600. 工房めぐり ~午後・本部
イーアンはなぜ、エンディミオンの気配がしなかったのかと思った。あまりに食い意地に負けたか、自分よ。作業没頭中でも気配はしていた気がするのに、食事中は夢中具合が違うのか。
お祖父ちゃんに誘われ、断りながらも結局は、近くの屋台前で立ち話。お祖父ちゃんは暇。基本、暇なので、だらだらとノラクラ話し続ける。
ロゼールはあまりにも似ているお祖父ちゃんに、『本当に総長にそっくりですよね』と、度々口にしていた。
それに。お祖父ちゃんというには、目の前の人物は若い気がした。お父さんくらいの年なんじゃないか。総長がそのまま年を取ったみたいで、目の色は鋭い金属のよう。背も高くて髪フサフサツヤツヤ。
カッコイイお祖父ちゃんだな・・・でもイーアンが困っているのは、どうしてなのか。理由がありそうだが、ロゼールは、ただただ。意外な『総長のお祖父ちゃん』を、ぽかーんとして見上げていた。
「孫より、俺の方が良い男だと思うんだけど。イーアンは誘ってもダメなんだよ」
お祖父ちゃんの本気交じりの冗談に、ロゼールは、何て答えて良いのか分からない。幾つか知らないが、いくら何でも年齢的にそらムリでしょ、と思うものの。げんなりしているイーアンを見て、気の毒に思った。多分、しょっちゅうその話題になるのかも。
「坊主。名前は?」
「俺、ロゼ」
「いけません。名乗ってはいけない」
びしっと遮られて、イーアンはロゼールの前に立つ。そしてすぐにお祖父ちゃんを見上げて『彼は真面目なのです。そっとしておいてあげて下さい』と頼む。苦笑いするお祖父ちゃんは『お前さぁ。何か思い違いしてるな』首を振りながら頭を支えた。
「名前聞いたって、別に何もしないだろ。お前までうちの孫みたいになっちゃって。あれか、あの剣職人みたいな。影響力が強すぎるよ、あいつら」
で、どうしてここにいるんだ・・・さらっと話を変えるエンディミオンに、ロゼールは『俺が営業で工房回ってて』と言う。イーアンはひやっとしたが、お祖父ちゃんは素っ気無い顔で『それで昼に寄ったわけ』と流した。
「お前のそれ。あれだろ。お皿ちゃんだな。ってことは、お前が乗り手」
イーアンの目が見開くと同時に、嬉しそうなロゼールは頷いて『はい。お皿ちゃん知ってるんですか。だから俺が外回りになりました』と正直に返事をした。
「行きますよ。そろそろ。お腹も満ちました。エンディミオン、またお会いしましょう」
「イーアン。お前ってば。もう、いいよ、分かったよ。じゃあさ、坊主。ロゼって言ったな。ロゼ。俺はこの町に住んでる。また寄れよ」
急ぐイーアンに笑いながら、お祖父ちゃんはイーアンの頭をちょっと撫でて、ロゼールを見た。
そして手の届く位置にある、淡いオレンジ色の髪の毛をちょいちょいっと撫で、『俺はエンディミオンだ。またな』と挨拶した。
その銀色の瞳は、何かを狙う目つきのように感じ、イーアンは頭を下げ、ロゼールを押して逃げるように帰った。
「イーアンは。総長のお祖父さんが苦手なんですか」
「得意な人がいたら、知りたいです」
「総長も苦手そうですよね。剣職人って・・・ジョズリンさんですか」
「そうです。事情がありまして、彼と私たちは、関わることが度々ありました。しかし、お祖父さんは知恵者で、それもちょっと危険。いえ、先入観ではなく、本当に何と言いましょうか」
とりあえず、お腹は一杯になったかと、イーアンは龍に乗りながら確認すると、ロゼールは満腹だと笑顔で答えたので、二人は本部へ向かう。
遭遇率が高い。大通りにテントがあるからってだけではない。きっと町中の人がエンディミオンの知り合いだから、どこかで誰かが見ていると、すぐに情報が伝わるのかも、とイーアンは思った。
「ロゼール。彼は、ドルドレンのお祖父さんは。良い人ですけれど、ぶっちゃけますと性癖に問題があります。ドルドレンとは正反対の性質なので、どうぞ一人であの町へ行かないように」
「え。それって。俺がお祖父さんに襲われると、そう言ってます?」
分からないけど、危険は回避して~ イーアンがお願いすると、ロゼールも真剣に困った顔を向けて『分かりました。そうだったんですか。気をつけます』と約束した。
それでイーアンは俺を守ってくれたのか、と今更ながらに気が付いた。
お祖父さん、総長のお祖父ちゃんだからだろうけど、カッコ良かった。でも、お尻を狙われる危険は絶対に回避だ、とロゼールも誓う。
ロゼールは、時々。男性に好かれる傾向があった。遠征で立ち寄る町や村で、おじさんに取り巻かれることもあった。
一番危なかったのは、大雨の遠征で、近くの集落に入った時。着替えるようにと、親切を買って出たお宅のおじさんが、ロゼールを一人隔離したこと。
あれは、一人だけいなくなった自分を、探し出した総長が助けてくれたから、俺のお尻は無事だったんだと未だに感謝する。彼はまだ総長じゃなかったけど、同じ隊だったから、あのおじさんを追い払ってくれた。
「早く結婚した方が良いですね」
ぼそっと呟いた若い騎士に、イーアンは胸中を察して頷いた。『良い出会いがあれば、すぐにでも』そう答えておいた。
何となく分かる、ロゼール=男色系の対象のような顔つき。可愛い顔だから・・・でも女性とね、幸せにね、と思うばかり。彼が男性を好むわけではない、と知っているので、イーアンも無事を祈った。
王都の壁外に降りた二人は、本部へ向かう。城門を過ぎて、町の中を歩く。イーアンはちょっと頭を気にし始めた。
「イーアン。角が気になるんですね。どうしようか」
「何か帽子でも作ろうと思っていたのですが、忘れました。本部でこれを見られては、また何か誤解されるかも」
ロゼールは何のことだろうと思ったものの。ふと、視界に入った服屋を見つけ、イーアンを誘った。『帽子じゃなくても、何かちょっと布を掛けることは出来るかも』頷いてイーアンも服屋に入った。
店員から見えないように、ロゼールがイーアンの側に立ち、長さのある布を一枚見つけて、それをくるっと頭に被せてみた。イーアン、思い出す。クローハルが最初に買ってくれた布のことを。
「角は少し先があるから。近くで見ると、分かるかも知れないけど。じっくり見られなきゃ、大丈夫だと思います」
布も50ワパンくらいだし、とロゼールが言うので、イーアンはお金を出して、ロゼールに布を買ってもらった。店員から離れた場所で、イーアンはロゼールから布を受け取って頭に巻く。
「うん。不自然じゃないです。イーアンの服も変わってるから、同じような色だし。布を巻いたまま、行きましょう」
二人は再び、本部へ向かう。向かう道、イーアンはイオライセオダで、最初の頃に、自分の見た目を気にしないよう、クローハルが衣服や布を買ってくれた話をした。ロゼールは興味深そうに、その話に相槌を打ち、『クローハル隊長にしては』と呟く。
「総長に遠慮したのかな。でもクローハル隊長のこと、俺だけじゃないですけど、皆、不思議に思ってました。今の話でやっぱり違ったんだなって思います」
何が違うのかをイーアンが訊くと、ロゼールはちょっと考えてから話す。
「普通。あの人、すぐです。手を出すの。知らない人いませんよ。
女の人を支部に泊まらせることもあったし、近くの町で待ち合わせなんて、しょっちゅうです。で、殆ど女の人にお金もらいますね。聞いていると。
イーアンにそれがなかった、って。総長が守ってたからかもしれないけど、そーっと好きだったのかもですね」
「そーっと好き。初めて聞く表現です」
「それくらいしか言葉がなくて。隊長は女の人、百戦錬磨な印象ですが、イーアンを女の人って認めてる割には、ちょっと違ったのかな」
「それだけ聞きますと、私は女性以外のような雰囲気です。遠からずも近からずは自覚していますが」
ハハハとロゼールは笑って『でも。ホントのことは分からなくても、無事で良かったじゃないですか』と安全であったことを喜んでくれた。イーアンも、それはそうかなと思うので、有難いと答えた。
本部に着いて。イーアンはこの前、少しもめたことにしておいた。なので、ロゼールが先に中の騎士に挨拶した。それから、機構の関係者を呼んでもらうように伝え、扉近くにいた騎士はすぐに奥へ向かった。
「誰が来るのかな」
ロゼールと並んで待つイーアンは、呟くロゼールを見上げ、彼にとっても、本部は縁遠い場所なのかと理解する。機構がなかったら、彼はここに来なくて済んだ。少し申し訳ない気持ちを胸に、イーアンは黙っていた。
待っていると、廊下の向こうから聞いたことのある声が響いてきた。姿を見せたのはイリヤ・アベルブフで、執務室長をしていると話していた、あの3人の騎士の上司だった。
「おお、ロゼールか。久しぶりだな。それと・・・ん。イーアンですか。布で見えなかった。この前はお世話を掛けて」
イリヤが普通の態度だったので、イーアンも笑顔で挨拶する。ロゼールと一緒に来た理由を告げて、『今後。彼が本部にも来ると思いますから』と教えた。イリヤは若い騎士に笑いかけて『任務が出来たね』と喜んでくれた。
「イーアンもロゼールも、入って下さい。こんな玄関じゃなくて、奥で話しましょう」
イリヤが立ち話を気遣ってくれたが、二人は遠慮する。工房めぐりだから、次へ挨拶に行くとイーアンが言うと、イリヤは真顔に戻って、同情的な視線を向けた。
「あの。違ったら申し訳ないけれど。もしかして、この前の話を気にしていますか?コート・ションが説明したと言っていたけれど」
イーアンは急いで首を振る。『いいえ。気にしていません。大丈夫です、ションにお礼を伝えて下さい』そして微笑んで退散しようとすると、イリヤはちょっとだけ、イーアンの肩に触れて覗き込み、すまなそうに呟いた。
「うちの騎士が。助けて頂いたのに、気分の悪いことを。本当に申し訳ない。私もそんなこと思っていませんから、これから本部に来たら、私でもションでもヴィダルでも、真っ先に呼びつけて下さい」
ロゼールは二人の会話が見えず、困惑しながらイリヤを見た。イリヤはロゼールをちらっと見て『総長とイーアンで魔物退治をしてくれた後。イーアンだけ悪い噂をされて』と教えた。イーアンはイリヤを止めて『言わないで下さい』とお願いする。
「イーアン。何があったんですか。俺も知っておいたほうが良いと思うんですけど」
若い騎士は眉間にシワを寄せて、気分を害したように言う。イリヤに顔を向けて『悪い噂って』と単刀直入に聞いた。
イリヤも目を閉じて、溜め息をつき『イーアンが人殺しと』だから躊躇わないで魔物を倒すって・・・と話すと。見る見るうちにロゼールの表情が変わり、怒り心頭のように唇を噛んだ。
「誰ですか!そんなこと言ったヤツ。イーアンがそんなわけないじゃないですか」
「ロゼール、終わったことです。もう良いのです。そういうこともあります」
「イーアン!ダメですよ。とんでもないですよ、そんなこと言われて、平気でいられるわけないじゃないですかっ 総長、何て言ったんですか?総長知ってるんですか?」
「ロゼール。怒らないで下さい。私は平気です。ドルドレンも知っています。人の噂は幾らでも起こります」
「噂によるでしょっ あ、これか?!イーアンが『誤解されたら』ってさっき言ったの。何だろうって思ったけど。
何で頑張ってるだけの人が、気を遣わないといけないんですか。動きもしない臆病者が、勝手に誤解して、勝手にでっち上げて、勝手に言いふらして。それが騎士のすることか!そんな良識のないヤツに、気を遣うなんて」
怒り出したロゼールに驚いて、イーアンは宥める。イリヤも急いで宥めに入って『落ち着くんだ。本気にしてる者なんか、僅かな人数だ。それも根も葉もない噂で』目を覗き込んでゆっくり言う。
「ふざけるな。イーアンが、どれだけ頑張って戦ってると思ってるんだ。この人はいつだって、怪我したって、翌日だって戦いに出る人なのに!男の俺たちより、魔物に向かって行く人なのに!勝つまで戦うんだ、俺は見てる、皆知ってる!それが全てだ、何も知らないくせに、とんでもないこと言いやがって」
怒鳴るロゼールに、イリヤも驚き『落ち着けって。分かってる、分かってるよ。大きな声を出すな』とロゼールに言い聞かせる。ロゼールは深い緑色の瞳に怒りを浮かべて、歯軋りしながら悔しがった。
「もしも。今後、一回でも俺の耳に、そのクソ野郎の噂が入ったら。俺はそいつを叩きのめす。イーアンは北西支部の騎士だ。俺たちと同じように戦ってきた仲間なんだ。侮辱なんかさせない」
「分かった。ちゃんと伝えておくから。気持ちを静めるんだ。イーアン、今日はこれでね。また近いうちに会えるように願ってます」
急ぎの挨拶に、イーアンも頷いて、笑顔を保ってイリヤにお礼を言い、怒るロゼールの背中を押して外へ出た。
本部を出て、王都外へ向かう間。ロゼールは激昂した気持ちが抑えきれず、何度も壁を殴った。イーアンはその度に彼の背中を撫でて、『自分は気にしていない』と繰り返した。最初は考え込んだけれど、そんなこと、とてもじゃないが、今のロゼールには言えなかった。
「イーアン。俺は悔しいんです。単にやっかみだって、頭では分かります。
でも、この半年近く。一緒にいつも戦ってきた仲間が、それも女性ですよ。総長があなたを守ってるのは、修道会においてでしょ?あなたはいつだって、戦闘で俺たちを守っていたんです。女性のあなたが、騎士の俺たちを。命を懸けて守ってきたんだ。それを見てるのに、黙ってられないですよ」
イーアンはちょっと涙ぐんだ。有難うとお礼を言って、『こんなに怒ってくれる人がいるだけで、私は充分です』と伝えた。
「俺は許さないです。イーアンが許しても、俺は許さない。本部の、戦ったこともないようなヤツらに、つまらない羨みで好きに言わせるなんて、絶対嫌です」
ロゼールの怒りが落ち着くまで、かなりの時間がかかった。この後、城壁の外へ出た二人は、次の場所・南の鎧工房へ向かったが、龍の背中でもイーアンは、若い騎士の怒りを宥め続けた。
お読み頂き有難うございます。




