57. 魔物退治の準備
「イーアン!」
馬車の後ろに着いたイーアンに、後ろから走ってくる音と共にドルドレンの声が響く。振り向く前にドルドレンが背中側で勢いよく立ち止まり、すぐイーアンの肩を掴んで屈みこむ。
「大丈夫か?何があった?アホに何を言われた? そんなに怒っている顔なんて初めて見た。何かされたのか?」
心配そうで、不安そうで。ひどく困惑した顔で、イーアンの目を覗き込んだドルドレンが、イーアンに質問を寄せる。
イーアンはすぐにいつもの表情に戻って、笑う。『いいえ。私が何かしたかもしれませんが、されていません』と答えた。瞬きしながら不安な顔で自分を見つめる黒髪の騎士に、『さっき』とイーアンは微笑む。
テントでチェスに言われたこと。頭に来た自分が言い返したこと。テントの外でのやり取り。
一言も違えず、きちんと伝えた内容に、見る見るうちにドルドレンの灰色の瞳に怒りが燃え上がる。イーアンはドルドレンの手を握って『あなたは怒らないで下さい。私の起こした問題です』と伝えた。
「私は、援護として来た部隊の一員であるにも拘らず、死闘を繰り返している隊長に無礼な発言をしました。いくら侮辱されたとはいえ、援護するべき相手を怒らせ、決裂を生みかねない発言を我慢できなかったことは私に非があります。ですから、この件は私が責任を取ります」
「何を言っているんだ、イーアン。イーアンは何も悪くないんだ。
どんな事態だって、部隊長ともあろう者がそんな態度をとって良いわけがない。部下を思うように扱うのではなく、部下を正しく守るためにあるのが上司だ。チェスの行為は真逆で、とんでもない」
イーアンは、美しい顔に怒りと悲しさを映したドルドレンに微笑む。
馬車の荷台に箱を置いて、ドルドレン越しに川を見た。しばらく黙り込み、イーアンは何かを思い切った様子で、うんと頷いた。
「ドルドレン。お願いがあります」 「何でも言え。何でも叶える。別れる以外は」
真面目な顔で言うドルドレンに、吹き出すのを堪えて、イーアンは『それはないから』と念を押した。
イーアンはよく考えながら、誤解のないように簡潔に用件をまとめた。
今日。
最初にトゥートリクスの力を借りたいこと。次にスウィーニーとアティクとダビに力仕事を頼みたいこと。その間に全体のテントを畳んで、馬車も馬も全員、現在地から出来るだけ離れた高台へ行ってほしいこと。『これは念のため、です。高台は川下の方に見えるこちら側の、大岩が突き出ているところまで行ってもらえたら充分です。馬車も上がれそうですから』と付け加えた。
その後、ダビとロゼールに手伝ってもらいたいこと。
「ここまで済んだら、私とドルドレン、フォラヴさんとシャンガマックさん以外は、全員避難して頂く様に伝えます」
「避難?」
イーアンはニコッと笑って、『そう、避難』と繰り返したが理由は言わなかった。
「派手にやります」
いつもの笑顔を浮かべた顔で、イーアンは川を見やった。『必ず、皆さんを守るために』と呟いて。
ドルドレンに召集された北西支部の騎士たちは、イーアンの説明を受けた。
最後まで段取りを話すと、全員、理屈も理由も分からないままだけど頷いた。多分、なんか、大丈夫なんだろう、といった具合で。
イーアンはちょっと考えて、ギアッチに視線を向けた。ギアッチは鳶色の瞳を捉えて、何かを知っているように頷いた。イーアンがその反応に頷き、話し始めた。
「私のこれから話すことが、きっと分かりにくいこともあると思うのです。でも皆さんになぜ、お願いするのか、何をするつもりかを話したほうが良いので、簡単にお話します。
ギアッチさん。あなたなら解ってくれると思います。補足して下さい」
最初のトゥートリクスには、魔物がどれくらいいるのかを出来るだけ正確に確認してもらう。頭数以外に、範囲、距離。滝つぼから、どれくらい離れた場所までいるのか。
「これは、確認できる魔物を全て対象にするためです」
一番、川下側にいる魔物の場所に、スウィーニー・アティク・ダビの三人に、川を一旦堰き止めるための木を倒してもらう。完全に堰き止めるわけではなく、水底は隙間があって良くて、川の中から水面までを倒した木で分厚く遮りたいこと。
「魔物を滝つぼからその位置まで閉じ込めます。異変に気付くとか、水底の隙間から逃げる、という行動は取らないと思います」
堰き止めた後、滝つぼから少し離れた部分の川に、ロゼールとダビで塩を撒いてほしいこと。ダビの石弓に太い綱を付けて対岸の木に飛ばし、張った綱を足場に、ロゼールに川を横断しながら全体に塩を落としてほしいこと。
「滝つぼはまだ水が浅く、滝も細い状況です。塩を私がお願いする分だけ、川を横断しながら撒いてほしいのです。この塩で、魔物の体の状態を調整します」
それから、イーアンとドルドレン、フォラヴとシャンガマックが、2頭の馬で段に上がり、あの倒木をドルドレンに切ってもらうこと。その後はすぐ、ドルドレンはウィアドに乗って、シャンガマックはフォラブと乗ってきた馬に乗って、少し高い場所へ逃げてほしいこと。
「ドルドレンにはとても危険な役目をお願いすることになりますから、本当に申し訳ないです。あの倒木のうち、両岸に掛かった木ではない、もう2本の倒木を切り分けてもらいます。すると水が勢いを増して滝になって流れるでしょう。
切った場所に水が押し寄せたら、ドルドレンはシャンガマックさんと一緒に、馬で高い場所へ上がって下さい。シャンガマックさんはウィアドをすぐ用意できるように近くにいて下さい」
イーアンは最後にフォラヴを見て、少しすまなそうに微笑んだ。
「フォラヴさん。ドルドレンとシャンガマックさんが馬を走らせるタイミングで、私を抱いて滝つぼへ落下してください。恐らくですが、私が投下するものによって、水に沈む手前で私たちは弾き飛ばされます。その風に乗って、岸へ着地することが出来ますか?」
「もちろんです」
イーアンが言い終わると、ドルドレンが甚く心を痛めている目で彼女を見ていた。
フォラヴは総長に『私は、彼女を決して離しません』と約束した。『その言葉の意味による』とドルドレンが答え、イーアンもフォラヴも苦笑した。
「私は、魔物の体を中から壊す気でいます。切って傷ついても戻る体の持ち主に対して、元の体の作り全体に影響する方法を使う以外、私には思いつきません。
ドルドレンが上流で水を流した後、溜まった水の勢いで滝は一気に落ち、川の水は溢れ返るでしょう。撒いた塩も巻き返されて川下に向かって流されます。川下は堰き止めてありますから、溢れた水は堰を超える水と、堰を壊す手前で一旦戻る水に分かれると思います。戻るほうが多いはずです。
魔物は閉じ込めてありますから、魔物のいる川の部分は撹拌されて、もともとある水の圧力と、滝が作り出す気泡の激しい圧力がぶつかって、魔物の体の状態に影響を与えます。塩はその影響をさらに手伝うはずです。川が溢れた後、しばらく状況を観察し」
「魔物の体が変形して全滅していたら帰還。ですね」
ギアッチは賢そうな目に光りを称えて、面白い、といったふうに頷いた。言葉を繋いだギアッチに、イーアンは『はい』と嬉しそうに答えた。
「私は説明が上手くないのです。後はギアッチさんにお願いします。まずは私と一緒に、トゥートリクスさんと、スウィーニーさん、ダビさん、アティクさん。来て頂けますか」
ドルドレンが心配そうにイーアンを見ていたが、溜息をついて『イーアンの力に成ってやってくれ』と全員に伝えた。騎士たちは頷き、口々に『お任せを』と答えた。
トゥートリクスを先頭に川沿いを眺めながら歩き、川下のある所まで来て5人は立ち止まった。トゥートリクスがきょろきょろし『ちょっと待ってて』と一人でその先を見に行き、戻ってきて『ここまでだ』と指で示す。
滝つぼを振り返れば、示された地点はそう離れていない場所で、イーアンは滝の一番上を見上げてから少し考えた。そしてトゥートリクスに頭数を聞いてからお礼を言って、他の3人に『その位置に木を倒してもらえるか』を訊ねた。
川に覆い被さるように斜めに張り出す木々がいくらかあり、木の長さは川を渡せると判断し、3人は早速、木を切り倒し始めた。細い木もあるので、出来るだけ積むことが出来るように本数を多くして重ね、堰を厚く高くした。渡した木を伝い、対岸へ移動して対岸の木も切り、堰はしっかりした堅固なものとなった。
イーアンは皆の動きにひたすら感謝した。スウィーニーには、北の支部の部隊に移動するよう伝える役目をお願いし、全員が高台の岩に上がってもらうよう伝えてもらった。北の支部と馬車が移動し始める時、イーアンはロゼールとダビに馬車から塩を降ろして運んでもらい、滝つぼへ移動した。
ダビに、強弓で矢に綱を結んで対岸へ放ってもらい、綱の端を手前の太い木の幹に結びつけた。川はまだ水も少なく、身軽なロゼールが綱を渡って滝つぼと付近の川の様子を伝えた。中央の深い場所でも3mあるかないか、その幅も2mほどでは、という。ロゼールは塩の袋を一つずつ持って、綱を何度も行き来しながら指定された量の塩を撒き続けた。
ロゼールの塩撒きが完了し、イーアンはロゼールとダビにお礼を伝えて、他の人と一緒に大岩へ上がるように指示した。2人はイーアンを見つめ、それぞれ、イーアンの肩に手を置いて祈りの言葉を呟いた。
「あなたの知恵が、確かな実りとなりますように」 「イーアンにメーデ神のご加護を。無事で」
イーアンは感動して胸が熱くなり、心から感謝しながら『さぁ』と二人を岩へ送り出した。手を振る二人に手を振り返すと、側に2頭の馬に乗った騎士3人が近づいた。
「イーアン。行こうか」
ドルドレンの顔が笑っていない。イーアンは『心配かけてごめんなさい』と灰色の悲しそうな瞳を見つめて謝った。ドルドレンは黒髪を揺らして頭を振り『謝らないで』と言ってくれた。
大岩の上に他全員が移動したことを遠目で確認し、4人は段の場所まで、昨日の道を上がり始めた。
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