ろうとしたのです。だから私は、なぜ正体を聞かないのか驚きました。彼女は『あなたにそうする理由があったのだろう。自分が訊くことではない』と言ったんです。
聞いた瞬間。自分を恥ずかしく思い、彼女に隠したことを後悔しました。それですぐに、偽ることはやめて、目的であった謝罪をしようと決めたのです」
ドルドレンは黙って聞いていたが、小さく頷いて少し笑った。
「彼女らしい。そうだ。彼女は何も聞かない。自分から話すまで、相手を詮索しないんだ。質問する時は、彼女自身や、彼女の果たす役割に関わる場合くらいで。
それは彼女が相手を見た目で判断せず、形を求めるより、もっと中心にあるものを常に見ようとするからだ」
「そんな人に。容姿や格好しか見えない愚かな者たちが。恥ずかしい限りです。
イーアンもあなたも、決して貴族になることを望まないでしょうが、心はあなた方の方が、貴族にふさわしいと、私は断言しましょう」
ドルドレンは可笑しそうに笑って『俺とイーアンが貴族。そうか、しかしそれは、パヴェルの最高の誉め言葉なのだな』分かった、と頷いた。
「俺たちが自己紹介するなら、俺は馬車育ち。伝説では『太陽の民』だ。イーアンは空の頂点『女龍』。タンクラッドは『時の剣を持つ男』。オーリンは『龍の民』で、ミレイオは・・・あれは紹介すると、口が軽いと怒られるから言えんが、誇り高い力の持ち主だ」
「ミレイオ。あの装飾の多い、男女の別を超えた人ですね。ミレイオには怒られるんですね。ハハハ。しかし、あなたたちは、人間の身分など、足元にも及ばない存在です。比べるものではないですね」
初老の貴族を振り向き、ドルドレンは口端を上げる。『あなたは、成長する偉大な弱き者、人間だ(※ミレイオ受け売り)。俺と一緒。そしてあなたの場合は、高潔な精神の、本物の貴族だ』と教えた。
「総長ドルドレン。あなたは私を。成長する偉大な弱き者と。何て深い言葉でしょうか、あなたは私よりずっと若いのに。今。あなたに会えたことを神に感謝します。これから旅に出る御仁に出来ることは限られていても、どうぞ私の顔も忘れずにいて下さい」
「パヴェル。あなたは。俺が大切に思える、たった一人の貴族かも知れん。出会いに俺も感謝しよう。どうぞあなたとあなたの愛する人を、神が守りますように」
ドルドレンの言葉に、パヴェルは驚く。彼はもしや。彼が勇者か、と伝説の御伽噺を感じた。『有難う』そうお礼を反射的に伝えて、初老の貴族は何度か頷き微笑み、良い出会いに感謝を捧げた。
そうして。ドルドレンはビックリする。お宅ってこんな豪勢なの、と思いつつ。無表情でミンティンを降ろす中庭。秘密基地かと思った。すごーい広い中庭と、すごーい広い前庭。お宅はだだっ広い宮殿的建物だった。どこに住んでるのか、全部使うのか、分からない広さ。
パヴェルはお礼を言い『もしかしますと。あなた方にはご迷惑かもしれないが、殿下と相談して、一緒に食事をお願いするかも知れません』と伝えた。ドルドレンは目が据わる。俺でも引くのに、イーアンは大丈夫だろうか(※ふんふん泣いて嫌がる気がする)。
それが心配なので、一応パヴェルに、悪く思わないでほしいと前置きし、彼女は育ちに恵まれず、差別の対象になることが多かったから、そうした場に抵抗があるかもと伝えた。
「それは気の毒に。では私の家で、それを払拭しましょう。約束します。あなた方が旅立つ前に、どうぞいらして下さい。私を誰とも知らずに迎え、温かく接して下さった御礼です」
パヴェルに差し出された手を握って握手し、ドルドレンは『気にしないで』と軽く挨拶すると、ひらっとミンティンに跨り、ひらひらっと手を振り『パヴェルに神の祝福を』そう言って、パヴェルの返事も待たずに微笑みながら、ひらひらひらっと上空へ上がり、すぐに北西へ向けて飛んで行った(※逃)。
「エライことだ。パヴェルの豪邸に招かれたら。イーアンはきっと固まる。彼女は、ああしたおうちは好きではないはずだ。
うちのように、素朴でほんわかする個人宅なら、招かれても喜ぶと思うが。
豪邸ではきっと。終始、緊張し、例え好物の肉が出されても、喉を滑ることさえ気がつけないほどに、苦しい思いをする」
可哀相である、とドルドレンは頭を振り振り、パヴェルとお食事会をしないことを祈った。どうぞ、口先だけでありますようにとお星様に願うことにし(※大事なことはお星様)夜はちょっと起きていることに決める。北西の支部に戻る道のり、イーアンのほんわか笑顔を思いながら、ドルドレンは、お祈りの言葉を考えた。
家に戻ったパヴェルは、御者に上着を返して、そのまま玄関をくぐる。召使いが並んで挨拶する間を通り、彼らに御礼と労いを伝えると、階段を上がって自室へ向かった。
「大旦那様にお手紙が届いております」
執事が届けてくれた淡い水色の封筒を受け取り、お礼を言ってから少し部屋で休みたいと答えると、飲み物か食事の手配は要らないかと訊ねられ、パヴェルは微笑んで『温かいお茶だけ』とお願いした。
執事が背中を向けたので、ハッと思い出したパヴェル。彼を少し呼び止め『君たちが、普段に飲むお茶を分けてくれ』と頼むと、もの凄く驚かれた。もう一度、ゆっくり繰り返すと、執事は少し間が開いたものの了解した。
部屋の扉を開けて中へ入り、大きな片肘の長椅子に座ると、空を見た。
「この家では。彼らは安心して話せないのか。それは良くないね」
口元に手を当てて、暫く窓の外の空を見つめてから、パヴェルは少し考えた。それからすぐに立ち上がり、机の引き出しを開けて便箋を出し、手紙を短く書きつけた。封筒に入れてから、ふと、先ほど受け取った封筒を開けていないことに気が付き、その封を開ける。
「おや。良い時期に。そうか。ふむ。でもそうだなぁ。この場では少し難しいか?様子を見てから」
何度か呟きを落とし、パヴェルは手紙を机に置いた。手紙の文面を見つめてから、丁度ノックされた扉に『どうぞ』と答えて、お茶を運ぶ執事を通した。
「ハイデン。私が戻ったことを、イェーシャンとナイリスに伝えておいてくれ。彼らは今日、出かけていない?」
「はい。本日イェーシャン様は、お昼を過ぎて戻られる予定で、朝から王城へ向かわれております。じき、お戻りになるでしょう。ナイリス様は、朝焼けの間でご友人と、お茶の時間を設けられておりますため、昼食はご一緒されるかもしれません。
お二方とも、午後は本邸にいらっしゃるお話を承っております」
初老の貴族は少し考えて、午後のお茶の時間を、彼らへの報告に使いたいと話し、執事に時間を調整するように頼んだ。従兄弟・イェーシャンとナイリスの夫婦が、王城の一件を一部始終報告してくれたのだ。
安心して貰えるよう、出来るだけ謝罪の報告を早く知らせてあげたい。
それから、夕べの席には、セドウィナ・ホーションに会いたい旨を伝える。『手紙を書いたから、これを渡してくれるかな。急ではあるが、セドウィナが空いていれば是非、とお願いして』パヴェルは、書いたばかりの手紙を入れた封筒を、執事に手渡す。
「セドウィナ様ですか。奥様に先にお伝えするというのも」
「賢い彼女は何かを察して、耳を貸してくれると思う。私が彼女を頼る時はそうないからね」
「アンスル様には手紙を使わないで、と仰いますか」
「アンスルは。まぁ、あれも後が煩いか、仕方ない。セドウィナに連絡を取れば、自然について来そうだが。それでは良くないかな」
「どうかされましたか。私が伺うことではありませんので、お訊ねすることはしませんが。何か外で・・・影響を受けられたとか(←荒ぶる魂の愛に揺さぶられてきた)」
ハハハと笑うパヴェルは、手を払って『気にしなくて良い。ハイデンの心配することじゃないよ』と、心配そうな老執事に答えた。
「少しね。少し私も自由に、型を外して、新鮮な視線を広げてみようかなと思っているだけだよ(※貴族は言うことが違う)。驚くようなことじゃないんだ。少しだしね」
「差し出がましいと承知で伺いますが。もしや、そちらのお手紙にそのようなことを、要求されていらっしゃるのでしょうか。ご無理のない範囲でも」
ハイデンは眉をそっと寄せて、小声で心配を訊ねる。その視線が、口の開いた水色の封筒に向けられたので、パヴェルはそれを手にとって、彼に渡した。
『ハイデン。この手紙は君の目にどう映るかな。心配なら、読んでもらって聞かせてくれ』主人に促され、失礼をと会釈した執事は、封筒を受け取って、便箋を出した。
「申し訳ございません。大旦那様。これは一昨晩の、王城の一件について意見をと、もうじき・・・いえ、もう。大旦那様、これ、今です。今、お出かけにならねば!内容はさておき、昼食のお誘いでございますよ」
「うん。でも私が出かけているのは、知らなかったのだから。遅れても問題ないよ。そのお茶をこちらにくれたまえ。それを飲んでから出るよ。急がせてすまないけれど、夕食の誘いを早めにセドウィナと、アンスルにも序にね。お前の字で構わないから、宛先に足し書いて渡しておくれ」
少し様子の違う主人に躊躇いながらも、老執事は丁寧に了解の旨を答えてお辞儀し、お茶を置いて退室した。
いつも、自分が飲まないお茶を頂きながら、パヴェルは昼食の誘いが書かれた手紙を見つめる。
『彼らの中で役に立ちそうなのは。一人二人、かなぁ。国外に親戚がいるのは・・・うーん。経済的に弱いか。でも全員、中立派だから何かあれば動く可能性もある。少し調べるかな。話だけでも臭わせておこう』そこまで呟いて、素朴なお茶を一口飲んでから、初老の貴族は可笑しそうに、ちょっと笑った。
「ハハハ。話したら、他言じゃないか、とは。彼は面白いな。なんだったかな、ええっと。オーリンと言ったかな。精悍な顔立ちで目つきも厳しいが、口を開くと若者のような男だ。黄色い目が龍のような・・・龍の民と、それは本当なんだろうな」
イーアンと仲が良さそうで、彼らは兄と妹かと思ったが。『見た目は似ないものの。そう言えばあのミレイオという不思議な者とも、イーアンは仲が良かった。あれも不思議だ。家族のように慕い合っている気がしたけれど』家族が多いのかな、と(※無理がある解釈)パヴェルはまとめて頷く。
「私の役目がありそうとな。面白い。本当かどうか・・・もう、疑いようもないが。如何せん、頭から信じられるかと言えば、もう少し情報が欲しい。殿下にお目通り願おう。
私も代を譲ったし、妻も実家から戻らないし(※別居)。することもなくなってしまった(※お金があり過ぎてヒマ)。何か世のために動けるなら、そうした方が胸を張って生きていける(※現在セミ・リタイヤ)。
しかし、すぐに実行出来ること『機構に寄付』くらいは問題ないが。出資先を増やすと、息子も煩そうだしなぁ。経済面だけでは、繋がりにも疎遠だ。もう少し、援助の形を作れれば。彼らの今後の動きも把握出来るだろう。
さて。そうなると、どうしようか。すぐに思いつくのは、国外の貴族を巻き込むくらいだ。総長たちの旅先で、私の伝を使って・・・旅の途中に問題があれば、知人の貴族に少し世話を頼むとか。しかし私ではないから、彼らもどう動いてくれるか。思惑通りではないだろうし」
悩むね、とパヴェルはお茶を飲み干す。『ふむ。なかなか、良い味だよ。香りも柔らかで強くないし、味も特出した部分がなく実に穏やか(※これを安物と言う)。眠る前にも頂こうかな』フフッと笑って、銀の盆にガラスの茶器を戻した。
お読み頂き有難うございます。




