652. 馬車を買いに出発
親方用の脚絆と手甲。ミレイオ用のマスク。これも用意して、タムズと過ごす朝の時間。
タムズはマスクを見て『昨日作っていた』少し呟いて、マスクに顔を寄せ、じっくり眺める。触って、手に持ち、裏と表を何度も見ながら『ふうん』と面白そうな声を上げる。
「君たちの作る行為。面白い。少しずつ形を求めている。そうして最後まで作るんだね」
「はい。タムズのように家を作れたら、生きている間に、もっとたくさんの物を作れるでしょうけれど。私たちは少しずつです。時間をかけて、何度も見直して、何度も納得して。繰り返すのです」
「良い龍の顔だ。イーアンは龍だから、大切な顔を分かっているね・・・マスクの顔も、これならちゃんとした龍だよ」
誉めてもらって嬉しいと答えて、これをミレイオに渡すと言うと、タムズは何度か瞬きして『ミレイオ』と言った。どうしたのかと思って彼を見ると、男龍は何かを考えているように黙る。
「ミレイオはサブパメントゥの者だな」
「そうです」
「彼は龍の皮を着物に縫っていたけれど。どこも変化がないように見えた」
イーアンもそれを気にしているので、タムズに自分も同じように思うと言うと、マスクをそっと撫でて男龍は『もしかすると』思いついたことを話す。
「何度か感じたのだけど。サブパメントゥの者ではないような」
「え。だって。ご本人がそう仰っていますよ。それにミレイオは、『自分は作られた』とも」
「そうなんだけれどね・・・そう。サブパメントゥの者は、作られるのだ。誰かの何かによって、その存在を引き継ぐ。これほど連続して会うのは初めてだから、私もはっきり言えない。でも」
タムズの言葉に、イーアンはヒョルドのことを思い出した。ヒョルドと姉妹と一緒に、食事に向かう道で、ヒョルドはイーアンの肩を組んだ。ほんの数秒だったけれど、龍の皮の上着を着ている自分に触れ、彼は平気だった。
その話をするとタムズは首を振る。『触るくらいで反応するとなると、それは相当、サブパメントゥの濃さが表れている。その者は、そこまでではないんだ』ミレイオもそう思っていた、とタムズは言う。
「しかし。あまりにも変わらない。何も影響している気配もない。彼は長い時間、龍の皮に触れているというのに、そのままだ。違うような気がする」
タムズが首を傾げていると、話題の人物が来た。窓の外に気配を感じ、イーアンとタムズは窓を見た。『親方も一緒』二人で来たのだと分かり、窓を開けて待つ。
少しすると、エラそうな龍に、エラそうな親方が乗っている。横についた、お皿ちゃんに乗ったギラギラパンクも、朝陽を跳ね返して西の空に登場。
親方の龍を見て、タムズは『バーハラー』と囁く。男龍の静かな声に、それが名前なのかなと思うと、彼はイーアンを見て頷いた。『あの龍は、バーハラー。強くて誇り高い。よく彼に従っているものだ』相性かなとタムズが言う。イーアンは後で、親方に龍の名前を教えてあげようと思った。
「それにしても、眩しい。ミレイオはいつも輝いています」
「ハハハ。彼は光が好きだ。それも可笑しな感じだよ。光に憧れたんだろうと思うけれど。でも、光に対して平気過ぎるよ」
タムズは微笑んでいる顔で、不思議そうな目をする。イーアンはちょっとタムズを見上げ、『ミレイオは、心が明るいです』と教えた。タムズも、自分を見上げるイーアンを見つめ、静かに頷く。
「そうだね。彼は心の中が明るい。正直で素直だ。それに」
そこまで言いかけて、止める。タンクラッドとミレイオは工房の前に降りた。二人に挨拶し、中へ通す。時間は7時前。もうじき伴侶も出勤。出勤の言葉に、ちょっとニコッとしちゃうイーアンだが、すぐに振り返って、お茶を淹れる。
「タンクラッドの脚絆と手甲です。お渡しするのを忘れていました。ミレイオ、マスクです」
「おお。お前と同じだな。完璧だ」
「うーん。昨日作っていたの、ちらちら見てたけど。完成すると、また違うもんよね。龍が生きてるみたい」
二人は喜んでくれて、イーアンも嬉しい。どうぞどうぞ、と持たせて、お茶も勧める。親方は、ちゃんと龍の皮の上着を着ているため、早速、手甲と脚絆もつけた。
「何か。体の中に・・・力が籠もる気がする。自分の力が増したようだ」
親方の言葉に、タムズが少し教えてあげる。『君はルガルバンダの祝福を受けているから。龍気を包んでいるんだよ』それでそう感じる、と教えると、親方は嬉しそうだった(※顔に出てる)。そして、タムズの上着をじっと見つめる。
「その。見てすぐに思ったんだが。訊いても良いか。その上着は」
「これか。イーアンが昨日の夜、頑張って作ってくれた。私用だよ」
ニッコリ笑う男龍は、親方の前に立ち、背中を向けてから、長い髪を片手ですっと掬い上げた。その仕草に、ミレイオが赤面してよろける。イーアンは慌てて、倒れるミレイオを支えた(※足縺れてる)。タンクラッドは男龍の背中に現れた、背一面の龍の顔に、目をまん丸にして驚く。
「な。何・・・何で龍の顔が。何て迫力だ。噛み付かれそうだ」
肩越しに、長い髪を束ねた片手をそのまま、タムズは親方を見て『噛み付きなんてしない。私を中間の地で守る、大切な友だ』静かに微笑んだ。
親方。完敗の気分。朝一で完敗。
カッコ良いぞ、この人。背中の龍は友達・・・・・
生まれてこの方、そんなことを思ったことがない自分が、人間を上回る迫力の男らしさに打ちのめされた。男龍、ダントツ一位・・・・・ 男として、俺は今。負けてしまった(※勝手に負けてる)。
タンクラッドは額に手を当てて目を瞑り、微妙に頷きながら『そうか。そう。友とは。それは何よりだ』と何度も意味の分からないことを呟いた。
イーアンは思う。二人の中年は、呆気なく打ちのめされてしまった様子。これはドルドレンも、どうなるやら。馬車の買い付けに出かけられるのだろうか。心配になってきた。
タムズは微笑み、親方に向き直って、彼の上着を眺め、手甲を着けた腕を取った。親方はもう、無抵抗。『君のも良い。とても力強い。ルガルバンダと君の気力が混じっている』ニコッと笑って、金色の瞳を向ける。
「有難う」
タンクラッドはふらっとして、椅子に腰掛けた。椅子が中途半端な位置にあり、親方は見もせずに、腰を下ろしたので、イーアンは急いで動いて、椅子を親方の膝裏に合わせた(※尻餅の恐れ)。中年組の世話が忙しい朝(※自分も中年だけど)。
「ところでな。お前、あの。外に突然あったけど、あれ、お前の家か」
親方は額に手を乗せたまま、イーアンに次の質問をする。ミレイオは何も言わないで、笑顔のまま窓の外を見ていた。タムズも微笑を湛えて、イーアンを見る。
「そうです。タムズが昨日、完成させて下さったのです。ドルドレンと一緒に、昨晩は家で過ごしました。家具を買わないと」
「新居。突然」
「はい。タムズのお陰です」
親方はじっとイーアンを見つめ『俺も中に入りたい』と素直に告げる。タムズが建てたのは、何かやったんだろうくらいで終わるが、中に関心が向く。ミレイオは中を見たので、気持ちが分かる。黙って微笑む。イーアンは『今日の帰り。何もまだ、おもてなしは出来ないけれど、どうぞ寄って下さい』と答えた。
「今日。帰りか・・・・・ そうだな。馬車を手に入れて。ふむ。馬車で南から戻るんだろ?それ、今日中に戻れないんじゃないのか」
む。イーアン、そのことはガッツリ、忘れていたと知る。その反応を見て、親方は見抜く。
「お前。ドルドレンも。南から馬車を、どう持って帰るか考えていなかっただろう」
「ぬ。タンクラッドは、実に良いトコロに目を付けます。本当ですね。考えていませんでした」
呆れたように見る親方に、イーアンは首を振り振り、『予行練習です。龍になって運ぶことにします』と誤魔化した。タムズはイーアンの言葉に、少し首を傾げる。
「イーアン。馬車を買うのだな。私が運んであげよう。君一人で無理をするな」
「あら。嬉しいですけれど。でもタムズは、そんなことをしますと、龍気が」
「君と一緒に龍になれば。ミンティンもいる。バーハラーもいる。大丈夫だよ」
それで大丈夫でしょうか、と心配するイーアンの視線に、タムズはニコリと笑って頷いた。『大丈夫だよ。それが終われば戻るから』心配要らない、と伝えた。
イーアンとタムズのやり取りのすぐ後、廊下に足音が聞こえ、ノックと共にドルドレンの挨拶の声。『おは』最後まで言えないまま、黒髪の騎士は、開いた扉に寄りかかるように全身の力が抜けた。
タムズは驚いて『大丈夫か』と声をかけたが、中年組は何が起こったのか、即、理解したので、すぐにドルドレンの側へ行き『分かる』『そうなる』と理解を示して両脇から支え立たせ、椅子に腰掛けさせた。
イーアンも慌てたが、自分より早く、タンクラッドとミレイオが動いたので、伴侶が座ってから側へ。椅子に座った伴侶は、はーはー言いながら、苦しそうに赤くなっていた。ドルドレンにもこんなことが起こること。イーアンはそっちの方が驚きだった。伴侶は、完璧に近い人なのにと思う。
タムズの陣羽織姿は確かに、とっても格好良い。イーアンも静かに大絶賛。だが、相手は龍なので(※別の方たち)イーアンの中では、メロるとか、そうした範疇をすっ飛ばしているらしく、衝撃で倒れることはなかった。
メロメロするのは。同じ人間だったり、ファドゥたちのように似ている場合。そうした相手は、見た目の装飾や、雰囲気、表情、心の表れ、声の調子や言葉など、いかようにも輝けるという楽しみがある。
そう。楽しみが増やせるのが、完璧ではない普段を装う自分たち・・・・・ そう思う。
ちょっと脱線するが。こうした美を思う時、イーアンはいつも思い出すことに、ニケの像がある。あの像は美しい。翼と布をまとう豊かな女体。首も腕も壊れているが、立像として実に美しいのだ。
あれに頭部や腕があったら、さらに美しいだろうという人もいる。イーアンの意識はそうではなく、ニケはあの姿だからこそ。
不完全な美。その奥が、計り知れない可能性を持つからこそ、美しく、感動して響くと思う。これは不完全という形の、美学かもしれない。
心の揺すられ方で感動を持つ。揺さ振りは、揺れる空間がないと起こらない。これは、完成した完璧な相手ではなく、揺れる範囲が齎された存在に起こる。大きくても、小さくても。
だから、崇高で神々しいのが当たり前の男龍。・・・とした相手は、美しさは勿論、認めるものの。
変な話。それ以上、格好良くても、何やってもそうなるとしか思えないのである。
思うに、タムズが裸サスペンダー&ぴちぴち革パンでも、格好良く思うはず(※変態ではなく)。伴侶はどうなるか分からないが(※意識が飛ぶか、今や、抱きつく可能性有)イーアンは男龍に関しては『この方々はそういう種類』なる別枠認定で、素晴らしさに感動はあっても、それのみで完了だった。
さて。イーアンがこんなこと思いながら、伴侶を介抱していると、馬車の交渉へ、どう向かうかとした話が出る。伴侶はまだ興奮中なのでそっとしておき、話に参加する。
「龍で行くのか。俺と総長は。ミレイオはお皿ちゃんだな。タムズは」
「私は、上着を脱いで翼を出すだけ」
「イーアンはどうする。総長と一緒に乗るのか」
「私と一緒に翼で飛ぶのは。側にいれば、お互いの龍気が増える」
あ、そうなのか。イーアンは未だにちょっと、理解が追いつかない。龍気を使ってしまう気がして、体を変えることを積極的にしないが、男龍がいる分には、呼応も共鳴も増幅も出来るのだ。オーリンよりも高い範囲(※ここで『ごめんね、オーリン』と思う)で可能なのだ。
「そうですか。でも、ずっとではありませんでしょう」
「ドルドレンの龍と、バーハラーがいる。彼らを側から離さないで、一緒にいさせれば平気だよ。そこは狭いのかな」
馬車の家族は外にいるから、龍もいられると思うことを話すと、タムズは『では。君も翼で』と微笑んだ。練習がてら、二人で慣れよう・・・ということで。
今後、こうした動きも増えるんだろうなと思うイーアン。頭を撫でていた伴侶をちらっと見ると、寂しそうに灰色の瞳でこっちを見ていた。『イーアン。タムズと一緒か』伴侶の呟きに、伴侶と龍に乗るべきか、少し躊躇うと。
「俺も一緒に飛べたら」
そっちなの。何だか、方向が少し変わったのかと思い、イーアンは『そうねぇ』とだけ答えた。
そんなドルドレンの側にタムズは立ち、部屋に入るなり疲れた彼の顔を撫でた。『君は龍がいる。飛ぶのは一緒だ』ニコリと笑う男龍に、ドルドレンは眉根を寄せて、恥ずかしそうに頷いた(※『はい』って答えた)。
ドルドレンはふらつきながらも立ち上がり、今日は休日扱いにしたから、イーアンと自分は一日動けると話した。『最初に言おうと思って、すぐ力が抜けたから』部屋に入って、15分も言わずにすまない・・・ようなことをぼそぼそ言いつつ、暖炉の火を灰で押さえ、ドルドレンはいざ出発の言葉をかける。
親方もミレイオもイーアンも。窓の外へ出て、何となく眩暈がちなドルドレンが心配になるが、彼は、タムズを見るたびにふらついていると分かり、これはどうにもならないと理解する。
「イーアン、あの子。危なっかしいから、気をつけて見ててあげて。私も見てるようにするけど、空で龍から墜落、なんて笑えないわよ」
私だって腰抜けかけたけどね、と笑うミレイオ。イーアンも笑って『タムズに良く似合う服だと思う』無理もないことを答えた。親方とドルドレンは笛を吹いて龍を呼び、ミレイオはお皿ちゃんを出して乗る。
ドルドレンの藍色の龍が来た時、タムズは微笑んで『ショレイヤ』と呼んだ。ドルドレンが振り返ると、タムズは彼の龍を指差し『ショレイヤだ。名前だよ』と教えた。
「ショレイヤ。俺が命を預ける龍の名は、ショレイヤ」
「君は本当に忠実だ。ショレイヤも真面目で忠実だ。大人しいが、厳しい心の硬さもある。まだ若い龍だから、中を深めるには丁度良いだろう」
親方もタムズと総長のやり取りに、自分の龍を見てから、タムズを見る。タムズが『君と過ごすのは、バーハラー。誇り高く、自分の意思を貫く。そろそろ200年くらい経つのかな」
タムズは燻し黄金色の龍の首に触れて、そう訊ねる。龍はちょっと首を揺らしてタムズを見つめた。
「そうだね。200年超えたくらいか。やっと一人前ってところかな」
少し不服そうにバーハラーが目を逸らし、タムズは笑った。他の3人は『200年で一人前の龍』の成長具合に驚く。
親方はそっと自分の龍の横に行き『お前。バーハラーって名か。宜しく頼むな』そう言って、ちょっと遠慮がちに跨った。バーハラーは特に何を気にするでもなく、普通。
ドルドレンも自分の龍の名を呟いて、その背中に乗り『ショレイヤ。俺はドルドレンだ。最初に名乗ったかな。これからも世話になるよ』と首を撫でた。ショレイヤは、うん、と頷く。
何だか素敵な場面。イーアンもミレイオも微笑ましく見守る。
「さて。行きましょうか」
ミレイオはお皿ちゃんで浮かび上がる。ギンギラギンで、本当に銀色メタルなパネルで作られた上着を翻し、下に着た龍の上着を堂々見せ付けながら、刺青パンクは空へ飛ぶ。
「私たちも」
タムズがイーアンに声をかける。陣羽織に付いた紐を腰で結び、それから両腕を抜いて陣羽織を下半身に垂らし、上半身を出した。
それを見たドルドレンは落ちそうになったが、タンクラッドが急いで支える。『しっかりしろ!』親方に喝を入れられ、朦朧とした意識を立て直したドルドレンは、頭を振ってショレイヤに『行くぞ』と弱々しく命じた。
タムズは広く大きな翼を出し、イーアンの手を取る。イーアンも6翼を広げ、二人で宙を一度叩き、空へ浮かび、先を飛ぶ龍とミレイオの後に続いた。
「あまり離れないように。龍気が増幅したら、距離が少しあっても大丈夫だろう。ショレイヤとバーハラーの近くに行くよ」
そう言って、微笑むタムズ。イーアンは彼と飛びながら、自分たちは龍なんだなと、少しずつ、こうした場面を通して実感する。それは、道具もなく、誰に頼ることなく空で生きている存在の、小さな一コマを見るように感じた。
2頭の龍とミレイオ、男龍と女龍は、南の旧道サスバン・ブラに、懸念一杯のパパに会いに向かった。
お読み頂き有難うございます。




