677. その男
旅人の男の人は、少し回復したのか。自分一人で歩けるようになり、イーアンのいる馬車に近づいてきた。
今、ちゃんと見たので、イーアンは彼が意外にも、旅人らしくないことに驚いた。薄汚れている外套を羽織って、小さな荷袋を持っただけの男性。でも、そんな印象よりも、目の前に来た男の人は、もっとずっと清潔そうで、きちんとしたように見えた。さっきのままのはずなのに、それは意外だった。
「もう。お腹は痛くありませんか」
「はい。薬が効いたので。有難うございました。少し外を歩きたいと医者に頼んだら、外で騎士たちが演習を行っているから、壁沿いを散歩するように言われて」
そうでしたか、とイーアンは微笑んだ。違和感が。消えない・・・・・ 旅人で、古いものを食べて、お腹を壊す雰囲気には、とてもじゃないが見えない。
「誰なの、この人」
ミレイオがイーアンに訊いたので、ハッとして保護した人だと教えた。男の人は他の3人にも微笑み、軽く会釈して『お話中に失礼しました。この方に助けて頂いたもので、お礼を言いたかったのです』と流れるように挨拶した。
イーアンが一番驚いたのは。彼は龍には怯えたのに、ミレイオには無反応。普通の人扱い(※軽く失礼)している。タンクラッドやオーリン同様、ミレイオにも態度を微塵も変えず、微笑んで挨拶した。
「助けてもらった。保護。どっか悪かったの?もう大丈夫なの」
ミレイオは、何か少し探るように、表情を落として質問した。彼は頷いて『道端で、腹痛を起こして動けなかった所を、彼女に対処して頂きました。薬はよく効いて、本当に助かりました』穏やかな口調で、ミレイオに答える。
イーアンちょっと。気になる。何かが気になる。怪しい人ではないだろうが、何か変である。ここにいさせるのも良くない気がして、イーアンは一緒に医務室へ行くと伝えた。
「お医者さんが6時間は居てほしいと。また痛みが出ても困りますから、医務室へ戻りましょう」
「ご心配を有難うございます。そうですね。少し楽になりました。医務室へ戻ることにします」
男性はイーアンの誘いに応じ、イーアンは職人たちに『彼を医務室へ送ったらまた来る』と言って、二人で建物へ戻った。
ミレイオは、その背中をじっと見ていた。親方はちょっと顔を掻いてから『不自然な男だ』と呟く。オーリンも首を傾げて『あれ。金持ってそうだけどね』と言った。
ちらっとパンクが見たので、オーリンは目を合わせ、顎で、小さくなる背中を示した。『持ってそうじゃない?』もう一度、自分の意見を伝える。
「持ってるかな。あの上着は借り物って、それくらいは分かるけど」
「うん。だろ?道端で腹痛。それはホントかもしれないけど。金持ってそうなのに、道端に一人でいるのもね」
「金を取られたかも知れんぞ。だが、持っている生活をしている、そうした人間だろうな。年齢は俺たちより上だろうが、健康そのものの皮膚で、手指に傷みの痕もない。一般的な仕事をしたことがない様子。健康管理もついさっきまでは問題なかった雰囲気。少なくとも、下層階級の人間じゃないだろう」
親方の含み笑いに、ミレイオも首を鳴らした。『どうでも良いけど。あの子に何かしたらイヤね』そう言うと、馬車の中に戻って作業を開始した。
親方はイーアンと男の消えた壁を見て、ほんの少しだけ首を傾げる。『これを機宜と設定するヤツがいるとすると。あの男は・・・ぴったりの人物に見えてしまうもんだがな』そんな見当を付けて、少し様子を見ておくことにした。
医務室への短い時間。イーアンは幾つも不自然さを感じた。一度そう思うと、次々に気になるもので、この人は本当に旅の人なのかな、と不審に思う。
一緒に歩く速度、歩き方。当たり障りのない喋り慣れている様子。何か一言ごとに質問が入っている返答。気配は人間だし、悪人の気配も感じない。悪さを受けないと分かるのに、何だか奇妙な。
「そうでしたか。あなたは作り手。龍に乗った騎士かと思いましたが」
「いえ。騎士は男性です。私はここで物を修理したり。お手伝いです」
「先ほどの彼らも、ずいぶんと変わった作業をされていた様子でしたね。あの方たちもここの方ですか」
「近所の方です(※結構遠い近所設定)。気の好い方たちで、馬車の修理を受け持って頂いて」
イーアンは医務室が見えて、少しホッとする。聞き出されている感じはしないのに、この人の会話は流れが出来ていて、イーアンの警戒対象に入ってしまっている。流れで情報を与えるような、そんな会話に戸惑っていた。
「あのう。あなたはあの道をまた、歩かれますか。魔物が出るかもしれないのに、武器も帯びず、馬もなく。歩きで一人旅されていますが、あの場所へまた連れて行ったほうが良いのでしょうか」
イーアンは医務室前まで来て、帰る時の話をした。遅くても、彼は明日の朝には立つ。そうすると、旧道に用があるなら、あの地点へ戻るのだろうかと確認したかった。
男の人は、綺麗な水色の目でイーアンを見て、ちょっと微笑んだ。『そうですね。どうしようかな』そう答えて、そのままベッドに戻り、腰掛けた。イーアンは立っていて、答えを聞いてから退室しようと思う。
目の前の男性は、背は180cmちょっと。肩幅はしっかりしているが、鍛えているようではなく、顎鬚は少し伸びているものの手入れされているふうで、大きな目としっかりした眉や鼻、顎、優しげな笑顔から、良いお父さんという印象だった。
子供がいたら、家族の雰囲気まで想像すると、どうやっても貧しくも思えなかったし、豊かな楽しい、明るい家庭を持っていそうな、そんな人だった。彼がどうして徒歩で一人旅をしているのか、全く似つかわしくないとさえ、勝手に思ってしまう。
「イーアン。あなたは私に名前を訊ねないですね」
「はい。伺うのは仕事ではありません。総長や隊長なら、あなたに伺うでしょう。私は所属するここに倣って、保護活動は行いますが、職務が異なるので、個人的なことはお訊ねしません」
「そうか。でも私に名前を教えてくれたのだし、訊いても良いんじゃないですか」
「あなたがご自身で言う分には。でも私にはそこまで」
「関心ない?」
そういう意味ではないです、とイーアンがやんわり訂正すると、男の人はニコッと笑って『失礼を』と謝った。
この謝り方のタイミングで気が付く。この人、フォラヴに似ている。姿ではなく、フォラヴのような話し方・・・貴公子のようなフォラヴの、あの口調。
フォラヴは『妖精の』というから、ああした雰囲気で、性格もそのまま出ているだけなんだろうと思うが、目の前の旅人は違う。貴公子みたいな生活の人だ、と気がついて、イーアンの表情に警戒が浮かんだ。
昨日。昨日、この人、どこかで見ただろうか。急いで記憶を探る。王城のどこかに。あの中の人では、と記憶を具に調べて、いない気がした。見えない場所にいたのかもしれない。
そんなイーアンに気づいているかどうか。男性は、ベッドに腰掛けている状態が気になっているようで、イーアンにも座ってほしいと頼む。
「眠くもなく。具合は良くなっているので、誰かと話をしたいです。もし時間があるようでしたら、話し相手をお願い出来ませんか」
「そう出来たら良いのですが。仕事もあります。10分くらいで宜しければ」
10分でも、と返されたので、イーアンはお医者さんに言って丸椅子を貸してもらった。側にお医者さんもいるので、とりあえずは安全かと思う。
「仕事ですか。何かを作っているのですね」
「はい。今は縫い物をしています」
「イーアン。あなたの、その上着。とても綺麗ですよね。自分で縫ったのですか」
自然体だけど、ヘンな感じの質問だよ~ イーアンは困る。小さく頷いて、ちょっと顔を下に向けた。男の人は咳払いして『私の名前ですが』と続ける。
「パヴェル・ヴァン・デュイス・アリジェ・・・ええっと、名前が長いので面倒ですね。パヴェルです」
「分かりました。パヴェルさん。私はイーアン。姓も名もこれ一つです。皆、私をイーアンと呼びます」
「イーアン。宜しくね。その、つかぬ事を訊きますが、綺麗な白いのはもしかして角ですか?」
びっくりしてイーアンはさっと顔を上げた。未だに角があることを忘れる自分がいる。ハッとして驚いた顔を見たパヴェルは微笑んで『角かな、と。飾りですか』そう続けて訊ねた。イーアンは少し間を置いて、正直にしようと決めたのもあって、首を振った。
「この角は生えています。私を示す大切な角です」
龍ですと、見知らぬ人に言えなくて、そこまでしか言わなかったが、パヴェルはゆっくり頷き『とても素敵な角です』と囁いた。
「あなたは青い龍にも乗って。彼は兄弟?」
「彼でも彼女でもないのです。雌雄がありません。兄弟でもないです。偉大な存在です。そして大切な親友です」
「そうなんだ。イーアンは正直ですね。会ったばかりの人に失礼かもしれませんが、是非伝えたい。あなたはとても、精悍で美しいですね」
イーアンは黙る。精悍=綺麗=誉め言葉=男龍的表現の『男らしくてイイ感じ』に聞こえる。苦笑いで頷くに留めた。
そしてやっぱり思った。貴族の人なんじゃないかと。話し方が丁寧だ。その上、誉める言葉の出し方も何かそんな感じ(※イメージ)がする。イーアンはフェイドリッドとセダンカくらいしか、喋れない(※王様&防衛大臣補佐官)。
イーアンが話が続かず、下を向いていると、パヴェルはちょっと笑って『緊張していますか』と訊いた。
困ってる人へのアプローチも慣れてるよ~ イーアンはますます固まる。困るよ~ こういう人、苦手~
イーアンが、うーんうーん悩んでいると、パヴェルは笑顔のまま、イーアンに静かに話し始めた。
「私が旅人。おかしいと思っていませんか。うん、そうでしょう?良いですよ、何も言わないで。その目で分かります。
私もね。どうして良いのか、付け焼刃で悩んだのですが、これくらいしか思いつかなかった。あまり人を悩ませるのは、私の性に合わない。この辺でお手上げにしておきましょう。
私は旅人ではありません。お腹を壊したのは本当ですが。酷い話ですよ、これは本当だから聞いてもらって良いかな。立ち寄った店で、ちゃんとお金を払ったのに、見るからに古そうな、肉の料理が出てきまして。歩いて疲れていたし、我慢して食べたら食中りです。情けないけれど、薬が効いたということは、やはり古かったのかな」
イーアンはこの人が旅人ではない、と前置きしてから、でも腹壊したと暴露しているのを聞いて、ちょっと可哀相になった。トイレに行ったのかなと思うが、それは訊けないし。でも下痢をしたら、お腹空いているだろうなと思う。
「あのう。お話を邪魔しますが、お腹はもう大丈夫なのでしょうか」
「え。腹痛ですか。大丈夫。ちょっと女性に言うことではないけれど、ここにお手洗いもあるしね」
カラッと笑ってパヴェルは言いにくいことを冗談で言ってくれた。イーアンは少し笑顔を出した。良い人かもしれないと思い、お腹が空いていないかと訊いてみた。
「ああ、そうですね。言われてみれば。でも食事は夕食を頂けるらしいから、それを少し分けて頂こうかと思います」
「パヴェルさん、私は」
「パヴェルと。私もあなたをイーアンと呼んでいますから」
「はい。では、パヴェル。あのう、私、少し待って頂けましたら、何かお腹にすぐ入るものを持ってきます。軽食だから、お口に合わないかもしれないけど。でも安全だし、新鮮ですから、大丈夫です」
パヴェルはイーアンの申し出に少し面食らったようだが、すぐにニコッと笑って『有難う。ではお願いしても良いですか』とすぐに受け入れた。イーアンは頷いて『ちょっと待っていて下さい』と言い、すぐに厨房へ行った。
ヘイズがいたので、事情を話すと『そうですか。食中りの回復だったら、軽いものが良いですね』と一緒に考えてくれた。イーアンはヘイズに夕食用の茹で豆を分けてもらい、それをすり潰して、牛乳と一緒に煮てスープにした。ヘイズはその間に薄く切って炙ったブレズに、さっと作った緩いカラメルをかけ、砕いた木の実を乗せてくれた。
「柔らかい糖衣です。歯に付くようなら、熱いお茶を添えました。これと一緒にと」
思い遣りと腕が素晴らしいヘイズに、心からお礼を言って、イーアンは豆のスープと、ヘイズの甘いパンを盆に乗せた。
それを急いで医務室へ運び、パヴェルの腰掛けるベッドに盆ごと置いた。『パヴェル。厨房の騎士があなたにこれを。甘いから、元気が出ます。歯に付くようなら、お茶と一緒にって』イーアンがそう言うと、パヴェルはじっと料理を見つめてから、イーアンを見て柔らかい笑顔を向けた。
「こんなにすぐ。有難う。美味しそうな香りです、早速頂こうかな」
これは手で?と訊かれたブレズ。そうです、と答えると、少し考えたようだったが、パヴェルは微笑を絶やさずに、ブレズを手に持って食べた。一口齧って、嬉しそうに目を閉じ『美味しいね。良い料理人だ』と呟く。さっと顔を上げてイーアンを見て『いえ、騎士でしたね。失礼しました』と続けた。
イーアンは思う。この人、やっぱり良い育ちなのかなと。手でパン食べない・・・どうやって食べてるんだろう、と思うが、頑張って手掴みなのか。でも料理人という言葉がすぐに出るのもフェイドリッドみたいだし、絶対おエライさんだと決定した。
パヴェルはお茶を飲んで味わい、素朴で美味しいと感想を伝えた。そんな、一品ずつ、感想言う人久しぶり、と思うイーアンは、一秒毎に『パヴェル=おエライさん』が決定していく。
豆のスープを飲んで真顔になったので、イーアンは慌てる。『ヘンでしたか。それは私が作ったのです。何か入っていましたか』ヘイズのせいになったら大変だ~と慌てて、白状したが、パヴェルはイーアンの瞳を見つめて『とても優しい味だ』と微笑んだ。
本当だろうな~?と疑うイーアン。真顔だったよ、今、と思うが。
・・・・・ホントみたいで、パヴェルは懐かしそうな表情を浮かべ『昔。私の叔母が。豆の煮たものを作ってくれて。田舎へ行くと、それが美味しくてね』と何やら思い出話を語り始めた。
「叔母が存命だった頃。彼女の家庭菜園で取れた豆をね。子供の頃、毎年、避暑の間は何回も頂いたんです。美味しいのは当たり前。豊かな土の味がしました。優しい味で、それを思い出します」
微笑むパヴェル。イーアンは初めて『毎年、避暑地』を口にする人を見た。それ、あれか。夏は涼しい地域で過ごす、ご一家、という。そうでしょう?と思うが、訊けなかった(※イーアン、沿岸地域の猛暑育ち:豆知識として、6~7月は潮風により湿度99%)。
思ったよりも。パヴェルは丁寧に味わい、しっかり食べ切ってくれた。お腹に負担はないかと訊ねると、ニコッと笑って首を振り『全く。もし痛くても食べてしまったと思う』とリップサービス付きの返答がもらえた。
イーアンは食器を下げて、ヘイズにお礼を言い、それから医務室へ戻った。そして自分はそろそろ仕事へ戻ることを伝えると、パヴェルは意外そうに目を丸くした。
「あなたは。私が旅人ではないことを訊ねないんですか」
「訊ねた方が宜しければ、そうします。でもパヴェルには、恐らくそうする理由がありますでしょう。私が訊くことではありません。あなたは保護した方で、旅人ではありませんでした。それだけです」
イーアンの返答に、パヴェルは少し言葉を失くした様子で黙ったまま、イーアンを見つめた。イーアンもどう答えて良いか分からず、その目を見つめ返すだけだった。
「イーアン。私はとても後悔しています。本当に恥ずかしい」
突然がっかりしている男に、ビックリするのはイーアンの方。何でそこで落ち込むの、と驚くが、とりあえず針仕事をしたいイーアン(※終わらせないと、空の赤ちゃん部屋に行けない)。
しかしパヴェルの言いかけたその理由、この流れだと聞かなきゃダメっぽいんだけど、私そんな時間ない、と思う。
困るイーアンに、パヴェルはすぐに切り替えた。『あなたの作業のお邪魔にならなかったら、側で話しても良いですか』交渉が出されて、イーアンは渋々了解する(※旅人の暴露<龍の赤ちゃんへの道)。
お医者さんに許可を貰って、工房の暖炉の側でと言われたので、イーアンは工房へ彼を連れて行った。それからすぐに暖炉の火を熾し、火が上がるまで待っていてもらい、その間に職人軍団に一度事情を話しに行った。
お読み頂き有難うございます。
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