575. 東の遠征地アクスエク演習指導
質問を受けていたイーアンが、ふと空を見て振り向く。『来ました』イーアンは東北東の空を見つめ、オーリンの気配を呼ぶ。
「ミレイオ。オーリンが来ます。彼はあなたを恐れていました。謙るように言いましたので、許してあげて下さい」
イーアンの言葉にミレイオは笑う。『謙ってくれるの。分かった』と答えて、イーアンを抱き寄せた。『オーリンもバカじゃないからね』上には上って、理解したのね、と笑顔を向けた。イーアンも笑顔で頷いた。
暫くして、オーリンの龍、ガルホブラフが陽光を撥ね返して空に見えた。イーアンが手を振ると、ガルホブラフは真っ直ぐに降下してきた。背中のオーリンはミレイオを見て、ちょっと目を反らす。
「オーリン。久しぶりに思えます」
「そうだね。一週間?そのくらいだろうけど。イーアン、角が良いね」
角が生えた時、オーリンは帰り道一緒だったので、指差してニヤッと笑う。イーアンは龍から降りるようにお願いし、相談したい内容を早々伝えた。弓職人は後ろを振り返り、じっと山々を見た後、ゆっくりとアクスエクに広がる土を見た。
「ちょっと、イーアン。こっちに一緒に」
手招きされて、イーアンはオーリンと一緒に、草の少ない川縁へ近づいた。『この土の色。見て分かるか』オーリンが一つまみ取って、イーアンに見せる。
「いいえ。分かりません」
「色。何色に見える」
赤っぽいようです、と答えるイーアンに、オーリンは頷く。そして改めて風景を見るように、片腕をぐるっと水平に動かした。『ここら辺は鉄が入るんだ。向こうの丘陵、木が生えてるけれど、崩れた場所は赤黄土色だろ。風も強いし、夏は日差しも照りつけるから、酸化が早いんだよ。で、俺の家の方は山だけど、山の合間の川を見たことあるっけ』オーリンはイーアンを見て訊ねる。
「ないです。いつも直行しています」
「そうか。あのね、俺の方の山は白っぽい岸壁が多いんだよ。あの山の向こう、もっと先に行くとガクンと海に繋がるんだ。昔、俺のいる山くらいまでは、全部海だったのかもしれない」
オーリンが言いたいことは分かった。『もしかして。あなたの家の近くにある鉱山は』イーアンが気が付く。黄色い目が笑みを含んだ。『そう。目灰だ』他のもあるけど、とオーリンは言った。
「目灰が欲しいんだろ?うちのほうの鉱山は、露天採掘だから、側まで行けば見れる。騎士修道会でも東の支部が購入するなら、それほど日数もかからないで調達できるだろうな」
「そうですか。それなら良かったです」
「目灰。どうするんだ」
ここの魔物に使おうと思うと言うと、川を見たオーリンはハハッと笑う。『引っ張り出さないと』難しいよ、とイーアンを見たので、イーアンはそれも考えていると教える。
「ここの世界では、目灰は何に使うのですか」
「家の下地とか。畑の土調整、あと何だ。家畜の飼料とかね。農家が多い地方には、出荷してるんじゃないの。染色も使うか。でもこういうの地域的な使い方だし、地方では採れなきゃ目灰なんか、全然知らない場所もあるぞ」
「流通が。そうですね。普及するにも、違うもので成り立っている場所には、必要ない場合もありますね」
「そういう感じだろうな。目灰はだから、東でも限られた地域なら、よく使うよってこと。
ところで、最初に言った、ここの鉄の入った土。アクスエクはこれが全域だと思う。見ての通り、大した草木もない。生えないんだよ。
イーアンが気にしている『この地域に、もしも大量に目灰を使った時』の話は、この辺りなら問題ないんじゃないの。誰も住んでいないし、この川の続きは結構な長さで進む。その間に沈殿するだろうし、毎日何年って使うわけじゃないだろ?」
一時的に使うとイーアンが答えると、オーリンも『大丈夫だろう』と答えた。
オーリンとイーアンは、話し終わった後、騎士たちに目灰の話をした。目灰の実用が農家のもの、という印象の騎士たちは、そんなものでどうにかなるのかと話していた。
「イーアンがさっき話していた、川から上がった魔物にかける『骨の粉』って。目灰だったんですか」
一人の騎士が確認したので、イーアンはそうだと答える。『私は昔の言い方で覚えていました。目灰というのが、多分・・・一般的な呼び名です』ちらっとオーリンを見ると、彼も頷いた。
「でも、あれ。そんな煙とか湯気が出ますっけ?うちは農家で、親が土に混ぜて使っていたけれど、雨がかかったくらいじゃ、別に何ともなかったですよ」
その手前の加工状態で使うことを、イーアンは説明する。『あれだろ?炉に入れた時のだろ』そう助け舟を出したオーリンは知っているようで『あるから、一つ袋を持ってきてやる』と言ってくれた。
オーリンが一旦戻った後、イーアンは再び説明に入る。
こんな時、ギアッチが欲しいイーアン。あの分かりやすい説明。先生~助けて~ ギアッチを連れて来なかったことを悔やみつつ、改めて解説。
「オーリンに確認し、実行出来そうな方法です。ここは川が多くて、ほぼ草木がありません。見通しも良いし、風が吹けばその風の影響は大きいでしょう。もしかしますと、風が味方になる時期に会うかもしれません。
前置きはこれくらいにして。先ほど説明した、最初に魔物が出ている場所。もしくは出そうな場所に向けて、火が最初です。消される前提で火矢も含む、焚き火も点々と用意して、魔物をおびき出します。これは、先ほどの話のまま。
川縁に近い場所の火は、魔物はすぐに消しにかかるとか。遠くにある大きめの焚き火は・・・水噴射の距離が分からないので大体ですが、思うに魔物は陸に上がって、消そうとするのではないかと思います。魔物が陸に上がるお話でしたので、多分そうなると仮定します。
魔物が陸に上がり、川から少し離れたら。この距離が大切です。馬で、目灰の袋を引いて走ります。出来るだけ早く駆け抜け、魔物に目灰がかかるようにし、この時、騎士の皆さんは極力離れます。目灰がかかった魔物は変化する・・・はずですが。変化すれば、攻撃しやすいと思うので、川に戻る前に倒します。
ただ。これは推測の粋を出ません。これが効くかどうか。私が魔物を見ていないので、確かかどうか、何とも言えないです」
ドルドレン、手を上げる。イーアンは『はい、ドルドレン』と指差す。ドルドレン、うんと頷く。
「これ。風が微妙だろう。炎がこっちに向くかもしれないし。目灰だって、吹き飛ぶとなると」
「そうなのです。ですので、退治する前に風向きを確認して動きます。風がこちらの側から、川に向かって吹く時を選びます。左右どちらかの川縁に移動して、行います」
騎士の一人が手を上げる。イーアン『はい』と指差し、騎士も、うんと頷く。
「雨だったら、どうでしょうか。最初っから雨」
「目灰そのものを使いません。つまり、この方法ではないです」
イーアンの言葉に、全員が続きを待つ。東は雨が降る確率は高い。今後は雨も増える時期に入る。イーアンは言いにくそうに答える。これを話すと、皆さんは天候や状況ではなく、方法の選択肢だけを見てしまう気がした。
「二つ、あります。これはどの方法にも言えるのですが、私は最初に、魔物の動きを封じると言いましょうか。身動きが取りにくい状況を作ってから、その後に攻撃します。雨でも同じことを考えます」
アミスはそれを聞いて、そこで遮った。『そうか。でも今は、目灰の方法だな』アミスの言葉でイーアンは微笑む。アミスも分かっているようで『続きはまた今度』と引き取ってくれた。
「もし今日なら、どう動くことが出来ると思う」
「はい。魔物がどれくらいいるのか、分かりませんけれど。この人数で行うのであれば、一度馬車へ戻って、焚き火の材料と、火矢の準備をします。
風向きは、午後に入って変わったようなので、川に向かって風上に、焚き火を配置します。調理油をどれくらい積んでいるか・・・対象にする距離の草むらに油を撒いて、火矢はそこに向けて放ちます。
目灰の袋を引く馬は、足の早い馬が良いです。でもここが問題。オーリンは、一袋だけ持ってきますので、使用量は足りませんでしょう。
ここまで話しておいて、こんな結論で申し訳ありませんが、もしも今日、実行してみると仰いますなら、目灰が魔物にかかった様子を確認した上で、その続きは私が引き受けます」
アミスとドルドレンは、目を丸くして『イーアンがやるの』と同時に訊く。イーアン、困ったように頷く。
「だって。準備もありません。『戦法指導で一緒に考える』と、そうした内容でした。現地に来て、私はこれを思いついています。実行するのであれば、材料も状態も不安定ですから、魔物が多かった場合は、私がミンティンと出るしかありません」
責任取らないと・・・・・ イーアンも悩んでいる。『多分、龍になれば何とかなると思うけど』とか、あれやこれや、ブツブツ言い続ける。
くるくる髪の、ちっこい角の生えた女が困っている様子を、騎士たちはじっと見つめる。この人、一人で責任を取ろうとしている(※人じゃないけど)。自分たちが遠征何十人で相手をする魔物相手に、一人で。
「イーアン。困らせるつもりはなかった。実際に魔物が出てきたら、それは大変だ。だからもしも、と思っただけだよ」
統括アミス。イーアンお困り状態をやんわりと宥める。見上げる鳶色の瞳に微笑み、『大丈夫。しないから』と悩みを断ち切った。
ドルドレンも笑って、イーアンの肩に手を置く。『イーアンが一人で倒すことないのだ。責任を取ると言ったって、ここには戦える者しかいないのだから、任せてくれたら良い。でも実行しないから、その心配もないよ』ハハハ・・・総長も朗らかに流す。
離れたところで見ていたミレイオは思う。イーアンは、これまでこうやって彼らの力になっていたんだ、と。物を作るだけではなく、彼女は軍師だったのかと知った。『ふぅん。意外な一面(※作り手&お鈍な龍使いの印象)』すごいじゃ~ん・・・ちょっと誇らしくなる、さすが私の妹(※妹決定)。
そしてガルホブラフが帰ってきた。オーリンは龍の背に、どさっとした袋を数袋かけて戻る。『イーアン。結構あった。一つならあげるけど。これ、買うなら全部買っても良いよ』いきなり商売のオーリンに、アミスが笑って『いくらだ』値段を聞く。意外と安いと知り、アミスはその場で支払った(※ポケットマネー)。
「ということだ、イーアン。やってみても。魔物がいなければ無駄遣いにも思えるが、一応準備は出来そうだ。馬車には遠征用の準備そのままで、常に用意がある。火矢も油もあるだろう」
さっき。『しないよ』と言っていたはずのアミス。モノが揃って、さっそくお手並みを見てみたい気持ちに負け、笑顔でイーアンをけしかける。
ドルドレンは複雑だが、ちらりと愛妻(※未婚)を見ると、愛妻も困惑気味に小さく頷いていた(※やると思ったから)。
なので準備に入る。まずは部隊編成。野営地に戻り、弓引き10名の彼らは火矢の準備。そして剣士がドルドレンたちを合わせて20名以上。馬車隊は3名に減らし、陣に残ってもらう。イーアンとミレイオ、オーリンは、騎士ではないのでオマケ観戦。
アミスは、対象にする川の範囲を決定。風向きと風量を確認し、陣の場所を決めた。
アミスと一緒にいる、東の剣隊長ゲーエル・エスケンディル、弓部隊長ジュディセ・ホーワスが、イーアンと相談中。
弓部隊はそのまま火矢担当となり、エスケンディルの隊が、駿馬ではないが、その手前くらいの足の早さを持つ早馬を連れているので、彼らに目灰の袋を引いてもらう。
『馬1頭に2袋を繋いで、焚き火のこちら側を走り抜けて下さい。魔物は、川と焚き火の間にいるのを確認してからです。飛び掛られた場合は、急角度で陣に向かって走るようにして』イーアンが地面に線を引いて、場所を示す。
『馬が混乱しないでしょうか』エスケンディルの目が不安そうなので、イーアンはすぐ近くに剣隊を置くと話す。
「剣隊までの距離はそうありません。万が一ですが、馬が倒されても間に合うと思います。ただ、その前に反応が出そうなのですけれど」
イーアンは多分、大丈夫のような気がしている。聞いていると、ここで相手にしている魔物は、水から離れたがらない。すぐに火も消すというし、体が乾くのはイヤなのだろうと思う。だから、目灰=生石灰を浴びたらそれなりに、体の反応がありそうなのだ。ツィーレインの谷の魔物もそうだった。
イーアンの言葉に、東の騎士も不安を残すものの、頷く。イーアンは『私も側で待機します。何かあったら龍で補います』出来ることはする約束大事。今回は、自分が魔物を知らない状態で挑む。だから、責任は取りますと伝えた。
「では。目灰で魔物に反応が出たら、次が剣隊の出番だな。近くに控えているから、魔物に変化が起こった場合。それもこちらに有利な変化の場合で、剣隊が斬り込む」
そうです、とイーアン。アミスが確認し、手順を踏んでそれぞれの役割を認識する。風向きは問題なく、陣と川までの距離もある。
「オーリン。帰らないでいて頂いても良いですか。万が一の時、手伝って下さい」
「それって。俺が弓を使うって意味じゃないな。お手伝い役の意味で良いの」
ニコッと笑うイーアン。オーリンも嬉しそうに頷く。『良いよ、ガルホブラフもいる。ミンティンは?』イーアンは、その時になったらすぐに呼ぶ、と言う。弓職人は、とってもとっても嬉しそうに微笑んだ(※降格の懸念撤廃)。
「さて。では、やるか」
決定した範囲に、油を撒く隊。その後ろで、アミスたちの経験上、川からでは、魔物の水の噴射距離が届かない、離れた位置に幾つもの火を焚いた。焚き火の周囲にも目灰を撒いておいた。早馬にも目灰を繋ぐ。
「本当に魔物が出てきたら。の、想定だな」
弓矢を用意した隊長ホーワスが少し笑みを浮かべ『どこまで通用するかな』火矢の準備を整え、統括の合図を待つ。
ドルドレンとシャンガマックも、アミスの剣隊に入る。弓部隊が馬を使わないので、馬を借りて焚き火の近くまで進み、そこで待機。アミスが全体を見渡してから、右腕をすっと空に向けた。その瞬間、青空に炎の付いた矢が放たれた。
お読み頂き有難うございます。




