553. 夜空の来客
日付の変わる真夜中。
ドルドレンはイーアンを腕に入れて眠る。夕方から夜にかけて忙しく、最初に助言をくれたフォラヴにも、ミレイオとの話を聞かせてから、翌日に聖別へ向かうことも決定し、東行きの手続きもあれこれ済ませた疲れは、ドルドレンをぐっすり眠りにつかせていた。首には、ビルガメスの贈り物を巻いたまま。
支部の屋根の上には、一つの姿がある。影とも言えず。背景と馴染む色。それは時々体を動かして、上空を走る忙しい雲の流れから漏れる、白く輝く月光に照らし出されるだけ。
「ギデオン。来た。来ない。なぜ会う。会わない。龍会わない。龍。止まる。ふぅ・・・・・ 」
寂しそうな溜め息を吐き出し、膝を抱えて座った。夜と同じ色の肌を擦る手は、長い鉤爪と平らな鱗が広がる。大きな翼で体を包み、大きな青い目は長い睫で月光を閉ざす。月光と同じ色の髪の毛は、ざくざくと切ったように長さが合わず、それは背中の翼の間にも流れていた。
「龍。なぜ駄目。ギデオン。お前。見たい。龍。お願い。止まる。嫌だ」
困ったように、抱えた膝に頭を埋める。どうすれば良いのか分からなくて、何度も龍と呼ぶ相手に呼びかける。何度もギデオンと呼ぶ相手にも呼びかける。
「なぜ。なぜ。見ない。聞く。しない。なぜ。龍。お願い」
どんなに頑張っても、入れない。どうやっても進めない。闇の翼は溜め息を吐いて、そーっと翼を広げ、窓の外へ動いた。窓の向こうにギデオンと龍がいる。『ギデオン』気が付かないかなと思って、呼びかける。もう一度だけ『ギデオン』と呼んだ時。龍の頭が動いた。
その頭はゆっくり動いて、窓の向こうから自分を見つめる。小さな角が光り始めた。闇の翼は首を振る。一生懸命首を振って『違う。違う。しない。悪い。駄目。しない』と自分の言葉で伝える。鉤爪の付いた4本の指を自分の前に出して、何度も首を振って、龍に誤解されないように語りかける。
角は白く光り続けるが、それ以上に光りは増えない。龍はじっと自分を見て、そっと起き上がって窓に近づいた。それから窓越しに、首をちょっと傾げて、覗き込みながら『あなた?』と小さな声で訊ねた。
何て言われたのか分からない闇の翼は、その鳶色の瞳を見つめ、ちょっと考えてから、自分の唇に指を当て、その後に額を指差した。龍は小さく頷いて、口を動かさずに語りかけてきた。『あなた。コルステイン?』小さな龍が自分の名前を呼んだので、闇の翼は震えた。もう、どれくらいの間。名前を呼ばれなかっただろう。
コルステインは首を何度か奇妙な形で動かし、まるで頷いているように反応した。『龍。しない。悪い。しない。会う。ギデオン。お願い』コルステインは鉤爪の指をちょっとだけ、窓の向こうに動かして示した。
小さな龍はベッドを見て、何かを考えているようだった。『会いたいのですか。あの方はドルドレンという名前です』龍の目が自分を見つめる。コルステインはグラグラと首を動かし、頷いて会いたい意思を伝える。
「会う。ギデオン」
『ドルドレン、というのです。ギデオンはどなた?昔にいましたか?』龍が訊ねるので、コルステインは頷く。龍は大きく頷いてから、ちょっと待つようにと合図して、眠るドルドレンの側へ行った。待ちに待った相手が、ゆっくりと頭を持ち上げる瞬間、それを見ていたコルステインの涙が落ちた。涙は光の塊で、どこを濡らすこともなく、すぐに宙に消える。その時、誰かが自分を呼んだ。
『闇を飛ぶ翼。戻れ』
「待つ。まだ。なぜ」
呼び戻される声に、コルステインは従わないといけなかった。一度だけ、窓の向こうを見る。ずっと待ち続けた、ギデオンが起き上がるのをしっかりと目に焼きつけると、大きく溜め息をついて、闇の翼を広げ、そのまま宙に消えた。
「コルステインだと?来たのか?」
ドルドレンは起こされて驚きながらも、布団の中で急いでズボンだけ穿いて、イーアンが手を引く窓辺に寄った。『あれ?』イーアンは窓を開けないまま、外を見たが、そこには誰もいない。
「イーアン。夢とかじゃなくて?龍気も眠ってる間は、不安定かもしれない」
少し窓を開けて上や下を見たドルドレンは、窓を閉めて愛妻(※未婚)に言う。『月が出ているから。影があれば分かりそうだが』何も見えないよと教えた。
「いいえ。きっとご本人です。私はあの方が、何かを必死に送るのを感じたのかも。誰かが頭の中に・・・訪ねて来たように思えて、起きました。
それもあるのか。目の前にしても言葉が通じないようで、意識で会話をしました。途切れる言葉ですが、何を伝えたいのかは分かりました。あの方は、あなたに会いたかったのです。でも私を起こしてしまい、慌てていたようでした」
「君が強いからか」
ドルドレンはイーアンをベッドに入れて、自分もまたベッドに入る。布団を引き上げて、イーアンの話を少し聞くことにした。
「違うと思いますが・・・どうなのかしら。私が受けた感覚では、コルステインは『攻撃する気はない』と伝えたかったのではないかと。どうしても会いたかっただけに思います」
「では、なぜいなくなったのだ。窓の外にいたのだろう?」
「それは分かりません。どうしてかしら。あの方は、きっと本当に話したかったのに。そうとしか見えませんでした。似ているのです、ファドゥの懇願する時の目と。ルガルバンダが、ズィーリーの名前を口にして、私を見る時の目と」
「俺のご先祖」
「ええっと。えー・・・そうです。お名前、ギデオンって」
「ギデオン。ギデオンだと?」
ご存知?とイーアンが訊ねると、ドルドレンは灰色の瞳に光を抱えて銀色に光らせる。『あれ。ギデオンじゃなかったか』唇に指を当てて、眉を寄せ、何やら思い出している様子。
「イーアン。明日、聖別に行くから、その時にジジイの家にも行こう。フォラヴたちを一度支部に戻してから」
「何か思い出しましたか。ギデオンとは、昔の勇者のお名前でしょうか」
「いや、断定できないから。でも歌に。というか。歌ではないのだ、だから思い出せない。ジジイなら記憶しているかもしれない」
それにしても、と自分の首に巻いてある輝く髪に触れ、ドルドレンはホッとする。『守られていた』ビルガメスのお陰かと微笑む。
「おでこにちゅーって。されていましたね。祝福も」
イーアンがちょっと笑うと、ドルドレンは恥ずかしそうに頷く。『うん。何か違う気持ち良さが』言いかけてハッとした顔でイーアンを見て『違うぞ、そういう意味じゃないんだ』と慌てて繕った。イーアンは笑うだけ。
「ビルガメスは特に。私も、おでこにちゅーってされますけれど。可愛がっているのでしょうね。彼から見たら、私もあなたも赤ちゃんみたいな年でしょう」
「う。赤ちゃん。頑張って生きてるのに。だが確かに、人生が千年超えていたら、30年40年なんて、さっき生まれたみたいかも知れん」
そうですよ、とイーアンも笑顔で頷く。『好きだと仰って下さいますが、それも普通の人のそれとは、意味が異なると私は思います。卓越した意味で、あっさり、好きって意味かなって』そうとしか思えないと、イーアンは言う。
「考えてみれば、ファドゥだって男龍の皆さんだって、何百年ですよ。人生何百年って。私たちなんか本当に、早死にも良いトコロですよ。その何百年生活の相手に好きだと言われても。同じ感覚で接する気になりません。そんなの、こちらの若々しい勘違いみたいです」
アハハハと笑うイーアンの言葉に、ドルドレンは妙に納得した。そりゃそうかも知れないと、改めて考えた。『若々しい勘違い。言い得て妙だ。イーアン、上手いこと言う』感心してそう伝えると、愛妻はもっと笑っていた。
「ところで、話を戻すが。コルステインはどのような姿だったのだ。もしご先祖様の時代から生きているなら、コルステインも実に、ビルガメスと良い勝負の人生だ」
「見た目。大きな翼がありました。体色は夜空同様。髪は自由奔放に伸びて、綺麗な月光の色。目は青かったです。顔つきはちょっときついかしら。でも可愛い顔でした。目が大きくて、鼻が高くて。顔小さいの。このくらい(※手で大きさ示す)。
それでお体が、お胸がありました。羨ましい大きさの。これくらい(※これも手で示す)。で、あちらもありました。よく見ていませんけれど、そこそこのこれくらい(※『それはやめなさい』とドルドレンに止められる)。ええっと、そうでした。手足。あれは鳥の手足でした。ミレイオの話していたように」
すごく格好良かったです、と愛妻は頷く。肘のすぐ上、膝のすぐ上から始まる鳥の足。黒い鉤爪が付いていて、太くて強そうな硬い足と分かるという。平たく長い鱗のようなものがあって『何と言うか。変じゃないのです』愛妻曰く、あり。
「はぁ~・・・・・ よく見ているね。短い時間で。さすが観察力高い職人。職業柄か」
「どうかしら。でもともあれ。ミレイオが言うほど、私には奇妙な相手に見えませんでした」
「ミレイオは自分大好き。自信満々だから。コルステインは人間になりたかったけれど、中途半端な状態でしか思い出せなかったのかもな。それで、印象のある体つきとか、顔つきだけは人間なのか」
よいしょと愛妻を腕に抱いて、ドルドレンはもう寝ようかと言う。『目が冴えてきたけど。寝ておこう』ね、と言われて、イーアンも眠ることにする。実際にコルステインを見ても、やはり自分は抵抗がなかったと分かり、それは良いことに思えた。
*****
『闇飛ぶ翼よ。お前が自由に動いて良いのは、まだ先だ。まだ谷の上にいなければいけない。お前はテイワグナを見ていなければと教えた』
『分かる。駄目。ギデオン。見る。少し。龍。良い。龍。見た。会う。ギデオン。少し』
『まだなのだ。お前は眠って待った。再び勇者に会うために。お前を起こしたのは、お前が消えかねなかったからだ。お前の諦めがお前を消す。私たちはその前に起こした。だがまだなのだ。お前はテイワグナの危機に役立つのが先」
『分かる。分かる。海。見る。魔物。殺す。多い。魔物。龍。呼ぶ。ギデオン。呼ぶ』
『そうだ。今はまだ待つのだ。彼らに力が整うまで。お前はテイワグナを見ているのだ。魔物が海から来る時。お前が戦うのだ。一度は後退するだろう。その時、彼らを導くのだ』
悲しそうに黒い翼を畳んで、自分を包むコルステインを見つめ、光り輝く姿はその頭をそっと撫でる。
『闇飛ぶ翼。お前の名をかつて与えた者が、再びお前を呼ぶ。お前の翼を求めるだろう。龍のイーアンは、お前の名前を呼んだが、それではない。分かるか』
『分かる。龍。違う。龍。知ってる。知ってた。怒る。しない』
『龍のイーアンは優しい。異形の存在を愛する空の者。イーアンはお前も愛するだろう。イーアンとお前がその世界を司る。お前はサブパメントゥを。イーアンはイヌァエル・テレンを。勇者の力となれ』
『なる。ギデオン。助ける。守る。約束。守る。する』
光り輝く手が、優しくその夜空の肌を撫でる。愛情深く、ゆっくりと顔を撫でて、青い瞳に微笑んだ。
『もう少しだ。まだ谷にいなさい』
コルステインは目を閉じる。ギデオンに会いたい。でも我慢する。静かに翼を開いて、白い世界から夜空に開かれた扉をくぐって消えた。
コルステインは知っていた。
自分が動いてはいけなかったと。谷の上に降りて、暗い夜の海を眺める。雲の切れ間に浮かぶ月が、時折、水平線から真っ直ぐ、光の道を生むのを見つめる。
「待つ。まだ。行く。駄目。会う。駄目」
谷の上の岩場に腹ばいに寝そべって、組んだ腕に顎を乗せる。月の道をぼんやりと見つめ、精霊に見つかったから、もう行けないと思うと、溜め息をついた。
精霊に見つからないように、ギデオンに会いたかった。会うことは出来たと思うが、龍がいつも近くにいた。昔もギデオンの近くに龍がいた。龍は怒ると怖かった。押さえつけたら死にそうになった。龍を殺すと自分も死ぬとギデオンに言われた。だから龍に何も出来なかった。
ギデオンが消えて、探して、戻って、探して、その後ずっと眠った。
起きたらギデオンがいることを知った。探したら、ギデオンの匂いがする男がいた。3人いて、3人違った(※ジジ&パパ&ティグラス)。龍がいる場所は行きたくないけど、最後に龍のいる場所の匂いを辿った。そこにギデオンがいた。早く会いたかった。でも龍はいつもいた。
「会う。駄目。止まる。開いた。止まった」
精霊の扉が開くと、見つかる。海に異変があるまで動かないと、約束して起きた。でもギデオンに会いたかった。精霊に内緒で探して、精霊の扉が開く前に、その前に会いたかった。自分を忘れていたら嫌だった。自分がいると知って欲しかった。でも、精霊に見つかってしまった。
「ギデオン。会う。したい。会う。好き。助ける」
大きな大きな翼をぺたっと地面につけて、コルステインは寂しくて眠った。朝が来る前に眠り、そのまま空気に馴染んで姿を消した。
お読み頂いていることに心から感謝して。有難うございます。




