565. レビドの姉妹とイーアン1
旅人の男とは会話もせずに向かったが。イーアンはレビドの名前で、あの姉妹を思い出していた。あまり会いたい人たちではない。この男性を集落まで送ったら、すぐに帰ろうと決めていた。
馬は男を乗せて歩き、ミンティンが後ろにいることで、勇気付けられているようにさえ思う。嫌がるというより怯え。イーアンには、魔物を前にした馬たちの反応と同じに感じていた。
この男性はレビドに何か用があるのだろうが、馬が嫌がるほどの場所だとは思っていないのだろうか。それも不自然な気がした。
大きな岩の近くまで来て、ちょっと向こうに人工物が見えた。異様な雰囲気を感じ、イーアンは眉を寄せる。雰囲気だけで判断してはいけないが、何か変だった。
もう少し進むと、大きな塀があり、石を積んだ塀の上に動物の頭蓋骨が乗っていた。それは塀の上に点々と置かれ、全て外に目が向けられていた。
以前の世界の記憶で、似たような風景を思い出す。削られた木の皮の束に、包まれた動物の頭蓋骨。杭の上に添えられたそれは、風が吹くたびに、中の頭蓋骨が見えていた。そこは森林の中の集落で、友達の出身地だった。古い文化は、そういう慣わしもある。
ここは。怖いとは思わないが、異様さが気になる。レビドの頭蓋骨の塀は、イーアンには、文化というよりも、個人的な呪いのように感じた。
塀の手前で、イーアンは来た道を振り向く。もう良いかと思い、男に挨拶した。『私はこれで失礼します』それでは、と言うと、男は急いで馬を帰して近づき『まだ中に入っていない』と言う。
「ここまで来たのです、もう馬も入れますでしょう」
「一緒に来て下さい。もし訪ねた相手がいなかったら、私は帰りたいのです」
え? イーアンの眉が寄るのを見た男は、さっと口を閉じて目を反らした。『もし、馬が。また馬が動かないと。こんな場所では誰もいないし』口ごもる男に、不信感が募る。
「いいえ。自警団がいらっしゃると聞いています。その方たちにご相談すれば」
「自警団はいますが、年配ばかりです。あなたは騎士修道会でしょう?龍もいるし、一緒にいてもらった方が何かと安心です」
「あなたは私に会う前。お一人でここへ向かわれたのです。なぜついさっき、お付き合いした私が御用でしょう」
男は黙る。イーアンの問いに答えられないようで、何度か髭のある頬を撫でて、答えを探していた。イーアンはちょっと溜め息をつく。『馬が。動かなかったら、と。その時は、別の馬でお出かけになれば良いでしょう』お借りできるかもしれないし、と提案するが、男は渋っていた。
イーアンはちょっと考えて、そっと腰袋の中の珠を引っ張り出した。誰のを持ったか確認し、伴侶の珠と分かったので、そのまま伴侶を呼ぶ。
『どうしたのだ。もう帰るのか』
『ドルドレン。聞いて。私は旅人を保護して、今イオライレビドにいます。入らないで戻りたいのですが、旅人が不安そうで、同行を願われました。もしも1時間経って私が戻らなければ』
『レビド。あの姉妹じゃないのか?』
『そうだと思います。様子を見ます。1時間後。私が戻らなければ龍で来て下さい。報告したかったのです』
ドルドレンは了解した。絶対に油断しないように、と伝えて、時間を見た。イーアンとの通信は切れた。
イーアンは腰袋に珠を戻し、男を見た。男は言い訳を考えているようで、立ち去ることもせず、馬もそのままだった。イーアンは溜め息をつき、『どこまで同行してほしいのですか』と聞いた。
男はさっとイーアンを見て、集落の中の家、と答えた。留守なら帰るが、外で待っていてほしいと言う。
そんなに不安なら、何で一人で来たのだろう、と思うものの。イーアンは龍を降りた。ミンティンが少し心配そうに見たので、後で呼ぶ、と声をかけて空に戻した。
降りたイーアンを見て、男はちょっと微笑んだ。『龍に乗っていると。とても勇ましく見えましたが。近くに来ると』イーアンは笑って遮る。『ただの小さいおばさんです』ハハ、と短く笑って、男の横を歩いた。
「あの。あなたの頭に、何かあるような気がするんですが。それは」
「飾りです。私は飾り物が好きで」
角です、とは言いたくないので、首の金属の輪っか(※冠)や腕輪(※親方お揃い)をさっと見せた。男は、白い色の飾り物が幾つもある・・・それで納得したようで、それ以上は聞いてこなかった。
「名前を聞いても良いですか」
「ただの同行です。私は。お名前をお伝えするほどでもありません」
ちょっと冷たいかと思うが、あまり名乗る気になれない展開なので、イーアンは断った。男は名乗りもしない。誰もを信用することは出来ないので、イーアンはそこから喋らなかった。
集落の中は、あまり気持ちの良い状態ではなかった。臭いもする。家畜はいるが、世話は甲斐甲斐しくされているとはお世辞にも言えない様子で、そこら中に家畜の糞尿が見える。牛や馬、家禽は放し飼いで歩いている。
家の造りは平屋が多く、家の裏や横に、排泄物を溜める場所が土に掘られているらしく、上にかかった板に、たくさんの昆虫が黒く群がっていた。
家は土作りなのか、土壁なのか。脆く剥がれ落ちた部分は修復の跡もない。家の数を数えると、見える範囲で20軒あるかどうか。納屋も含めれば、もう少し建物があるように見えたが、いずれにしても少なかった。
家の屋根に積まれた石の間からは草が生え、伸びた煙突を伝う煙が見える家は。『ここは、どれくらいの人数が住まわれているのでしょう』呟くイーアン。煙が出ていない家が多いと気がつく。暖かい気温だとはいえ、煮炊きをするなら、暖炉は使うのではと思った。
「レビド・・・今。10人もいないのでは。年寄りばかりですから」
男は無表情で答えた。イーアンは、一瞬。彼は、ここの出身者かと思ったが、そうした顔つきでもない。実家に戻った、故郷に戻った、そういった表情は伺えなかった。
「あの、名前を知りませんが。あなたはこうした場所を知らないですか?」
男はイーアンに訊ねた。ちょっと苦笑いして視線で糞尿を示す。イーアンは少し言葉を選んだ。
「私は大きな町で育ったわけでもないので。全く知らないこともありません」
実際、イーアンはスラムの出身みたいなもので。
子供の頃こそ、田舎の海の町で育ったが、15才で仕事に就いた隣の町は、貧富激しいスラム的な場所だった。軍人もいれば、貧しい外国人も不法入国者もいた。
家を出てすぐ、10年近くはそこで暮らし、犯罪も麻薬も身近だった。昼間は静かだが、夜はほぼ毎日、警察が誰かを捕まえていたし、夜明けには誰かの吐瀉物が道にあった。人間が転がってることもよくあった。
こんなことなので、訪れた場所が汚くても品が悪くても『そういう場所はある』としか思わない。男は、自分よりも背の低い、くるくる髪の女をじっと見て、少し笑った。
「いえ。初めて見て驚いているのか、何も言えなくて困ってるのか。どっちかなって」
「どっちでもありません。人が暮らす場所には、事情が様々です。そう思っています」
「そうですか。あ、そこです。ちょっと待っていて下さい」
男は会話を切り上げ、指差した前方の右にある家に向かった。イーアンを時々振り返り、いなくならないようにと手で合図した。通りに人影もないし、イーアンは男が離れた場所に立って待つ。戸口に出てくる人に、あまり、自分を見られたいと思わなかった。
男が扉の前で待ってすぐ、扉は開いた。人がいると分かり、イーアンは立ち去りかける。男は動いたイーアンに気がついて『すみません、まだ』と叫んだ。
やめて~と思いつつ、その場でイーアンは立ち止まった。叫ばれても困る。家の人に見られたくない気持ちがフツフツ湧いてきて、イーアンは顔を下に向けて背中を向け、待った。
ドルドレンに連絡してから、そろそろ15分近い。大体の時間を感じながら、残り30分で切り上げたいところ。
イーアンが時間を考えていると、後ろから男が来て『あなたも一緒に来てもらえますか』と腕を引っ張った。驚いて腕を振りほどくイーアンは、振り返りざまに姉妹の顔を見た。
「やっぱり。イーアンでしたね。こんなところまで来て下さって有難う」
「いいえ。この人の同行で。彼は送り届けましたので戻ります」
姉の方がイーアンの手に触れて、一緒にお茶を飲もうと誘う。妹も近くに来て『少しで良いから』と腕を組んだ。さっと男を見ると、男の顔つきがおかしい。目の力が抜けている。
「私は仕事があります。戻りますので失礼します」
「少しだけでも。10分でも良いので。少しだけ、おもてなししたくて」
「気にされないで下さい。私はもてなされる必要がありません」
イーアンは抵抗するが、姉妹はイーアンの両腕に貼り付いた。困るイーアン。女の人だから突き飛ばすわけにも行かない。あからさまに攻撃されるなら手は打てるが。こういう時が一番難しい。
「10分。10分だけです。私は急がないといけないのです」
覚悟を決めて、嫌々そう答えると、姉妹は嬉しそうに顔を見合って頷いた。『無理を言ってごめんなさい』姉の方が謝ったので、そう思うなら離して下さいと、イーアンは心で呟く。このしつこさ、絶対に離してくれないと分かっているが。
10分と決めたからには、さっさと連行されるままに家へ向かった。家は他の住居と同じだったが、姉妹2人だからか、家の中は女性らしい雰囲気で、物が多く、見た感じは『魔女の家』だった。本当に魔女じゃないと良いけれど・・・警戒しながら、イーアンは中へ入る。
先ほどの男はどうしたかと見回すと、いつ入ったのか。通された部屋の、もう一つ奥の部屋に消える背中が見えた。
イーアンが通された部屋は、玄関を入ってすぐの、居間と台所が兼用になった部屋だった。暖炉があり、火が焚かれ、食卓は素朴な木製のもので、4脚ある椅子も、古く使われていそうな雰囲気の質素な椅子だった。
椅子に座るように言われて、イーアンは腰掛ける。警戒するとイーアンは癖があって、椅子に斜めに座り、片膝が机の外に向く。すぐに立ち上がって逃げるためについた癖。何か。ずっと。警戒のサインが自分の中に出ているのを感じる。
姉妹はにこやかで、この前のイオライの話をしている。イーアンにも話を振るが、お茶を淹れながら、2人で楽しそうに会話する様子が変に映る。
私に話を振っておきながら、その答えをあまり待つ感じもない。淡々と作業を進めている。余計なことを言わせないようにしているのか。お茶を出され、姉妹も椅子に座った。
「どうぞ。ここは土が固いから、お茶も育たなくて。イオライセオダまで買いに行きます」
「お茶はちょっと香りが高い方が良いですよね。こんな生活でも、高級な気持ちになります」
アハハと笑う姉妹。イーアンはニコッと笑って、お茶を残すわけに行かない雰囲気に困る。お祖父ちゃんの家で出されたお茶を飲み、伴侶が眠った姿を思い出す。しかし。あれは身内。ここは他人。どうぞ、ともう一度言われて、仕方なし、一口入れた。
口の中に甘く残る味が、カンゾウの茶を連想した。タンクラッドの家で出されるお茶と同じ香り。だが、味わいが違う。
その後すぐに気がつく。姉妹は笑顔でイオライのお礼を何度も言いながら、自分を見ている目が笑顔ではないことに。
「イーアン。もうすぐにいなくなってしまうでしょ?どうぞ、早く飲んで下さい」
姉のレナタは微笑んで、イーアンの手にお茶を押し付けた。イーアンは笑顔で彼女を見て少し頭を下げ、『熱いのが苦手です』と答えた。レナタの目がちょっと冷めたように細くなる。
その時、後ろの部屋で、さっきの男の声がした。その声は何かを伝えているようでもあるが、はっきりしない。レナタは立ち上がり『ちょっとお待ちになってね』と言うと、そのまま奥の部屋へ移動した。
妹が姉の背中を見送り、すっとイーアンのお茶を見た。イーアンはその視線を追い、自分の手元のお茶から、自分の目に視線を動かしたミルカと目が合った。
「熱いですか」
「私にはどうも。熱いようです」
「美味しくないことはないでしょうか」
「お茶に何もなければ。きっと美味しく頂きました」
イーアンの返事に、ミルカの唇が少し開いた。イーアンはじっと彼女を見ていた。唾を飲んだミルカは、目を反らして『助けて下さい。姉はきっと話しませんけれど』と小さな声で囁く。イーアンは首を少しだけ傾げ、続きを促す。
「あなたに相談したいのです。でも姉は私を離さない。私はここから出たいです。男の人を使って生活し続けるのは、もう止めたいです。そのお茶を飲んだら、姉はあなたをここに置きたがります」
「ミルカ。勇気を出して下さって有難う。もう少し聞きたいですが、時間がありませんね」
「待って下さい。あなたは強いです。あなたならもしかして、私たちを助けてくれるんじゃないかって。姉は男の人を操って生活するけれど」
操るの言葉をイーアンは聞き逃さなかった。ここ最近。よく聞くその言葉。『あの男の人もそうですか』イーアンは呟く。ミルカは戸惑いながら頷いた。
「そうですか。私が助けるとは。一体何を求めておられますか」
「町に出たいけれど、私たちは働くことを知りません。姉は自分の能力で生きていたいですが、それは男の人の力を」
ガタンと音がして、ミルカは言葉を切った。後ろの部屋からレナタが出てきて、その顔は無表情だった。イーアンは理解する。こんな女の人を相手に、自分は何か攻撃しなければいけないのかと。
「何を話しているの。イーアンが誤解するじゃないの」
レナタの声は怒っているようで、ミルカは姉から目を反らす。レナタは食卓へ来て、イーアンのお茶を見た。『もう、それほど熱くありませんでしょ?』ちらっとイーアンを見て、鳶色の瞳を見つめる。
「疑っているのですか。私たちを。お礼を出来ればと思って、お引止めしたのですが」
「お礼は充分受け取りました。そろそろお暇します。10分です」
イーアンが立ち上がると、ミルカの目は懇願に変わった。何も言わないが、行かないでほしいと訴える目つき。レナタはすっと息を呑んで、次の言葉を急いで探す。『もう少し居ても』そう言ってイーアンの手に触れた。
イーアンは体を反らして、ゆっくりと手を引いた。『理由が分かりません。あなたはこの前から、私に何を伝えようとしていますか』私が付き合う理由が見えない、とイーアンが真顔で言う。
「ここで休んでと思って」
「戻ります。仕事があると言いました。おもてなしを有難う」
イーアンは玄関へ行き、鍵をかけられた扉を見た。ちょっと振り向いて姉妹に『開けて下さい』と静かにお願いした。レナタは首を振って『もう少し一緒に居てほしいです』と微笑み、近づいてきてイーアンの腕に体を寄せた。イーアンの眉根が寄るのを見て、レナタは一層微笑む。
「あなたは。優しい人。温かな人。私を見てね。私と一緒。ここはどこなの。あなたの家」
イーアンの指に自分の指を絡ませて、ゆっくりと持ち上げ、顔の高さまで来ると、レナタは歌う。『あなたの指は私の指。あなたの声は私の声。私はあなたの中にいて。あなたは私の心の中。イーアン、あなたは私の言葉を知っている』そっと囁くように歌った後、ニコッと笑ってイーアンを見つめ、顔を近づけた。
「知らない。それは言える」
顔を傾けてレナタを避け、イーアンは冷たく答える。レナタとミルカの目が見開く。
慌てたレナタはもう一度、指をぎゅっと絡めて、イーアンの瞳を覗きこんで微笑む。イーアンはゆっくり瞬きし『私は私。あなたはあなただ。あなたの言葉を私は知るわけがない』と低い声で答えた。
びくっとして後ろに頭を動かしたレナタの手を、もう片手でイーアンは解く。少し怒っているようにレナタを見つめ『ここから出して下さい。私はあなたの操りを受けない』とはっきり伝えた。
お読み頂き有難うございます。




