65. 骨の粉
テントに戻ったイーアンは、すぐに黒髪の美丈夫に質問攻めに合う。
『なぜすぐ戻ってこなかったのか』『魔物に何かあったのか』『誰かと一緒だったか』
イーアンは一つ一つ、順番に話した。考え事をしてその場に留まっていたこと。魔物がまだいるかもしれないこと。トゥートリクスに川を見てもらって、他、通りがかりのフォラヴに、僧院へ用が出来る可能性を伝えたこと。
「つまり。イーアンが考え事をしたのは、トゥートリクスが魔物の可能性を感じたからだな?そして昨日と別の手を打つために、再び僧院へ何かを取りに行くかもしれない、と」
ドルドレンは、イーアンの説明下手もちゃんと分かってくれる。イーアンは笑顔で『その通りです』と答える。
「魔物は本当にまだいるのだろうか」
「トゥートリクスは『微妙な』と言いましたが、確かではないのです。だけど早めに備えておいた方が、万が一に対処する速度が違います。
取り越し苦労であっても、備えは無駄になりません。今日は他にすることもないですし、万全を期しておきたいと思います。」
狡兎三窟の状態を作ること。イーアンは動ける時に動いておきたいと思った。
これで本当に魔物がまた、数日後に出没報告されたら、北の支部がここへもう一度来て苦戦することになりかねない。自分も参加するとしても、その時にやはり何か手を打つのだ。だったら今ここにいる内に。
話を聞いたドルドレンは少し考えるように黙り、目の前の真剣な表情を見つめた。
「俺に出来ることは」 「本を読んでほしいです」
ドルドレンがニコッと笑って『そんなことは簡単だが』と黒い螺旋の髪に触れて、イーアンの耳に優しくかけた。
「他にすることはないか」 「一番最初がそれなのです」
道具と材料の本を袋から出して、イーアンはそれを毛皮の上に置いた。ドルドレンに横に座るように、横をぽんぽんと叩いてから、本を開き自分が見たかった絵を探す。――白い粉。火がついているみたいな赤い色の絵。
「これです。ここの文はちょっと長いですが、全部読んでくれますか」
ドルドレンはイーアンの横から覗き込んで、顎に指を当てて黄ばんだページの擦れた手書きの文字を眺めた。小さい声で淡々と読み上げる。大方はイーアンが想像したとおりの内容だった。
それからドルドレンは少し時間をかけて、何度か同じ場所に視線が戻り、開いた場所にある絵を見ながら、次のページと前のページを捲る。それから一旦、目次まで戻り、人差し指で目次を辿りながら違うページを開いた。
「あ。それは」
声を上げたイーアンに、ドルドレンが頷いた。白髪の混じる黒い髪をかき上げ『粉になる前の姿と採取状況、そして粉を加工した道具がここに載っている』と話した。
イーアンも新しいページに顔を近づけ、絵をじっと見た。描かれた風景はどこかの海。そして鍾乳洞。加工した道具は棒状、石畳、容器、いろいろある。加工前と加工後、利用、の全てが一つの同じものを教えている。
絵を見つめながら口角を吊り上げるイーアンの顔に、ドルドレンは少し驚いた。イーアンの中の知識と、この世界の知識が重なって混ざり合ったのだ、とドルドレンは感じた。
「イーアンはこのことを知っていたのか?」
「多分、という程度です。
ドルドレンはもうご存知ですから、『泉』の部分に触れないで話しますが、私が以前暮らしていた所は、この本に書いてあるような内容が、誰でも簡単に得られました。この世界と比較すると人口も大変多いといえます。
そのため、優れた人々が見つけた知識は、どこでも誰でも共有できることが正しい教育に繋がると考えられています。もちろん悪用もされるのですが、それに負けて知識が閉ざされることはまずありません。
私の家は貧しくて、学校へほとんど行けない子供でしたが、仕事をしながら多くの本を買って読むことで、現在その恩恵を試すことが出来ています」
イーアンは『こんなことなら、もっと読んでおけば良かった』と笑う。知識はごく一部のものを覚えただけ。学校では学んでいない、とイーアンに伝えられ、ドルドレンの表情は静かな同情と温もりを帯びた。大きな手でイーアンの頬を撫で『話してくれてありがとう』と言い、『君は俺の守り神だよ』と額に口付けた。
イーアンとドルドレンは、荷袋の中にある、封の切れた壷を一つ取り出した。ドルドレンが蓋と壷に付いた封を見て唸る。本の文字と異なるようだ。
「これは他の国のものかもしれない。俺には読めない」
壷の中には白い粉。手っ取り早く水でも垂らして確認したいところだが、もし全然違うものだったら。危険な場合もある。イーアンはちょっと考えて『シャンガマックに見せてみましょう』と言った。ドルドレンがさらに唸るが、『確認だけなので、ちょっと待ってて下さい』と壷を持ったイーアンは急いでテントを出た。
今日は待機、ということで、皆それぞれ好きに動いていた。シャンガマックはテントから少し離れた森の中にいた。テントの影は見えるが、周囲に人がいない場所。木々や草の種類や生育状態を見ながら、昨晩の衝撃を緩和しようとしていた。まともに彼女を見れないのではないか、と思うと。
そんなことを思いながら、樹皮に手を置いたり、草を摘み取ったりしてぼんやりしていた。
ふと、後ろから足音が聞こえた。自分に近くなってくる音に振り向く。イーアンが少し手を上げて『シャンガマック』と声をかけた。
「良かった。近くにいてくれて」
イーアンは近づいてきて、シャンガマックに笑顔を向け『あなたに見てもらいたいものがあって』と自分に注がれる黒い瞳を見上げる。褐色の肌が少し赤み差し、瞬きが増えた。
返事がすぐないことに、イーアンは『あれ?』とは思ったものの、とにかく両手に持った壷を差し出した。
「この封に書いてある字は、何て書いてあるか分かりますか」
『字』の言葉で、我に返る。ああ、と差し出された壷を受け取る。指が触れただけでも奇妙な緊張が走ったが冷静に。脆くなった紙に書かれた手書きの・・・古い文字。アイエラダハッド南東の古代文字?
「骨の・・・石。『骨の石』か?」
シャンガマックが目を細めて文字を解読すると、イーアンはパッと嬉しそうな顔をした。シャンガマックが壷を持つ手の上から、自分の手を重ねて壷を包み、シャンガマックの瞳を見上げた。
「本当ですか?『骨の石』って書いてありますか」
シャンガマックはうろたえながら、『ああ、そうだ』と言うにも言葉が出なくて、口を半開きにしたまま頷き続ける。彼女の柔らかい手が自分の手を包んでいる。満面の笑みで見上げる、昨日の影絵が立体に――
イーアンはとびきりの笑顔で『良かった!』と喜んだ。なぜか固まって壷に張り付くシャンガマックの大きな手を、そっとぺりぺり剥がして壷を受け取る。『ありがとうございます。さすがです。素晴らしい語学力に感謝します』と満足そうに頭を下げて帰って行った。
小さくなる後姿を見つめ、森の中に立ち尽くすシャンガマック。やばいな、と乾いた唇を舐める。『これは、やばい』幹に寄りかかって呟いた。
テントに走って戻ったイーアンは、ドルドレンに大喜びで壷の中身を教えた。開いたまま置いてあったページにある、海の絵と鍾乳洞の絵を指差して『きっとこれのことです』とはしゃいだ。
シャンガマックが読んだ『骨の石』とは、かつて生物だったことを意味しているか、鍾乳石の色形ではないか、と。そう言われてもドルドレンにはぴんと来なかったが、頷いておいた。
ドルドレンと一緒にテントを出て、イーアンはしゃがみ込んだ。壷の中の粉を少し、平らな表面だけ出して地面に埋まる石に落とす。水筒の水を手の平に少量注ぐと、ドルドレンを振り向いて微笑んだ。
イーアンが粉の上に水を垂らすと、粉は煙と共に泡を立てた。隣にしゃがんでいたドルドレンが目を丸くしてイーアンの顔を見る。楽しそうに輝く鳶色の瞳が、黒髪の騎士に向けられる。
「触ってはいけません。この状態は大変熱いです」
「『これは水を得て、身を焼くほどに熱を生む』あの本の説明は、この粉のことを?これが魔物への次の手・・・・・ 」
「はい。いればですけれど、相手を川から引きずり出して使います」
引きずり出すには、また皆さんにお力を貸して頂くのですが、とイーアンはすまなそうに言う。
――次から次へと・・・・・ ドルドレンは感心した。知恵を持つ者はこの世界にもたくさんいる。だが、それを地の利に合わせ、その場で得られるもので活かし、命懸けで使おうとする者はどれくらいいるのだろうか。
ドルドレンが尊敬と愛情のこもった眼差しで見ていると、イーアンは立ち上がって『これが分かれば、次は僧院です』楽しむようにニコリとする。 ――僧院。ということは。
「今から行けるか、フォラヴさんに聞いてみます。行けるならすぐに取りに行きます」
・・・・・やっぱり。またあいつに抱きつくのか。確かにあいつ以外で、あっさり対岸へ行く方法はないが。あいつも何だかこの遠征始まってから、イヤな感じなんだよな。日に日にイーアンに絡んでいるような。
「ドルドレン。私は目的が優先ですから、あの方法は手段として見ています。変な気はないから大丈夫です」
美しい顔を悩ませる美丈夫に、イーアンは苦笑しながら、その胸の内を察して同意する。イーアンが割り切ってもなぁ、とドルドレンは首を横に振る。
「出来るだけくっつかないように。でも落ちないように。目的の代物を間違えないようじっくり選ぶんだよ。でもとにかく早く帰っておいで」
イーアンの髪を撫でつつ、矛盾する要求を口にするドルドレンだった。イーアンは笑いながら『今日は早めに切り上げます』と約束した。
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