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魔物資源活用機構  作者: Ichen
ディアンタの知恵
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56. イーアン怒る

 

 夜は静かなものだった。魔物が上がってくると聞いていたが、特に何事もなかった。見張りは、水面に何も現れなかった、と変化のない状況を報告した。


 谷の朝はすぐに日が見えない。谷間は山影に隠れているので実際に日が見える時間は遅く、空は明るくなっていてもどことなく夜明け前のように感じる。冷え込んだ夜の続きで日光のない朝は寒く、焚き火と湯気の出る鍋の周りに騎士は集まっていた。



「水が少ないから大人しいのか」


「そういうこともないでしょう。単に偶々、魔物が上がってこなかっただけで」


「俺は多分、あの人と一緒ならどこに行っても魔物に遭遇しない気がしますけれどね」


「トゥートリクスのいう()()()は、あの人だな?」


 スウィーニーが視線だけで馬車の方を示した。イーアンが、負傷者用に新しい包帯と当て布を馬車から引っ張り出している姿があった。トゥートリクスは馬車を見ることなく食事を食べて、『昨日のお昼みたいなのが、また食べたいな』とぼやいた。


 アティクとシャンガマックとギアッチが食べている場所には、昨日の負傷者テントにいた北の支部部隊の騎士が2名来た。彼らは、薬を届けたアティクに厚くお礼を伝えた。


 薬の効果がてき面で、夜中の内に負傷者の熱や痛みが引いたことを始め、包帯を外して患部を見た者については、倍に膨れるほどの腫れが消えていたり、皮膚が崩れていたところに瘡蓋(かさぶた)が出来ていることなど、信じられない奇跡を見ているようだったと感動を交えて説明した。


「彼らはまだテントにいますが、起き上がって食事を食べる者も出てきています。何と感謝して良いか分からないです。本当に助けて頂き、深く御礼申し上げます」


 アティクは表情を変えないまま頷き、横にいるシャンガマックに『この男が薬の材料の植物を教えた』と言うと、シャンガマックにも彼らは頭を下げて『素晴らしい知識に称えあれ』と重ねて御礼を伝えた。

 アティクとシャンガマックが目を見合わせ、無表情のまま目の前の二人を見ていた。北の支部の騎士はその態度に戸惑った。



「彼女には礼を言わないのか」


 アティクが言葉少なく、目の前で頭を下げていた二人に訊いた。二人は何のことか分からず、『彼女、とはどなたですか』と言いかけ、一人が『手当の包帯をした人ですか?』と気付いた。


「イーアンが薬の種類を限定した。貴君らの負傷者の症状を判断して。俺はそれを薬にしただけだ」


 アティクはそれ以上言わず、食事を続けた。シャンガマックとギアッチは、謙虚にも見えるアティクの態度に少なからず驚いたが、この男らしいな・・・と思いもした。北の支部の二人は困惑しつつ『すぐにその方にもお伝えします』と言って去っていった。


「薬については、アティクもイーアンと同じことを考えていた、と昨日話していなかったか」


「同じことかもしれない。だがそれは俺があの時、イーアンの魔物の説明後に負傷者を実際に見たからだ。彼女は見ないでも知っていた」


 シャンガマックは首を掻いた。アティクは食事を終えて皿を片付けに立った。ギアッチはアティクの背中を見つめながら微笑んだ。


「彼女は面白い人物のようですね」


 シャンガマックは、手に箱を抱えて負傷者のテントへ入ったイーアンを目で追い、小さく溜息をついた。


「だから困るんだ」




 この朝。イーアンは早く起きて、よく眠っているドルドレンの温かい腕をそっと抜け出し、外套を羽織って焚き火に向かった。

 思った通りでロゼールとダビが朝食の準備をしていた。ダビは見張りだったらしい。彼らの手伝いをしていると、ロゼールが『イーアンは今日は大忙しだから先にどうぞ』と言って朝食を摂らせてくれた。


 有難く朝食を済ませると、皆が起きてくる時間に入ったので、テントに戻りドルドレンに声をかけて『負傷した人の包帯を換えてきます』と伝えた。ドルドレンが一緒に行く、と言ってくれたが、イーアンは一人で大丈夫と答えた。

 昨日の夜の様子では、負傷者はまだ口を利けるほどの状態ではない、と思ったからだった。渋る駄々っ子に『多分すぐ終わります』と笑いかけてから、馬車へ包帯と布を取りに行った。


 包帯と布を箱に入れて抱え、他の者が食事を摂っている間に負傷者テントへ向かった。テントの外から挨拶をして、中の人がイーアンを通した。彼はイーアン一人であることが気になった様子だったが、総長がいないと知って『昨日の薬、とても効きました。仲間を助けてくれてありがとう』とイーアンに囁いた。

 イーアンは驚いたが、同時にすごく嬉しくなって、自分を見つめる騎士に笑顔がこみ上げた。


「薬を作って下さったアティクとシャンガマックという方がいます。どうぞ彼らに教えてあげて下さい。喜ぶと思います」


「はい。あの方たちにも伝えておきましょう。もしかすると、もう一つのテント担当の者が既に伝えに出ているかもしれません」


 イーアンは『本当に良かった、本当に嬉しい』と涙を浮かべた。そして、包帯を換えましょうね!と満面の笑みで負傷者の側に行った。彼らはイーアンを見て最初こそぽかんとしていたが、入り口の仲間が説明するや否や、イーアンに頭を下げて次々に礼を言った。


 嬉しい中、イーアンは包帯と布を交換し続けた。確かに、昨晩の恐ろしい状態の患部は、目を見張るほどに回復していた。――こんな薬の効き方ってあるの?とイーアンも度肝を抜かれるくらい驚いたが、実際効いたし、副作用もなさそうに見えるから、こういうこともあるんだなぁと感嘆の声を漏らすしかなかった。


 喜ぶ負傷者に、アティクとシャンガマックがいなかったら薬は出来なかった・・・と話して『どうぞ元気になったら彼らに元気な姿を見せてあげて下さい』とお願いした。



 次のテントに移る時、負傷者の一人が『一緒に行く』とついてきた。彼は比較的、軽症だったが、昨夜は全身に熱が出て(うな)されていた人だった。

 すぐ後ろのテントに入り、彼がそこにいる全員にイーアンを紹介した。彼らもまた先のテント同様に、一晩で奇跡的な回復をしたことに心から喜んでいた。イーアンが全員の包帯を換える間、彼らはずっと、自分たちの恐ろしい体験と絶望的な苦しさ、それに昨晩の痛みと傷の回復を並べて、彼女に聞かせ続けた。


 ここでもイーアンは同じことを伝え『元気になったら是非、今回の薬を作ってくれた二人にも会いに行って』とお願いした。



 最後の一人の負傷者は、戦える騎士たちのテントにいた。一番初めのテントの負傷者が、ここも一緒に付いてきてくれて、彼が最初に入ってから、イーアンを招き入れてくれた。


 最後の一人も、すっかり綺麗に腫れが引いていた。状態を確認したイーアンは『良かった、本当に良かった』と安堵して微笑んだ。包帯を換え終わる時、テントに誰かが入ってきた。



「私たちのテントになぜお前がいる」


 イーアンが振り向くとチェスが立っていた。その顔は歪められ、忌まわしいものでもいるかのように舌打ちした。同行していた負傷者の一人が『彼女は新しい包帯を交換に』と説明しようとすると、チェスは彼を睨んだ。


「大体、騎士修道会に女がいる自体おかしいと思わないのか。他人(よそ)の陣地にも入り込んで。昨日は奇妙な発言ばかり繰り返し、どれ一つ確証もなければ展開の想像もつかない戯言を、さも本当のように厚かましく言った。この女は北西の支部の連中を(もてあそ)んでいるらしい。

 失敗したら『作戦の一つを試しただけ』と言い逃れようとしているくらい、馬鹿でも分かるというのに・・・役に立つ振りを決め込んで、あの総長を抱きこんで好きにしているとは。なんて気持ち悪い、不届きな女だ」


 最初の負傷者は、顔に血の気が上ったような目つきで上司を見つめた。イーアンに包帯を巻かれ終わったばかりの負傷者も『なんてことを・・・』と上司の発言に疑いの目を向ける。


 自分を見下して、唾でも吐きそうなチェスの言葉をじっと聞いていたイーアンは、それまで視線を外していたが、肩で息を一つつくと包帯の箱を持って立ち上がった。

 鳶色の瞳は静かな怒りを含み、自分を蔑み汚い女と言った男の曇った目を見据えた。


「なんだ。何か言いたいのか」


「あなたに、私を信じることが出来なくても、私は痛くも痒くありません。しかしドルドレンが私を信じた理由を、尊敬するドルドレンのために、あなたにも見せましょう。

 ドルドレンは、類稀な寛容さと責任感を備え、人を信頼する力を持つ方です。私を侮辱するのは好きにすれば良いでしょう。しかし彼が長にふさわしい理由を見失うのは頭の中だけにしなさい。言葉にしたとき、私はあなたを一生許しません」


 息継ぎもなく一気に言いたいことを伝え、チェスに冷めた目を投げたイーアンはテントから出て行った。


 チェスが体を戦慄かせ、顔を真っ赤にしてテントから飛び出し『待て、この阿婆擦(あばず)れ』と血相を変えて叫ぶ。周囲がチェスの怒号と、立ち止まったイーアンを見て固まった。


 後ろで吼えたチェスに、イーアンは冷たく厳しい目を向けた。


「今日。見ていらして下さい。知恵を潰す無知がいかに愚かか、理解できるでしょう」


「お前なんかの手は要らん」 「あなたの部下や皆さんのために役立ちたいの。勘違いしないで」



 そう言うとイーアンは歩き出し、『吠え面かきやがれ、って通じるのかしら』と周囲に聞こえるような独り言を言い、怒りに満ちた目をそのままに鼻で笑った。

 悔しさと怒りで言葉を失ったチェスをその場に残し、イーアンは馬車へ戻った。



 周囲の騎士たちは、暴言を吐いたチェスと、馬車へ足早に向かうイーアンを交互に見ながら唖然としていた。


お読み頂きありがとうございます。

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