608. 間食の都合により
腰袋の熱に気が付いていたので、一枚岩の外でイーアンは、オーリンの珠を手に取った。
『今。どこにいるの』
『丁度、一枚岩を出ました』
『ほんと。俺、そっち行くよ。もう帰るんだろ?』
『そうです。いろいろと知りました。タンクラッドの家に直行します』
ちょっと待ってて・・・オーリンが通信を切ったので、イーアンもミンティンを呼んで、その場で待った。
ミンティンに乗る時、イヌァエル・テレンの中だけでも、ミンティンと飛べたらなと思い、小さく笑った。
青い龍は、イーアンの顔を振り向いて見て、少しだけ口の端が上がる。ミンティンの微笑み。イーアンもそれを見て、笑みを返して頷いた。
「私。もっと頑張ります。それで龍の姿で、ミンティンと一緒に飛ぶのです。この場所だけでも良いけれど、出来れば地上の空で。ミンティンにあまり、負荷を掛けないくらいまで頑張って。自分で龍気を持てるようにして」
この決意は、希望の決意。絶対そうなるんだ、と決めて、拳を握り締めた。そんなイーアンの言葉に、ミンティンは何も言わず、いつものようにゆらゆら首を揺らしていた。
間もなくしてガルホブラフが来て、オーリンは手を上げる。ミンティンも浮上して、一緒に帰り道。
「イーアン。今日どうだった」
「オーリンの話から聞かせて下さい。町へ行ったのですね」
「行ったよ。今日はまた少し進展があってさ。イーアンに会いたいって人が出てきて」
ピタッと止まるイーアン。オーリンはその反応は気にしないようで、どんな経緯だったのかを意気揚々話して聞かせる。
「俺の家に行ったわけ。まぁ、行く所そこしかないからだけど。親と一緒に食事して、この前の話になったんだけどね。俺の親も、あの日の後に、近所とかでイーアンの話題が出たらしいんだよ。
それで、イーアンはほら。地上から来てるから、話しやすいって思ったみたいで。後、男龍より、俺たちに近く感じるって母親も言ってたけど・・・そう思うのは父親もそうで。
早い話が好印象ね。だから、近所の人も『イーアンと会ってみたい』って、話が出たんだって」
嬉しそうなオーリン。対照的に困惑するイーアン。『あなた。何てお返事したのです』それだけが気になる。
「え?今度一緒に来る、って言っておいた」
やると思ったけど~ イーアンの顔に『コイツ~』の表情が浮かぶ。その顔を見たオーリンは眉根を寄せる。『居心地悪いのがイヤだったろ?悪くないなら良いじゃないか』尤もらしい発言を投げた。
イーアンは、最初に話しておくことにした。今日、男龍たちと、龍の民の町の話をしたことを。オーリンはその話になってすぐ、心配そうな顔つきに変わり、静かに聞いていた。
話し終えると、オーリンは何か考えているらしく、少し黙っていた。イーアンも何も言わず、彼の反応を待っていると、彼は確認するように、しっかりと黄色い瞳を向けた。
「そう。そうなんだ。接点がないから、行く必要もない・・・って言われたのか。でも、ビルガメスだけは違ったんだな。今後の未来がありそうな、そんな言い方を」
「そうですが。ビルガメスは、そうした穏やかな見方が出来るので、そう言われたのだと思います。私個人としては、他の男龍たちの感じていることを、あまり刺激したいと思いません。よほどのことでもなければ、そちらに伺うのは控えようと考えています」
「イーアンは、ビルガメスの言葉をどう受け止めてるの?」
「もしも。龍の民と、そちらの町で、何かしなければいけない事態でもあれば。その時は、行っても良いのではと捉えました。何が何でも行かない、とした意味ではなくです」
「別に、裏をかくじゃないけど。もし、俺の親とか近所の人がイーアンを歓迎したかったら。それはどう?」
オーリンは、親御さんの為に。それがひしひし伝わる。自分の印象も上げたいだろうし、少しでも多く、町に馴染めるきっかけを欲しがっている。
「いつとは、約束されていませんでしょう?それは無理ですよ。私にも都合があるので」
「してない。聞いてみるとは言ったけど。次に一緒に町へ行けたら、その時に、日にちとか決めれば良いかなって、親とも話していたからさ。急にはないよ」
悩むイーアン。次から次へ・・・オーリンはもう~ 横に龍を並べ、心配そうに覗き込むオーリンを見て、イーアンは苦笑い。『夜。また連絡します』考えさせて、とお願いした。
何か言いかけたオーリンに、イーアンは話を変えて、今日の自分の出来事を少し伝えた。男龍は食事をしないことは教えたかったので、それを言うと、大袈裟なくらいに驚いていた。それから、イヌァエル・テレンでは、龍気を使う練習が出来そうだと感じたことも話した。
「それ。さっきのじゃないのか。空に龍の声がした」
「そっちまで届いたのでしょうか。かなり長い時間、皆さんと吼えていまして。ご迷惑をお掛けしました」
「いや。謝らないでよ。そうだったんだ、あれはイーアンたちか。最初に誰かが気が付いた時は、何事かと。町で少し騒いでいたけれど、すぐに空が明るく光ったから、良い兆しとかなってさ。そんな感じで聴いていたよ」
オーリンはイーアンを見つめる。その眼差しは、どこか寂しそうな。でも憧れのような笑みを持っていて、イーアンは目を逸らした。
『圧倒的な力の差』と言った、ビルガメスの言葉が離れなかった。
こんなに近くにいるのに。オーリンは家族みたいな人なのに。そんな差は要らないのに、と本心では思う。しかしオーリンもまた、それを感じるんだろうかと思えば、イーアンは複雑だった。
あっという間にお別れの地点へ出て、オーリンは手を振って帰って行った。彼はしんみりした場面も見えたが、全体的には、今日は満足度の高い日だったかもしれない。
小さくなるガルホブラフを見送り、そんなことを思いながら、イーアンはタンクラッドの家に向かった。
到着した親方工房の裏庭。時間は知らないが、多分午後3時くらいである。ミンティンを降ろして、一度空へ帰すと、同時くらいで扉が開いて、出てきた親方がニコッと笑った。
親方スマイルも素敵なのだが。今日はフラカラの登場で、フラカラに心がやばかったことを思い出すイーアン。だが。どっちみち、美しい人たちの笑顔が、日々拝見できるこの世界に縁があったことを、心から感謝する。
何やら庭で祈りを捧げるイーアンを不思議そうに見て、親方は中へ入るように促した。イーアンを中に入れて『やっと来たな』と一言。
「昨日も来ました」
「ロゼールと一緒だっただろう。一人で、だ」
お茶を淹れに行く親方の後をついて行って、イーアンは台所に入る。食材のあるところをささっと見て、最近彼は何を食べているのかなと思っていると。親方がその視線に気付く。
「俺の最近の食事でも気になるのか」
さすが、センサー・・・ルガルバンダめ。余計なことを。この話をしなければと思いつつ、イーアンはちょっと頷く。親方はお茶を淹れる手をそのままに、素っ気無く『大したものじゃない』と答えた。
「作れないと言い張るんだから、もう言うことも出来ない。やれやれ」
嫌味が丸出し。イーアンは苦笑いで、そっと後ろを通り抜けて、お肉のある箱を覗く。その動きを、可笑しそうに親方は見ている。ちょっとイーアンの背中を見てから『お前。食事したのか』と聞いてみた。
ハッとするイーアン。そう言えば、お昼食べてないのだ。その顔を見て、親方も少し驚いたように『ん。食べなかったのか』と確認する。イーアンが頷くと、親方は『何か食べろ』と食材を出した。
「空では食べなくても、お腹が空かないので、忘れていました。男龍は食べないのです」
「男龍?お前、今日空へ行っていたのか。何か作る話だったが」
てっきり熱中して食べていなかったのかと思った、と親方に言われて、イーアンも思い出した。親方と昨晩連絡を取った時は、製作予定だったのだ。その後の連絡先・オーリンに誘われて、それで今日は空へ行ったことを話すと、親方は首を振る。
「オーリン。あいつもまぁ、落ち着かんな。うむ・・・あいつのことは良い。
半端な時間だが、何か食べておけ。男龍は食べないでも、元があの体なんだろうが、お前は人間の体なんだ。食べないと」
優しい親方に、イーアンは有難くお礼を言って。自分も食べさせてもらうことになったものの、親方用の夕食分も含めて、料理をした。それは親方には言わないで、ちょっと多めに野菜と肉を切って、素知らぬ振りで余らせようと決めた。
イーアンは料理をしながら、今日の出来事を話す。親方は久しぶりの台所時間に、ちょっとほのぼの。椅子を持ってきて、料理している横で話を聞く。
最初に粉を練って、生地を寝かせている間に、イーアンは、中の具を用意する。
市場で購入した、干しエビと干し貝を水戻し、塩漬け肉と、戻したエビと貝を刻んで合わせた。香菜も入れて、粉と油を混ぜて具を練ってまとめる。貝とエビを戻した水に、干しキノコ、野菜を入れて汁物も作っておく。
寝かせた生地の続きは、薄く伸ばし、8cmくらいの四角形を20枚くらい切った。これに肉ダネを多めに擦り付けてシュウマイ作り。餃子でも何でも良かったのだが、親方がポイポイ食べられる方が良いかなと思った。
広さのある鍋に皿を置いて、水を少し入れた簡易蒸し鍋に、下に置いた皿より一回り大きい皿を置いて、葉野菜を敷き、シュウマイを並べる。蓋をしてちょっと待つ10分間。少し余った具と皮は、ワンタンにして汁物に入れた。
話をしながら、話を聞きながら。の予定が、二人とも結局、一緒に台所に立っていて、一緒に料理をしていた。お手伝いタンクラッド。野菜を取ったり、洗いものを済ませたりして、イーアンの補助。
「タンクラッドは座っていても良かったのです」
「そうもいかんだろう。ミレイオに、ガツッと言われたのを忘れはしない。お前が台所に立てば、俺は手伝うと決めた。さっき鍋に入れた、あれ何だ?初めて見る形だ」
「もうちょっとです。完成品をお待ち下さい。これは蒸してしまえば、食べられるまでが早いのです」
醤油とカラシは、日本の食べ方。イーアンは、シュウマイは何も付けない。餃子も何も付けない。中国人の友達にそう教わった時から、それを守っている。これもそのまま食べて、美味しいくらいの味にしてある。
「汁物は?もう食べられそうだな。こっちにも似たようなのが」
「生地に包む食べ方は、形を変えて、どこにでも非常に多いものです。美味しいから多様性があるのか」
汁物をお玉に掬って、イーアンは皿に少し味見を取る。それを親方が見つめているので、笑って渡した。恥ずかしそうに受け取るタンクラッドは、うんと頷いて味見をし、笑顔をくれた。『海の味だ。海の香りがする。美味いな』見上げるイーアンも笑顔。
「お前の分だな。お前が、昼食抜きだったから。で、お前が食べ終わると、思うにこれ。余るよな」
「そうなのです。余ってしまいます。でも少しだけ作るのは、実に難しい。私は料理人ではありませんため、一人分を作ってもやや多いです。これ、余った分は申し訳ありませんが、お願い出来ますか」
「そうだな。勿体ないからな」
「ちょっとは、タンクラッドの食事の足しになりそうですね」
「見る限りだと丁度、俺の夕食には足りる量かもしれない」
二人は鍋を覗き込んで、そう話し合いながら止まり、お互いの顔を見て笑った。タンクラッドは、イーアンを抱き寄せて頭を撫でる。何も言わないけれど、とても嬉しそうな親方。イーアンも笑いながら、シュウマイの鍋の蓋を開ける。
「おお。美味そうな匂いが!」
「そう。これ美味しいのです。すぐに作れるし、食べやすいし、大好きです」
イーアンはふと、思う。箸。シュウマイを作らなかった理由を忘れていた。
ここの世界に来るまで、シュウマイは箸で取り出すのが普通だった、イーアン。フォーク&スプーン&ヘラ系のこの世界では、シュウマイ取り出しに穴が開くと思い、それで作らなかったんだと、今更思い出した。
親方に箸の存在を確認すると、知らないと言われる。さっと見渡し、ない。当たり前か。似たようなもの、ない。そらそうか。きょろきょろするイーアン。『どうした』と親方に聞かれた。
両手を広げて『このくらいの長さで、1cm角の片端から始まる、反対側4mmほどの先を持つ棒が2本あれば、調理に使えると思った』ことを打ち明ける。
シュウマイを見つめ、イーアンに向き直った親方は『その棒。今欲しいのか』と訊ねた。
「今すぐあれば、と思っただけです。なくて当然なのですが」
「ちょっと待ってろ」
工房へ戻る親方。イーアンはシュウマイの鍋に蓋をして火を止め、食事の支度だけ進めた。親方は5分もしないうちに戻ってきて、その手には30cmほどの長さの金属の箸があった。上下の太さもきちんと違う。
「これ。これ、どうしたのです」
驚くイーアンに、親方は『これで使えるのか』と言うので、イーアンは受け取って感触を確かめ、使えますと驚きながら笑顔を向けた。親方、満足そうに頷く。終わり。
「金棒はある。熱して切って、少し先を叩いて伸ばしただけだ。使いにくければ言え」
そんなもので調理の役に立つのか?と親方はそっちの方が気になるようだったが、親方の偉大さに、イーアンは改めて感服して、感謝の言葉を連ねた。
まさか、箸を作ってしまうとは。
見たこともないのに、初製作の箸・使い勝手が抜群である。ちょっと言っただけで、以前も、燻製箱を仕立ててしまったが・・・恐ろしい男よ、タンクラッド・ジョズリン。
親方に脱帽中のイーアン。シュウマイをひょいっと箸で取り、早速、親方へ味見させる。親方はビックリしたようにその使い方を見て、それからとにかく口を開け、シュウマイ試食。
『蒸し立て・肉と貝エビのシュウマイ』に呻く親方。セクシー親方を眺め、美味しかったようで何よりと思う。イーアンは、シュウマイをフラカラに食べさせられない残念さを、少し思う(※あそこは皆さんTSMセットのみ)。そんなイーアンはさておき、親方はふんふん言いながら、シュウマイに悶える。
「熱い。美味い。何だ、これは。うちの食材か。うう、癖になりそうだ」
親方はしょっちゅう、癖になる人。美味しいとそればっかり、食べてしまうのである(※揚げ物最強)。
本当は、その食べ方は体に宜しくないため、健康管理が必須なのだが。たまーにだからと思って、お箸製作の感激に、イーアンはシュウマイをごそっと取り分けた。
イーアンの取り分けた分、15個。親方はその量をじーっと見つめ、それがイーアンの分か、自分の分か、横のくるくる髪の女に視線で答えを求める。
「私。空で冷えましたので、汁物を多めに頂きます。ですからタンクラッド。余った分・・・このお皿を、あなたにお願いしても大丈夫ですか」
そう言ってイーアンは、器に汁物を少し多くよそって、鍋に残ったシュウマイ4つを、自分の皿に移した。『タンクラッドも。汁物くらいでしたら、今食べますか』顔が笑っているイーアンに、親方も笑みが抑えられずに頷く。
そうして二人は、午後4時頃。一緒に少し食事を摂った。タンクラッドは幸せだった。
そして我慢できず、やっぱり熱いうちにと、シュウマイを5個持ってきて食べる。微笑むイーアンにも一つ分けて、『有難う』と小さくお礼を言った。
イーアンはちょっと親方を見て微笑み『私が頂戴しているのです』と呟いて返した。




