577. ミレイオの心配
北西支部に戻った総長&シャンガマック。夕方になる頃で、二人はそのまま支部に入った。褐色の騎士は横を歩く総長に訊ねる。『イーアンは。夜、戻れるんですか』その言葉に、総長はどう答えて良いか、一瞬、躊躇った。
「戻る。だが夕食は、ミレイオと一緒かもしれない」
少し考えてから、シャンガマックにそう言うと、褐色の騎士はじっと総長を見つめ『総長。一緒に行かなくて、良かったんでしょうか』と畳み込む。総長は、前を見ながら頷く。
「うむ。それは。大丈夫だ。ミレイオはイーアンに優しいから」
「でも。見た感じ。笑っていなかったような。東を出た時と雰囲気が違いましたよね」
総長は執務室へ向かい、部下の配慮と今日の付き合いに礼を言った。『シャンガマックが心配することではない。大丈夫だ』気にするなよ、と声をかけて、ドルドレンはささっと執務室へ入った。
褐色の騎士は鎧を外しに広間へ行き、一人思い出す。ミレイオは少し。少し何か。『あの人。違うんではないか』いつも、普通の人には見えない外見だけれど。そういうのとも違う、何かを、別れ際の空で感じていた。
「イーアン。困ることにはならないと俺も思うが。ミレイオが少し怖かったな。すぐに戻ると良いが」
褐色の騎士は、ミレイオの正体は知らないが、何か違う雰囲気を肌で感じ取っていた。そして、龍の背でイーアンが困っていて、ミレイオが何かを問い詰めていた様子を思い出す。有無を言わさず自宅へ連れて行かれたような、そんな印象を受けていた。
アードキー地区に降りたミンティンは、イーアンとミレイオを降ろしてから、ミレイオをちょっと見つめる。刺青パンクはちらっと龍を見て『何よ。変なことしないわよ』と呟いた。龍はイーアンを見てから、首をゆらゆらと振って、それから空に戻った。
「龍も戻ったし。うちで話聞かせて」
「でも。あのう。これは個人的なことなのです。先にも言いましたが、話せない部分もありまして」
「良いから。あんたが話さなくても、私が訊くからそれで良いの。おいで」
イーアンは悩む。でも手を握られて、ぐいぐいとミレイオ邸へ連れて行かれ、とりあえず上着を脱げと言われた。これはもう。夕食を過ごすノリと思うイーアン。少し凹む。うっかり、ヒョルドの名前を出した自分に反省する。
上着を渡して、壁のフックに掛けてもらう。ミレイオは、イーアンを台所へ連れて行って座らせ、自分は火を熾した。それから黙るイーアンをちょっと見て、食材を出しながら言う。
「食事。食べよう。うちで。ドルドレンも多分、そのくらい分かってる」
「でも」
「『でも』じゃないよ。あんた、ヒョルドって地下のヤツでしょう。誰って聞いたって、だんまりとか、はぐらかすとか、もう『地下の人』って言ってるようなもんじゃない。
どんな関わり方したのか、話してご覧。イーアンは分からないだろうけど、地下のヤツって面倒なのよ。龍と基本的な性質が違うんだから。これから関わられても困るでしょ」
ざくざくと野菜を切り始め、ナイフを持った手をイーアンにちょいと向け『これ、すり下ろして』と命じる。イーアンもいそいそ側へ行き、大振りに切られた野菜をすり下ろすお手伝いをする。
ミレイオは、鍋に穀物と野菜を段にして敷き詰め、一番上に油漬け魚の切り身を置き、酒を注いで蓋をして、火にかけ始めた。保存食の肉も出して切り分け、天板に並べて、別に切った野菜と一緒に煉瓦窯に入れる。『今日はもう、野菜と一緒に焼いちゃう。簡単だけど、早く作って話の時間、取ろう』いいね、とイーアンに振り向くミレイオの顔が笑っていない。
イーアンは困る。本当に困る。ヒョルドと約束した以上。詳しいことなんて話すわけにいかないのだ。大丈夫です、と何度も言っているけれど、ミレイオは『何が大丈夫』と首を振って聞かなかった。
ミレイオからすれば、心配。地下の住人に関わられると、人間は弱い。人間の感情で付き合ったら、あっさり連れて行かれてしまう。
イーアンは優しい。きつい部分はあるにしても、情に訴えると油断が見える。だから、以前は人間のバカな男にも使われてしまったんだと分かる。そんな部分が見えたら、質の良くない地下の住人には、餌そのもの。
――ヒョルド。ヒョルギハーダ。前に、ハイザンジェルの王都で出会ったことがある。お互いにすれ違いざま、相手が誰なのかをすぐに感じた。
ミレイオは話しかけなかったが、ヒョルギハーダは通り過ぎたすぐ、振り返って声をかけた。
『随分。派手なガラだね。そのガラ、見たことあるなぁ』ミレイオの刺青を見てニヤニヤ笑っていた。
結局、ミレイオは相手にしたくなくて、適当に追い払って帰ったが、後から調べたら、ヒョルドが人間を殺していると知った。
それも、自分の力の加減も考えずに操り続けたような話で、ミレイオには、力の使い道をずさんにする愚か者にしか思えなかった――
「まだ。地上にいたのね」
やだやだ、と首を振る。ちょっと横のイーアンを見ると、俯きがちに、しょりしょり野菜をおろしている。『イーアン』名前を呼んで、こっちを見させる。
ただでさえ垂れ目なのに、もっと垂れてる。それが困った犬みたいで可愛いので、つい笑ってしまった。『なんて顔してるのよ』そして、イーアンの手を止めて『それ以上やると、あんたが怪我する』と教えた。イーアンの指近くまで、野菜はすりおろされていた。
引き取ったボウルに調味料と香菜を入れて『これは、肉と野菜に付けるやつよ』そう言って、ざっと混ぜ合わせたボウルを調理台に置いた。
「おいで。焼けるまで座って。お酒飲む?」
いらない、とイーアンが言うので、ミレイオは自分にだけ酒を注いで『欲しかったら後で言いなさい』と、イーアンにはお茶を出した。
赤い長椅子に座らせて、ミレイオも横に座る。じーっと見ていると、イーアンはもじもじしていた。居心地が悪そう。
「何で話せないの。約束でもしたの」
「はい。それと、個人的なことです。また、解決しています」
「あんたが解決したって、相手はそうじゃないかもしれないでしょう。確認取ったの?」
「それは確認していません。だけど」
話にならないので、ミレイオはイーアンの頬に手を添えて、自分を見させる。目を合わせなさい、と言うと、鳶色の瞳が困惑気味にミレイオを見た。
「ヒョルドって言ったでしょ?そいつ、碌なヤツじゃないのよ。
サブパメントゥって、ざっくり『操る』力を持つわけだけど。操るにも、いろんな種類があるの。人間が想像する範囲なんて、全然小さいの。コルステインの話が出たばかりで、びっくりしたけど。あれから間もないのに、ヒョルドに関わったなんて。
コルステインはまだ、あんたじゃなくて、ドルドレン目当てみたいで・・・それも何だけど。昨日?昨日って言ったか、ヒョルドはあんたでしょう。私は心配なの、分かる?私がいつも一緒ってわけじゃないんだから」
「ヒョルドは悪い人じゃないと思うのです。悪いことをした自覚がありました。ちゃんと彼なりに償ってきたし、もうそれも過去です」
「も~。ほらね、あんたはそう言うと思ったのよ。それがつけ込まれるんだって。相手は人間じゃないのよ。あんた龍だろうけど、まだ成り立てほやほや。ホワホワしてるでしょう?完全じゃないんだし、油断しちゃダメなのよ」
『何があったのか、お話しっ』ミレイオは迫る。イーアン困る。目を閉じて頭を振り、『言えないです。約束です』と頑張る。ミレイオの目が同情的になり、小さな角の先を摘まむ。ちょいっと持ち上げて『こっち見なさい』顔を寄せて呟くと、イーアンはちらっと見た。
「約束って言うけど。ホントに何かあってからじゃ、もう遅いの。一回あったら、それが最後かもしれないんだよ。あんたは強いって知ってるけれど、あんたの弱みは心が人間なのよ。それは弱いわよ」
心も丸ごと、龍みたいなら心配しやしないわよ・・・・・ ミレイオも困って酒をちょっと飲み、窯を見てから『もうちょっとかな』と肉と野菜を引っ張り出し、『温度が落ち着くまでね』そう言って、調理台に天板を置いた。
「ヒョルド。何か言ってなかったの。あんたに次も会うような、そういった網は感じないの」
「ありません。いろいろと話しかけられていましたが、次回の約束はしませんでした」
「なーんにも痕跡もなく。あんたと接触して終わる。そんなわけはないのよ。名前、あんたが知ったってことは、相手もあんたの名前を知ってるでしょ。それは既に次もあるようなもんなの。
コルステインがそうでしょう。あれは、先祖代々の絡みみたいだけど。しつこいんだって、サブパメントゥのヤツは」
俯くイーアンに、ミレイオは覗き込む。『何か。借りでも作られなかった?言葉じゃないなら、何か渡されるとか、そういうこと』本当にないの?と訊く。イーアンの目がちょっと泳いだ。ミレイオはそれを見逃さなかった。
「何かもらったの?」
「ヒョルドかどうか。もらったのかどうかも」
「何なの。言って。それはヒョルドじゃないかも知れないんでしょ?なら言えるでしょ」
え~~~・・・首を振ってイヤイヤするイーアン。少し半泣き。もう、ミレイオもここまで来るとじれったくなる。『こら』イーアンの頭を抱えて、角を摘まんで引き上げた(※強制的に顔の角度を動かせるアイテム)。
「言いなさい。もらったかどうか、ヒョルドかどうか。分からないんなら、言えるでしょう。それが厄介物か安全か、それくらいは私が判断できるわよ」
「でも。もしヒョルドだったらいけません」
ふんふん半泣きになって嫌がるイーアンの強情さに、ミレイオも頭を押さえて苦笑い。『あんたって』困った子ねぇと、頭を抱き寄せて髪を撫でる。
「泣かないで頂戴。もうイイ年なんだから、泣かないっ 私は心配なんだって。そう言ってるでしょう」
「分かっています。ミレイオが心配して下さることは有難いです。でも言えません。約束したのです」
鼻をすすり上げて、涙目で訴える。笑ってしまうミレイオは、小さな顔を両手で、包んで涙を拭いてやった。『そんな義理堅くたって、相手は何も思ってくれないのよ』そういうヤツなの、と念を入れる。
「だって考えてみなさいよ。これでヒョルドがあんたじゃなくて、ドルドレンに何かしたら。あんた、どうすれば良いと思う?ドルドレンも知ってたみたいだから、名前を言っちゃったんでしょ」
「ドルドレンには、ビルガメスの髪の毛があります」
「そうだけど。ビルガメスの贈り物は強烈だから・・・私も欲しかった。って違った。そうだけど、そっちじゃない。
あの、ビルガメスの贈り物だってねぇ。効く相手とそうじゃないのがいるのよ。おいそれとは、太刀打ち出来ないと思うけど」
それを聞いて、イーアンは黙る。ドルドレンに何かあったら、それは困る。でも、ヒョルドはそんなことしないような。
考え込むイーアンを見て、ふーっと溜め息を吐き、ミレイオは食事の支度をした。『食べましょ。丁度良い具合だから』鍋ごと運んで、蒸し焼きにした野菜と魚を皿に分け、天板の肉と焼いた野菜にソースをかけた。
二人は食べ始める。イーアンは、とても美味しいと言って、微笑んだ。でもヒョルドのことと、ドルドレンに何かあったら・・・そのことで、微笑みながらも大人しく食事を続ける。
「美味しい食事。なのに、美味しそうじゃない」
ミレイオが食べながら、ぼそっと言う。イーアンは急いで『とても美味しいです』と繰り返す。『本当に美味しいです。これなんか、味わいが深くて』そう言って魚を野菜と一緒に頬張って、もぐもぐしながらミレイオに頷く。
ちょっと笑うミレイオは、イーアンの口からはみ出た、魚の鰭を引っこ抜いてやり『無理しないで』と言う。『ヒョルドねぇ。私は良いヤツだと思わないの。何でかって言うとね、あいつ、加減も分からないで人間殺してるのよ』だから、心配・・・・・ ミレイオは言いたくなさそうに声を落とす。
「何かあったら。もう遅いんだって。あいつの操るってまた違うの。相手になっちゃうみたいなのよ。相手の意識が自分の意識。分かるかしら?」
イーアンはじっとミレイオを見つめる。ミレイオは続けた。
「私はね。人を殺すとか、絶対ダメとは思ってないの。どうにも出来ないヤツって殺すもんよ。でもそれは自覚が大事。
ヘンな言い方だけど、ちゃんと、相手の命も人生も奪うって意識で行くなら。そこまでやっても、自分の呵責も、背負う罪にも耐えられれば、あるんじゃないの?とは思ってるわけ。
だけど、そんな覚悟も何にも無いヤツが、その時の勢いとか未熟さだけで誰か殺したりって、バカでしょって思わない?後からゴメンナサイで済まないのに、それやっちゃうアホっているの。ヒョルドはそっち」
イーアンは思い出す。『キライなヤツは殺す、それが人間のやることか?』『憎けりゃ殺すのが人間だろ』と。ヴェニスの商人の物語の、バッサーニオとシャイロックの会話にあった言葉を。
昨日聞いた話では、ヒョルドも理解が追いつかなくて、人間の男性を殺してしまった。憎かったからでもない。単に、好きな女性を手に入れたかったから。
そうした可能性が、彼に今後もあるのかと言われたら。ないにしても・・・では、もう関わらないでくれるかと言われたら。分からない――
「分かる?相手が人間でも困るけど、人間どころじゃないの。力が違うのよ。あんたを狙えなくても、あんたの大事な人間は、あっさり狙える相手なのね。そうなったら大変でしょ?」
ミレイオは料理を食べ終えて、口を拭く。イーアンの皿も空になったのを見て、お茶を淹れてやった。
「大変です。そんなことになったら、とても大変。でも。約束したのです。私は約束する以上、責任を取ります。ヒョルドはそうしたこと、しません。彼はしません」
ミレイオを見れず、イーアンは下を見て、小さく呟いた。ミレイオは大きな溜め息。その時、ミレイオはバッと立ち上がる。イーアンが驚いて見上げると、ミレイオの顔に青い模様が浮かび上がった。
「出てこい。俺の家に入り込むなんざ、なめたヤツだ」
「怒るなよ。ちょっとお邪魔しますってだけじゃん」
ミレイオの模様が青白く光る。目の色は真っ白に見えるほど、瞳孔が縮んでいる。イーアンはビックリして、ミレイオの見ている方向を見た。大きな黒い蝙蝠が天井に貼り付いていた。
「俺の家に入ったってことは、お前が死ぬって分かってんだろうな」
「だから、ちょっと入っただけ。すぐ出てくよ。話させろって」
「ヒョルド」
蝙蝠に呟いたイーアン。ミレイオはイーアンの側に動き、背中にイーアンを隠した。『もう死ぬ準備は出来たか』低い揺れる声が、ミレイオの体から震える音で空間に響く。
「あんた、俺のこと覚えてたんだね。死なせないでくれよ。イーアンが困ってたから、聞いてられなくて出てきただけだ。ちょっと、ちょっと、おい。締めるな。俺を潰すなよ、俺が言うから」
ミレイオの目が白く煌々と光を放つ中、抵抗しない黒い蝙蝠の目が何度か瞬きした。『話したら出てくって』枯れた声が、何もされていないのに苦しそうに呻く。
イーアンはミレイオの手に触れて『ミレイオ』と頼んだ。振り向いたミレイオは、すっと目を戻して困ったように頭を振る。『だって』そう呟くミレイオの手をぎゅっと握って『大丈夫です、大丈夫なのです』イーアンは真っ直ぐ、自分を守ろうとする、色の違う瞳を見つめて答えた。
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