659. ご通達・会議前の用意
セダンカと王様からのご通達により。
派遣国に出発する、ドルドレンと、イーアン他、同行する騎士は、北西支部から機構帰属として、本部へ異動をするように。
実際には異動しないが、所属が変わらないと、扱いの面で何やら面倒臭いらしかった。
「だそうだよ。話に出かけないとね」
「会議はいつでしょうか。その手紙はセダンカ?フェイドリッドも同席ですね?」
「そうみたいだね。王は、行き先にヨライデを打診しているけれど、ヨライデではない国の可能性もある。魔物の動き次第で、どこの国に派遣するかを決めるよう、先に伝えないと」
ドルドレンは、午後の便で受け取った早馬の手紙を、イーアンに読んで聞かせる。『良かったね。朝、提出用の紙を作ることを思い出して』ドルドレンは愛妻に苦笑い。イーアンも笑って頷く。
「そうです。あなたはいつも勘が良い。お陰で『明日』と言われても、まぁまぁ・・・中身は出来ています。話している矢先から、連絡が来るとは思いませんでしたが」
「本当だ。俺も何か、察知したのだな。この前、本部に話して、もうそろそろかなと思った。良い勘してる」
自分を誉めるドルドレン。さすがに明日ではないよ、と愛妻に教え『本部は明後日だ。午後に知らせが来て、明日はないだろうけれど。明後日も急だな』そう言うと立ち上がり、シャンガマックたちにも知らせると、工房を出て行った。
「ほんの一週間で。毎日いろんなことがあります。どんどん加速しているような」
相談内容の紙を見て、イーアンは呟く。輸送した物の受け入れ。輸送方法の指示。通関に生じる手続き。発送全般に掛かる費用。
『箱の中身。危険物かと訊かれたら・・・危険でした、と答えるしかありません。その辺も、細かいけど押さえねば』相手の国からの発送時に、うちの王様の、お墨付きの何かもないとね・・・そうしたことも書き込む。
書いていると、伴侶が戻ってきて『今、少し動けるか』と訊ねた。寝室を片付けてしまおうということで、イーアンはある程度、机の上をまとめてからすぐに一緒に行った。
「次から次。一つ終える前に、次が来る。掃除も出来る時にしよう」
本当にそうだなぁと思う。イーアンとドルドレンは掃除用具を運び、水を桶に用意して、お世話になった寝室を掃除し始めた。『イーアンはそっちの部屋を。壁はあまり気にしないで良い』ドルドレンは自分の部屋担当。
荷物は昨晩、殆ど運び出したけれど、まだ残っているものは空箱に詰めて廊下に出す。『布団はそのままで良いのだ。それは掃除担当が洗うから』床と机と窓、クローゼット、扉の周辺を箒で掃いて、雑巾がけする。
『窓はイーアンは背が届かない。俺が拭くから、イーアンは机と寝台の木の部分』伴侶に指示されて、イーアンもせっせと動いて、せっせと磨く。ドルドレンは背があるので、窓枠の上も拭く。桟もちゃんと拭って、手の触れる場所は全て磨く。
「ドルドレンは掃除が丁寧です」
「若い頃は皆するよ。隊長に上がるとしなくなるけれど。若い年齢で入ると教え込まれるのだ。30超えるともう、殆どやらない。
ダビは30過ぎても、嫌いじゃないからと言って、辞める直前まで、こうした仕事もこなしていた」
「ダビ。面倒そうに思う印象ですが、違うのですね」
「彼は読めない。でも几帳面だったから。人に任せるよりも、自分が動いた方が安心だったのだろう」
言われてみると、ダビが工房の棚や暖炉を作ってくれたことを思い出す。地下室も、ゴミは片付けてくれたと言っていた。『彼はイオライセオダでも、几帳面な生活を送っているのでしょうね』イーアンはちょっと笑った。
「そうかも知れない。ボジェナが指導を受けないことを祈る。あの無表情で指導されたら、ケンカしそうだ」
二人でアハハと笑って、1時間ほどかけて掃除を終えた。桶の水は黒くなり『こんなに汚れているものだね』とドルドレンは苦笑いしていた。
そして掃除道具を廊下に出して、寝室を振り返る。ドルドレンはイーアンの肩を抱き寄せて、室内を覗き込み『有難う』と部屋にお礼を言った。イーアンも『有難うございました。お世話になりました』と頭を下げた。
「扉は開けておいて良い。掃除が済んだら、戸を半開きにしておくのが合図だ」
ドルドレンはイーアンに微笑んで、一緒に掃除用具を片付け、執務室へ掃除済みの報告に行った。イーアンも工房へ戻って、布を手に続きを行う。
感慨深い時間。『あの部屋で、物語は始まったのです』本当は西の11だけど、と呟いてイーアンは微笑む。
「あっという間。あっという間に、ここまで来た気がする。濃厚でとても深い日々だったのに、速度が緩まることなく、あっという間」
針を動かしながら、枕カバーを縫い終えて、座布団カバーに移る。椅子があるか分からないけれど、座布団はあった方が良いだろう、とイーアンは、綺麗な布を中表にして縫い始める。
「おうちの時間も束の間。でも、旅の馬車に乗る前に、おうちに住めたのは本当に有難い。馬車も居心地良く過ごせるよう、第二のおうちと思って、作れるものは作ります」
居心地大事、と頷き、その手の針は音も立てずに進む。明後日に会議で相談する内容は、夜に清書をすることにして、そのまま夕方まで、縫い物制作は続いた。
夕方になり、タンクラッドが工房に来て、そろそろ切り上げると言った。続いてミレイオが来て『手元が暗いから』明日またね、と挨拶する。オーリンも顔を出して、明日は早く来れると思うことを話した。
イーアンは彼らにお礼を言い、明後日のことを少し話しておいた。本部に出かける用事が出来たからと言うと、3人は何か考えている様子だった。
「それ。誰が行くんだ」
「え。私と、ドルドレンと。シャンガマックやフォラヴもかもしれません。ザッカリアは子供だからどうかしら。でも異動手続きをその場でするかもしれないから、この5人かも知れません」
ふうん、と親方は小刻みに頷く。オーリンの黄色い瞳が、背の高い剣職人をちょっと見て『行くなよ。あんた関係ないんだから』と釘を刺した。タンクラッドは彼をちらっと見て『何で分かった』と返す。
「やめなさい、何でも一緒に行こうとして。あんたは明日も明後日も馬車よ。ダメダメ」
ミレイオに苦笑いされて、タンクラッドは黙った。イーアンは何となく、親方が一緒に行こうと考えた気持ちが分かったので、少しそれを訊いてみた。
「もしかして。フェイドリッドのことで」
「ふん。そうだな。あいつが面倒でも困るだろ。総長とバニザットたちだけじゃ、お前がどうかと思ったんだ」
やっぱりそれで、とイーアンは微笑み『思い遣りを有難うございます』と伝えて、本部だから、多分大丈夫ではないかと思うことを話した。ミレイオはそれを聞いて、何度か瞬きする。オーリンも眉を寄せた。『誰って?』弓職人がタンクラッドに名前を確認する。
「王だよ。ハイザンジェルの」
「機構って、王が関係しているとは聞いていたけど。同席もするのか。イーアンも大変だ」
「フェイドリッドはそうでもないです。ちょっと育ちが・・・その。王様ですから、理解しづらいことも多そうですけれど、人間としては優しいので。周囲の貴族の方々にさえ、関わらなければ私は別に」
「はぁ?貴族?そんなの関わるのかよ。関係ないんだろ」
「機構には関係ないと聞いています。だから、大丈夫と思って」
「何か。貴族で。ヤなことあったの?」
オーリンとのやり取りに、ミレイオが口を挟んだ。イーアンの表情と言い方が気になる、ミレイオ。
自分を見つめる目に、イーアンは、以前に何度か王城へ出向いた際に、どうしても彼らと接触する場面があったから、それでと濁した、ミレイオが首をゆっくり傾ける。
「明後日。大丈夫なの?本当に。貴族いないって、はっきり分かってるの?」
「いないはずです。本部は貴族が来る場所ではないし、フェイドリッドと、この話を進めている、セダンカという人だけだと思います」
「嫌な思い、しない?言い切れる?」
未来は分からないけれど、とイーアンは困る。多分大丈夫としか言えなかった。本部に貴族は来ない。それを繰り返し、ミレイオは納得出来なさそうに頷いた。
「あんたとドルドレン。それと若い子3人でしょ。あんたがイヤな思いしたら、誰かちゃんと守ってくれるのかしら。それが気になる」
「ドルドレンは絶対に守ってくれます。シャンガマックも、フォラヴも、ザッカリアも。大丈夫です」
「私が言ってるのは、そういうことじゃないのよ」
イーアンは困って、目を見つめ返す。ミレイオも眉を寄せて見つめたまま。タンクラッドは小さく溜め息をついて、刺青パンクの肩に手を置いた。『お前も行くな』ちょっと言いにくそうに伝えると、ミレイオは首を振って『やだ。心配』と唸った。
「あのさ。タンクラッドとミレイオが一緒に行くと、もっとこじれる気がするんだけど」
オーリンは余計かな、と思いつつ、外野の意見を伝える。『だって、騎士だけだろ?一般人の職人が一緒にって。おかしいだろ』そう思わない?少し笑って二人を除きこむと、ムスッとしたミレイオとタンクラッドに睨まれた。
「分かってるわよ。愛情よ、愛情。常識より、愛情が大事な時あるでしょ」
「まぁ。オーリンに指摘されるのも、気分の良いものじゃない。やめとけ、ミレイオ。帰るぞ」
「何、その言い方。俺、まともだと思うけど」
いい、いい、と剣職人に手で払われて、オーリンは苦笑い。不満そうな刺青パンクの背中を押して、タンクラッドは工房の窓を出る。彼は振り返り『明日。また来る』静かにイーアンに伝えると、少し微笑んだ。
イーアンは、彼ら3人がそれぞれ空に飛んだ姿を、消えるまで見送った。それから工房に入って窓を閉める。
「優しい人たちです。私は素晴らしい仲間に恵まれて。しっかりしなければ」
うん、と頷く。貴族のことなんて言わないでおけば良かった。少し反省し『余計な心配をさせないように気をつけましょう』と自分に言った。
この後、縫い物の続きをし、キリの良いところで止め、時間もあるので、一日かけてまとめた内容を清書する。
ドルドレンが迎えに来たので、一旦帰宅して(※徒歩1分)着替えを持って支部でお風呂に入り、夕食を済ませる。厨房でロゼールに『今度遊びに行かせて』と言われて『今度も何も、いつでも来て』と二人は笑って答えた。
夕食を終えて帰宅する二人。支部でお休みの挨拶をして、見送られることもないほど、近い距離の家に入る。『そこに職場。何ということが起こるのか』ドルドレンはしみじみ窓の外を見る。
「クローハルが、うちに来たいと言っていた。ポドリックも。まだ家具も揃っていないからと断ったが、そのうち」
「私、廊下でブラスケッドとコーニスに言われました。『後で遊びに行く』と言うので、まだ何もおもてなし出来ないから、とやんわり流して」
「これ。多分、王も来たがるぞ。で、来たら来たで。やれ、あれがないとか、これが不便だろうとか言いそうだ」
「お風呂用品と食器と。天板とお箸は今日、ミレイオとタンクラッドに頂きました。各部屋に置きましたから、すんなり使うことになります」
「さすが。中年は親心だな。言う前に天板を作ってくれたとは。風呂用品と食器も助かる。ハシって何」
お箸はねぇと、イーアンは台所から持ってくる。これ、と見せると、ドルドレンは両手で受け取って『何するの、これ』両手でぱちぱち合わせながら、笑うイーアンに訊く。イーアンは右手に箸を持って動かす。
「こうして持つの。ほら。動くでしょう?これでね。小さいものとか、柔らかいものを摘まむのです。料理していて、隙間にヘラが入らないなど、箸で対処ですよ。箸サマサマ」
「何それ。何で動いてるの。貸して」
ドルドレンは指が痛い。引き攣りそうにもなる。『おかしい。動かそうとすると、第一関節が狂いそうになる」
「慣れです。これは。子供は、持ち方も必死で覚えるの。でもそのうち、ちょっと変な持ち方でも、使えるようになるのですね。私、左手も使えますので、こうして。こんな具合です」
ドルドレンは目を凝らして箸を見つめ、イーアンを見る。『君はいろんなことが出来る。だから手品も』そこまで言うと、愛妻は少し笑って首を振る。
「箸が使える人、全員、手品が出来るわけでは。それ言ったら、凄い人口が出来てしまいますから、手品で食べていく選択肢が消えます。お箸は習慣ですよ。ドルドレンが馬に乗るのと同じ」
そうなの~? 疑わしそうに眉を寄せ、箸をまた貸してもらって練習するドルドレン。金属製だから、皮膚が痛くなる前に止めるよう、注意して、イーアンは訊かれる質問に答えながら、箸の持ち方を教えた。
「これ。本当に料理に使えるのか。おかしい動きしか出来ない」
「ええっとね。これ、見て。この飴。こうでしょ、ほら」
「うおっ。飴を摘まむか。偉大な道具を操る、偉大な奥さん」
笑いが止まらないイーアンは、頭を振りながら『そんなこともないのだけど』と、伴侶にお礼を伝え、食事用のお箸を作るから、そうしたら練習しましょう・・・そう言って、箸話題を切り上げた。
それから洗濯籠に洗濯物、着替えを用意して、翌日の準備をする。『棚を早く作らないとね』衣服があるからとか、『洗濯用一式を揃えたいです』とか、生活の流れで要るものを話しながら、ベッドに入る。
ベッドに入って、明後日の話に変わり、ドルドレンは5人で向かうことと、時間を伝える。
「明後日は、フォラヴたちと一緒に本部だ。明日、出来る用意を抑えよう」
「私はどうしますか。清書をしました。明日はドルドレンに書いてもらえますか」
良いよ、と伴侶。それから、家の鍵をミレイオに預けるかと言う。『支部でも良いけれど。馬車の作業中に、休める場所が欲しいだろうから』うちに入ってもらおう、と。
優しいドルドレン。自宅だけれど、信頼している人には開放する。手に入ったばかりの、特別な家。それも分かち合える、心の広さ。優しさ。イーアンはニッコリ笑って『そうしましょう』と同意した。
「それとね。イーアンは被り物をしないで行こう。角があるままで」
なぜですか、と訊ねるイーアンに『イーアンは龍だから』とドルドレンは答えた。『龍が角を隠す必要はない』しっかりと愛妻の目を見つめた灰色の瞳が、力強く訴える。イーアン、ちょっとウルッと来る。
「はい。分かりました。角はこのまんま。出しっぱなしで行きます」
「そうだ。タムズもビルガメスも、何も人間相手に遠慮なんてしなかった。タムズが服を着たのは、目的が理解だったからで、タムズは常に遠慮せず、いつでも龍の自分を、俺たち人間に見せてくれた。イーアンも誇らしくあるべきだ」
伴侶の方が理解が早い、とイーアンは思う。そうなのか、そうだ、そう!私、しっかりせねば。
イーアンは、胸を拳で叩いて『はいっ。誇り高くあります』と答えた。ドルドレンは微笑み、イーアンを腕に抱いて『そうだ。俺の龍だ。誇らしく、何も恐れないで前に進むのだ』と囁き、小さな白い角に口付けた。
「君は龍なんだ。タムズが教えてくれたこと。俺にも分かる気がする。ビルガメスが伝えたいこと。それも。俺は人間だけど、君の側で彼らの気持ちを伝える。君が勇気を持って、誇らしく空を飛べるように」
心に沁みる、優しく届く声。イーアンは少し涙ぐみ、頷く。ドルドレンが一緒に居てくれることに感謝して、ちゃんと自覚を持とうと、また一つ意識が前進した。
お読み頂き有難うございます。




