646. タムズの試み ~習慣の理解1
午後。タムズが観察に来たことで、作業時間は1時間近く中断。とりあえず、衣服も着たことなので、タムズには、自分が今日何をしているのかを話し、イーアンはミレイオと作業を再開することにした。
タムズはそれを了解し、ベッドに座ってその様子を眺めることにする。話しかけても良いと言われたので、気になることはちょくちょく聞きながら、イーアンたちの仕事場で過ごす時間。
親方は用事もなくなった上(※元から特にない)、総長が悲しんでいるので、一緒に退出する。総長を励まし、タムズは一時的だろうことを教えておいた。
「上着は。分かる、嫌だな。あれだったら、タムズに新しい龍の皮でも持ってきてもらえ。それで別に作ってもらうんだ」
「イーアンは一日に一着縫うのだ。それも長い時間をかけて。そう簡単に頼めない。タムズは何日来る気なのか、分からないが、上半身は裸でも良い気がしてきた」
「そうだな。服、着ないで良いぞって言えば、あっさり受け入れそうだ。下だけ着させてれば無害で良いじゃないか。そうしよう、だから泣くな」
親方の提案に頷きながら、ドルドレンはすすり泣きの目を拭いた。よく泣く、と思う親方は、ドルドレンの頭を撫でて笑った。
「お前。そんなに泣いて、よく総長になんかなったな」
「イーアンが来るまでは、こんなに泣かなかった。泣く暇もないくらい、魔物退治に追われていた」
「そうか。泣けるようになった、ってことか。俺もそう言われれば、そうだろう。工房を離れることなんて、採石と買い出しと町内会議くらいだった。
イーアン本人もこの世界に来て、目まぐるしく大忙しだろうが。彼女の出現も無論あるものの、やはり世界の・・・俺たち全員の運命が動き出したってことだろう」
裏庭口まで一緒に行き、親方は笛を吹いた。やって来た龍に乗り、総長を見下ろして微笑む。『上着。取り返せよ』そう言って、総長が笑顔を返すのを見てから、浮上してイオライセオダへ帰った。
見送ったドルドレンは。『本当だな。俺は最近涙もろい。いや、衝撃で泣いているのもあるが。しかし感情に自由であることは、悪いことでもない』少し自分の泣きっぷりが笑えて、ドルドレンは首を振りながら執務室へ戻った。タムズに『上半身裸で良い』と、後で言うことにして。
ちくちく縫い続ける工房。縫い始めると、ヘロっていたはずのミレイオも、困惑は消えないままのイーアンも集中する。せっせと縫って、頑張って、早く完了させようとする。
時々、タムズは話しかけたが、二人が夢中になっているようで、それを見ている方が面白くなった(※沈黙も観察対象)。
・・・・・イーアンもミレイオも、ひたすら、小さな針なる道具を動かして、着るものを作る。一日の長い時間をそうして作ると、先ほど聞いたが。飽きもせず、夢中になる。着るものは、彼らに大切な意味があるのかもしれない。
ふと、自分が着せてもらった龍の皮の上着を見て、普段は空に浮いていくだけのものが、形を変えて、中間の地で自分を守る存在として生まれ変わったことに、少し感慨深く思う。龍はどこでも龍である。その強さと、そしてそれを大切にしようとする働きを、目の前の地道な作業に見る。
見渡せば、魔物の亡骸が山のようにあると知る。死骸だから気も放たず、特に気にもならないが、それはイーアンが触れたからか、醜いものではなくなっていることも関係している気がした。
タムズは、先日、ファドゥと話したことを思い出す。
イーアンの龍気が漲って、卵にも龍気を放っていたことを。誰も龍気を呼応で返すことは出来なかったが、龍気が打ち付けられては引き戻されて、卵の部屋に増えてゆく、その感覚にも笑って驚いていた。
『彼女は知らない。自分が何をしているのか。龍気を増やせない私たちに、まして卵たちに、彼女は一人増幅を与えた』
それは、ファドゥが見る限りで、イーアンの愛情ではないかと言っていた。イーアンは感情が現れやすいため、怒っても笑っても龍気が増える。
そしてファドゥは、タムズにイーアンの話を少しした。彼女は以前の世界で、とても自分を恥じて生きていたことを、ファドゥに話したことがあったと聞き、タムズはもう少し内容を訊いた。
生きた軌跡は罪深いと恥じ、そんな自分が女龍なんてどうなのか、と。彼女は悩んで打ち明けたと言う。
タムズは眉を寄せて『そんなことで』と首を振った。ファドゥも頷いて、自分もタムズの反応と同じように、イーアンにそれを気にする意味がないと伝えたらしかった。
『私の言葉を理解したかどうか分からない。しかし、何度訊かれても、私は同じことしか言わない』
ファドゥはそう言って、静かに微笑んだので、タムズもそのとおりだと頷いた。この話を、タムズだけではなく、男龍全員が聞いていた。
ビルガメスは何も言わず、また何も、表情を作らなかった。ルガルバンダは、イーアンの気性の荒さを一番知っているので、少し笑って聞いていた。
ニヌルタは、男龍の中で一番感情の突出が目立つので、『イーアンは、自分の性質を受け入れずに悩むのか』と不思議そうにしていた。シムもニヌルタと似る部分があるので、『龍なんだから、当たり前だというのに』と呆れたように呟いた。
タムズはその時、少しイーアンの身になって感じた。彼女は、彼女にとって、とても生き難い世界にいたことを。何が正しいのか分からない場所で、持ち前の強い気質に振り回され、それを罪と呼ばれ続けた。時にはその罪に、自分の存在を我武者羅に任せた。何と、激しい感情の交錯だっただろうか。
正否も知らず、愚かで小さな判断しか出来ない、それさえ気分で揺らぐような虚ろな生き物の中で。彼女は翻弄されて、自分を恥じていたのかと思うと、よく無事で、よく生きていてくれたものだと思った。
こみ上げる怒りは、タムズの中に静かに滾る。イーアンへの同情ではなく、龍を見抜けない世界が・・・龍を侮辱した愚かさへの怒りが、タムズの中で、炭火のように熱を持った。
そんなタムズの龍気の動きに、ビルガメスは気づき、タムズを静かに諭した。タムズも特に怒りを態度に出してはいなかったが、ビルガメスはタムズの変化を知っていた。
『タムズ。怒るな。必要だったから、それが生じた。イーアンには気の毒だが、奪う地はここだけではなく、別の世界にも在る。
聞けば、イーアンのいた世界の方が、もっと危険で愚かさは更に激しい。だからこそ、その地獄のような場所で見つける小さな光が、大きな強さを育てているとも考えられる』
静かに溜め息をついたタムズは、思い出す数日間の話や見解を、作業する二人を眺めながら考える。イーアンの横にいる男・ミレイオ。タムズはこの者にも、少し特別なものを感じていた。
サブパメントゥから上がってきた男。しかし、サブパメントゥの性質が、殆ど感じられないというのも珍しい。秘めているだけなのか、それともこの男の魂が異なるのか。
タムズから見ると、ミレイオも不思議な存在に映る。男なのに、心が放つ気は女のようにもなる。サブパメントゥは肉体的な世界だから、魂にそれを宿す者がいるとは、意外だった。
タムズがベッドに座ったままミレイオを見ていると、ミレイオは何気に彼のほうを見て、目が合って固まった。
止まったミレイオに、タムズが少し間を置いてから『気にしないで良い。君について考えた』と言うと、刺青パンクは少し照れたように、微妙に頷いて、それから縫い針を進めた(※時々指に刺した)。
そのまま時間は過ぎ、夕方も過ぎるくらいまで、3人は特に喋らずに工房にいた。タムズは観察しながら考えて、イーアンとミレイオは機械のように縫い続けた。
「よし。これ、出来た」
ミレイオは一着終わった、とイーアンに言う。イーアンは顔を上げて、『私はもう少しです』そう伝える。ミレイオが様子を見て、イーアンの残した部分を確認し『良いわよ。家で縫う。あんた、違うことしなさい』と作業を引き受けた。
「ザッカリアの。これは途中です」
「縫い方は一緒でしょ?私やるわよ。あんた、マスク作って」
有難うとイーアンがお礼を言うと、ミレイオはイーアンの頭を抱き寄せ、角にキスをする。『明日。また来るから、ベルトは明日ね』さっと約束して、片付け始めた。
そしてミレイオ、思い出す。タムズが居たことを。振り向くと、龍の上着を羽織った、男龍は自分を見ている。ちょーっと赤くなり、ミレイオは微笑むのみ(※余計なこと言いかねない)。
「君は帰るのか。家があるのか」
「そう。ここから西に向かうとね」
「家に戻って、また縫うのか」
「そうよ。でもそれほどの残りじゃないから、すぐ終わると思う」
タムズはじっとサブパメントゥの男を見て、『また明日?』と訊ねた。ミレイオは、タムズを連れて帰っても良いんじゃないかと瞬間的に思ったが、そこは自制して『そう』と唾を飲んで頷く。
「分かった。ミレイオ。ではまた明日。気をつけて帰りなさい」
柔らかい微笑のタムズに、心臓を3発くらい撃ち抜かれ、ミレイオは『有難う、明日ね』とクラクラしながらお皿ちゃんを出し、小脇に着物を抱えて窓から出て行った。足元が危なそうで、イーアンは心配したが、ミレイオが振り向きもせずに『良いの、止めないで』と言うので、そっと見送った。
「彼は。ズボァレィに乗るのか」
「そうです。あの方は龍には乗れません。それでズボァレィをお譲りしました」
そう、とタムズは窓の外の空を見送る。小さくなるミレイオを見つめ『なかなか。興味深い』と呟いた。
この後、イーアンは明日のマスクの準備と、ミレイオに引き受けてもらうベルトの革を出した。型紙を出して、切り始めて荒裁ちを済ませ、部材も揃えて箱に入れる。
「それは何」
「これは。ええっと、マスクが。出払っておりますが、顔に付ける装備を作ります。それから、こちらはズボァレィの固定用です。安全のために」
「マスク。顔に使う。いろいろと君たちは付ける」
タムズの言葉にイーアンは微笑み、『そうです。人間は怪我もすれば病気にもなります。だから守る物を沢山使います』そう教えた。タムズは静かに頷いて理解し『何となく分かる』とイーアンに答えた。
「この後も、何かを作るのか?」
「今日はここまでです。ミレイオが引き受けて下さったので、着るものは手を離れました。ですので、次はお風呂と夕食です」
「お風呂。夕食。風呂?夕食は食べるんだね」
「そうです。食事の席はどうぞいらして下さい。それと、お風呂はタムズはお待ち下さい。私たちは温かい湯に体を洗い、疲れを取ります。その時間は一日に一度はあります」
「湯。水の温かな状態に、君たちは疲れが取れるのか。空気が弱いからか」
「どうかしら。空気は有難いです。大切ですよ」
タムズはちょっと考えたように目を閉じて、それからイーアンに、お風呂を見せてもらえるかと訊いた。見ても良いけれど、タムズは多分好きじゃないだろうし、よく分からないのではと思うイーアン。でも、見たいならどうぞ、と了解した。
ドルドレンが迎えに来て、扉を開けるなり、寂しそうに溜め息をつく。『その。タムズ。上着は着なくても良いのだ。よく考えれば、下半身を隠すことが男性は大切だから』タムズを見ないで小声で言う伴侶に、イーアンは同情。違う形の着物も作ってあげようと思った(※着替え要)。
「ドルドレン。大丈夫だ。君たちは服を着て動く。私も理解する為に使う。この上着は、私には問題ないから、心配要らない」
ニコリと笑うタムズに、ドルドレンは拉げた。頑張って耐えて『そう。分かったよ』と呟きを返す。イーアンはそっと側へ寄り『新しいのを作りましょうね』と耳打ちした。ドルドレンは愛妻(※未婚)を抱き寄せてお礼を言った。
タムズがお風呂を見たいと言うので、ドルドレンとイーアンは、彼を連れて風呂場へ向かう。イーアンは着替えを取りに行った。
時間が早かったので、風呂場は誰も未だ居らず、ドルドレンは脱衣所から紹介する。タムズを入れて中を見せ、ここで衣服を脱ぎ、奥の湯船に入るのだと教えた。タムズは少し、湯気渡る風呂の室内を見渡して『どれくらいの熱さか』と訊いた。
「湯の温度か。体温よりも僅かに高い程度だ。それ以上は怪我をするし、それ以下は病気になる」
「繊細だ。その程度の温度差で、人は体を失う」
「失うほどではないだろうが、危険に繋がることは避けている。敏感でもあり、繊細でもある」
タムズは理解する。マスクの話も、着物の話も、風呂もそう。人間は一日が明け暮れる繰り返し、常に自分の体を守ることを習慣とする。それほど弱いのだ。失う体の脆さを、人の生活を通して知る。
イーアンが来て、お風呂に入ると言うと、ドルドレンはタムズと一緒に廊下に出た。扉を閉める時にタムズがイーアンに質問する。『裸になるのはイヌァエル・テレンでは出来ないのに、風呂は良いのか』イーアンは少し考えて頷く。
「これは体を濡らしますから、服が濡れると、体はその後に冷えてしまうのですね。ですので、お風呂は服を脱ぎます」
「そうなのか。見たい」
「ダメです」
ドルドレンがタムズを丁寧に止めて、イーアンは笑いながら扉を閉めた。振り向いたタムズは、ドルドレンに『イーアンはダメなのか。君が入るのは見れるのか』と訊ねた。
ドルドレンは、この急展開にビックリして、少し顔を赤らめ、しどろもどろに、まぁ、そう、大丈夫かな、と独り言のように言うと、タムズは、目を逸らすドルドレンの顔に、顔を寄せて『見ておこうと思う。見せてくれ』と静かに頼んだ。
ドルドレン、ドキドキしながら頷いた(※『分かった』と呟く)。タムズもお湯に入るのかと一応訊くと、室内には入るが『見ているだけ』と微笑む。体を洗うところから観察対象と知り、ドルドレンはとても照れた。
ちょっとして、慌しく出てきたイーアンと交代で、事情を話してタムズと一緒にドルドレンは脱衣所へ。
イーアンは見たくて仕方ない!が、我慢するのみ(※変態だと思われる)。ちきしょう、カメラ!!カメラ欲しい~~~(※隠し撮り)!!くっそ~~~ イーアンは表の椅子に座って、髪を拭き拭き、悔しい顔で、時々舌打ちしては、地団太を踏んでいた(※ミレイオと似る)。
愛妻が悔しがるのをよそに、脱衣所では、じっくり観察されながら、ドルドレンは前を隠して服を脱ぐ。『あのな、タムズ。あまりじっと見ないでもらいたいのだ』恥ずかしいので、そっと注意すると、男龍は首を傾げて『なぜ』と訊く。
「裸の状態はあまり、人目に晒すものではない。いや、親しい間でもないと、それは犯罪にさえなる」
「不思議だ。私が衣服を着ていなかった状態で、君たちに出会っている時、誰もそれを言わなかった」
「それは。その、事態が特別だったから。でも俺たちには同じことをするのは無理だ」
そうかと理解し、タムズはドルドレンの素っ裸をあまり見ないように心がけた。彼らは守りがないと、心に障るくらいに不安。物に頼るのが普通なのか、と思う。
ドルドレンは、タムズにも靴や上着を脱ぐように伝える。理由として、濡れると面倒だから、と教えると、タムズはズボンを残して従った。
それからお風呂に入って、ドルドレンは体を洗い、視線を感じる落ち着きなさの中、ささっと石鹸を流して湯船に逃げるように入った。湯煙を見るタムズ。『湯に触れるのは良いのか』質問すると、ドルドレンはどうぞ、と促す。湯船の側へ行き、湯に手を入れてみて、なるほどと思う。
「本当だ。体温よりも少し温かい。これが丁度良いのか?これは疲れを取る?」
「そうだ。習慣でもある。風呂に入らないと、汚れがたまり、具合が悪くなったり、悪臭を放つ。それは良くないことで、多くの人間はそれを避ける」
タムズは湯を手に掬い、何度か腕を入れてみてから、ドルドレンを見て、その体に触った。ドルドレンは恥ずかしい。『その。君が首に巻いているのはビルガメスの』タムズが訊くので、そうだと答える。
「俺がコルステインに操られないように、と。ビルガメスが髪の毛をくれたのだ。以来、こうしてずっと身に付けている」
「君は忠実だな。祝福も受けて、それも使う。ビルガメスが君を気に入る理由が分かるよ」
誉められて、恥ずかしいのと嬉しいので、ドルドレンはお礼を言った。タムズは微笑み、立ち上がって廊下で待つと伝えた。『俺も出るから』廊下に愛妻のみなので、ドルドレンも急いで風呂を上がった。布で体を拭き、服を着替えた様子を見たタムズ。
「服は。いつでも着るのか?脱ぐのは風呂だけ」
「そうだな。うーん。後は、うん。まぁ。そうだな、寝る時もか(※濁す)」
「眠る時は脱ぐんだな。一番無防備なのに。なぜ安心するのだろう」
まさかイーアンといちゃつくから、とは答えられず、ドルドレンは『考えたことがない。人によるかも知れない』と答えておいた。そしてドルドレンとタムズは脱衣所から出て、廊下で憔悴した(※悔しがり過ぎ)イーアンに迎えられ、一緒に夕食へ向かった。
すれ違う騎士たちは、赤銅色の肌に、角のある大きな男を見て、目を丸くしたが、もう最近はイーアンが龍だったり、外を見れば龍もいる日々に慣れて、この人も何かあるんだろうと、そのくらいで流していた。
夕食に同席したタムズは、何かに気づいたように立ち止まり、イーアンを見た。イーアンも気が付いて彼を見る。
「タムズ。もう」
「そうだね。私の限度かも知れない。今日はここまでか」
タムズは龍気が少なくなったことを感じ、広間からそのまま正門口の庭に出た。そこで衣服を脱ぎ、イーアンに預けて『アオファ』と呼ぶ。アオファの龍気が増え、タムズは発光し始めた。
「私も手伝いましょうか」
「いや。そのままでも受け取っている。アオファと一緒なら戻れるだろう」
タムズはニッコリ笑って『楽しかった』と言い、イーアンに明日また来ると告げた。そして彼を包む光は煌々と輝き、アオファが頭上に浮かんだところで、タムズは地上から飛び立つ流れ星のように、夜空を駆けて消えた。
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