640. 手品と作戦
夕方頃まで二人は着物を縫う。ドルドレンが様子を見に来て、ミレイオが迎えた。
「私も見たの」
嬉しそうに話すミレイオの後ろ、愛妻(※未婚)は笑顔で縫い物を進めている。ドルドレンはミレイオが興奮して話す内容を聞いて、また驚いて喜んだ。
「素晴らしい。これは今後、活用だな」
「活用」
ドルドレンの一言に、ミレイオが聞き返す。イーアンも顔を上げて『?』の視線をよこした。ドルドレンは椅子に座って『是非、活用したい』うん、と頷く。
「元気になれるのだ。一瞬で元気が出る。ミレイオの教えを、イーアンなりに実行している」
「私の教え」
「そうだ。ミレイオは以前、驚いて忘れることなど大したことでもない、と。脱いで、イーアンに襲い掛かった」
ハハハッと声を上げて笑うミレイオ。後ろでイーアンも笑う。『悪く思わないでよ』ミレイオがドルドレンの腕を叩いて頼んだ。笑顔のドルドレンも『思っていない』と答えて、その手をぽんぽんと叩く。
「イーアンは脱がないが。いや、脱いでは困る。手品という技術で、人の気持ちを上向かせ、元気にさせる。これは素晴らしいことだ。脱がないから無害だし」
「繰り返さないの」
注意を受けて、ふざけたドルドレンも少し笑って『そういう意味で活用できる』・・・そうではないか、と二人に訊ねた。
「旅路で様々なことがあるだろう。励ましの言葉も慰めも空しい時もある。手品の方が、言葉よりすんなり心に入る。言葉よりも、視覚から受け取る方が、時として自分に置き換えやすく、薬に近いこともある」
イーアンはドルドレンを見つめる。何となく。伴侶の言い方に引っかかるものがある。前置きにも聞こえる、その言い方。
じーっと自分を見ている鳶色の瞳に、ドルドレンは、察しをつけたと判断してニコッと笑った。
「イーアン。旅に出る仲間でまた集まるだろう?その時、皆に披露してみてはどうだろう」
「それは、そうしようと思います。ええ。皆さんが楽しんで下さると思うので」
これはさっきも言っていた。自分は『後で皆に手品を紹介しよう』と答えている。
ドルドレンが繰り返す理由は、まだ別にあるような。この質問ではない気がするイーアンは、ちょっと黙る。ミレイオも違和感を感じ、総長を見た。『ねぇ。皆で集まる時。すぐじゃないでしょ?馬車を手に入れたらって言ってなかった?』ミレイオの言葉に、イーアンはドルドレンの目を見る。灰色の瞳が意味深。
「ドルドレン」
「そうだな。イーアン。旅路で様々なことがある。旅する者に励ましを」
「はい。お役に立ちますなら。でもそれは、私たちの旅の話だけではないような」
ドルドレンはニッコリ笑って、愛妻の横に行き、肩を引き寄せて頭にキスをした。『賢いイーアン。そのとおりだ』イーアンはちょっと嫌な予感。ちらっと伴侶を見上げると、世界最高峰の微笑を向けられる。
「親父が。具合が悪いのだ。利用する」
うへえっ それかっ!! 戦くイーアンの肩をぐっと押さえたドルドレンは、イーアンに丁寧に言い聞かせた。
「聞いてくれ。親父の情報が入ったのだ。あの鬼畜は今、猛烈に凹んでいる。ここで恩を売る手もある。イーアンが手品で励ましてみて、間口を広げた所で馬車の交渉だ。上手く行けば、あまり高く吹っ掛けられずに手に入る」
「お話の内容が見えません。教えて下さい。お父さんに何がありましたか」
あの人、凹むように見えない、とイーアンが言うと、ドルドレンはしっかり頷く。『そうだ。無神経だから。まず凹まない。だが、バカでも分かる現実がある』それはね、と話し始めた。ミレイオは、この親子関係も相当痛んでいるなと思った。
「これはロゼール情報だ。ロゼールは俺の親父を見かけたそうだ。場所はデナハ・バス。南の訪問時、昼を買いに行ったロゼールは、町の中であいつを見た。
その時の様子を詳しく聞いたら、恐らく。親父は金に困っていると分かった。あんな人生だから、無計画過ぎてよく生きてこれたものだと、おかしな方向で感心したが。それも運の尽き。
親父がデナハ・バスの質屋に入るところを、ロゼールは見かけた。その手に持っていたものは、飾り模様のついた箱だったという。見たことのない箱を持っているから、印象的だったとロゼールは言った。
それはそうだろう。その箱の中身は、馬車の家族の、金に変わる品だ。箱は馬車の家宝だから、売りはしないだろうが、中に入っている物は知っている。それは、女たちの装身具、腕輪や指輪の入った箱なのだ」
「お父さんは、馬車の家族の持ち物を売りに?」
「質入だろうな。後で取り返したいはずだ。それに女たちの持ち物を売るに当たって、相当揉めていると予想が付く。馬車の家族は現金を蓄えない。装飾品に変えて財産を持ち歩く。それを入れてある箱を持って行ったというと、金がない。これは良い機会だ」
ドルドレンの目つきが悪役みたいに見えて、イーアンとミレイオはたじろぐ。誠実な黒髪の騎士の目が、獲物を狙う灰色の瞳と変わっている。
「そ。その。事情は、もしかすると金欠かもしれませんけれど。そこでどうして、私が手品」
「考えてみるのだ。突然、現金と宝を持って俺たちが交渉に行けば、飛んで火に入る夏の虫。あっちからすれば、カモがネギ背負ってくるようなもんだ(※この表現は、日本人代表のイーアンが前に教えた)。
イーアン。カモネギって言ってたよな?美味しい話。カモは鳥で、ネギって野菜か何か知らんが」
言った、と頷く愛妻に、頭を振り振り、『そうは行くか』と笑う美丈夫。格好良いけど・・・悪者みたいな伴侶に、イーアンはカモネギの言葉を教えて、何となく悪いことをしたと反省した。
「だから。まずは慰めに入るのだ。励ましでも良い。ちょっと心の間口を広げてやって・・・あいつは情に弱い。俺もだけど。そこでぼったくる気を減らした後に、こっちの最小限の金額で交渉するのだ。恐らく、それ以上持っていないと言えば、気持ちも上向いた所で、馬車を用意する気がする」
「ドルドレン。あんた、今。親父の話してるのよね?よく知らないけど、馬車の家族全体の面倒見てる、馬車長なんでしょ?」
「そうだ。あんな男でよくこれまで」
「その人の心の傷をいじくって、金の交渉するの」
「じゃないと、ぼったくられる。こっちも奇を衒って挑まねば。あいつにぼられるか、こっちがむしり取るかだ」
ミレイオも少し引く。ドルドレンの目つきが怖い。この子、悪者だったら大変だったと思う。ちらっと見ると、イーアンも無表情で聞いているので、思うに引いているのではと思った(※少し引いてる)。
そのままだと食いついて吹っ掛けられるだろうが。手前で感情を揺さぶっておけば、こっちの手持ち以上に値を吊り上げはしないと思う、とドルドレンは言う。
「そして、だ。俺たちの渡す金はそれなりに、あいつの懐事情への不安を解消もする。言ってみれば、一石二鳥。恩が売れるのだ。
馬車の民は恩を大切にする。女たちの財産を、質から取り戻せる額かどうか知らんが、少なくとも少しはどうにかなるだろう。それだけでも馬車長として、幾らか名誉も・・・あいつに名誉なんかないだろうけど、でもそれっぽいものも守れるというものだ」
「あのう。お父さんのためというよりは。馬車の家族の女性の為に、私の持ってきた宝を少しお渡しして、質流れを止めた方が良いのではないでしょうか」
ビックリするドルドレンは、愛妻の頬を両手で挟んで真ん前から『ダメ』と一言落とす。イーアン、目がまん丸。
「そんなことしてはいけない。あいつは真っ先にがめるぞ。それにそれでは、集られるだけだ。イーアンが取り戻したと分かれば、もっと宝を貰えないかと言いに来るに決まっている。ベルも教えたと思うが、あいつは鬼畜なのだ。一般的な人間の意思は無用である」
ドルドレンは、ダメダメ、と愛妻を抱え込んで頭を撫でた。複雑そうなイーアンの顔を見ながら、ミレイオは、ダヴァート一族には、あまり他人が立ち入らない方が良さそう、と理解した。
(以下、ドルドレンの計画)
①馬車を買いたいと相談に行く⇒
②当然吹っ掛けられる⇒
③手持ちが、そうないことを前置きに弱気で交渉⇒
④向こうも強気で来るだろうけど、バカだから多分、すぐ事情暴露する⇒
⑤それを引っ張って相談に乗る振り⇒
⑥バカだからすぐ、洗い浚い打ち明ける⇒
⑦そこを励ます⇒
⑧バカだからきっとホロッと来る⇒
⑨そこで自分たちの金額の最高額と言って最少額で値切る⇒
⑩バカだから、思うに頷く⇒
⑪そのまま馬車入手=完了
「と。こんな流れだ。イーアンは⑦の部分だな。ここでイーアンが活躍」
「私が活躍。人の悩みに付け込むような、嫌な真似を」
「何を言う。イーアンの素晴らしい手品で励まされるのだ、あいつは。代金をもらいたいのはこっちの方だ。ただで見れるだけ、有難いと思え、と言ってやりたい」
ミレイオは固まり続ける。ここまで親子関係が崩れているのもスゴイな、と思う。よほど変態犯罪者なのだろうことは、嫌でも伝わる。朝、涙した優しいドルドレンに、これほど情の欠片も見えないのは、少なからず衝撃的。
「だからね。こう・・・ちょっと書き込むか。こんな感じだ。俺の考えでは」
(以下、リハ付き)
①馬車を買いたいと相談に行く⇒
ここは普通に『馬車が必要になったから、2台買いたい』と言う(※これは俺設定)。
②当然吹っ掛けられる⇒
親父:『馬車だと?馬車の家族でもないお前らが。それ相当額を持ってきたのか?』
③手持ちが、そうないことを前置きに弱気で交渉⇒
俺:『高額だと知っているが、旅の資金もあって、そこまでは』
④向こうも強気で来るだろうけど、バカだから多分、すぐ事情暴露する⇒
親父:『あのなぁ。荷車じゃないんだ。命を預ける家なんだぞ。一台、70,000ワパン以上ないと買えない。安くしてやりたいが、こっちだってキリキリ舞いで、金がないんだ』
⑤それを引っ張って相談に乗る振り⇒
『お金がないのですか?いつも伸び伸びされていらしたのに。何かあったのですか』(※ここ、イーアン設定)
⑥バカだからすぐ、洗い浚い打ち明ける⇒
親父:『聞いてくれ、イーアン。斯々然々。お前の力になってやりたいが、そうも行かないんだ。悪く思うな』
⑦そこを励ます⇒
イーアン:『それは辛い。ちょっと元気が出るかな』えへっと笑って、手品披露。
⑧バカだからきっとホロッと来る⇒
親父:『何て素晴らしいんだ。感動したよ、励まされたな。そうか、馬車で旅を。どうだろうな、状態を選ばなければ安く出来るのもあるか』
⑨そこで自分たちの金額の最高額と言って、最少額で値切る⇒
俺:『ここに60,000ワパンある。これで2台買えないか。外箱と馬だけで良いのだが』
⑩バカだから、思うに頷く⇒
親父:『内装は要らないのか?それならまぁ。うーん。でも、そうか。今の手持ちが60,000ワパン。それはあるんだな?よし良いだろう』
⑪そのまま馬車入手=完了・・・無事、馬車2台を手に入れて戻る。バカな親父は感動もあって、金も入って、別れ際は手を振って恩に着る(※予定)。
「完璧である」
伴侶の満足そうな一言に、イーアンは困惑中。そっと、数字の部分を指差して(※まだ字が読めない)『あの。⑦ではなく、⑤の部分から私が出番のような気がしたのですが』ちょっと伴侶を見ると、灰色の瞳はキラッと光って、美しい微笑を整った顔に映し出す。
「そうだ。イーアンが言えば、あいつはバカだから確実に緩む」
ミレイオが紙を覗き込み、イーアン交渉設定の部分を指差して、不可解そうに眉を寄せる。
「ねぇ。この、イーアンが『えへっと笑う』の意味、何?『えへっ』て。この子、確かにいつもそんな感じで笑うけど。わざわざ書くこと?」
「イーアンの笑顔は、優しくて邪気がない。変態犯罪者には危険な賭けだが、俺たちが守っているし、この無害な笑顔に続けて手品を披露されたら、悩みの解決法も考えられないようなアホは、コロッと行くだろう」
悩むイーアン。邪気がない笑顔で、罠にはめるのか。それって・・・邪気がない分、タチが悪いような。自分の笑顔の役割を知ってて、笑顔を向けられない気もしてくる。答えをもらったミレイオも、困ったように、うーんと唸って首を捻っている。
「鬼畜なんだろうけど。でも、ちょっと可哀相な気がしてきた。いくら何でも、2台で60,000ワパンは。あんたこの前、『一台で50,000ワパン』って言ってなかった?もう少し上げても」
「ミレイオ。会えば分かる。あいつに同情は要らないのだ。あいつにおいては、既に『生きている』という同情を、精霊から授かっている。これ以上は贅沢なのだ」
生きていることが、精霊の同情・・・凄まじい貶し方に、ミレイオは困惑した面持ちを向ける。ドルドレンは静かに諭す。
「俺が冷たいと思うかもしれない。しかし、俺の言葉が真実だと、きっと分かってもらえる。人の裏をかくのは、あいつの汚いところ。ちょっと隙を見せればつけ上がる。絶対に同情してはいけない」
人間って複雑ねと、ミレイオは呟く。地上に来て、いろんな人間を見てきたけれど。まだ、地下の住人の方が分かりやすい気がした。
イーアンも小さく息を吐き出し、考え込む。
お父さんのみならず、馬車の家族が困っていることが心配だった。自分も、馬車の家族なのだ。宝は、こうした時にも使った方が良いような。伴侶には言えないものの、イーアンは眉を下げて、ドルドレンの作戦表を眺めた(※字は読めない)。
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