648. タムズの試み ~手伝う
タムズは、少し彼らの側へ行きたいと言い、イーアンは一緒に動く。近くで何をしているのか、見たいのかなと思って現場の近くに立つと、側に寄られた作業員の男性4人は驚いた。
「少しだけ。近くで見せて下さい」
「良いけど。この人何もしない?」
「しません。とても穏やかで優しいのです」
そう、良いよと、4人はおどおどしつつも了解してくれた。長は少し離れた場所からそれを見ていたが、特別、仕事の邪魔でもなさそうなので放っておいた。
タムズは彼らの動きを見る。彼らは、土に線を引くように横に並べられた、四角い木の固まりの間に、何かを縦に打ち込み、そこに支えを作っているようだった。何度も何度も槌を振るって打ち込む男は、汗をかいて苦しそうに見える。
そっと、一人の男の側へ行き『これをどこまで打ち込むのか』と訊ねると、彼は、角の生えた大きな男に戸惑いながらも、指差した箇所を見せて『この線があるところまで。少しずつゆっくり、真っ直ぐに入れないといけない』と教えた。
タムズの金色の瞳は、汗をかいて不安そうな男を捉える。彼が作業を開始しようとして、槌を振り上げたので、タムズはちょっとその腕に手を添えた。自分が少し手伝ってやっても良い気がした。
「この線が目安。ゆっくり、真っ直ぐに」
「そうだよ。だから、様子を見ながら叩いて入れないと」
タムズは角材を見て、一番上を静かに指で押した。少しずつ、小枝が雨上がりの土に押されて沈み込むように、角材は真っ直ぐにずぶずぶと地面に埋まって行く。
男が目を見開いて、タムズを見るので『様子を見てくれ。正しいか』とタムズは彼に訊いた。男が何回も頷くので、そのまま指で押しながら、出来るだけ垂直に、印のある箇所まで沈めた。
「これで正しい?」
「あんた。あんた、何てことが出来るんだ。指一本で」
「正しいか?」
「た。正しい。ちゃんと真っ直ぐだ。凄いね」
タムズはニコッと笑って、自分と彼のやり取りを見ている人々を見渡す。横に並んで同じ作業をしていた男は、無言で笑顔を作り、自分の角材を指差してタムズに頷く(※やってもいいよ、の合図)。タムズはちょっと笑って、側へ行き、同じように静かに角材を埋めた。
すぐにタムズは引っ張りだこになったようで、周囲の作業員は、彼に『これも押して良い』と自分の角材を見せて、タムズを取り合った。可笑しそうに笑みを浮かべた男龍は、次々に角材を埋めた。
イーアンはその様子を見ながら驚きつつ、まるで、自分がミンティンと一緒に遠征に出た時のようだ、と思い出した。
コーニスが『楽で良いよ』と笑顔を向けてくれた、ウドーラの沼地。ポドリックが『イーアンが片付けて』と促してくれた、ホッとした顔。タムズの行動は、イーアンの中でも何かを新たに感じさせていた。
現場の長が来て、タムズに『凄いことをするけれど。彼らの仕事がなくなる』と注意した。顔は少し笑っていたが、困っている様子は見て取れた。タムズは瞬きして頷き、邪魔をしたから戻る、と答えてイーアンを連れ、一緒に工房へ戻った。
後ろでは、角材の埋め込みを手伝ってもらえたことに、小声で『助かった』『もっと、やってもらえば良かった』と笑う声が聞こえた。タムズは振り返らなかったが、微笑みながらそれを聞いていた。
「イーアン。私は、彼らの仕事を減らしたのか」
「はい。少し減らしました。でもそれは、お金に影響しないと思いますから、問題ない範囲です」
「どう思った?」
「あなたは素敵だと思います」
ハハハとタムズは笑って、イーアンの肩を抱き寄せる。イーアンも笑って『タムズは、人の心を軽くしました』と教えた。
思うところはありそうな眼差しを向ける男龍に、イーアンはそれ以上言わなかったし、訊かないでおいた。男龍も何も言わなかった。
そして二人は、工房の中に入って、イーアンはミレイオに話しながら作業を始めた。タムズは昨日と同じように、二人の作業を見つめる。話を聞いたミレイオは、手元から目を逸らさずに笑っていた。
「見た目だけじゃないわね。やることまで素敵だわ。その現場の長は、私が土に埋めてやろうか」
アハハと笑うミレイオの厳しい冗談に、タムズもイーアンも一緒に笑った(※実行されると笑えない)。
ミレイオには、タムズの気持ちが何となく分かった。彼は、無駄な苦しさを減らし、助けたいと思ったのだ。それがどう影響するか、彼はぼんやり理解しているらしいが、それでも自分の力で、彼らに少しでも楽をさせてやりたかったのだと思う。
「あなたは優しい。タムズだけじゃないのか。男龍は皆、そうなのかしらね」
「どうだろう。ニヌルタはしない気がする」
イーアンはマスクを作りながら、笑って頷く。『ニヌルタは良い方ですが、気にしないかも』イーアンの答えに、ミレイオはニヌルタを知らないものの、ふと、ルガルバンダを思い出した。彼も確か、ズィーリーを見ていられなくて、助けに来たのではなかったか。
それを言うと、二人は揃って『ズィーリーは可哀相だったから、誰でもそうする』と真顔で答えた。そう、と頷くミレイオ。でもやっぱり、男龍は寛大で優しいとした印象が出来た。
タムズはその後は静かになり、二人の作業を見るに留まる。イーアンとミレイオも、徐々に無口になり、工房は朝同様、作業する工具以外の音はなくなった。
昼近くなり、ドルドレンが来た。ドルドレンは中を見て、ミレイオとタムズを確認してから、イーアンを廊下に呼び出した。何かと思ってイーアンが廊下に出ると、伴侶は扉を閉め、ちょっと離れた場所へ移動しようと言う。
「何かありましたか」
「タムズが、現場を手伝わなかったか」
少し手伝ったとイーアンが言うと、現場の長がドルドレンに言いに来たらしかった。『彼は、仕事の邪魔をされたと思っている。作業員が、タムズの力で楽をした様子が、不愉快だったようだ』伴侶はそれをイーアンに伝え、イーアンの反応を待つ。
「不愉快でいらした。そうでしたか。それは気の毒に。彼は邪魔をされたと判断しましたか」
「何したの」
イーアンはタムズとの会話から、彼の取った行動までを伴侶に話す。そして長が来て注意したので、すぐに引き上げたところまで言うと、伴侶は少し呆れたように『手伝うって。そんな程度か』と首を傾けた。
「タムズは良い行いをした。ほんの少し、彼らの仕事を楽にしたし、彼らの気持ちに笑顔も齎した。タムズの行いが、現場の長は気に食わなかったが、それは長が、自分の立場を守る言い訳を作った」
「あなたの心も広く、きちんと理解されていらっしゃる。私は、あなたが総長で何よりと、毎度思います。さてではね、ドルドレン。長の気持ちも分からないわけではありません。彼の悩みを払拭しましたら、タムズの体験も今日、再び増やせるかも知れません」
「どうするの」
「思うに、彼は示しが付かないと最初に思ったのです。でもこれは、突き詰めれば、お金が発生しなくなる恐れに、長たる彼の中で直結しているのでは。本来、別の二つですが、これを結びつける人は少なくありません。
彼の立場は、誰もが理解する、建築の重労働を管理することです。早く終わってしまえば、その分、受け取れる予定のお代が、発生しませんでしょう。それに、厳しく管理する理由もなくなってしまうと、日にちをかけて、お客から、お金を多く頂戴するにも難しいわけですね。これ、作業員のこと。
厳しく管理することは、作業員に沢山の仕事をさせることでもあります。効率良い方法よりも、管理職の立場とした意識の為に、仕事を無駄に課すことも使えますから、それによって、伸びた日数・手数の分を請求することは、彼にとって『現場も人員も同時に管理する、業務の一端』に思えます」
どの仕事でも、ではありませんよ・・・イーアンは言う。ドルドレンは愛妻の言葉に、頷きつつ『では。俺が予定の代金を約束すれば済むだろうか』と訊ねると、イーアンは交渉してみたらと答えた。
「もう、お昼になります。彼と交渉して下さい。お客さんは私たちだけではありませんから、『ある、お宅の建築現場において』とした、限られた条件であれば、彼も我が身の揺れを恐れはしないでしょう。
私たちの家だけは、タムズの力を借りて作業を手伝わせ、だけど、早く完成しようが何だろうが、約束の金額は支払う、と言うの」
「浮いた方が良くない?早く終わったら、先に約束したお金の、4分の1くらいは浮くかも知れないよ」
「ドルドレン。お金も大切です。あなたが一生懸命、稼いだお金ですもの。だけどその浮いた分で、別のものを買うと、思ってみませんか。
タムズは学びに来ていますし、作業員の方々は、私たちの家の現場だけは、少し楽が出来るかも。夕方も早くに家に戻れるかもしれないし、疲れも減らせるかもしれません。
これらは、『買う』と、表現するのも抵抗がありますでしょうけれど、貴重な楽しい時間を買うとか、素敵な経験へ費やす、お金の使い方と似ています。
現ナマ(※イーアンの素の表現)のお金でしたら、私がまた遺跡へ向かいます。この前の宝もあるのです」
現ナマと来たもんだ。頼もしい遺跡荒らし・・・違った。頼もしい宝探しの能力を秘める愛妻の言葉に、ドルドレンも、それは良いかもねと思う。
『彼ら作業員が、少しでも楽が出来る。それは良いと思う』皆の給料に影響しないしと言うと、イーアンも頷いた。
ドルドレンは『お昼は交渉するから、ミレイオたちと食べて』とお願いし、早速、現場へ向かった。イーアンはお昼を取りに食堂へ行き、2枚の盆に自分とミレイオの分を乗せ、工房へ戻った。
工房で昼食を食べるイーアンとミレイオ。ミレイオもタムズも、イーアンが何の用だったか、それは訊かなかった。
タムズは微笑みながら、イーアンを見つめ、食事は嬉しいかと質問した。『美味しいです。これは奪う地に生きていて、すまなく思うよりも感謝を持ちます』イーアンは正直に答え、もぐもぐ食べる。
「タムズは何も食べないのね。男龍は全員そうなの」
「そうだな。食べる理由がないから」
それもスゴイと、ミレイオは理解し、自分はサブパメントゥの出だけれど、サブパメントゥで食事の必要がない者は、限られていると話した。
「コルステインとかさ、あの類はそうよ。あれ、食べること出来ないもの」
突き匙をちょいっとイーアンに向けて、むしゃむしゃ食べながらミレイオは教える。『気持ちから生まれた奴らは、見た目だけだから。内臓、備わってないのよね』体が見せかけって感じ・・・と言うと、タムズは不思議そうに頷いた。
「面白い。コルステインの話は知っているが、しっかりしている体を持つようなのに、見た目だけ」
「そうなの。触ればまぁ。触れるでしょうけど。でも本体が違うからね。私は本体コレだから、このまんまよ。人間と近いの。あいつ、ヒョルド。あいつも2つ3つ、形を持つけど、あれは食べるわよね?」
「食べますね。ヒョルドと食事をしましたけれど、野菜は好きじゃないようです」
ハハハと笑って、ミレイオは首を振った。『一丁前に好き嫌いね。あれは、獣よ。元々、獣が本体でそれが人間っぽくなったのよ。私とはまた違うの。コルステインみたいな最強、ってほどの体でもないし』と言う。
「獣。そうでしたか、ヒョルドは動物から。んまー。馬になっていたから、野菜くらい食べても良さそうですけれど」
無理やり食べさせた話をイーアンがすると、ミレイオもタムズも笑っていた。タムズはこの食事の様子を見て、食事は誰もが好みそうな気がした。
食事の意味は、人間の命を続け、結果、守る行為だろうが、この時間そのものを歓迎するように、出来ているのかも知れないと思う。しかし、先ほどの『仕事』についての話同様、食事の時間も、人によりけりで、苦しい何かを齎したり、痛みの時間や、楽しくもない淡々とした場合もあるだろうと、考える。
着るものも同じだろうか、とタムズは自分を包む服を見る。服は、体を守り、心も守るらしいと、ドルドレンの風呂で知った。実に様々な物質により、人間は生かされている。生きることを、物に託しているようにさえ感じる。
金色の瞳は、食事をする二人を見つめる。『自分たちの命があってこそ、の時間』。それが生きているうちに、『物があってこその自分たちの命』と、意識がすり替わるのだろうか。
そうなるには、命の短さが理由にあるのだろう。彼らは繰り返す魂の学びの為に、受け取る肉体の寿命が短い方が、早く繰り返せる。
しかし、その学びの長いことよ。短い一生を、時に苦しく、時に嬉しく過ごし、短い命を終えて、再び魂を別の肉体に入れて、戻っては繰り返して学ぶ。そのために、ここまで・・・不要にさえ、見えるものを揃えて、生きる時間を満たそうとするのか。
タムズがそんなことを考えながら、ベッドに座っていると、廊下から音が聞こえて扉が開く。ドルドレンが盆を手に入ってきて『俺も一緒に食べる』と微笑んだ。
「タムズは?食べないらしいけれど、口にも入れないのか」
「他の命の死んだ体を口にする理由が、私たちにはないんだ。構わずに食べてくれ」
ぐさっとくる一言を、穏やかな微笑と共に受け取った3人は、強張る笑顔で食事を続ける。ドルドレンも苦笑いで食べ始めた。
食べ始めてすぐ、ドルドレンは自分を見ている愛妻にニコッと笑いかけた。その笑顔で、イーアンは何があったか察する。『いかがでしたの』ちょっと微笑んで訊ねると、得意げに伴侶は話してくれた。
タムズは話を聞いて、ゆっくり確認する。
「ほう。そうか。では、私が彼らの仕事を手伝っても構わないと」
「そうだ。あの長は、作業員を楽をさせると、働かなくなると思っている。その上、早く完成したら、予算だとか、あれこれあるのにと。まぁ。タムズには関係ない話だが、不都合を並べ立てたから、それを相談したら了解した」
「ねぇ。お金入りゃ良いって話?」
そうだとドルドレンは笑って頷いた。『一に、金。二に、部下の示し。三は自分の気持ちって所か』食べながら、そう思えたと言うと、ミレイオは少し馬鹿にしたように笑って『二と三が逆じゃない』と言っていた。
「タムズが手伝いたい時だけの話で、毎日ではないし、別に最後まで完成させるわけでもないから」
「完成はどんな形なのか。この建物のような形か」
ドルドレンの言葉に、男龍は家の様子を訊ねる。ドルドレンは口に詰め込んで、手を少し上げ『ちょっと待て』と言いつつ、腰袋から紙を引っ張り出した。それからちらっと愛妻を見て、『イーアンは見てはいけない』と断る。フフッと笑ってイーアンは頷き、食事だけを見ていると言った。
ドルドレンは口を拭きながら、もぐもぐしてタムズの側に行き、タムズがずれたので横に座る。そして図面を広げて見せた。『大体だけれど。こんな感じなのだ。言葉で確認しないでくれ』奇妙な注文を付けるドルドレンに、タムズは可笑しそうに笑顔を向ける。
それから了承し、指で図面を指して『ここは』と訊ねることを繰り返した。何となく意思の疎通が出来るものの、説明難しさに、ドルドレンはイーアンに珠を借りることにする。タムズに持たせて、自分の珠とやり取りした。タムズは驚いたようだったが、すぐに受け入れた。
「なるほど。そう。では後は」
口に出したタムズに、ドルドレンが灰色の瞳を向ける。タムズはすぐに唇を閉じ、微笑んだ。もう一枚、別の紙を取り出した黒髪の騎士は、それをそっと広げ、こっちを見ているミレイオにも、手で向こうを向くように指示する。パンクは面白そうに笑って頷き、従った。
二人が紙を見て、珠を片手にやり取りを続け、早10分。ドルドレンは紙を畳んで立ち上がり、食事の続きを食べる。ミレイオとイーアンは食べ終わっているので、二人で目を見合わせてクスクス笑っていた。
タムズも満足そうに笑みを湛えて、窓の外を見る。
「ちょっと、行って来るよ」
そう言うと、立ち上がろうとするイーアンに手をすっと出し『君は作業を続けなさい』と微笑んだ。タムズは窓を開けて外へ出て、お昼休憩に入ったであろう現場へ歩いて行った。
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