626. ダク・ケパの町・サムドゥラ・デーヴ換金所
女性から薬と水を受け取り、ミレイオはその薬をちょっと見てから、イーアンの口に入れる。水を持たせて、自分で飲ませた。ミレイオが見て、その薬はティヤー近辺で、常備薬の類で家にあるものだったので、大丈夫と判断して。
「海神の女。ティヤーの海の」
イーアンが小さな声で女性に言うと、年寄りの女性は、対角線の長椅子に座って『見たことあるでしょ』と返した。それからタンクラッドに向かって『質屋はないのよ。引取りならうちの人がやってるけど』と教える。
「うちの人は今。昼に入った船を見に行ってるから。帰って来るまで・・・もう30分くらいかね。そのくらいで戻るかしら。
でも、引き取りだけよ。また戻そうとしても、すぐに競り市で流すから戻せない。それで良いならね、まぁ」
「構わない。必要な額が手に入れば良いだけだ。交渉で満たねば他所へ行くだけだし、満ちれば品はそちらのものだ」
あ、そう。女性は頷いて、横に立つ男性に『お父さん、一応、声かけておいて。多分、今日は3番にいるから』と命じ、男性はよくあることのように、すんなり頷いて出て行った。
「旅してるの?その人は海神の女みたいに見える。どこから来たの」
「それぞれ、出発も出会いも異なる。一緒に動いているが、詮索しないんだ」
「あっさりしてるわねぇ。昔は、人の絆が命の絆、って言葉もあったのに」
年寄りの女性は、無表情のタンクラッドに躾けるように眉を寄せた。親方、無表情を通す。それから再びイーアンに話しかけた。
「長いこと、いろんな国の人を見たけどね。あんたみたいな顔つきは初めてだ。目立つだろう、顔。ティヤーに来たら、皆に『海神の女』って言われそうだけど。船でも訊かれたでしょ?」
おばあちゃんの、ざっくり言う言葉にイーアンは苦笑いして頷いた。『はい。変わった顔だと、各地で。慣れました』ティヤーは来たばかり、と付け加えると、おばあちゃんは少し笑みを浮かべた。
「ティヤーのね。海に近い連中は、そんなにあんたに難しくないと思うわよ。海沿いの連中は、海神の女は守り神だと思ってるから。陸の連中は、煩いかも知れないけど」
煩いって?ミレイオが聞き返すと、おばあちゃんは、イーアンをちらっと見て『捕まるかも』と不穏な一言を漏らす。
「何だって?捕まる?そんな理由あるのか」
「だって。こんだけ似てたら、捕まえて献上しそうよ。海神の女の神殿があるんだから」
そんなのあった?ミレイオが目でタンクラッドに訊ねる。タンクラッドも少しだけ首を傾げて、知らん、と声に出さずに返す。
イーアンは困る。なぜ、顔が原因で、神殿に献上されるのか。顔って。素性はどうでも良いのだろうかと思うと、そのちゃらんぽらん加減に困る。
万が一、神殿に献上したのは変態です、ってなったらどうするんだろう。献上したけど犯罪者だった、とか。顔だけで、神殿に繋がるのも違うような・・・判断が極端である。
3人が黙ったので、おばあちゃんは少し、ティヤーのことを教えてくれる。
「ここ2年は、隣のハイザンジェルで魔物が酷いから、ティヤーにも魔物が来る心配もあるし。
陸の町で、神殿も大きく改築して、海神の女・・・ウィハニっていうのよ。『ウィハニの女』ね、ティヤーの呼び名は。ヨライデやテイワグナはまた、違うだろうけど。そう、その神殿にさ。いろいろと、ウィハニの女の関連を集めて、ご加護を祈るようになったのよ。
競り市でも、海神の女に纏わる品物は、早く買い上げられるの。最近って、そうね。1年位前からよ、値も良いんだけど。神官が税金で買うって聞いてから、嫌んなるわよ」
年間で売れても、年末に取られる・・・ぼやく家庭事情。おばあちゃんの家も、羽振りが良さそうではない。
そう思ったイーアンは、おばあちゃんに『税金が高くなると、お店も、おうちの維持も大変ですね』と庶民の悩みに答えた。
「そうよ。店は、昔っからここだから、良いけど。土地もうちが買い上げてもう何十年だし。
家よ、税金で困るの。上がったところに、うちはあるんだけど。息子も結婚するって言うから、家の敷地を広げたらさ。固定資産税が高くてビックリしたよ。全く困っちゃうよ」
「んまー。それは気の毒。固定資産税じゃ、動かすに動かせません。その上の住居群ですよね?見晴らしの良さそうな」
「そう。あそこのさ。見た?ここの裏手のね。道から右の3列目で、数えて5軒目の場所(※自宅の場所を、他人に明かすおばあちゃん)なんだけど。屋根に黄色の煉瓦が入ってる家よ(※言わなくても良い)。
うちの横はもう、宿泊施設なの。一等地よ、一等地。後から宿泊施設が出来たのに、結局、並びだからさー。税金が一緒なわけよ、うちも商売しているし」
「あら。それは迷惑ですねぇ。施設と同じ立地で取られたら、個人には厳しい」
大変に個人的な話題になってきて、同情するイーアンは、おばあちゃんと話し続ける。親方とミレイオは黙ってそれを聞き続ける。
イーアンは庶民的・・・何でこう、あっさり赤の他人と仲良くなるのか。親方は、イーアンが市場で人慣れしているのを思い出す。ミレイオは、イーアンの角を隠しつつ。その顔を見て、変わった顔と言われた割りには、相手が馴染むのが早い気がした。この子はそういう雰囲気なのかな、と思う。
おばあちゃんとイーアンが仲良く世間話をしていると、息子が帰ってきたらしく、店の方で人の話し声がした。タンクラッドが通路側に顔を向け、他の者も同じように通路を見た。すぐに息子と一緒に、おばあちゃんと同じくらいの年の男性が入ってきて、居合わせる3人を見て立ち止まる。
「んん?おや?お前さん。お前さん、覚えているぞ。嵐の日に・・・もう何十年か前、うちに来ただろ」
「おお。覚えていたとは。何という記憶力。主人よ、有難い。そうだ。あの嵐の日に来たのは、この俺だ。再びここを頼ることになった」
おばあちゃんと息子はビックリする。『えっ、あんた』『そうだったんですか』当たり前の台詞しか出ない二人の身内に、お祖父ちゃんも頷く。
「この人だ。ヨライデからあの、うちの家宝持って来たのは」
何それ、とミレイオが呟いて、タンクラッドを怪訝そうに見る。『ちょっと。人の国から、何持ってったの』ぼやいてみるが、親方は無視。少し機嫌良さそうに、親方はニコッと笑った。
「そうか。主人の家宝になったか。何よりだ。俺もあの時、あんたが買ってくれて助かった。目の良い正直な人間に感謝して、その後の旅を続けたものだ」
「また会うとはね。何があるか分からないねぇ。今日、そうか、あんたはまた、私に買ってもらいたいものがあるのか」
いいよ、と笑顔でおじいちゃんはタンクラッドの向かいに座った。息子も横に座らせて、『これは私の息子。あんたが来た時は、まだ小さかったから』と背中を叩いて、『それに真夜中だったしね』そう言って笑った。
「最初に俺の欲しい額を言う。それでも良いか。見合わないなら他所へ行く」
「懐かしいね。あんた、あの夜もそう言ったんだ。何て強気な男だろうって思ったんだよ」
ハハハと笑う、年寄りの男性は、顎に伸ばした白い髭を撫でて、大きく頷いた。賢く人の良さそうな誠実な目つきに、ミレイオもイーアンも彼は信用できると思えた。そして、親方は若い頃からエラそうであると、イーアンは知った。
タンクラッドはイーアンに、必要額をそっと聞く。イーアンはちょっと考えて、ミレイオに宝石の値段を大体教えてもらい、欠けがなければ、10粒・300,000ワパンはイケると知った。それを言うと、タンクラッドは頷いて『俺が欲しい額は300,000ワパン。さて、見てくれ』と家族に短く伝え、イーアンに手を伸ばす。
驚く家族の見つめる中で、イーアンは小さな袋から、状態の良い宝石を丁寧に取り出し、それを10粒親方に渡した。親方が主人に見せると、彼はすっと目を細めて一つ手に取り、『これはまた年代モノを』と呟く。
「これ。色が違うが、しかし年代が全て一緒だな。遺跡の」
「そんなところだ。かなり古い遺跡のものだ」
「一粒で30,000ワパン。うーん。難しいな」
何が難しい、とミレイオが訊くと、おじいちゃんは『出所がね。確認出来れば、それなりに値打ちも付くけれど』と答えた。
「あ、そう。そういうことなら。もし後100,000ワパン追加してくれるなら、これも付けたげるわよ。これで年代もお揃いでしょ」
フフンと笑ったミレイオは、自分の腰袋から宝飾の首飾りを出す。鎖の部分全てに、色の異なる石が左右対に嵌り、中心には彫金細工に包まれた宝石が入っていた。その宝石は、イーアンの出した宝石と同じ加工で、同じ出所と見て分かる。
おじいちゃんもおばあちゃんも、目つきが変わった。『これ、これは神具の首飾りだろう。古代だ、ウィハニの最初の』おじいちゃんの動悸息切れが、危険な状態になってきたので、息子はせっせと背中を擦る。
「どうだ。400,000ワパン。出せるか?」
「これなら完璧だ。一揃えで出せば、同じ場所のものと誰が見ても分かる。この時代のものは、本当に数少なくなったから」
「よし。話はついたな。では交換だ」
黒い目を親方に向けたお祖父ちゃんは、力強く頷いてから、おばあちゃんと息子に触らないように厳しく言って、さっと棚の奥に消えた。それから素早く戻ってきて(※身内信用してない)箱に詰めた400,000ワパンを見せた。
「数えてくれ。確認だ。これは私の個人の取引にするから、紙は切らないよ」
「それは俺の知ったことではない。俺は換金出来れば良いだけだ。そして、詮索は嫌いだ。誰に聞かれても答えられんぞ」
「分かってるよ。でもまた、こんなの見つけたら。最初に私の所に見せに来てくれ。こんなの持ってくる人、なかなか会えない」
次回は何十年と開かないように、私が生きているうちにと、主人は白い髭を揺らして笑った。親方も、笑みを浮かべたまま首を振って『俺だって、いい年になっちまった。次があるなら早めにするよ』と答え、金の入った箱を荷袋に入れた。
お金をこんなに早く手に入れられるなんて、とイーアンは驚いていた。大金なのに、凄いなと思う。でも引取り所だから、いつでもそれなりにお金を持っているのかも知れない。そして、横にいる親方にも尊敬の眼差しを送る。頼もしい~・・・・・ つい、拝みたくなるが、ミレイオに頭を支えられているので、体勢そのまま。
とにかく。『腹は?』と親方に訊ねられて、治ったと答えたイーアン。この後、3人は立ち去る挨拶を告げる。
おじいちゃんは3人を通路から店へ戻し、店を出る前に『良い物が見れた』と笑顔をくれた。それからイーアンの顔を見て、少し目を留めてから『あんたのことも忘れないな』と呟く。横のミレイオにも目を動かし、『うん。あんたも絶対に忘れようがない』吹き出すように笑った。
「その笑い方。どういう意味よ」
「怒るな、ミレイオ」
失礼しちゃうわ!機嫌を悪くするパンクに、タンクラッドが笑って肩を叩く。主人は咳払いしてイーアンに戻り、その顔を見つめる。『これも何かの前触れなのか』静かな店に響く言葉。
「気をつけなさい。あんたはもしかすると、この先の町・・・陸を進むなら、金に目が眩む者には、そう見えるかもしれない。私の知り合いには、注意しておくけれど。船から離れる時は気をつけて」
不安そうな目つきに変わるイーアンに、主人は店の机の引き出しから、一枚の革の切れ端を渡した。『これをあげるから。お守りに』イーアンが受け取った革の切れ端は、何か焼き印が押されていて、それは文字と絵だった。
「これは。龍の絵ですか」
「そう。ウィハニの女と一緒にいる龍。昔ね、この龍が女だった話があってね。それはウィハニよりも古いんだけれど。私の仲間内でお守りにしてるから」
イーアンは微笑んで、おじいちゃんにお礼を言って頭を下げた。イーアンの角は、ミレイオがずっと手を乗せているので(※不自然だけど)角だけは見えずに済んだ。
「何か。ティヤーの人間で怖い目に遭ったら。このお守りを持って頑張るんだ。道が開けるように祈るよ」
「主人に感謝しよう。覚えていてくれたこと。そして新しい旅の無事を祈ってくれたことに」
イーアンにお守りをくれた主人の配慮に、タンクラッドは嬉しく思う。自分からもお礼を伝えると、背の高いタンクラッドを見上げて、主人はニコッと笑った。
「あんたは、また会えそうだな。長生きすると楽しい。この人は、あんたの奥さんか。よく似合っているよ。同じ、変わった服を着て、仲も良さそうだ。大事にしてやりなさい」
タンクラッドは目を見開いて、嬉しそうに笑顔を向けた。イーアンは笑顔が真顔に戻る。ミレイオが『違うって!違うって言いなさい』と、後ろから小声で厳しく命じた。
「勿論だ。一生、大事な妻だ。じゃあな」
タンクラッドはニコーっと笑い(※超ご機嫌)イーアンの肩を引き寄せて歩き始めた。『違うって言いなさいっ』小声で命令をするミレイオに、イーアンも従いたかったが。
思うに、もう今後会わないおじいちゃんの、笑顔を崩すのも悪いような気がして、イーアンは悲しい顔を、見送る主人に向け、そっと首を振るだけで終えた(※『私はただの弟子』メッセージを送る)。
きっとおじいちゃんは、何十年ぶりに会った来客の人生も、祝って送り出したかっただけ。その場は笑って過ごすものかな、とイーアンは思う。
店を出てすぐ、『イーアン。私に龍の皮の上着、最速で必須よ』睨みつけるようにミレイオが命じた。明日空に行ったら、絶対に龍の皮をもらって来い!と凄んだ。そんなパンクを、余裕な流し目で見て『要らんだろう』機嫌の良い親方は、晴れ晴れした笑顔で遮る。
「良いじゃないか。次に会う時も気楽だ」
「何が気楽よ。横恋慕の人生のくせに」
「そういうことを言って水を差すなっ 人が浸ってるのに」
迷惑よ、迷惑!ミレイオは叱り飛ばして、『ドルドレンに言いつけるからねっ』とタンクラッドを睨んだ。
「言いつけても構わんぞ。イーアンは否定しなかった」
うへ~~~ そうじゃない~~~ 親方のイケメン微笑を向けられ、イーアンは寂しそうに首を振った。
『おじいちゃん。もう二度と会わないかもしれないのに、小さなことで笑顔を傷つけたくなくて』心の内を伝えると、親方は一瞬、眉を寄せ『あの主人を気遣って、とは。小さなこととは何だ!嫌な言い訳だぞ。恥ずかしいとはいえ、怪しからん』・・・言い訳したと思われた。
周囲に人のいない上り坂を歩く3人は、高台の草原へ向かう。親方は咳払い。
「それにな。あの主人の店の名前。もしかして覚えておくと、本当に役立つかも知れんぞ」
何かと思ったミレイオとイーアンが親方を見ると、タンクラッドはイーアンに、革のお守りを見せるように言った。覗き込んだミレイオも、焼印の文字を読んで『んん?』と目を細め、親方をちらっと見た。
「これ。あんた読めるの?サムドゥラ・デーヴって、昔の言葉じゃない?」
「そうだ。イーアンは知るわけないな。ティヤーの昔の公用語で、それは『海の神』だ。
この『海の神』、ティヤーの港町では、暗号みたいな使われ方をするんだ。それは一度、経験済みでな。そこの入り江を使う連中は元々、賊上がりだと聞いたことがある」
ミレイオはハッとした顔を向ける。タンクラッドもその目に頷く。『知ってるわ。知ってるわよ、ここじゃないけど』そう言ったミレイオは後ろを振り向いて、入り江を少し見つめ、入り江を挟んだ両岸の左を指差す。
「あっちなら、私。船で降りたことがあるかも。ここは知らないと思ったけれど・・・以前、もっと小さくなかった?この町」
「かもしれない。俺もちゃんと覚えていないんだ。座礁した船から、どうにか命拾いで上がってきて。
本当は、向こう側の入り江に入る船だったのに、あの日はこっちの方が近かったから、このダク・ケパの海岸に来た。
どうも今見れば、地続きだ。住居群並びから、細く道が伸びて、左の入り江に続いているようだし。
まぁとにかく。このダク・ケパも、古い公用語では『盗賊岬』だ。サムドゥラ・デーヴのお守りは、本当にお守りかも知れんぞ。主人が言ったように、ティヤーの人間相手ならな」
「そういう・・・こと。そうね。あっちの入り江で、聞いたことがある。海賊の町だって。でも漁船も商船も皆、そうは見えないのよ。だけど彼らは貿易も手広くて・・・ここが本拠地だったのね」
「今だって、普通の港町にしか見えないぞ。これ見よがしにじゃないんだろ」
二人の話を聞きながら、間を歩くイーアンは、小さな革の切れ端を見た。焼印を押されただけの、普通の革。この焼印に意味があるのかと思えば。
「やっぱり。タンクラッドの無事を祈って下さったのです。あのおじいちゃんは。だから、これを」
「そうかもな。俺にまた会うと思わなかっただろうし。突然来た上に、宝を持ち込んで。海神の女とよく似た女連れで。それも同じ上着を着ているんだから、妻だと思ったな。
俺の無事を祈ることが、お前の無事を祈ることでもあったのか。それで良いけど」
また機嫌が良くなった親方は、満面の笑みでイーアンの肩を抱き寄せる。『腹も痛くないし』と魔物に打ち勝った自分の肉体も、思い出し序に誉めていた。
上機嫌親方に、即、反応するミレイオが攻撃してくれるため、妻否定はミレイオにお任せして。
イーアンは革の切れ端を腰袋に戻し、機嫌の良い親方が、自分の背中に添えた手をそのまま、遠ざかる海賊の町を度々振り返りながら、上り坂を歩いた(※自力じゃないから、上がるのが楽)。
イーアンの勘では。あのおじいちゃんは賊頭のような、何となくそんな気がしていた。




