639. ミレイオとイーアンの午後の工房
簡単にお昼も終えて、すぐに取り掛かる着物作り。上着としての着物だけれど、襟や袖の雰囲気が、この世界の服と違うため、ミレイオにはとても関心があるようだった。
「これさ。中に何着るの」
「同じようなものを着ます。同じ作りで中に着こんでも楽な、薄い着物です」
「今、私が縫ってる着物。私用にしても良いかしら」
イーアンは、はい、と返事をしてすぐ、ちょっと心配が過ぎる。その表情に気づいたミレイオは『どうしたの』と訊ねた。ビルガメスが話していた、反発のことを伝えると、ミレイオは少し黙った。
「あのね。さっきから。こうして縫ってるじゃない。持ってると手がぴりぴりする」
「え。体に良くありませんでしょう」
「うーん・・・どうなんだろう。嫌ってほどじゃないのよ。ダメなのかなぁ」
イーアン心配。重鎮ビルガメス曰く、基礎的なものが違うから、反発を抑えるのは大変そうといった話だったのだ。
「この前、タンクラッドの上着を羽織ってたでしょ。あの時もね、ちょっとは思ったんだよね。何かこう、ちりちりするなぁって。ぴりぴり?ちりちり?肌がさ、少し痺れるような」
「それは。ミレイオには厳しくないのでしょうか。体や力に影響が出るような。それは困ります」
そうだけどー・・・・・ ミレイオはまた縫い始めて、着たい気持ちの方が勝っている様子。
体が痛くても。ファッション・リーダーは、こんなくらいじゃめげないのか、とイーアンは悩む。
イーアンが若い頃、ジャン=ポール・ゴル○ェさんの服が流行った。イーアンも何となく、彼の服飾品を持っていたが、それは自分で集めたわけではなく、ほぼ貰い物。ケンカが多く、服がよく破けるイーアンだった(※ざっと20年以上前)ので、周囲がお下がりをくれた(※常に憐れまれて、もらう人生)。
あの頃、夏だろうが冬だろうが、黒と銀色一辺倒のスタイリッシュ・ゴシックな服装&備品に、これがこだわりなのかと、他人事のようにセンスを感じたことを思い出す(※自分は買わない)。
ミレイオを見ていると、以前の世界なら恐らく、デザイナーとして食っていけそうな服装のセンスを、いつも感じる。
ラメやアクリル素材のない、この世界。金属や絹糸的反射で、服を作ってしまうミレイオである。一歩間違えたら、ステージの郷ひ○みさん(※古)になりかねない、キラキラ加減がこの世界で存在するのは、この人在りきなのだ。
そんなミレイオ。違う形の服や素材を見つけると、きっとそれを自分の感覚で着こなしたい。着物もまた、ミレイオに新たな刺激を与えている。
「でも。別の刺激も。実際に、皮膚に異常を与えています(※危険)」
「だってぇ。これ、私も着たいもの。皆着るんでしょ?私だけ着ないの、嫌よ。っていうか、私が着なきゃダメよ。他の人は着なくて良いくらいよ。特にタンクラッド」
「皮膚はどうなのですか。赤くなったり、湿疹が出たり。力は?出しにくいとか、効力が弱くなるとか」
「大丈夫よ。そんなのないから。力は使ってないから分かんないけど」
「どこか。誰かで試してはいかがでしょう。力に影響が出るかもしれません」
イーアンが真面目に提案するので、ミレイオは針を休めて笑う。『誰かで試すって。死んじゃうかも知れないのに』アハハと笑って首を振り、大丈夫よと頷いた。でもイーアンは気になる。
「私で試して下さい。私は龍です。きっと耐えられます」
「バカ言うんじゃないの。出来るわけないでしょ。ヒョルドくらいならやるけど(※死んでも構わない相手)」
ヒョルドの名前が出ても、さすがに、呼ぶ理由を告げることが出来ないので(※『死ぬかも知れないけど、試しにお願い』←NG)どうしたものかと悩むだけ。そんな不安そうなイーアンに、ミレイオは溜め息をついて、ちょっと頭を抱き寄せ『大丈夫だって』と言い聞かせた。
「本当にヘンなら、着ないから。魔物上着は平気だったけど、龍はきっと、全然違うのね」
でも縫おう、と微笑んで、刺青パンクはまた針を進めた。イーアンも針を取って縫いを再開し、少しの間、静かに二人は作業を続けた。
縫いながら。イーアンは、もしやと頭を上げる。ミレイオをじっと見て、祝福を受けることが出来たらと。
でも、それもどうなのか。龍の祝福をサブパメントゥの人が受けたら、それまた、具合が悪くなったりするかも知れない。これはビルガメスに訊いてみようと思い、解決策もないまま、ちくちく縫うイーアン。
「イーアン」
「はい。何でしょうか」
徐にミレイオに声を掛けられ、手を休めずに応じると、ミレイオは縫う手をそのまま、顔も縫い目を見つめるままに質問する。
「ロデュフォルデンって何か、訊いても良い?タンクラッドに訊くって話していた」
ああ、とイーアンは頷いて、卵ちゃんの話をした。ミレイオは作業しながら、時々小さく頷いて聞いていた。
「その場所が、空と同じ環境なの」
「そうだと思います。旅の始まりから知っておいた方が、道のりで通り過ぎなくて良いだろうと、ビルガメスが教えて下さいました。タンクラッドが知っていそうな雰囲気です。それで彼に相談しようと思いました」
縫うのが早く、仕事の丁寧なミレイオは、袖を二つ縫い終わって糸を切った。
「あるって言うなら、あるのね。でもそれだけが情報となると、ちょっと難しいわね」
「はい。調べようがないですが、とにかく探します。その場所が見つかれば、私は卵ちゃんたちを孵せるお手伝いが可能です」
どう孵すのかと訊かれて、食っちゃ寝でありそうだということ、それから交代にビルガメスが来ることを教えると、ミレイオは『自分も行く』と言い始めた(※そうなる)。
「確実にビルガメス、というわけではないかもです。彼が中心になるでしょうが、他の男龍も多分、私の休憩時にはいらっしゃるでしょうし」
「選り取り見取りじゃないの!行くわよ」
いや、そうではない、とイーアンが苦笑いで答えても、ミレイオは、世界の平和を守った後は、自分もそこで暮らすんだ、と計画を考える。アードキーのおうちはどうするのかとイーアンが言うと、『たまに帰る』と言われた。
「ザンディが」
「ザンディはだって。石の下だもの。来れないでしょう。魂は一緒よ」
その割り切り方はどうなんですか・・・笑ってしまうイーアン。ミレイオもちょっと笑って『ザンディは許してくれる』と言っていた。
「今日ね。ドルドレンにも話したのよ。うちに来たからザンディを紹介したの。あの子は優しいのね、泣いてくれて。私の方が、ちょっと貰い泣きしたわ。ハハハ。
で、ドルドレンにも言ったけど、ザンディが居ないことに、未だ慣れない自分がいるの。ずーっとあそこに住んでいるし、死ぬまであの家から動くこともないかな、って考えていたんだけど。最近、少し感覚が変わってきてさ。少し・・・どのくらいか分からないけど、何年か。動いても良いかなってね」
何か、転換期なのかなと思いながら、イーアンは黙って話を聴く。
「家はあるじゃない。留守にしたって、戻っては来れるもの。結界も張っちゃえば、雨風日光以外は、誰も敷地に入れないし。
・・・・・人生はこれ一回でしょ。最初はさ、あんたが心配で、一緒に行こうって思ってて。それも、踏ん切りがつかなかったんだよね。だけど、お皿ちゃんが手に入って空を飛んだり、遺跡に宝取りに行ったり、なんて続くと。やっぱり楽しいのよ、これが。
焦りもあるの。魔物を倒した時に『私もう、こんなに疲れちゃうんだ』って驚いたのよ。正直、言うと。
ザンディに会うまでは、地下も旅して、ヨライデから上がって地上も旅して。会ってすぐ結婚しちゃって、あそこの家に住んで。それも最高だったのよ、誤解しないでほしいけど。
だけど一人になったら、余計に家から離れにくくなるのよ。私、冒険って好きなのに、それが、ぴたーって止まって、彼是・・・何十年も経ったのよ。
だからね。そろそろ、体の動く間に旅に出たいかなって。これが最後になるかも知れないじゃない、年齢的に。もう、今逃したら、一生このままかと思うと。ザンディにも、土産話があった方が良いかとか、都合良いことが、頭の中に巡ってるの」
独り言のように、心の中を打ち明けるミレイオ。やんわり笑顔を作って、すらすらと話しているけれど、ずっと考えていたのかなと分かる、複雑そうな視線の動きを、イーアンは見つめていた。
「宝物。ミレイオの冒険心に火をつけて」
「ハハ、そうね。宝大好き。綺麗じゃない。出会うまでにとんでもない年月、待っていたわけでしょ?それに、技術も文明もそこ押し込まれて。感動って言葉じゃ言い表せない。久しぶりにこの前、それを感じた」
嬉しそうに話すミレイオは、イーアンを見ない。目を合わせるのが何か躊躇うように、手元を見ながら思うことを話している。ザンディから離れることに、罪悪感があるのかと思うと、イーアンは気持ちが分かる。
「何だろ。理屈じゃないよね。心よ、胸の中がそれを知ってる。そういうの、分かるでしょ?」
縫い針を動かしつつ、下を向いているミレイオの顔が笑みを浮かべる。イーアンも微笑んだ。背中の一押しが欲しい、ほんの少し。かな、と思う。ちょっと考えて、手品も見たいって言っていたミレイオへ。
イーアンは静かに立ち上がって、工房の棚に行き、この前の荷袋を少し開けて中を見た。それから戻って、お茶を淹れた。『ミレイオ。少し休憩をしましょう』お茶を出すと、ミレイオは顔を上げて微笑んだ。
「ミレイオ。迷っていますか」
「少しね。少しよ」
うん、と頷くイーアン。じっと見ていると、ミレイオの左右の色が違う瞳が見つめ返す。『どうしようねって。行く気なんだけど』そんなミレイオの横に、お茶を机に置いたイーアンは並んで座る。
「ちょっと見て下さい。ミレイオ」
一枚の硬貨を指に摘まんで見せる。ミレイオは何かの予感がして、さっと嬉しそうな目を向けた。イーアンは小さく笑って、これは何か?と訊いた。『お金。5ワパン硬貨かな』ミレイオは答える。
「そうです。たった一枚の、この硬貨。これで何が買えるでしょう」
「そうねぇ。飴とか、そんな感じ?」
可笑しそうに答えるミレイオに、イーアンもつられて笑いそうになるのを堪えて、はいと頷いた。それから『裏か表か』と次の質問。ミレイオは、表と答えた。イーアンは硬貨をはじき、天井に煌いた硬貨がイーアンの手の甲に戻った瞬間、硬貨がざっと溢れた。
「わぁ!」
イーアンの手の甲に一枚の5ワパン硬貨が落ち、それをもう片手で押さえた瞬間。八方に飛び散る様々な硬貨。それも『え、お金?古代の?』銀や金の古い硬貨が一斉に、毛皮のベッドに落ちた。
驚いて笑い出すミレイオに、イーアンも笑顔で頷く。
「最初は一枚の硬貨ですが、信じれば可能性は無限大」
低いイーアンの声に、ミレイオはわしっと抱き締めた。『素敵!!素敵よ、イーアン!何てカッコイイの』大好きよ、と頬に額にキスをしまくる刺青パンク。アハハハと笑うイーアンは、体を起こしてニッコリ笑う。
それからミレイオの首に両腕を掛けた。この展開は初めてのミレイオ。ちょっとドキッとして、目の前の女を見つめた。微笑むイーアンは呟く。
「ミレイオに追い風を」
言葉と共に両腕をすっと戻すイーアン。『あ』ミレイオの首と肩に、薄く柔らかな、美しい紫色の布がそよ風を吹かせて掛かる。繊細な刺繍が、びっしり施された素晴らしい布は、ミレイオの背中を包み、首にかかる。ゆっくりそれを触って、ミレイオは見事な古代の布に吐息を漏らした。
「綺麗」
「追い風を吹かせませんと」
目が合って微笑んだイーアンは、布の片端を掴んでひゅっと引き抜いた。ミレイオの首をさっと流れる布は風を起こし、ミレイオはニコッと笑う。『素敵過ぎる』感動する言葉が止まった。
「風が吹くと船が出ます。あなたを乗せて、世界を駆ける船が」
ミレイオは自分の膝の上に、小さな龍の形を模した金属の船が置かれているのを見つめ、息を呑んだ。そっと両手で船を持ち上げ、目の高さに掲げて、精巧な龍の船に見入る。
それから、自分を見て穏やかに笑みを湛える、くるくるした髪の女に視線を移した。イーアンはえへっと笑って『一緒に行きましょう』と最後を〆た。
「イーアン」
龍の船をイーアンの手に戻し、ミレイオは自分の顔を両手で覆った。大きく深呼吸して、感激と感動に浸る。少し驚きの涙が浮かんでくるものの、目を拭いて、横に座るイーアンを抱き寄せた。
「あんたは最高よ」
両腕にしっかり抱き締めて、素晴らしい演出だったと感動を伝える。イーアンは嬉しそうに頷いて、特に何も言わなかった。その頭にキスをして、ミレイオは頬を乗せる。『一緒に行く』決めた、と呟いた。




