631. イーアンと卵ちゃん
卵部屋。何と、ファドゥの家の建物の一室にあった。こんな近くにありましたか、と呟くイーアンに振り向くタチアナ。
「別の場所だと思いましたか」
「はい。同じ建物の中とは思わず。別に、そうした場所があるのかと想像しました」
横を歩いていたジュマタテアが、イーアンの背中をそっと押して、『今。卵を孵しています。静かに側へ行きましょう』と微笑んだ。可愛えぇ~~~ あなたも充分可愛い!と心で絶賛しながら、イーアン少し赤くなって頷く。
中庭へ続くように伸びる一本の廊下から、前に見える大きな扉。両開きの扉をそっと開けて、ジュマタテアはイーアンを先に入れる。自分も入り、続いて皆が室内に入った。室内は仕切られていて。様子を見るための部屋と、卵部屋を仕切る窓があった。
卵部屋には・・・ビックリするくらいの卵が一杯ある。そして、孵したばかりのお子たまらしき『龍』イーアンが小さな声を落とすと、ファドゥは肩を引き寄せて嬉しそうに頷く。
「そう。私たちは生まれ立ての時。龍として生まれる」
感動の一瞬だよと、囁いた。赤ちゃんは龍なんだ、と驚くイーアン。可愛い可愛い小さな龍が卵から出て、頑張ってひっくり返りながら、全身を出している。『可愛い』イーアンは笑顔で呟く。
イーアンの言葉に喜んだファドゥの手が、肩を抱く力を一層強めたので、イーアンは我に返った。ハッとして真顔に戻り、卵ちゃんたちを見つめることに集中する。
卵を孵している女性が奥に二人いて、二人とも薄着。長い布をまとう姿は、ギリシャ神話の女神のように見えた。
そして彼女たち。大変、普通である。リラックスも良いトコロ。雑誌でも見ていたら、暇なんだなくらいの印象だと思う。卵の側に寝そべって、よしよし撫でたり、一緒に眠ったり。
え・・・・・ あんな感じで良いの?イーアンは、彼女たちのダラッとした、食っちゃ寝状態を暫し信じられずに観察した。
「あれ。あの。3ヶ月、こうでしょうか」
イーアンが小声で質問すると、カーレがイーアンの後ろから『そうよ。こうして一緒に3ヶ月過ごすの』と教えてくれた。タチアナはイーアンの顔を見て『可愛いでしょ?それに生まれたら、少し一緒に遊んだりします』と笑顔で赤ちゃんを指差した。
あの赤ちゃんは、この後は違う部屋へ移ると聞いて、イーアンはここまでが仕事(※卵孵す業務)かと理解した。
「イーアン。イーアンがああして私の卵を孵したら、きっとイーアンに似て、可愛いと思う」
上から降ってきた銀色の彼の嬉しそうな響きを持つ言葉に、ちっちゃく頷いて、ごくっと唾を飲むイーアン。
あまり想像してはいけないが・・・彼はズィーリーの息子さん。赤の他人っちゃそうだけれど、でも、彼曰く『お母さんに卵孵してほしい』願望があるのは、絶妙に微妙で複雑である。出来れば、精神的な健康のため、他の女性にお任せしたい。
「私の卵も孵せると良いのだが。こうして一緒に卵があるから、イーアンに近い場所に置いてもらえば」
クィーレも笑顔でイーアンの顔を覗き込む。イケメンなので、見ないことにした。
そう。彼らは私の何其に用ではなく(※見た目じゃないことは確か)女龍の力を求めている。これぞ業務だ、と業務意識を高めるイーアン。
「ふむ。そうですか。私が女龍であるがゆえ、あなた方のお役に立つという」
そうです、と皆が頷く。素晴らしい業務感だと感心するイーアン。仕事なら引き受けるか、と思えるもので、これについては考えると答えた。
帰ろうとしてイーアンが扉に顔を向けると、中の女性が気にしていたようで、ちょっと手を動かして合図した。ジュマタテアがイーアンの腕に手を添え、『呼んでいるの。一緒に中へ入っても良いですか』と訊いた。
え。それ、消毒要らないのか。赤ちゃんたちに、私のばっちい空気(※地上)が付いたら危険では。
それをやんわり言うと、ファドゥは微笑んで『心配要らない』と、でこにちゅーっとした。イーアンは目が据わる。もう、ここのファドゥはすっかり父親気分だろうと察すると、マズイ方向に来ていると理解する(※眉間にシワが寄るイーアン)。
少し目が死んでいる状態でジュマタテアに促され、イーアンはげんなりしながら、卵ちゃんたちのお部屋へ入る。
入ると。雰囲気が和んだ。不思議にも、柔らかく温かな気持ちに変わる。これが卵ちゃんたちのエネルギーなのかと少し驚いた。赤ちゃんは純粋である。
寝そべる女性に手招きされて、イーアンはそっと近くへ行く。ジュマタテアも一緒で、見れば、フラカラとタチアナとカーレもいた。
カーレはイーアンを紹介し、寝そべる二人の女性は、茶色の髪の女性をフィヌテ、淡い金髪の女性をコンスティートィと紹介した。
「あなたは女龍。そうでしたか。見慣れないし、龍気が強いので、どなたかと思いました」
コンスティートィは囁いて、微笑む。イーアン自己紹介。『私は女龍ですが、最近の話です。イヌァエル・テレンも数えるほどしか来ていません。今後も宜しくお願いします』そう挨拶すると、横のフィヌテもニコッと笑い『イーアン。話だけは。どうぞあなたもここで卵を孵して下さい』と。
何も答えず。ただ笑顔で返すイーアン。フラカラが横に来て、イーアンを座らせた。そしてイーアンの片腕をそっと掴んで、近くの卵に寄せる。イーアンがフラカラを見ると、彼女はニコリと笑い『撫でてあげて』と言う。
イーアンも頷いて、大きな卵ちゃんをゆっくり撫でた。卵ちゃんは冷たくはなく、意外に温かだった。そーっと撫でて卵ちゃんに顔を寄せ『とても可愛いです。大きくおなり』と笑みを浮かべてメッセージを贈る。
それを見ていた女性たちは顔を見合わせ、さっと別室の男性を見た。彼らもこっちを見ていて、少し笑っている。
フラカラは急いでイーアンに『ここの卵。皆に、そうして声をかけてもらっても良いかしら』とお願いした。イーアンはフラカラの頼みは断らない。うん、と力強く頷いて『勿論です』と答えた。
100近い、卵ちゃんたち。踏まないように気をつけて、卵一つずつにイーアンはメッセージを伝えた。
『早く大きくなって、顔を見せてね』『大きく強くなるんですよ』『可愛い素敵な龍に会えますように』『強い逞しい子になりますよ』『元気一杯で明るい子ね』全ての卵ちゃんに想いを籠めて、イーアンは一言ずつ声をかけ、ゆっくり撫でては微笑んだ。
よしよし撫でては、イーアンはおばあちゃんの気持ちで卵ちゃんを練り歩く。そして、先ほど生まれた龍の赤ちゃんと対面した。さっと前を見ると、ファドゥが笑顔で頷いた。
イーアンは赤ちゃん龍に手を伸ばし、撫でようとした。赤ちゃんはイーアンを見つめて、小さな体で近寄り、頑張ってイーアンの膝によじ登った。
うきゃーーーっ!!可愛い~~~!!! イーアンは急いで抱っこして頬ずりし、『何て可愛いの。頑張り屋さんで、あなたは良い子ですよ。きっと、とても強く逞しく、素晴らしい龍になります』そう言って、赤ちゃん龍にちゅーっとした。
はー可愛い。あー可愛い。イイコイイコとナデナデして、小さな赤ちゃん龍をちゅーちゅーしながら頬ずりし、ハッと気が付いて周囲を見回すと、皆さんが微笑ましい目で見ていた。赤ちゃん龍も、えへっと笑って、イーアンに頭を擦り付けている。
可愛い赤ちゃんを抱っこしたまま、イーアンは女性たちの元へ戻り、赤ちゃんを預けた。赤ちゃん龍はイーアンを見て、またそっちへ行こうと頑張っていた。可愛いなぁと思うイーアン。頭を撫でて『元気に大きくなります』とお祈りした。赤ちゃんは、うん、と頷く。
赤ちゃんに名残惜しいものの、イーアンは立ち上がる。そして二人の女性にさよならと挨拶をし、部屋を出た。
戻ると、ファドゥの満面の笑みと広げた両腕に迎えられ、それはどうなの、とイーアンは咳払いした。そんなもの何の効力もなく、銀色の彼はぎゅーっとイーアンを抱き締めた。
「イーアン。有難う。とっても嬉しかった」
「いいえ。卵ちゃんたちに挨拶しただけです。赤ちゃんも可愛いですね」
「うん。私の卵から孵った赤ちゃんだよ。イーアンは、母と同じように、あの子にも口合わせをしたね」
ぴたっと止まるイーアン。そうだったのか・・・あの子はファドゥの卵ちゃんから孵ったのか。お母さんと自分を重ねたのだろうと思うイーアン。ゆっくり体を起こして、ファドゥに微笑む。
「そうでしたか。きっとあの子も、あなたのように立派な子になります。ファドゥの赤ちゃんです」
イーアンがそう言うと、銀色の彼は感無量のように、涙をうっすら浮かべて静かに頷き『生きていて良かった』と呟き、もう一度イーアンを抱き締めた。
何百年。彼はずっと。いつも思うことだが、それは凄まじい年月。イーアンが想像がつかないほどの年月を、ひたすら、たった一つの想いを叶える為に生きていた。それは大変なことだと、理解しているイーアンは、ファドゥの役にも立てるように頑張る。そう決める。
「精霊に相談しましょう。どこまで叶うか分からないにしても、未来を変えるのです」
よしっと力強く頷いたイーアン。決心して、ビルガメスにこのことも話そうと思った。
それから、8人は卵部屋を出て、廊下を戻る。イーアンはそろそろ行くことを伝え、ファドゥに惜しまれ、フラカラにも惜しまれ、有難い気持ちで翼を広げた。
「また来ます。今日は貴重なお話が出来て嬉しかったです。卵部屋の体験も大きく響きました」
近いうちにお会いしましょう、と言い、翼を宙に打つ。皆さんに見送られて、イーアンは男龍の地域へ向かう。時間が何時か分からない分、少し急ぎで空を飛んだ。
その姿を見送る銀色の彼は。イーアンが母と被る気持ちが少しずつ薄らいでいた。それよりも、自分と一緒にいる人なら良いのに、と思いながら、見えなくなった空を見つめていた。
フラカラも、そんなファドゥを見ていた。イーアンのように龍になれたら。ファドゥは自分を見てくれるのか。そんなことを少し思い、小さな溜め息をついて、その場を離れた。
イーアンが教えてくれたら、自分も女龍に成れるかも知れない期待。ファドゥは女龍のお母さんを思い続けて生きている。イーアンは中間の地に愛する相手がいる。自分が女龍に、もしくはそれに近い存在になれれば。
フラカラは、銀色のファドゥの心、その一番側に居たかった。それを叶える為に、女龍にどうしてもなりたい。それがフラカラの、龍を目指し続ける理由だった。
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