647. タムズの試み ~夜・2日目開始
男龍の急な退場を見届け、二人は広間へ戻り、夕食を食べる。タムズが来た理由は、靴の相談をした時にざっくりと話してあったが、イーアンは改めて伴侶に説明した。
夕食を終えて寝室へ戻り、ちょっと早いけれど、二人はベッドに入って話すことにする。二人とも、少し疲れていた。
「タムズはそれで。そういう理由があったのか。やはり、男龍は格が違う」
「そう?格が違いますか?どんな具合でしょう」
だってね、とドルドレンは思うことを伝える。彼らは自分たちの存在がどれほどの位置か、ずっと知っていて、それはこの世界の上位に在り続けているにも関わらず、『イーアンと同じ体験をして、イーアンに教えやすい理解を学ぼうとする』これはなかなか出来ることではない、と話す。
「そうですね。そう聞くと。正に。身近な方々に変わりつつある最近、私は普通に接してしまっているから、ドルドレンに言われると納得です」
「そうなのだ。男龍のことを、この数日、ちょっと考えていてね。イーアンがお説教をされたとか、龍族の隔たりを教わるとか、あっただろう。あれをゆっくり咀嚼するとだ、とんでもなく崇高な相手だと思った。
ピンと来ないかもしれないが、この世界で俺は36年、今年で37年目」
「おめでとうございます。そうだわ。お祝いしなきゃ」
「ありがとう。お祝いは楽しみにしている。それでね。37年生きているわけだが。この数ヶ月を経験する前まで、男龍なんか知りもしなかった。それどころか、空に別の世界があるなんて考えもしない。地下なんて、尚更だ。精霊だって石碑や祈りの中の、心の支えくらいの意味で。魔物が出ただけでも、暫く現実と信じられなかった。
それくらい、関与がない相手だったのだ。空も、地下も。御伽噺、絵物語で、この勇者の魔物退治の話を知っていた程度で、本当に、全く・・・そんなもの信じてもいなかったよ。遠い存在どころか、無関与だ。俺だけじゃない、ここにいる全員そうだろうし、地上の人間は殆ど俺と同じだと思う。
その無関与の相手が、突如、姿を現し始めて、あっという間にうちの奥さんが仲間と認められ、さらに人間時代を過去にする為、俺の奥さんを自分たちと同じと勉強させたくて『じゃあ、まず自分たちがイーアンと同じ生活体験しよう』と言うわけだよ。
イーアンが持ち帰る話を参考にすると、恐ろしく気高い存在の男龍たちだぞ?人間なんか、くらいの認識だろうから、地上に降りたことさえないような。ルガルバンダだけが、あるみたいだけど」
イーアンはじっくり聞く。本当だー・・・言われりゃそうですよね、と思う。んまー。ドルドレンの考察はいつ聞いてもタメになると感心。
これも勇者たる一面には、大事である。パパもジジも、思うにギデオンもこんな考察するわけない。伴侶は素晴らしい、とイーアンは頷く。
「と。こういうことを踏まえれば。タムズの動きも、さすがと思わざるを得ないし、それを男龍たち全員が同意している、そのことも段違いどころで済まない、これは天地の格違いだ。いつも全裸なのに、服を着てくれたし、風呂も触るし、俺にも触った」
イーアンは、タムズがどんな具合で、伴侶のどこを触ったのか知りたかったが、変態手前の質問なので止めておいた。ドルドレンはイーアンのそんな脱線を気にせず、続ける。
「人間と比べて失礼だろうが。無力で愚かと認識している相手を、理解しようと試みるなんて。それも、ホントに世の最高位置の存在が。よくそんなことをしようと思ったと。裏を返せば、そのくらい、イーアンに自分たちと同じと理解してほしい、純粋な志なのだ」
自分に話が戻ってきて、イーアンはじっとする。伴侶は感動中。イーアンは水を差しかねないので、自分の内心は引っ込めた(※私ムリです、の一言)。
この後、二人はうとうとし始めたので、明かりを消す。眠りにつきながら、ドルドレンと同じくらいの理解が自分にあれば、と思うイーアン。
『でも。王宮に暮らして、貴族になれって言われるよりも、龍になる方がずっと良いですね』ちょっと思い浮かべて、フフッと笑う。伴侶はもう寝息を立てている。
ドルドレンにぴったり寄り添って目を閉じ、イーアンは龍に導かれた運命を、責任持って扱おうと思った。
翌朝。イーアンは今日も早起き。自分は老後になったら、3時前後に起床するのではないかと思うくらい、中年の現時点でも早起き。『三文の徳です』ちょっと眠いですけれど・・・ぼそぼそ言いながら、工房へ入って火を熾してから、厨房へ朝食をもらいに行く。厨房担当も集まり始めなので、イーアンはブレズをもらう。
「イーアン。ブレズだけじゃ良くないですよ。お昼と夜は食べているみたいだけど。早くから作業なんだから」
ロゼールがブレズを渡しながら、開きの中の箱を出して『これ。摘まんで、口に入れて下さい』小さな箱を一つ持たせてくれた。イーアンは、彼の親切にお礼を言って、箱とブレズを持って工房へ戻る。
箱を開けてイーアンは嬉しくなる。『ロゼールは優しい』あの子は本当に気の好い人です・・・しんみり笑顔のイーアンが見たものは、木の実と、一口大に切った乾燥肉と、脇に添えた、酢漬けの野菜の容器だった。小さな楊枝が2本刺さっていて、いつでも食べられる状態で、箱に収まる食べ物。
「私の作業に食べやすいように。用意しておいて下さいました。有難う、ロゼール。有難うございます」
ちょっと行儀は良くないけれど、有難く摘まみながら、作業の準備を進めた。棚と机を往復して、その間に手を伸ばし、ちょいちょい口に入れる食事。『これは良いですね。ロゼール絶賛です』イーアンはもぐもぐしながら、さっさか準備を整える。
「さぁ。ミレイオが来てくれますから、私も頑張りますよ」
一人で気合を入れて、破損マスクを相手に、イーアンは龍のマスク製作に取り掛かった。
5時を回る頃に、ミレイオ参上。『おはよう』今日は暖かいと言いながら、夜明けの空を背に、窓から工房へ入る。『縫い上がったわね。私は今日はベルト作りか』ミレイオは袋に入れた着物を取り出して置き、机の上の切り出した革を触る。
「これで作る?柔らかくない?彫刻出来ないでしょ」
「デナハ・バスで買いました。彫刻は向いていないかも。どこの鞣革を卸しているか分からないですが、鞣しで潰しが強いのだと思います。雨にも濡れるでしょうし、そのうち締まるのでは」
「これ、南だったの。そうか。私、テイワグナの行商に頼むから、革質違うの。食品も材料も、全部あっち経由なんだよね」
購入先を話し合いながら、ミレイオは用意された革を引いて『お、さすが』とちょっと笑った。イーアンもちらっと見てニコリと笑い『それくらいは』と答えた。
「よし。じゃ、やるわよ。工具どれ」
工具を一揃え出して、イーアンはミレイオにお願いする。イーアンもマスクに戻り、二人は自分たちの作業を開始した。夜明けの工房に、工具の動く音が続く。
二人は自分の受け持つ作業に集中するが、時々互いの仕事を見ては、異なる方法を使う手元に、目を奪われた。こんな時間がこれから増えるのかと思うと、イーアンもミレイオも、口には出さないものの、楽しく思った。
今日はドルドレンはゆっくり起きる。執務室で昨日の夕方、仕事が減ったことを伝えられ『朝、ゆっくりで良い』と指示を受けた。
「魔物が出ないから。書類も減るとは」
平和って大事と呟いて、ドルドレンは着替えて朝食を摂りに行く。工房を少し覗きに行き、二人揃って没頭していると見たので、そのままそっと扉を閉めた。
「職人は早起きである。そして、とんでもない集中力と耐久力。俺なら倒れる」
夜の営みだけは、集中力も耐久力も任せておけ(※何の役にも立たない自慢)と思うが『ああいうのは、俺はムリだろうな』うんうん、頷き、朝食の盆を運んだドルドレンは、今日もトゥートリクスと一緒に食事をした(※食事の友)。
食事を終えて、まだ仕事には早いと思ったドルドレンは。裏庭口から外へ出て、おうちを建てている現場を見に行く。『嬉しい。ただひたすらに嬉しい』感無量、と呟いて基礎の出来た様子を眺める。
「昨日。イーアンが話していたが、ここにアオファが降りたら危険であった。散財も良いトコロだ。人足と基礎の材料代が、突然パァだ。やり直しの分も、幾らかかるか分からん。破壊された基礎の収集やらも入ると、最初よりも金が飛ぶ」
アオファはでか過ぎるのだ。危険危険と首を振り、ドルドレンは着工現場の中に入り、シミュレーション。
ここに居間、ここが玄関だろ、ここは廊下で、こっちに俺とイーアンの寝室。倉庫を挟んで、客室があって、ここは温室。『温室は大事だ。イーアンがおばあちゃんになったら、猫を飼う予定である』多分そうなるねと呟いて、猫の部屋も作っておくか悩む。
「俺の趣味の部屋もいるのか。特に趣味はないけど」
俺の現在の趣味は、イーアンだ(※くっ付いてれば満足な趣味)。でも部屋があった方が、いつ別の趣味が出来るか分からない。客室を小さくする目論みを立てつつ、幸せな想像に浸り、ドルドレンはおうちの基礎をゆっくり歩く。
空を見ると、東の空に太陽が輝く。『日当たりは良い』笑顔を太陽に向け、額に両手を翳し、青空に吹き抜ける風を感じる。街道の方から声が聞こえ、振り向くと、業者の団体が馬車でこっちへ向かっていた。
彼らを待ち、挨拶をして、今日も宜しくお願いした。そして時間もそろそろ、とドルドレンは執務室へ行き、のんびり仕事が始まった。
9時を回る工房。外に光が輝いて、イーアンはその輝きと一緒に気配を感じる。『タムズ』早い、と呟いて手を止め、衣服を用意する。ミレイオはそわそわするので、落ち着くようにお茶を淹れてあげた。
間もなくして、タムズがアオファと一緒に来た。イーアンは窓から外へ出て、アオファをまず誘導。業者さんが悲鳴を上げて、クモの子を散らすように駆け出したので、それも一生懸命止めた。
アオファはちゃんと離れた場所に降りて、そのまま就寝。業者さんの方が時間がかかった。イーアンは驚かせたことを謝り『あの仔は寝ているだけで安全』と何度も話した。業者の長が怖がりながらも『奥さん。龍だからって心臓に悪い』とぼやいていた。
タムズはその光景を見ていて、ふとミレイオのいる工房に目を移す。ミレイオが照れながら挨拶したので、それを返し、彼らは何をしているのかと質問した。
『昨日もいたのだろうか』業者の姿を見ていなかったタムズに、ミレイオは簡単に説明してあげた。体を縮め、翼をしまって工房に入るタムズに服を渡しながら、服を着るタムズに着工のことを教えると、彼は『現場を見たい』と言い始める。
「え。彼らが驚くわよ。角生えた人なんか、見たことないでしょうから」
「イーアンも生えている。アオファに驚いた後だから、私は平気かも」
ミレイオには、全く気にならない相手だけど。普通の人間から見たら、タムズはどうなんだろうと悩む。『イーアンが来たら、聞いてみたら?』とりあえず、相談しようと促すと、タムズは了解した。
少ししてイーアンが戻り、タムズが服を着たのを見て微笑む。『とても似合っている』と言うと、タムズは困ったように笑って『服が似合うのも複雑だ』と答えた。
それからイーアンに、家を建てている様子を見たいことを話すと、イーアンはミレイオの目を見て考える。ミレイオも何も言わないものの、イーアンの戸惑いは分かるので、苦笑い。
「私を見て驚くから?」
タムズが二人の表情から訊ねると、イーアンは頷く。『ここの騎士たちや、タンクラッドやミレイオは、龍の存在を知っているけれど、一般の人はまだ知らない場合が多い』怖がる懸念があることを話す。
「慣れだ。驚くのは最初だけ」
「タムズは粘り強いです。穏やかで静かですが」
「誉められているな。ズィーリーの気質もあるのかもね。さて、じゃ行こうか」
やんわり強制的に促され、イーアンは笑いながらタムズと一緒に外へ出た。タムズもちょっと可笑しそうに笑顔を向けて『折角、理解しに来ているから』と言う。
「私の後ろにいらして下さい。先に紹介します」
イーアンは業者さんたちに遠くから声をかけ、手を振った。先に近づいて『彼は私と近い龍です。彼が作業を見たいと言います。見るだけですから良いですか』そう話して、長を見ると、苦笑いされた。
「あの人。角が」
「あります。私よりも長いです。静かな人なので、あまりいろいろと喋らないと思います」
了解を得たので、イーアンはタムズを呼んだ。タムズはゆったりと歩いてきて、自分を凝視する全員を見て、少し微笑む。『邪魔はしない。様子を見るだけだ』落ち着いた言い方で目的を告げると、疑わしそうに見ている全員のうち、半数くらいは顔つきが戻った。
「そっちで見て下さい。そこなら邪魔にならないから」
長が指差した場所へ、イーアンとタムズは動き、そこで立って眺める。タムズは黙って彼らの動きを見つめ、暫くして横にいるイーアンに訊ねる。
「これは。いつまで時間をかける?彼らは頼めば家を作るのか」
「家が出来るまで、何ヶ月もかかります。雨の日は仕事が出来ないし、彼らの体を休める日も必要です。家を建てることは、沢山のお金も使います。仕事をして、お金を受け取り、それを貯めて家を建てます」
イヌァエル・テレン全体で存在しないものの一つに、お金の存在がある。タムズは、お金と、仕事という作業と、それがある上で物を手に入れる仕組みの必要が、ピンと来なかった。
「分からないから訊く。もし嫌なことを私が言っていたら、止めてくれて構わない」
「はい。何でしょうか。お伝え下さい」
「家を建てる。今、この状況を例にとれば、家を建てているだろう?これがもし、すぐに出来上がると、彼らは仕事がないという意味か?そして引き換えのお金は彼らに齎されない?」
「そうです。彼らは、家を建てることでお金を受け取り、お金で自分たちの生活を動かします。これはタムズが仰ったように、この場合の例としてはそうであり、私たち全員もまた行動こそ違えど、仕組みは同じです」
「イーアンも、ミレイオも。タンクラッドも、ドルドレンも。皆、何かを提供することが仕事で、その行動はお金に変わる。そして生活をする。もし仕事がないと、お金が齎されないから、生活は」
「苦しくなります。お金は一つの大きな道具です。万能と言う方もいます。お金を得ると生活に成長がある為に、人は努力して仕事をします」
イーアンの説明を聞き、どうして、自分たちの首を絞めるような物を作ったのか、その最初が、理解に難しいとタムズは感じる。
そもそも、生活をすることを共有する理由はあるのか。お金といった存在が中心に、人間の一生が動いているふうに聞こえる。誰かの仕事とお金は、他の誰かの生活と仕事に繋がるわけで、途絶えると生きることが苦しいものに変わると言う。彼らは奪いながら生きるから、寿命も短い。それは、この奇妙な連鎖において、救いなのかもしれないと思った。
「訊くが、仕事は楽しいものだろうか。イーアンとミレイオは着るものを縫っていた。あれはとても真剣で、嬉しそうに見えた。そこに仕事の意味がある?」
「必ずしもそうではありません。私もミレイオも、有難いことに自分の好きな仕事をしています。でもそうではない場合も多々あります。昔、私もそうでした。
そして、好きな仕事がいつでもお金を得られるとも限らないので、これは言い切れません」
「余計に難しくなったな。となると、彼らの中にも、好きでもない、嬉しいとも思えないのに、一日の生きる時間を仕事に使う者がいるんだな?そう?」
そうです、とイーアンが答えると、タムズは金色の瞳を働く男たちに向けて、何かを考えているようだった。
彼らの中の会話は、普通の人間には届かない声でも、タムズの耳には聞こえる。数人は、先ほど始まったであろう仕事に、『今日も遅いのかな』『辞めたくなる』そんな会話もされていた。それはとても嫌そうな音で、理由は分からないが、彼らの声は辛そうに感じた。
お読み頂き有難うございます。




