610. 香炉の記憶
「船、船です。あれが正しく」
「お前の話していた、『はこぶね』か?箱みたいだが・・・あれがイヌァエル・テレンの船」
天井を見上げて声を出すと、息で煙が揺れるので、二人は慌てて口を押さえて小声で話し合う。『動いています』『どこだ?海か』煙の中に現れた、映像のような船を凝視しながら、その動きと背景を探る。
船はイーアンが思っていたような方船の形。大きさの比較は周囲にない。それは動きを持ち、上下している。しかし、色付き映像ではなく、煙の一部が使われている様子のため、その上下する船の下に、波があるのか、それとも空気があるのか、分からない。
「いつから出ていたんだ」
「分かりません。あなたを見て話していたから」
「俺を見て話すのは重要だ。この先もそうしろ。だが、こうした情報にも目ざとくあれ」
「親方だって、見てなかったでしょう」
「お前を見つめていた。きちんと話を聴いていたんだ」
「私は話ながら、周囲にも気を配れ、と。無茶言わないで下さい」
「これ、どうするんだ。お前は帰っちゃダメだぞ。いつまでこれが見れるか分からん。二人で情報を得なければな」
ええ~~~!!困るイーアンは、急いで腰袋から伴侶の珠を出す。それを見てタンクラッドは『どうする気だ』と訊ねる。
『ドルドレンに連絡します。帰りが遅くなると心配するから、もしかしたら彼は来るかも』イーアンの返事に、タンクラッドは、来なくて良いと言いかけたが、イーアンは既に交信中。
仕方なし。自分に出来ることは、天井に映し出された、煙の映像を見て記憶するのみ。
これは。一体いつのどこなんだ。始祖の龍とか言っていた、その時代か。
動いている。波のような動きではない。似ているが、速度が出ていそうな船は、背景にそぐなわない。上下する舳先。船体の動きと舳先の揺れは、周囲の遠のく様子とずれている。これは恐らく、宙だ。船は宙を進んでいる。
「タンクラッド。ドルドレンが来ます」
「来なくて良いって」
「何てことを言うのですか。彼は業務が終わったから来るのです。わざわざ私を迎えに」
「お前はっ 俺の前でそういうことを言うな、と言っただろ!」
「タンクラッド、怒鳴ってはいけません。煙が揺れます」
ぐっ・・・黙るタンクラッド。口を押さえて煙を睨む。イーアンは、余計かなと思いつつ。そっと親方に『ドルドレンはあなたが好きですって』と囁いておいた。タンクラッドはちょっと固まった。好きって言われたら、冷たく出来ないだろう(※基本、優しい)・・・・・
困る剣職人は顔に出る。イーアンはその反応を見て、うん、と頷いた。『良いのです。タンクラッドもドルドレンが好きなのは知っています。そうじゃなきゃ』ニコッと笑うイーアンに、不審げに目を向ける親方。
「お前。かなり勘違いしてるぞ」
「していません。良いのです。好き合っているとは、大事なことです。勿論、他の女性ではまずいですが、ドルドレンがタンクラッドと好き合っている分には、全く問題ないです。寧ろ素晴らしい」
好き合ってる?と眉を寄せて言いかけると、イーアンが天井を指差す。さっと天井を見上げ、タンクラッドも息を呑んだ。
人が降りている。大きな船から舷梯をおろしている。何人かは、あれはお皿ちゃんか、と分かる板に乗って降りた。彼らの顔の向く先には、大きな龍の顔が現れた。
「始祖の。龍です、彼女がそうです」
低く呟かれたイーアンの声。目の前に見えた、煙で模られた始祖の龍は人の姿に変わり、タンクラッドも思わず声が漏れた。
「お前じゃないか。お前だ。龍の姿も、人の姿も。お前そのもの」
目だけ動かしてイーアンを見ると、イーアンも自分を見ていた。だがその目は、何かを知っていたように鋭かった(※垂れてるけど)。
「彼女です。始祖の龍。彼女に近い人を、いつでも見つけてきたのでしょう。今回は私です」
理由など分からない。知ったところで、何があるわけでもないかも知れない。
イーアンは、感覚で理解していた。始祖の龍の存在を、ビルガメスに聞いた時。真っ先に思い浮かんだのは、パッカルハンの遺跡の女性像だった。以前シャンガマックは、あの遺跡の写し紙の文字を読んで、ヨライデ以前の国だと話していた。ヨライデの国の名は、ズィーリーの時代には登場している。
つまり、あのパッカルハン遺跡の女性像は、ズィーリーではないのだ。となれば、ズィーリー以前の誰か。それも巨大な龍と、誰か・・・もしくは、一人の人の、異なる二つの姿かと思った。それこそ、始祖の龍。この龍も、外から連れて来られた、とファドゥは話していたのだ。
「繰り返すのです。しかし勝敗は、その手の内ではない。今回が、私が思うに3度目。何が何でも勝たねば」
イーアンは煙に浮かぶ、自分そっくりの女龍と、彼女が迎えた船から降りた人々を見つめる。そして、睨みつけるように『待っていろ。お前を倒す』と呟いた。それは、このドラマの向こうに常にいた、魔物の王への、イーアンの宣戦布告。
タンクラッドは、真横でそれを呟く静かな女龍の気迫に、興奮でどうにかなりそうだった。
この世のものではない力を手に入れた、知り合いの女が。自分が一番好きになった女が、無敵の剣の如く、その運命を命綱無しで、荒れる世界に委ねている。そんな女が横にいる。
この力強い特別な女と、自分が一緒の時代に生きている。これだけでも、タンクラッドに武者震いを起こすに充分だった。俺はこの女と共に生きようと、ゾクゾクする気持ちを、満遍なく味わった。
鳶色の瞳は真っ直ぐに、煙の見せる、嘗ての世界の一場面を捉える。
自分に殆ど似る誰かが、この世界にいた。その彼女は、船やお皿ちゃんを作って、自分を慕う人々を空に迎え入れていたのだ。この場面は、平和を取り戻した後だろうか。始祖の龍も人々も笑顔で・・・・・
タンクラッドは、イーアンと交互に煙の映像を見つめ、イーアンは煙の中の遥かな過去を見つめ続けた。ふと、イーアンは『ん』と目を細める。その反応に、親方は振り向いて『どうした』と訊ねる。イーアンは、龍の女性と話す人々の一人を指差して、『あれは』と親方にも教える。
「あれが勇者じゃないのか?俺もそうだと思っていたが。でも彼は・・・ちょっと。顔つきが違うな、人とは」
「そうですね。彼が地下の住人との関わりある、初代の勇者かも。でも、私が気になっているのは、彼ではなく、その横の方です。彼の奥に立つ、背の高い方」
「ん・・・? え? えっ?」
タンクラッドは思わず、腰が浮いた。イーアンも親方をちらっと見て、頷く。『そうですよね。多分』小さな声で、自分の言いたいことをタンクラッドに回す。
「あれ、あれ。おい、待てよ。本当かよ。あの剣は俺の、時の剣だぞ」
「タンクラッドもだったのですね」
イーアンは煙の中の、談笑する人々を見た。勇者と思しき、人と少し違う顔つきの、強者の笑顔の奥。大きな剣を背負う、笑みを湛える男は、タンクラッドその人。年齢は、今の親方よりもう少し上の雰囲気。
親方は、腰を浮かせたまま、食い入るようにその男を見つめる。目を見開いて、口に当てた手の下で、呼吸が荒くなっている。
「俺だ。俺じゃないか」
「そう、見えます。あなたにしか見えなかったのです。剣もある」
「お前と、俺と、総長・・・・・ 他の人間は?彼らに今の誰かと似ているヤツは」
「この中には、いませんように思えます。もしかすると、今後どこかでお会いするのかも知れませんが」
「イーアン。総長はまだか」
タンクラッドが振り向いて、イーアンに訊ね、窓の外を見る。龍の影はない。イーアンも窓を見て首を振る。
「私が証人ですから大丈夫です。今しか、この煙の奇跡を見ることがなかったとしても、私はあなたがいた、と知りました。事実は5つです。きっと、この奇跡の映像は事実だったのです。
船はあった。それが一つめ。船は本当に空へ飛んだ。これが二つめ。
始祖の龍に似た、ズィーリーと私が呼ばれていたのが、三つめ。
勇者は地下の住人の影響を受けている、これは四つめ。
そして、時の剣は、この時代からあなたのものでした。五つめの事実です」
イーアンの言葉に、タンクラッドは背を屈め、その目を覗き込んだ。『もう一つあるぞ』親方の目が、同じ色の瞳を見つめた。
「この時から、俺はお前が好きだったんだ」
ニコッと笑って、イーアンの頭にキスをした。イーアンはちょっと笑って、『空を追い出されてしまいましたが』と冗談を付け加えた。少し恥ずかしかった。
親方も首を振って笑う。『本当だな。とんでもないことしやがった、あの勇者』と、イーアンの髪を撫でたまま、煙を見上げる。イーアンも煙を見上げ、この不思議な時間が与えられた意味を考えた。
「俺はどこかで、根に持っているのかもしれない。総長に」
ハハハと下を向いて笑う親方は、窓の外に降りた龍に気が付いた。イーアンも気が付いている。
扉をそっと開けて、空気で煙が乱れないように注意し、暗くなる部屋に総長を招いた。『空気を動かさないように、入れ』と小声で言われ、ドルドレンは何事かと緊張して、そっと中へ入る。
「イーアン。どうした・・・あっ」
ドルドレンも煙を見た。天井には、大きな映像が、煙によって立体に映し出されている。『これは』呟いたドルドレンの口を、タンクラッドが大きな手を当てて塞ぐ。『息で煙が乱れる』耳元で囁くと、ドルドレンはちょっと赤くなって頷いた。イーアンもちょっと、その光景にポッとしていた(※良いもの見た)。
それから、親方は談笑する人々の場面を指差し、ドルドレンに自分たちが話していた人物を紹介した。灰色の瞳を釘付けにした場面は、始祖の龍がイーアンそっくりであること。そしてすぐ、勇者よりも早くドルドレンが気が付いて振り向いたのは、タンクラッドがそこにいることだった。
「タンクラッド。お前がいる。お前だ、あそこにいるのは」
「そうだな。俺も驚いた。その手前にいるのが恐らく、お前の先祖となった男だ。顔つきが、地下の住人の影響でも受けているのか、風変わりだ。しかし・・・こうして横から見ると。お前も似ているな」
「あれが・・・・・ 俺の。俺たちの。それで、最初の勇者」
ドルドレンの顔を四六時中、様々な角度から観察しているイーアンも、親方の言葉は納得する。
横から見た時の伴侶と、初代勇者らしき人は、額から鼻筋、角度も唇の形も、顎の線も似ている。
伴侶の鼻は、額からほぼ段差がなく、真っ直ぐに伸びる。初代の人もそっくりそのまま。正面に近い角度から見ると、顔幅などが違うのだが、横顔の似方は、DNA的影響というより、決して消えない『印』によるもののようだった。イーアンは、パパもジジもこんな感じだと思った。
「ドルドレン。この方々が話している、すぐ後ろにある一部は、船です。どうして、このような場面の切り取りがあるのか、誰からの視点なのか。それは全く分かりません。
最初は、船だけが映し出されていました。大きな家が乗った船のような形でした。今日。空でも『飛ぶ船は、白い大きな船である』と、ルガルバンダが教えて下さいました」
「そうだったのか。飛ぶ船か。この船は、あれだな?祭壇や、お皿ちゃんに彫られた絵の船だな?」
そうです、とイーアンは言う。『現在、その船のある場所までは分からず。探すつもりです』と話すと、ドルドレンはイーアンの肩を抱いて、煙を見上げる。『あの、今映っている場所は?』その質問には、親方が『あれは空だ』と答えた。
「空と行き来していた、その時の場面なんだろう」
「こんなものが見れるなんて。半年前と世界が変わったな」
呟くドルドレンに、親方もくくくっと笑った。『全くな』ドルドレンの肩に手を乗せて、親方も煙を見つめる。3人は出来るだけ多くの情報を、煙の世界から得ようとした。
人々が話し続ける様子は、実に楽しそうだった。どこへ行くでもなく、船を降りたすぐのところで、始祖の龍と人々は、会話を続けているようだった。
そのうち、煙がぐらっと揺れたと思ったら、すぐに船だけの映像に変わる。ハッとした3人は、その変化に目を見張る。船は最初に現れた時と同様に揺れながら、どこかへ進む。空からどこかへ向かうのか。
イーアンは気が付く。ルガルバンダが言っていた『陸と海の間』へ向かっているのでは、と。それはこの話をした親方も考えたらしく、イーアンに『おい、もしかして』と教えた。
並ぶ3人の真ん中にいるドルドレンは、何の話か分からない。視線で左右を見て説明を求めるが、すぐに親方が指差す天井に、再び顔を向けた。
船は。海に向かって降りていく。大海原へ向かい、その大海原は、船がぐんぐん近づくにつれ、海面に奇妙な具合の波が立ち、見る間に海は、円を描くように分かれた。
「こんなことが」
ドルドレンは瞬きも忘れて見入る。親方も目を見開く。
海は分かれたのではなく、竜巻状に持ち上がって、その中心の目に当たる部分の海底が出ている、とイーアンは理解した。周囲の波の動きがそれを示している。
現れた海底に、船は着陸する。船の周りは水の壁。海底に着陸した船から降りた人々は、ズボァレイで飛び立つ人と、そのまま・・・『地下?』海底に突然、僅かに開いた穴に降りていく人とに分かれた。
そして。船から人がいなくなると、水の壁は緩み、船も全ても飲み込んだように見えた。それは煙が消えたのと同時で、船が飲み込まれたのか、煙が消えた為か、分からなかった。
お読み頂き有難うございます。




