660. 守る側
会議の前日の朝。
出勤して、二人は支部で朝食と洗濯を済ませてから、それぞれ執務室、工房へ向かった。ドルドレンは、先に書類確認を済ませてから、清書の手伝いに来るということで、イーアンは工房で待ち、今日も朝から縫い物をする。
9時近くなる頃、窓が叩かれて振り返ると、ミレイオが覗き込んで微笑んでいた。すぐに開けて、挨拶と共に中へ通し、お茶を淹れる。
「イーアン。ちょっと、その上着脱げない?」
「これですか。脱げますよ」
イーアンは龍の皮の上着を脱ぐ。春なので、下もブラウス一枚。コルセットは最近しないので、分厚い胸板はあるものの、豊かな女性の胸に無縁な自分は、少し気後れする。
「あまり。長い時間、その。胸を見せたくありませんので。早めに上着が必要です」
丁寧に、事情を理解して貰えるようにミレイオに伝えると、刺青パンクは笑ってイーアンを抱き寄せ、軽く頭にキスをした。
「何がよ。いいじゃない、あんたは充分、魅力的。何がダメなの」
「真に、有難い言葉を頂いていますけれど、如何せんこればかりは、30年間以上悩みの種ですので」
変なこと言わないの、と呆れたように笑われて、イーアンは黙る。持ってきた袋を開けたミレイオは、中から鱗の光る服を出して、イーアンの前に重ねた。『あ。これは』イーアンはミレイオの手に持たれた服を見る。
「うん。大丈夫かな。寸法がさ、分からないから。あんまり自信なかったんだけど。これ、着てご覧。龍の皮ちょっともらっちゃったけど、それで作ったの。あんた、龍の皮の方が都合良いんでしょ?」
イーアンは、タンクトップのような形の服を受け取り、ミレイオと服を交互に見つめて、ミレイオに目を合わせた。ミレイオはニコッと笑って『魔物じゃない方が良くない?』と言った。
嬉しいイーアン。ぎゅっと服を抱き締めて、ぎゅーっと抱き締めて、ミレイオに『有難うございます』と呟き、それから服を片手に、ミレイオに片腕を回して抱き寄せた。
「素敵な贈り物です。今、着ます。今日はこれを着ます」
「私ね。最初の手品でスゴく感動したのよ。あんたに何かお礼したくて。龍の皮、ちょっと拝借したわよ」
アハハ、と笑ったミレイオ。イーアンは嬉しくって頭を深々下げ、さっと工房の棚の影に移動し、ブラウスをがばっと脱ぐ(※男らしいイーアン)。
ミレイオは固まったが、ちょっと隠れてるつもりらしき、上半身裸のイーアンの背中を見守る。自分が、『姉認定』と知る瞬間(※『かな~』と思ってたけど)。
胸は小さいと言い張っているので、見えないように背中を向けている。それは正しいとしても(※覆されることはない)だけど、本当に女かと思う、筋肉の角度。
見事な、力強い体つき。
首もしっかりして、首から続く肩までの傾斜、丸い肩、盛り上がる二の腕の硬そうな山。背中の膨れた逞しい背筋。細い腰に張り付くように筋を張る筋肉。
背中は、古傷だらけ、切り傷も殴打の痕も残る。黒い線の太い刺青が左肩に龍を飾り、イーアンの過去を、そのまま現す体を目の前に。
ちらっと自分を肩越しに見た、イーアンの笑みは・・・・・
カッコイイ~ 素敵~~~!! くるくるした黒い螺旋の髪と、男でも女でも通用する、余裕のある精悍な顔立ち。ミレイオ51歳(※か、52歳)。イーアンにときめく朝。
イーアンは、ミレイオの作ってくれた服を着て、よいしょと腹まで引っ張り降ろした。ピタッとした龍の鱗の皮は、イーアンの逞しい引き締まった上半身を包み、殊更、男らしく見せた(※イーアン♀)。
「ミレイオ。ぴったり。有難うございます」
「あんたっ 何でそんなカッコ良いのよ」
ミレイオは、似合ってると喜び、抱き締める。イーアンは照れ笑いしてお礼を言った。『ミレイオはイヤかもしれないですけれど、あなたは私のお姉さんみたいです。嬉しかったから、すぐ着たかった』えへへっと笑うイーアンの頬を、両手で挟んで、ミレイオは頬ずりする。
「良いのよ。それで。お姉さんでもお兄さんでも、何でも良いの。あんたは私の妹よ。素敵でカッコイイ妹なの。よく似合うわ、作って良かった」
そこへドルドレンが扉を開けて、パンクの貼り付く、逞しい姿の愛妻を見て止まる。ミレイオはすぐに、彼女は自分の前で脱いでまで、私の作った服を着たの、とあっさり教えた。ドルドレンは固まるが、この二人は『姉妹』と最初から感じている自分がいるので(※ミレイオはオカマだし)『そうなの』と言って了解した。
「おっぱいとか。見せたの」
ドルドレンは側に来て、困ったように、愛妻の男らしい二の腕を見ながら、小声でこっそり訊ねる。
少し笑ってイーアンは『棚影で背中を向け、着替えた』と答え、聞こえているミレイオも、不愉快そうにドルドレンを見て『失礼ね。私にそんなの気にしないで頂戴。でも、見たのは背中だわよ』と言い添えた。
安心するドルドレンは、ゆっくり頷いて『イーアンによく似合っているのだ』と真顔できちんと、ミレイオに感想を伝えた。そして愛妻を見て『なかなか。こんなに格好良い40代はいない』と微笑む。イーアンはお礼を言って、ドルドレンの格好良さは世界最高であると答えた。ドルドレンもお礼を言って、愛妻を抱き締めた(※二人の世界)。
「イーアンはどんどん、自分らしくなる。日々、龍たる自分を手に入れる。そのうち裸になりそうな(※男龍全員全裸)」
「なりませんよ。それはないです」
笑うイーアンは、全裸だけは絶対にないと約束する。『約束です。龍の約束ですから、決して破られません。全裸はないです』大丈夫、と安心させた。
それからミレイオに、ドルドレンは自分が来た理由を話す。ミレイオは了解して、自分は馬車で作業するから、何かあったら呼んでと言って、また窓から出て行った。
「ミレイオ。イーアンがとても好きなのだ」
「有難いことです。あの方の中で、私は身内。私もなぜかあの方には、最初から拒むものも、悩むこともありませんでした。本当に姉に逢ったようで」
ドルドレンはイーアンをじっと見て『俺で言う、タムズ』俺も彼のために脱げる、と真剣に呟く。
イーアンはちょっと首を傾げて『少し違うかしら』丁寧に線引き。脱げるかどうかではないのです、と説明する。ドルドレンは『違う』と言われて寂しかったが、イーアンは譲らなかった(※『私は恋心ではない』ときっちり告げる)。
そんな寂しいドルドレン。小さな溜め息をついて、椅子に座り、仕事をする。愛妻のまとめた清書を読み上げてもらい、一度、聞いてから確認を繰り返して、それから『こうして書く』『こう繋げる』『こんな感じでまとめる』と相談し、紙に書く。それを自分が読み上げて、イーアンが納得すると、ドルドレンはそれを改めて清書した。
「これで良いかな。伝わると思うが。大事なことは、キツイくらいな言葉で伝えないと」
「それで良いと思います。誤解が生まれますと、私たち、いざ国外で実行しようにも、訂正も確認も利きませんもの」
そうだね、とドルドレン。清書の複写を作るということで、執務室へ戻った。イーアンは上着を着てから、また作業の続きを行う。
ミレイオのくれた、龍の鱗のタンクトップ。タンクトップよりも肩の紐が細く、前に自分が作った、首で結ぶ服と近い。『ミレイオ。本当に器用な方です』あれと似たものを、数度見ただけで作るとは・・・イーアン感動。
「この服だからか。なぜか袖もないのに寒くもありません。上着を羽織れば上半身は、龍の皮。寒くも冷えもせず。そして漲る気力。ミレイオ、有難う。龍よ、有難う」
お礼を口にして、ちくちく縫う。次はパンツも作らなきゃね(※自分の場合は、ズボンの意味)と頷く。そんな午前が過ぎていく中、ふらっと親方が窓を開けて入ってきた。
「おはよう。結構前からいたけどな」
「タンクラッド。今日も有難うございます。お茶を飲みますか」
親方は椅子に掛けて、お茶を貰う。イーアンの作っている布物を見て微笑み『お前は器用だな。それに感覚が良い』と誉めた。お礼を言って、イーアンもタンクラッドの作ってくれた、お箸と天板をもう一度誉めた。
「他は。要る物があれば言え。戻ったら作るから」
「お代をお支払いします」
「イーアン。弟子だから、親方が世話するのは普通だろ」
「何とも。申し訳ないような」
親方はイーアンの側へ行って、横に座り『新居祝いだ』と言いつつ、最近めっきり減ったナデナデ愛情表現を久しぶりにする。ナデナデを満喫したあたりで、うんうん頷き、思うところの用事を言う。
「お前。明日行くだろう、支部へ。俺も行くからな。多分、俺が行くと知れば、ミレイオも来る。だから外にいる。支部の中にはいないが、表で待つ」
「え。外で待つのに、なぜいらっしゃいますか」
「お前が誰かに嫌な思いをさせられたら、それを外で待つ俺が知る。相手はその場で死ぬ」
死なせちゃダメですよ!!イーアンはビックリして親方を止める。親方はゆっくり大きく首を振り『死ぬだろう』と予告した。
「あまりよく知らないが。お前は貴族相手にバカにされたりしなかったか。顔つきや見た目で」
何でそう思うのかな、とイーアンが戸惑って黙ると、親方はイーアンの頭を撫でて目を見て言う。
「イオライセオダの剣工房。幾つあるか、知っているか?5軒だ。随分減った。それでも王都の貴族が頼んでくる。俺とサージはやらないが、他の3軒は請け負うんだ。
貴族の態度は知っている。嫌なやつらだ。見た目だけで判断する。辺鄙な場所に暮らす貧乏職人とかな。王都に知り合いがいない庶民とかな。王都に剣を作らせることも出来ないくせに、平気で職人にそう言う。
俺なら。門前払いどころか、犯罪になりそうな相手だが、請け負う工房の3軒は生活もあるから、『貴族はそういう輩』と不愉快でも、相手にしないで流す。だからお前のことも、そう言ったんじゃないかと思って」
「そんなことを。剣を頼んでいるのに」
「そうだ。どこまでも、人を見下す。同じ人間に、仕事を頼む側だというのに。そんな態度を疑問にも思わない。お前は、そういう下衆に、嫌なことをされたんだろ」
イーアンは黙る。頷きたかったが、目を逸らした。自分も、頭ごなしに差別する、そうした人々が嫌だけど、親方に言うことは良くないと思った。
でも、タンクラッドはイーアンを見て、同情の目を向ける。
『イーアン。俺が見て、お前は最高だ。ドルドレンもそう思っているから、お前を放さない。ミレイオも、オーリンも。男龍も。お前の良さを理解してるぞ。だから絶対に、貴族の下衆な言葉にやられるな。絶対に』大丈夫だ、と親方はイーアンの頬を撫でた。
俯くイーアンは、ちょっと唇を噛んで、うん、と頷いた。『大丈夫です。私は龍です。龍だもの。もう、負けません。誇らしく生きると決めたのです。そう、教えてもらいました』うん。もう一度頷く。
「そうだ。お前は人間を乗り越えて、龍になったんだ。それは強い。お前に敵う人間なんかいないぞ。だから、嫌でも、傷ついても、そんなものは捨てておけ。
本部の外で、俺は待っている。きっと・・・ミレイオも。お前を、その場で守るためだ」
良いな、とタンクラッドは同じ色の瞳を覗きこんで言う。イーアンは目を閉じて、少し間を空け、頷いて了解し『有難うございます。嫌なことがないように、自分でも気をつけます』そう答えた。
親方は小さな声で続ける。『昨日、ミレイオが。そういう意味じゃないって言っただろ』ちょっとイーアンを見て、反応を確かめた。イーアンは親方の顔を見て、続きを待つ。
「ドルドレンも、他の騎士も。お前を守るだろうな。でもな、俺とミレイオが言う『守る』は。その場を壊してでも、守るかどうかを言っている。分かるな」
イーアンはその意味を知っていた。自分もそうして動くからだった。ゆっくり頷くと、タンクラッドは長い睫を伏せて、下を見た。
「相手を傷つけないで守ることが出来れば、それが一番だろう。しかし、それで守れていなかったら、守れない言い訳どころか、守る言葉の意味も成さない。本気で大事にしたら、守ることしか考えない。そんなもんだ。
ミレイオは、そういうつもりで言ったんだ。あいつは、例え、相手が不遇の目に遭うとしても、お前を守るだろう。お前に指一本、痛み一つ、感じさせないつもりで」
俺もそうだ、とタンクラッドは続けた。イーアンは小さく頭を揺らし『私もそうです。誰かを守る時はきっと、今も』と答えた。だから、そうしたことを、ミレイオやあなたにさせようと思わない、と伝えた。
「知ってる。お前はな。そういうところが、理解なのか優しいんだ。そして同時に、甘い。だから、甘くなれない俺たちがいる。ここで運命が絡んだのも、お前に諦めろってことだ。受け入れろ」
ハハッと笑う親方に、イーアンは頭を下げた。少し涙が出そうだったが、最近四六時中、泣いている気がして、ちょっと堪えた。でも感謝して、暫く頭を下げた。
タンクラッドは話を終えると、馬車を作ると言って戻って行った。
昨夜、おうちの横にある馬車を見たら、車輪が外されて、馬車の箱が敷き板の上に乗っていた。
地面の上の敷き板に乗る箱は、高さが2m50程度・幅は3m未満・奥行きは5m近かった。御者台と、後ろの足台が入ると、もう少し長さがある。馬車の横には、使う量を揃えた木材が、積んであった。
暗かったので、箱の中は見なかったけれど、馬車の置かれた状態を見て、伴侶は嬉しそうに微笑んでいた。イーアンは、直す彼らが、本当に頼もしいと思った。お世話になっていると実感する連日。
「私は彼らに何が出来るかしら。一緒に動く皆に、私もちゃんとお役に立ちたい。守って下さる思いを受け、感謝してばかりではなくて。私も」
工房に独り言を響かせるイーアンに『そうだな。君の力は、誰かを守るためにある』と聞こえた声。イーアンが顔を上げると、外にタムズがいた。あっ、と声を上げて立ち上がると、彼は手で座るように指示した。
ニッコリ笑う男龍は、窓をそっと開けて、翼を消し、体を縮めて入ってきた。『イーアンは、体はどうだね』優しい笑顔でイーアンの顔を見て『大丈夫かな』と頷く。
「タムズは。私は平気です、でもあなたはとてもお疲れになったのでは」
「とても、ではないよ。少し練習量が増えた日だったというだけかな。昨日はビルガメスに止められて、降りてこなかった。ビルガメスは君に来るように伝えてと」
「ビルガメスが。そうですか、分かりました。でも明日は無理なのです。いつでも良いでしょうか」
タムズはイーアンの都合を訊く。イーアンは明日、王都へ出かけて騎士修道会の本部で話し合いがあること、この国の王様と相談する予定を伝えた。
「王都。国の王。ほう」
タムズの金色の目の動きを見て、イーアンはまずいと思った。『でも、すぐ戻ります。午後に戻りますので』急いで言うとタムズはゆっくり頷いた。
「そうか。午前中は出かけるから、いないのだね。午後はここにいる」
「そうです。龍で向かいますので、私たちは早く戻れます。お昼頃には、きっと戻り」
「分かった。私も行こう」
言うと思ったんだよ~~~ タムズの微笑は、嫌な予感だったんだけど~~~
見るからに困る顔のイーアンを見て、男龍は笑う。それから会話を続けないで、衣服を渡すように手で示し、イーアンが『えー』とか『でもー』とか困惑を発しているのを無視して、慣れた様子で衣服を身につけた。
「タムズ。困ります。こればかりは、タムズが来てはどうなるか。旅に出るための話し合いでもあります。国が絡んで、応援して頂ける、お金の相談もあるし」
「旅か。それはなおのこと。旅の前提なら私も知っておいても」
「そうではなくて。そうじゃないのです、どう言ったら通じるのか。その、関係者だけで話すので」
「ふむ。私は関係しているよ。君の旅を支える約束をして、こうして体も慣らしている。経験以外の、目的としてある」
うへぇ~~~!! イーアンは悩む。うーんうーん呻いて頭を揺らし、タムズの聞かん坊具合を、どうすれば止められるのか知恵を絞る(※言っても聞かないタムズ)。
タムズは微笑んで、イーアンの小さな角をちょっと摘まむ。それから顔を覗き込み『大丈夫だ』と静かに伝えた。
「守る側の龍なんだよ。君も。その意味を教えるのに、最初の良い場面かも知れない」
イーアンは彼の言葉の意味が、大きいだろうことは分かるものの。だからと言って、タムズが明日一緒に来ることは、本当にどうにかして止めたかった。
お読み頂き有難うございます。




