651. 新鮮さと思い出と一日の始まり
ドルドレンはイーアンを腕に抱き直して、目が覚める。イーアンはまだ眠っている。布団を引き上げようとして、風景の違いにちょっと動きが止まった。
「あ。そうだった。家・・・・・ 」
がらんとした寝室。自分たちとベッドだけの部屋に、柔らかい夜明け前の青い光が、雨戸の枠から差し込んでいる。ドルドレンは暫く、その仄暗い中を見つめる。
昨日の夜。イーアンが縫っている横で、酒を飲みつつ、夜食(※つまみとなった)を食べた。話しかければ答えてくれるが、愛妻の意識が散漫になりそうなので、ドルドレンは横でずっと眺めていた。
いちゃつけないのは、最初は残念に思ったけれど。イーアンが、夜にランタンの明かりで、作業する横にいる、その時間が新鮮に感じた。
最近は、イーアンが工房で作る時間が続いたから、寝る時まで一緒にいたのだが、それとはまた違う感覚だった。『自分たちの家で』奥さんが何かをしている横、自分はそれを眺めて過ごす。
「ホッとした。支部も工房も、家とは違うのだ」
住まいとした意味では、支部に暮らしてドルドレンは20年経つ。支部の前は馬車。移動しながら生活が送られる。『支部。馬車、どちらも似ている』固定された場所で、団体生活か。動きながらの団体生活か。両者はかけ離れているように見えて、実は同じような状態だったと、今更思う。
「家は違う。俺とイーアンだけの居場所。その空間丸ごと、二人のためだけにある」
家に住んだことのないドルドレン。物心着いた時から、馬車は家だったから、疑いもしないまま成長したが。馬車で通り過ぎる、町や街道沿いの民家を見て、時々、あの中はどうなっているのかと思っていた。
シャムラマートがティグラスを連れて、馬車を降りた時。彼らはどうするのかと心配した。翌年、親父がシャムラマートのいる地域へ馬車の列を寄せ、二人の家に遊びに行った。彼らの家に入って、少し羨ましいような、新鮮さを感じたのを覚えている。
ベルとハイルも目を輝かせて、家の中で隠れん坊をするのが楽しみだった。自分とティグラス、ベルとハイルの4人で隠れん坊しては、シャムラマートに怒られていた(※タンスに入って、衣服をぐちゃぐちゃにする)。
フフッと笑って、子供の頃を思い出しながら、ドルドレンはイーアンを少し強く抱き締める。家の思い出は、他人の家。これからは、二人のこの家が思い出を紡ぐ。
作業を夜遅くまでした愛妻が、そのままベッドに入って起きることが出来る。『自分の家だからこそ』微笑むドルドレンは、最初の夜である昨晩も思う。
ベッドの足元にかかるのは、真夜中に縫い終えた龍の皮の上着。薄明かりの中で、宝石のような小さな鱗が煌いている。
『タムズには、これが良いでしょう。彼は衣服が好きじゃないから、袖がない分、楽です。ズボンと靴に、これ』
頑張って夜中に仕上げ、満足そうに着物を持ったイーアンは、そう言った。
縫い上がった着物は、袖がなかった。丈も少し短いから、タムズが羽織ったら、尻を覆うくらいまでしか長さがない。背側の腰から下には、切り込みも入っている。襟も少し変わっていて、シャツの襟のような返しもある。着物の形がかなり違う雰囲気で、理由を訊ねると、愛妻は説明してくれた。
『これはね。陣羽織というのです。昔、戦いの時。将の男性は、鎧の上からこの着物を羽織りました。当時、普段の着物と違う扱いでしたので、皮や毛皮で作られたものもありました。
そして、この服は威圧の意味もあり、それは豪華な刺繍や紋、素材が、ふんだんに用いられて作られたものも沢山あります。陣羽織は、飾れる着物でもあります。
これは、余り皮を繋いでいるので、角度によって色の雰囲気も変わり、一部は、一頭皮の特徴を活かして平らではありません。ここ、顔とかね。これだけ奇抜でも、あのタムズであれば必ず似合います』
確かに。愛妻の両手に広げられた、袖のない着物は、とても迫力があった。愛妻は趣向を凝らして、『私が着るなら、こうしたいと思う』そう見せた背側には、龍の顔の部分が縫い付けられていた。襟の返しは、龍の尾にあった、鋸状の突起がぐるっと飾る。
皆に使った龍の皮の、余った部分を繋いでいるので、違う色の輝きがある。全体を見ると白っぽい金色に赤みを帯びているが、縦に接ぎつながれた皮を近くで見ると、白っぽい金色と、茜に近い橙色、赤の入った薄紫色が使われて、背中の龍の顔は赤紫色に金色が入っていた。襟は青白く、銀色に煌く。
背中に龍の顔。胴体に羽織るだけの着物から、タムズの逞しい太い、赤銅色の腕が出ているのを想像すると、鳥肌が立つほど美しく思えた。
揺れる長い髪の毛は、風に吹かれて背中の龍の顔を見せるだろう。彼の広く大きな分厚い胸を、龍の鱗の羽織が僅かに隠す。
振り向く顔には、反り返る角が2本額から伸びている。そしてあの、目が合っただけで服従したくなる(※ドルドレンは服従中)金色の瞳が――
『か。かっ。カッコイイっ。格好良過ぎる・・・うう、胸が痛い。熱が上がる。憧れで死ぬかも(※ここは小声)』
想像して、赤くなりながら、胸を鷲掴みにしている自分を心配し、愛妻は『もう寝よう』と、いそいそ片付けてくれた。『その後。即、こうして眠りについたが。夢にまで見てしまった』ドルドレンは呟く。あまりの印象の強さに、タムズが夢に出た。
今日も会えるのだ(※恋に似通う)。タムズが来て、めちゃめちゃカッコイイ陣羽織を着て、俺もタムズが着ていた上着を(※ここ大事)羽織って、それで一緒に・・・・・ そこまで考えて、ハッと目を開ける。
「まずい。親父に会わせるんだ。それは嫌だっ」
思わず口に出した声で、イーアンは目を覚ました。何度か瞬きして、温かな腕に包まれていることにニコッと笑い、ドルドレンにおはようの挨拶をした。
「もう。起きていましたか。今日は私の方がゆっくりで」
「すまないね。起こしてしまった。タムズに、親父を見せると思い出したら」
ああ、とイーアンも眉を下げて頷く。『それは確かに。お嫌でしょう』分かる、と言ってくれた。ドルドレンは綺麗な顔にシワを寄せて、困る。
「タムズは。俺とそっくりな親父を見て、その汚れ具合を、俺にもあると思うかも」
「それはないです。あなたはあなた。似ていても、違うもの」
「だけど。ルガルバンダは、俺とギデオンを同じ一族と思って、信用していないのだ」
「彼とタムズは違います。ルガルバンダは、ズィーリーを大切にしたから、それが大元の理由です。タムズはもっと、人を中身で見て下さると思いますよ。あなたを先に知っているのだし。
お父さんに会わせる、それ自体は、私も出来れば避けたいと思いますけれど、ドルドレンと彼を同類には思わないでしょう」
そうだと良いなと、元気なく呟くドルドレン。イーアンは伴侶の頭を抱き寄せて撫でる。『大丈夫です。私もちゃんと言うので』元気出して、と励まして、イーアンは起き上がった。
「さて。私は工房へ行きます。ミレイオは今日、もうお手伝いの製作はありませんけれど、もしかすると、今日も早くいらっしゃるかもしれません。工房を暖めておきます」
「そうか。イーアン。出勤だね」
ドルドレンの言葉に、イーアンは灰色の瞳を見つめて、嬉しそうに頷く。『はい。出勤です。おうちから、仕事場へ行きます』そう言って、横になっているドルドレンに抱きついてから『嬉しい』と伝えた。
貼り付く愛妻を撫でて、ドルドレンも笑顔で『俺も出勤。でも、もう少し明るくなったら』と続ける。イーアンはそうしてもらうようにお願いし、着替えてから荷物を持って出かけた。
ちゅーっとしてから、玄関でお見送り。手を振って『後でね』と遠ざかる愛妻に手を振り返し(※壁向こうに職場)ドルドレンは幸せ一杯だった。
イーアンも何度も振り向きながら、ニコニコして手を振り続ける。伴侶が扉を閉めるところまで見たくて、翼を4枚だけ出し、塀の上まで上がって、扉を閉じかけるドルドレンに笑われた。
「翼。ダメだよ、疲れるから」
「ちょっとですもの」
幸せ満喫の二人は手を振って、ちらちら見ながら、距離を開ける。ドルドレンはそっと扉を閉めて、窓からイーアンを見つける。イーアンは戸が閉まったのを見て、白い4枚の翼を羽ばたかせて消えた。
「イーアンは可愛いのだ。家がよほど嬉しい。翼まで出して、扉を閉じる俺を見ている」
困ったもんだと、にやけながら、ドルドレンはベッドに戻った。生活用品一式を早く揃えて、早く自宅を楽しむ。ベッドに寝転がって、ドルドレンは新居に必要なものを思い巡らした。この間は、有難いことに、変態親父のことは、一切思い出さずに過ごせた。
工房に入ったイーアンは、るんるんしてた。るんるん44才。自宅があるなんて!そう思っては、窓から見えないかなと(※角度的に見えない)ニコニコしながら、何度も窓の外を見ていた。
火を熾すのも、てきぱき熾し、流れるように、お茶用の水を沸かしに掛け、遺跡から持ち帰った荷袋の中を探って、『楽しい今日の手品』用のお宝をちょこちょこ選ぶ。鼻歌も歌っちゃう。ご機嫌イーアン。
「パパ。お金に困っていらっしゃいます。金目のものは意識がやばそうですから、一見して、値打ち物に見えないお宝にしましょう。くすんでいたり、少し壊れているもの。あと、ちっちゃいものね。だけど、目利きが見れば垂涎ものですよ・・・・・
とりあえず。これを用意して手品に使うことにして・・・その場で、食いつかないようにさせて。でも、私たちが帰ってから、もしもこれを質に入れたら、きっと馬車の女性の装飾品を取り戻せると思います」
それなら一件落着。うん、と頷く笑顔のイーアン。
「馬車のお金が誰に行くのか。パパが作っているわけではないから、きっと売買する仲間の元へ、殆どお金が流れるはず。パパの手元には残りません。それでは気の毒ですから、手品に使ったお宝をお渡しして。『こんなものでも、せめてお金に換えよう』と動いてくれたら」
その時が、本当に手品の醍醐味!素敵なアイデア~ イーアンは嬉しい。陰ながらお助け出来る機会を、ちゃんと活かそうと思う。
小さな宝石を普通の紙で包んだり、壊れている神具の底に仕掛けを入れたり、古い硬貨に酸化膜をちょっと作ったり。手の平に隠れそうな首飾りも、金環を調製して用意する。
『紙を外したら、宝石が出てきます。神具も何度か振動を与えると、底が開きます。硬貨は指で触れば、地の色がすぐに現れます。全部、お宝です。これならお金になります』ふんふん鼻歌を歌いながら、イーアンはせっせと手品の仕込みを続けた。
ミレイオが来るかもしれないので、キリのよいところで終えて、全部を荷物に入れる。自分の龍の皮の着物も羽織り、袂にもちょいちょい入れておいた。お菓子も使えると思って、それもぽいぽい入れる。
イーアンの身支度が済んで、20分くらい後。光り輝く表の空に、タムズが先に来たと知る。すぐに窓へ寄って外を見ると、光とアオファが一緒に近づいて来て、アオファは家を避けて(※お願いします)着陸し、光の中のタムズは工房の前に降りた。
「おはよう。イーアン」
「おはようございます。タムズ。早いです」
そうでもないよ、とタムズは言いながら体を縮め、それから翼を消した。ニッコリ笑って、工房の窓から中へ入り、腕を伸ばす。『服を』フフッと笑う男龍に、イーアンも笑ってズボンと靴を渡した。
先にズボンと靴を身に着けたタムズに、イーアンは縫い終えた陣羽織を渡す。広げたタムズが驚いた。
「これは。これは、良いね」
丸くした目を微笑みに変え、男龍は陣羽織の表裏を返しながら喜んだ。そして腕を通して体に羽織ると、目を閉じて大きく息を吸い込んだ。長い髪の毛を、一度くるっと丸めて背に出し、胸に沿う、隆起した鱗の襟に両手を当てて、イーアンを見る。
「どうだね。似合っている?」
「大変にっ(※ここ、力強く発音)良く似合っています。私、昨日の夕方からそれを作りました。夜の間に仕上げたくて」
思ったとおり。タムズの体にはとても映える。素晴らしい芸術的な美しさ。男龍が龍の陣羽織。見事である。ドルドレンが気絶しないように(※ミレイオも)祈るばかり。タムズもその笑顔から、とても気に入った様子。
「本当に?大変だっただろう。一つ縫うのに、1日掛かっていた気がする。それなのに、これを作ってくれた」
イーアンは笑みを浮かべたまま、ゆっくり首を振って『あなたへお礼もしたかった』と伝えた。家を作ってくれて、どれほど嬉しかったか。どんなに感激したか。話しながら、ちょっと涙ぐむイーアン。
涙を浮かべたイーアンを見つめ、タムズは柔らかい笑顔で、小さな角のある頭を引き寄せてキスをした。『そんなに喜んで。私も良い体験だったのに。優しいイーアン、有難う』抱き寄せた頭を撫でて、タムズはお礼を言った。それから、陣羽織を見つめて質問する。
「これは。私が体験の期間を終えたら」
「宜しかったら、どうぞお持ちになって下さい。思い出に」
「有難う。ずっと大事にする。私たちは物を持たないが、こうしたこともあるのだと分かると、なるほど。嬉しいものだね」
タムズは朝一番で、物の役目の一つを理解する。思い出は記憶にあるもの、と捉えていたが、こんな形で得る、思い出も生まれるのかと。
「毎日。学ぶことが多い。今日のこれは、とても嬉しい学びだ」
「一日通して、楽しい学びが多いことを祈ります」
素敵な言葉に喜ぶ一方、イーアンの頭には、パパの懸念があった。どうぞ、どうぞドルドレンをパパと重ねたりしませんように。それを心の中で一生懸命お祈りした。
タムズは、そんなイーアンの心境をよそに、陣羽織を何度か脱いでは、龍の顔を見て満足したり、羽織ってみて撫でたりと、楽しそうにしていた。
お読み頂き有難うございます。




