589. イーアンの誓い
情報が多い。ドルドレンはそう感じた。目一杯だ。
イーアンは帰ってきて、いつもの流れで工房で翌日の支度⇒風呂⇒夕食⇒寝室で報告をした。聞いているドルドレンは、実に内容豊富で、時々書記がほしくなる(※覚えられない)。
「そうか。今日も満載だ。ファドゥは教えてはくれたのだな。空の遣い、と呼ぶのだと。もしくは龍の目。彼らは人の体に、空の民に分けられた能力を持つ存在として生きる。
そしてお皿ちゃんは、板だったと。で、これは明日の朝にでも、ミレイオが来る時に俺も見れるのかな?」
「多分、持ってきて下さると思います。あの方がどう作るか、見たことはないのですが、私なら持参して採寸の参考にします」
「だと良いな。しかし板だったとは。細かいことを気にしなさそうな龍族らしい気もする。それで、俺の先祖は空まで上がったのかな。滑りそうだ」
イーアンは黙る。ちょっと黙ってから、きっと加工をすぐに施して、滑らないようにしたのではないかと答えておいた。頭の中では、始祖の龍に出入り禁止を言い渡されたきっかけを、ご先祖が齎した話が浮かぶが、これについては言わずにおいた。
「で、午後はオーリン。龍の民の町で、食堂があってもタダ。その上、あのファドゥの家の食事と異なった。それは良かった気がする。
でもイーアン的には、あまりその町に居たいと思わなかったわけか。何やら事情がありそうという」
「難しいです。私は初めて訪れて。角があることもですが、私の龍気というものは、ここと同じと思いますが・・・イヌァエル・テレンでは増すのかも知れませんね。気が付く人が多かったようです。
私は初めてだし分からなかったけれど、聞いてみたら、龍の民から見て、他の龍族はかなり遠いように感じます。私は頼まれても、龍の民の町に住める気がしません。私より、皆さんが気にするような。
彼のご実家へ紹介された時も、お母さんは龍が現れたことに、動揺している様子でした。お父さんがいらして、話を少し進め、それからはあの。龍の民らしい、感情の・・・あっさり笑ったり、楽しんだりに変わりましたが」
「俺はそれを聞くと、いつも思うのだが。突然、感情が変わる相手に、俺だったら、ついていけない気がする。もう少し変化の動きが見えないと、次に何を言って良いのやら」
ドルドレンの言葉に、イーアンも同意する。『私も驚きます。でも自然体ですから、こちらが気にしないより他は』掴む必要がないと思った方が良いかも・・・と、教えた。
「彼らの気質です。私も似通うし、無論、オーリンもそうです。だけど、生粋の空育ちと比較するなら、私たちはやはり。少し控え目かもしれませんね。あなたには、そう思えないでしょうが」
愛妻(※未婚)の言葉にドルドレンは笑う。『イーアンは。異世界から来たと分かっているから、いろいろと違うと最初から思っている』そう言って、くるくるした髪を撫でた。
「にしても。何とも難しいな。オーリンは町に移りたいと思いながらも、心配なのだな。それでイーアンにも一緒に住めばと誘うとは。感覚の違いは不安にさせるな」
「そう思います。彼は私に、帰り道でもこの話をしましたが。親が彼より見た目が若いのですね。あなたくらいか。私や彼より、10歳ほど若く見えるわけですから、彼がそれを受け入れたとしても、彼のその後、周囲はそれをどう思うか。それもあるのですね」
「一々、気になるかもしれないと。それは気になるだろうけれど」
「そこをオーリンは悩んでいます。あの町を好きらしいですが、彼は自分が異質だと。だから、馴染めないことを懸念し、私に過去を・・・私が支部に来た時や、これまでどうだったかを質問していました」
ドルドレンは灰色の瞳で、イーアンを見た。少し微笑む顔が、自分の見慣れた大切な顔。でも本人はこの世界で、嫌な思いにも耐えたと知っている。『イーアンの体験を話したのか』そう訊くと、イーアンは頷いた。
「年齢もそう。顔もそう。私を好いてくれる人はいたけれど、真逆の人もいたと伝えました。全く、顔を気にしなかった人は、結構いたと思う、とも言いましたが。良いことだけを伝えても問題ですから、差別された様子などは、お話しました」
「イーアン。イーアンは差別が嫌いだな」
「はい。でも自分も、そうした意識が動くこともありますね。この世界では、貴族の人々には見下された瞬間、嫌いになります。その後の付き合いで、印象が変われば別ですが。
前の世界でもそうです。見知らぬ人に、頭っから否定されると、相手にする気も失せるくらい、差別したくなります。大体において、差別をする人は。相手を知ろうとする前に、知った気分で向かってきます。こちらが何を言っても、無理です。
私にはその、個人・個性を無視した否定の態度のほうが、よほど差別に値するように見えますが。
いつも、『差別をする人たちは、ご自身が食らったらどうされるのだろう』と思います。自分が知りもしない他人を、僅かな情報で攻撃し、まるで良いことをしたように平気でいます。
しかしその自分は、同じようなことを赤の他人に食らった時、平気でいられるのでしょうか。自分もまた、それだけのことをしている、と理解できるのか、どうか。
顔だけ見て。その人の上っ面だけ見て。『お前嫌い』と態度に出す。それが正しいかどうかも、それが相手にどれだけの傷をつけるのかも理解せず行う。その行為に疑問がない。恐ろしいと思います」
同じ目に遭えとは思いませんけれど、嫌いですね・・・イーアンは冷えた表情で続けた。言葉はそこで切れた。暫く沈黙が続き、ドルドレンがゆっくりと頷いた。
「俺はね。イーアンのそうした、深い感情の動きや、細かい思慮が好きなのだ。好きなところは沢山あるにしても。
馬車の民も差別を受ける。教養がないとか、規則に従わない根無し草とか。犯罪を起こしやすいとか。
俺がここの騎士修道会に入った時も、それは訊かれた。口でどんなに説明しても、実際に役に立てなければ、他の者が許されることも、俺がやれば注意される。俺はね、見た目がこんなだから。それで余計に規則を守らない遊び人じゃないかと、よく言われた。町に出るのは、伝達の任務だったのに。
俺が暴力を使うことは、まずなかった。暴力を使うと、相手の思う壺だ。ほらやっぱり、となるだろう?自分が嗾けておいて、と思うが、そうした者がいることも事実だ。だから、手は出さなかった。力を使わずに、耐えた。どれほど悔しくても、どれほど」
灰色の瞳は、イーアンの鳶色の瞳に続きの理解を求める。イーアンは無表情で頷いた。『ええ。そうです』と答えた。
「ですからね。私は、相手の出会い頭の印象が何かしら影響するにしても、それを引きずりたくないと、いつも思います。自分もその差別する誰かと、同じ位置に立っては意味がないのです。
ちょっと違う話になってしまいましたね。龍の民の話に戻りますが、差別までは行かないものの。心配が募っているらしいオーリンは、人の目を肌で感じているようで。自分の帰る場所を見つけたのに、通うことも今は躊躇っています。オーリンくらいの、見た目の龍の民もいるのですが」
イーアンはどう相談に答えたのだと訊かれ、イーアンはドルドレンを見て、困ったように言う。
「私は、その部分に答えることはあまりしていません。でも他に考えることになりそうな要素の話をしました。それは、あの場所の年の取り方です。丁度午前中に、ファドゥの話からそれを聞いたのです。
オーリンは龍の民ですが、イヌァエル・テレンに暮らすようになれば、地上で過ごす倍以上は生きると思います。詳しくは知らないですけれど、体の負担が少ないと聞いています。オーリンも、漏れなく長生きです。
この事実は。意外と盲点ではないかと思う、心配が付いて回る気がして。年齢、見た目に大きく影響します。過ごせば過ごすほど」
イーアンは溜め息をついた。『彼はこの話をよく考えると言いました』地上と違うことが多いそのことに、オーリンも悩んでいる。ドルドレンはそれを聞いて少し考える。
「ちなみに、ファドゥや。男龍たちはどれくらい生きるの」
「ファドゥは龍の子なので、休眠を繰り返し、もう何百年と生きています。でも、今後休眠しなければ、寿命は残りが100年くらいだろうと言いました。男龍たちは、元々の寿命がもっと長いそうです。
そして、怖いことに私も。イヌァエル・テレンで暮らせば、既に龍になった今の私は、何百年と生きるだろうとファドゥが言っていました」
ドルドレンの目が丸くなる。イーアンをじっと見つめ、静かに首を振った。『そんな。イーアン、そんな』自分が置いていかれそうな一瞬を感じて、ドルドレンの眉がすっと寄る。イーアンは、伴侶の頬に手を添えて笑う。
「そんなこと選ぶわけ、ありませんでしょう。あなたがいない何百年なんて、どんな罰なのです。冗談じゃありません。死ぬ時は一緒と思うくらいですのに。何百年の命なんて、私には耐えられません」
ドルドレンはイーアンを引っ張って抱き締めた。ぎゅーっと、ぎゅ―っと。抱き締めて『俺と一緒に』と絞り出すように呟く。イーアンもしっかり抱き締め『当然です』と答えた。
一緒に死ぬことは出来ないかも知れなくても。イーアンは思う。桃園の誓いが過ぎる。
三国志が好きで、若い時によく読んだ。誓った三者は、同時に死ぬことはなかったし、それぞれが悲運にも似た最期を遂げたが、しかしその想いの一途さで、戦乱の世を駆け抜けた。私も伴侶にそうであろう、と誓っている。
「私は。あなたが例え、私を嫌おうと。これからもあなたを愛し、守るでしょう。私がどれほど素行が悪くても、素地がこんな酷くても、あなたは私を助け、愛して下さいました。今も愛して下さいます。
あなたを、この命を懸けて守り抜きます。あなたの為に戦うのが私の喜び。私の命をあなたが握っています。あなたは、私の主であり、私はあなたの永遠の龍です。この力をあなたの為に捧げます」
「イーアン」
「この誓いが破られることはありません。私が死んでも、ドルドレン。あなたを守るでしょう。必ず。必ずです」
真正面からイーアンは静かに、石のような、仮面のような。その表情で、力強い鳶色の瞳をドルドレンの灰色の瞳に合わせ、しっかりと誓った。『だから大丈夫です』ニコッと笑う。
ドルドレンはイーアンの言葉に、涙を落とす。愛と感謝と大きな誓いに、その深く忠実な信頼に、涙が次から次にこぼれた。抱き締めた細い体。小さな体。くるくるした黒い螺旋の髪。白い小さな角。イーアンは力強い。俺の奥さんは、世界最強の奥さんだ、と。俺の、最高の最強なんだ、と思う。
「俺が守らなきゃいけないんだけれど。でも守ってくれて有難う。俺の龍よ。俺の妻よ。俺の最愛の人よ。俺は君の側に永遠に生きるだろう」
二人はぎゅっと抱き合って、イーアンは伴侶の背中を撫でてとんとん叩く。ドルドレンは感極まって泣く。
イーアンは、泣き続ける人にはいつも抱き締めて歌を歌う。低い声で、自分の世界で覚えた歌を、泣き止むまで続ける。ドルドレンはそれを聴いて思い出す、最初の頃。あの時も、俺は守ってもらったんだなと思うと、少し笑顔が戻った。
「もう大丈夫かな」
イーアンがちょっと体を起こして、伴侶の顔を笑顔で見ると、灰色の瞳は濡れて銀色に光り、黒髪の美丈夫が微笑んで頷いた。『前も。そうしてくれた』ドルドレンはえへっと笑って、イーアンにキスし、もう一度寄りかかった。イーアンも彼を抱き寄せて撫で続けた。
話の流れから、イーアンの寿命に移ったが。この後イーアンは、オーリンの寿命について話を戻し、続けた。
「そうしたことですから。きっとね。彼は長くあの町に住むには、もう、覚悟を決めて居座るしかないと思うのです。彼が出来ればの話ですが」
「それを、オーリン自体が気が付いていなかったのか」
「気が付いていなかったような。『よく考える』と別れ際に言っていたので」
彼に一番、良い形で移住が叶うと良いねと、二人は話した。話しながら、ドルドレンはその後も、時々、イーアンの寿命と自分の寿命・・・そして前回の二人のことを考えていた。
ご先祖ギデオンに、酷い目に遭わされたはずのズィーリーは、そんなクソッたれのギデオン(※ご先祖だけど軽蔑)の元へ戻り、大事にしてくれる男龍を振り切って、生涯、地上で人として過ごして消えた。
話だけ聞いてみれば。ルガルバンダの方が、絶対にイイ男じゃないか!と、ドルドレンは悲しくも、認めざるを得なかった。タンクラッドも言っていたが、それでルガルバンダがイーアンを攫ったと思えば、当然の行為にも思えた。
・・・・・攫うな、俺でも。龍になった時点で空に連れて行けるなら、『イーアンが情にほだされる前に攫わねば』くらいで挑むかも知れん。まして『見た目そっくり』と聞いていただろうし、蘇る恨み。
もう二度とあんな思いをさせたくない、と。そりゃ思うわな。それも、今回も相手が子孫とくれば・・・俺。俺だよ、俺。子孫だった~
自分の親父とジジイでも、嫌だったのに。まさか英雄のはずのご先祖まで、そんな不埒な男だったとは(※元祖もそう、とはまだ知らない)。
固く目を瞑って、頭を振る美丈夫。横で話していたイーアンは、急なその動作に驚いて、ちょっと止まる。じっと伴侶を見ていると、何やら拳を握って、うん、と頷いていた。
ドルドレンは決意を新たに、イーアンを一生涯、愛して守ろうと決める。しょっちゅう決めてるけど、今回も決めた。
「イーアン。もう大丈夫だっ」
「はい。何のことか分かりませんが、大丈夫ですね」
そう、大丈夫っ ドルドレンはイーアンを再びぎゅーーーっと抱き締め(※愛妻、おえって言う)。
「俺は旅でも付きまとうし、魔王の決戦の時も、君に一緒に戦ってもらうし、旅が終わっても一生、世話してもらう」
固い宣言をもらったイーアンは、何だかちょっと意向が違う気がしたが、ドルドレンなりの決心を理解して笑顔で感謝した。寿命の話で不安になったのかなと思い、イーアンもそのつもりであることを伝えた。
この後。イーアンはファドゥに連絡し、今日のお皿ちゃんのお礼を改めて伝えた。ファドゥはズボァレィのことで、もう少し教えてくれて、あの板を繋いで作った船もどこかにあるらしかった。
『それはだが。イヌァエル・テレンではないだろうな。あんなものがあったら、どこかで誰かが見ている』
『地上にあると仰いますか』
『あるとしたら。あれは簡単に壊れない。恐らくどこかしらで眠っている』
イーアンは情報にお礼を言い、また近いうちに伺いますと挨拶して通信を切った。ファドゥが、なぜ今。船の話を出したのか、その意味を考える。
情報としてだけ、脳裏に留めて置くことが良いような気もする。いつか、それを見た時。もしくは近づいた時、自分がすぐに思い出せるように。
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