667. 午後の約束
フェイドリッドは、帰り際。総長に、二つの話を持ちかけていた。
一つは印章の指輪。もう一つは『家とは』驚きをもう一度口にして、目を閉じた。
「なぜ、イーアンと総長の部屋が空いたのか・・・不思議に思って、聞いてみれば。支部の外に家を建てたとは」
是非、私も行かねば(※個人宅に王様訪問)。王様は、新居祝いをお付きの者と相談中。『明日出発なんてされても困る。早くだ。早くしなければなるまい』さぁ急げと、お付きに命じる王様。
「総長は龍に乗れると。ヴィダルが話していたから、その真相を尋ねたら。本当に個人で、龍を扱うと言うではないか。イーアン以外でも龍に乗れるなど、誰が思うだろうか。
夕方にでも、迎えに来てほしいとお願いしたから、恐らく4時前には来るであろう。時間も、往き帰りが早いらしいし、新居祝いだと伝えたら、不服そうではあったが、受け入れてくれた。彼は笑顔の少ない、ああした表情だから、もしかすると不服ではなかったかもしれないが(※とっても不服)」
お付きの者が、大慌てで注文に飛び出して行った後。フェイドリッドは、バルコニーに一人出て、空を見つめた。
「私も。一緒に旅に出られるなら。そなたの近くで、どんどん強くなる、その姿を見られるのに。今日も素晴らしかった。彼女は雄々しい。雄々しく、優しく、穏やかだ。力強いのに、何でも許してくれるような笑みを見せる。
彼女の強さが空気に滲み出ていた(※本当に龍気)。あの煌く鱗の上着は、きっと彼女のために誂えた一帳羅かもしれない(※良い勘してる王様)。
龍とな。そうか。そうであってもおかしくないと思ったが。しかし本当にイーアンは。私の時代に現れてくれて・・・厳しく苦しい時代だが、その姿を見せてくれたお陰で、希望を掴んだ」
イーアンを想う王様。それは、自分の弱さや、身動き出来ない生まれついての立場を、素手で振り払うような強さを、常に彼女から感じるからだった。そんな女性は、身近にも、町にもいなかった。
「もっと知りたいのに。しかし、いなくなるのだ。そなたは大きな旅路に向かう」
その手伝いを、せめて何か出来ればと。フェイドリッドは青紫色の瞳を長い睫で伏せた。差し詰め『新居祝い』と称して、イーアンの新しい住まいに伺い、彼女の生活を僅かでも見ることで、何が必要か理解するのではと思う。
「旅立つ前に。間に合えば。間に合わせよう。きっと、彼女に役に立つものも知るだろう」
そう微笑んで、フェイドリッドは『お迎え総長』を楽しみに待った。
お付きの人たちは、歩くことなく飛脚のように、城下町を駆けずり回って、金に物を言わせながら、残り2時間のリミットの贈り物に奮闘していた。
場所は変わって、北西の支部。
昼食を食べ終え、おうちの昼休みを過ごした面々は、午後の仕事に励む。
職人たちは馬車を作り、イーアンは工具と一緒に、外で縫い物。晴れた日が続き、地面も乾いているため、敷布を置いてその上に座り、縫い物をする。自分だけ工房にいるのも、すまない気がしてのこと。
ドルドレンは忙しなく動き、ぶつぶつ言いながら、今日も夕方の申請を出した。『王が来るのだ。機構の関係で備品が何たら。必要じゃないか何たらって。絶対、建前だけどな』ぼやきながら、執務の騎士に有給を申し立てる。
「王様。イーアンに会いに来るんじゃないですか?お菓子ほしくて」
「菓子の話はしていない。新居だ。食いついたのは」
言わなきゃ良いのに、とバカにされて、悔しい総長。『しょうがないだろう。もう来ると決まったことだ。手続きしておいてくれ』有給だぞっ!念を押して、旅から戻った時の生活費のため、有給にこだわるドルドレン。
そんなこんなで、時間が3時を回った頃。ドルドレンは自宅に戻り、外で縫い物をするイーアンに事情を話す。
「そういうことで。俺は甘ったれを迎えに行くのだ」
「んまー。私の知らない所で、そんなお話が。私が行きましょうか。ミンティンの方が、二人乗りには良いでしょう」
「む。そうか。ではミンティンで俺が行く。君が甘ったれと一緒では心配だ。恐らく、あっちにいる他の者も煩い。俺が行こう」
そうか、そうね、とイーアンは同意して、ミンティンを呼ぶ時は教えてとお願いした。ドルドレンは、後30分もしたら行くと教えた。
「おもてなしが出来ません。まだお台所が稼動していませんので」
「気にしてはいけない。勝手に、こちらの都合も無視して来る。現状を伝え、つい数日前に、移り住んだと話しておくから。物のない家に上がりこむのだ。良い体験であろう」
くさくさしている伴侶に、イーアンはちょっと笑って了解した。それからドルドレンは執務室へ戻り、イーアンは縫い物の手を動かし始め・・・気になって止める。
「お菓子。作っておきましょうか。少しでも」
そうよね、と頷きながら、お客様ですものと立ち上がり、針やら縫いかけのものやらを片付けて、いそいそと支部に戻った。
そして厨房へ行き、時間帯として空いている1時間で、作れるお菓子に挑む。ロゼールは明日から営業なので、この日はいた。
「イーアン。何を作るんですか。手伝いますよ」
「私はお菓子を作ろうと思って。焼き釜を使わせて頂きたいです。卵はありますか」
あるある、とロゼールは倉庫から引っ張り出して見せた。何十個かと聞かれ、笑うイーアンは『すぐ王様が来るから、王様の分だけ』と教えた。残念そうな顔に『じゃあ。10人分くらいです。そうしますと6個ほどかしら』と言うと。
「6?そんなの、何にも影響ないですよ」
嬉しそうなロゼールにお礼を言い、イーアンはプラムに似た酒漬けの果実を使って、大好きだったファー・ブルトンを作る。
牛乳、生クリーム、アーモンドパウダー、粉、ワイン、砂糖。そして香り良いリキュールのような酒。近い食材は、幾らかの体験で押さえてある。
卵が6なら、ブラムのような果実は32個。これは正方形の型2つに、縦横均等な数を並べるから。この果実を、ワイン150ccと砂糖200gで煮る。殆ど果実が吸い込んだら、そのまま置く。
次は、ボウルに卵をほぐして、砂糖200gと粉60g、アーモンドパウダー的な質の代用品を200gを混ぜ込み、ちゃんと混ざったら牛乳400ccと生クリーム400cc、酒は大匙に二杯、加えてしっかり混ぜるのだ。
耐熱皿に煮込んだプラム的果実を並べ、その上に生地を流し込む。とろっとろの生地が、果実を埋める。
これを200度くらいの焼き釜で20分。これは支部の大きな焼き釜だからで、電気オーブン等だとちょっと時間は様子見の部分。
「イーアンのお菓子がね。ここで作られるようになってから、俺たちはとても癒されてますよ」
ロゼールが焼き釜を覗き込んで、焼ける甘い匂いに微笑んで言う。イーアンは頷く。『お菓子の甘い匂い。心に残りますね』そうだと思う、と答える。
「イーアンたちが、旅に出るじゃないですか。何年いないか分からないけど。でも帰って来た時、俺もこういうの。美味しいお菓子を作れるようになってたいなって。料理では、ヘイズに敵わないですから」
ロゼー・・ル・・・ イーアンはホロホロ来る。何てイイコなんでしょー・・・ あなたは出来ますよと、がっちり押しておいた。美味しいお菓子を焼ける人になります、今も美味しいもの、と言うと、ロゼールは朗らかな笑顔で『そうかなぁ』と照れつつ喜んでいた。
「俺は、親と一緒に暮らした時期が少なかったんです。だから、イーアンが料理を一緒にしてくれて、それが何か、親みたいで。でもほら、イーアンは親よりは若いから。姉のような感覚ですね」
イーアンは涙もろい中年。鼻をすすり上げて、ロゼールに、今作っているお菓子の分量を書き残すように指示した(※上司として&姉として)。ロゼールはすぐ、ペンを手に書き始め、焼き釜の状態を見ながら嬉しそうにしていた。
はー、イイコ。あー、イイコ。あなた、絶対に、腕の良いお菓子職人になりますよ、と目が腫れるのも已む無く、涙ながらに、びしっと言っておいた。ロゼールは『はい。イーアンみたいな、家庭の優しい味作れる料理人を目指します。騎士だけど』と、そばかす朗らかスマイルで答えた。
イーアン。もう涙が出っ放しなので、とりあえず一時退散。焼ける頃合に戻ります、と伝えて、鼻をかみながら、執務室へ行った。
泣いているイーアンに驚く執務の騎士と総長は、何があったのかと心配してくれたが、イーアンが『ロゼールのお菓子魂に感動した』と伝えると、彼らは笑顔で肩を叩いた。
それから伴侶に、そろそろミンティンを呼んだ方がと促すと、同意して彼は一緒に外へ出た。イーアンは笛を吹いて、ミンティンを呼ぶ。そして。ミンティンが来た。が。
「あれ。あれ?」
イーアンは、光の輝き方が強いことに気が付き・・・・・ ドルドレンも何かを感じたようで、イーアンを見て『どうしたの』とそっと訊ねる。『分かりませんけれど。誰かと一緒では』呟くイーアンはミンティンの来るほうを見つめる。
そして分かる、その姿。ドルドレンは口を開けたまま、光を見つめた。『タムズ』呟きは消える。
「ドルドレン。君に言わなければ」
赤銅色の、体の大きな男龍はミンティンと一緒に近づき、柔らかな微笑を湛えて、黒髪の騎士が見上げるすぐ側へ寄る。光は少し落ち着き、眩しさが少なくなった。ドルドレンはタムズを見つめて、嬉しくて何度も瞬きした。
「君は。私のことも。男龍の思いも。理解してくれていた。私が理解する前に。なのに、私は君の気持ちを知らず、傷つけて帰ったのだね」
近くに立った、3m全裸タムズは、囁くようにドルドレンに伝える。イーアンは無視されてる状態。イーアンは観客に徹して、両手を組んで見守る。
「そ、そんな。そんなこと、ない。ないのだ。その。ごめんなさい。ずっと気になっていて。俺は謝りたくて。俺の言い方が」
涙ぐむドルドレン。ぽてっとした目が、ようやく戻った頃なのに、また灰色の瞳を海のように涙が包む。タムズは金色の瞳を細めて、ドルドレンの顔に手を添え、そっと額に口付けた。驚いたドルドレンは目を閉じて、感動に浸る。
「私は少し・・・あまり言いたくはないが、どうやら少し、若かったようだ(※タムズ推定年齢・ウン百歳)。ビルガメスに諭されて、君の行動を考えた。伝えるまで時間が経ってしまって、すまなかったね。祝福を授けよう、君の忠実な心に。私を呼ぶ力を与える」
タムズは口付けしながら、ドルドレンの顔に添えた片手を、艶やかな黒髪の後頭部へ回し、額と唇を押し付けた。ドルドレンは倒れそうなくらいに嬉しかった(※膝の力が抜ける)。
静かな祝福は10秒ほど続き、タムズの謝罪と共に、ドルドレンにもイーアンにも、心に刻まれた時間となった。イーアンは小さく拍手。
すーっと唇を引いたタムズは、手はそのまま、ドルドレンを見つめて微笑む。『ドルドレン。君は私を許すかね』低く甘い声に、蕩けるドルドレン。『も。もち、勿ろ、もりろんだ』息も絶え絶え、ちゃんと言いたくて、舌が縺れながらも、真っ赤になりつつ頑張って答える。
「良かった。これからビルガメスも君に教えると言う。私もその場に、加わろうと考えているから。君に可哀相なことをしたのを、気にしていた。許してもらって良かった」
イーアンの心に沁みる場面。『許してもらって良かった』なんて、そんなことを言える男龍はいるのか。ビルガメスは言わない気がするし、他3名も絶対に言う気がしない。ルガルバンダは私に、似たようなことを言ったけれど、あれはちょっと違う。
タムズはドルドレンが、本当に、真面目で性質が良いと認めたんだと分かった。それはイーアンにとっても、感動する瞬間だった。
「ではね。私はこれで、今日は戻るよ。君に伝えたかった。ドルドレン、君に渡した祝福は私を呼ぶ。私を求める時、私は君の力になろう。また、会おう」
「タムズ。俺は。俺はあなたが、本当にとっても好きで、いつも会いたくて、大事で、俺は嬉しくて(※必死に告白する36才)」
帰ると言われたドルドレンは、思いつく限りの気持ちを伝える。タムズは微笑み、自分を慕うその頬をゆっくり撫でた。『私も嬉しいよ。龍に忠実な君に逢えた、この命に感謝しよう』そう言って、タムズはそっと手を引き、もう一度ニッコリ笑うと輝く光と化して、一瞬で空へ消えた。
ドルドレンは魂が抜けている。イーアンは嬉しかった。タムズが彼を理解したことも、それをわざわざ伝えに来たことも。思うに、伴侶はもう。
『ドルドレン。タムズを愛したでしょう』ちょっと訊いてみると、魂の抜けた笑顔のふわふわな伴侶は、かくんと頷いた(※口半開き)。やっぱり。これは無理ないかも~とイーアンは思う。
「良かったです。タムズはあなたに、ちゃんと伝えに来て下さって。それに祝福まで」
「イーアン・・・俺は。俺は生まれてきて、君に逢えて、そしてタムズに逢えた。もう死んでも良い」
ダメダメ!イーアンは慌てて止めて『死んではいけません。タムズも私も苦しいです。世界も救えないです』そう急いで伝えると、ハッとしたドルドレンは愛妻に向き直り、『そうだった。死ぬわけに行かないのだ』と頷いた。
この間。ぼーっと待っていたミンティンは。二人のやり取りを見ながら、そろそろ寝ようかなと体を丸めた矢先、『では。行って来るのだ。王の約束』やけに張り切るドルドレンに、さっと見つめられて目を開けた。
青い龍の面倒臭そうな顔をよそに、ドルドレンはひらっと元気良く乗り、愛妻に満面の笑みを向けて『甘ちゃんと一緒に戻る』としっかり告げる。そして王都へ向かって飛んで行った。
見送ったイーアンは。ドルドレンが一気に元気になって何より、と嬉しく思った。そして、そそくさ厨房へ戻って、焼けた頃のファー・ブルトンを、ロゼールたちと焼き釜から出し、ちょっと落ち着いたところで、皆さんと試食した。
お読み頂き有難うございます。




