549. 龍が戻った日午前
翌朝になり、イーアンは体が温かくなって目覚めた。この温度に覚えがある。
「誰か来た」
ふと龍の気配を感じて、頭を動かす。窓の外に変化はなく、夜明け間近の薄青い時間。眠る伴侶を起こさないように、そっと体を起こしてから青い布を引き寄せて羽織った。
体の内側から何かが振動する、この温もり。これは龍だと分かる。自分が龍になってから、この感覚を何度となく繰り返した。窓辺に寄り、冷える夜明けの温度に白い息を吐きながら空を見た。
「あ。ミンティン」
まだ見えなくても分かる。ミンティンだと分かる、鼓動。振動なのか、何と言えば良いか知らない、そのリズムを感じる。ミンティンを意識した途端、向こうから帰ってくる振動を感じ、イーアンは笑顔になる。
寒いと分かっていても、急いで自室に回って窓を開ける。『ミンティン』大声は出せない時間。でもちょっと聞こえるかな、と思うくらいの声量で名前を呼んで手を振った。
ミンティンは吼えた(※時間帯に遠慮ナシ)。大鐘が一斉に鳴るような声がハイザンジェルの空に響く。『ミンティン、ミンティン』名前を呼びながら、イーアンは嬉しくてちょっと涙ぐむ。分かっていなかった自分のせいで、ミンティンを疲れさせてしまったことに、とても反省していた。
伴侶も起きてきて(※龍の声で起こされた)『どうしたの、ミンティン?』と目を擦りながら窓に寄る。イーアンの肩を抱いて一緒に外を見て『あ、戻ってきたか』その姿を確認して、ドルドレンも笑顔になる。
「イーアン。着替えなさい。乗りたいだろう」
ドルドレンが促してすぐ、青い龍は窓の側まで来て、イーアンを見た。イーアンも振り返って笑顔を向け『待っていて下さい。着替えるから』と頷く。ミンティンはニコッと笑った。ドルドレン凝視。イーアンも驚く。
「今。い、今だぞ。笑ってなかったか」
「笑いました。ミンティンはごくたまに笑うのです。今も笑ったのです」
ええ~と伴侶は青い龍を見つめる。『お、お前。笑えるのか。もう一回笑ってみろ』話しかけたが、ミンティンはそっぽを向いた(※出し惜しむ)。
「ダビくらい貴重な笑顔」
驚く伴侶の感想に、イーアンは笑いながら服を着替え、龍の皮の上着を羽織った。『ダビの方が笑顔を見ています』ダビの上を行きますよ、と笑って教える。
そして着物スタイルの龍の皮の上着の上から、帯代わりに革のベルトを締め、手甲をつけ、丈の長い革靴の上から脚絆をつけた。
ドルドレンはその姿に驚いて、上から下まで見て、いつもなら恋するところを目を丸くしたまま頷いた。
「イーアン。君は。龍の人なのか。そのものだ」
「そう見えて下さいますか。これをファドゥが持たせて下さいました。龍の皮です。私の力を高めるかもしれません」
「俺は。俺は。本当に凄い人と夫婦になったのだ」
自分は人間。所詮、人間なんだと思いながらも、この導きに祝福を感じるドルドレンは、目を一度瞑って祈りを捧げてから、ゆっくりとイーアンに両腕を差し出す。『俺が。抱き締めて良いのだろうか』本音を口にすると、イーアンは笑顔で首を振った。
「あなたが抱き締めて悪いことなんて、あるわけないでしょう」
イーアンは伴侶を抱き締め『私は頑張るの。あなたを助けたいのです。あなたを手伝い、皆さんを守りたいのです』そうはっきりと伝えた。ドルドレンもしっかりと抱き締めて頷く。
「君は。俺の最高なのだ。その下はいない。常に最高なのだ。俺の龍よ」
イーアンはその言葉が気に入った。笑顔で伴侶を見上げて頷く。『そうよ。あなたの龍です』ね、と力強くもう一度頷く。ドルドレンも笑顔でキスをして、小さな角を撫でてから満足そうに微笑む。
「行っておいで。ミンティンが待っている」
愛妻(※未婚)の背中をそっと押して、龍の待つ窓辺へ寄せた。『少ししたら戻りますのでね』有難う、と嬉しそうに挨拶して、イーアンはミンティンのいつもの定位置に乗る。そして夜明けの空に飛んだ。
見送ったドルドレンは、妻は本当に。運命の相手だったのだ、と深く感じ入った。彼女の上も下もいない。彼女だけが、自分の相手だと心に認める。
昨日の話を思い出し、ゆっくり首を振った。『俺を。慕う誰がいようと。俺にはイーアンだけ。その者が例え、俺を誘おうと、俺にはイーアンだけだ。他の誰も代わりにもならなければ、隙間に入ることもない』隙間は永遠にないからだ、と頷く。
「俺の血が分かっている。俺は龍と生きたのだ。俺とこの世界は、いや。この世界は龍の大陸。龍の統べる場所。3つの世界を龍が統一する。俺の妻は、かつての俺の妻もまた、龍その人だった」
ドルドレンは開け放した窓の外に、すーっと息を吸い込んで叫んだ。『俺を見つける者よ。俺を手に入れることは出来ないっ』かなりの大声で叫び、門番が仰天した。『私、総長好きですが』そこまで宣言しなくても遠慮してます、と見張り台でちょっと赤くなってクラクラしていた。
赤くなることはなかったが。同じように反応して、イラつくような息を吐いた者もいた。
『ギデオン。まだ。まだ知らない。ギデオン。お前。まだ』自分たちの言葉で呟いた音。その音を響かせることはなく、薄い影はそのまま、夜明けの光りに馴染んで消えた。
イーアンはミンティンと飛行中。
ドルドレンの叫びを感覚で感じているイーアンは微笑む。『私は果報ですね。あの方のためにこの命を捧げましょう』それが本望、と呟いた。
「ミンティン。私がロクデナシでも何でも。私はこの世界で力の限り戦って、ドルドレンと皆さんのために死ぬことが許されています。それはとても嬉しいことです」
以前。どこで死んでも一緒、と思っていた。自分の存在が、自分で手に負えなかった。だがこの世界で、自分は大役を受け取り、そのために生きろと支えてもらった。イーアンはとても嬉しかった。
「守って死ぬなら、私は後悔はないでしょう。お前は、私が例え死に急いでも生きて下さい。私は。今、ここに生きる命に繋げられたことを、心から精霊に、人生に感謝します」
ミンティンの背鰭に頬を寄せて、イーアンは目を閉じる。微笑んでその背鰭の感触をしっかりと記憶する。
「イーアン。生きるのだ」
イーアンの耳に、聞き慣れない声が聞こえた。目をパッと開けて、イーアンはじっと龍を見つめる。ミンティンは前を見ていた。『生きるのだ。生きるためにここへ来たのだ』その声は、誰よりも低く重く。そして優しかった。ミンティンは振り向いて、金色の目でイーアンを見た。
ミンティンが喋った。喋ったか、心に語りかけたのか。はっきりしないけれど、その声は届いた。イーアンは涙を浮かべて頷いた。ミンティンはちょっと笑った。『生きろ』青い顎が動き、イーアンは頷いて微笑んだ。
「有難う。ミンティン。大好きですよ」
ミンティンは何も言わず、いつもの状態に戻ってゆっくりと飛んだ。ゆっくりと、泳ぐように、たゆたう雲のように。イーアンとミンティンは、暫く夜明けの朝を二人で楽しんだ。ずっとずっと昔も、そうしていたように。
ミンティンはある程度、二人で空を楽しむと戻った。それから部屋で待っていてくれたドルドレンに、イーアンを返す。イーアンがミンティンを撫でると、青い龍は一度目を閉じてから再び空へ消えた。
ドルドレンとイーアンは朝食へ。ドルドレンは、『厄介な相手』の引っ掛かりが気になったまま過ごす。イーアンはそんな伴侶の心の動きを感じながら、心配させることを言わないように、普通に振舞っていた。
朝食の話題は、ミンティンが戻ったから、皆の装備を聖別に行くことを話す。ミレイオと盾工房の話も言いそうになったが、それは引っ込めた。ミレイオの名前から、伴侶がまた気にしそうで止めた。
「聖別。そうだな。シャンガマックとフォラヴと、ザッカリアか。君の上着もだ。あと、タンクラッドはどうするのか。もし何か手に入れても、自分で行くのだろうか」
イーアンも首を捻って悩む。『タンクラッドだけが、剣以外の装備がありません。彼は全く気にしていないので、それも不思議です。怖くないのでしょうか』あった方が良いだろうが、どう勧めればと呟いた。ドルドレンも少し考える。
「タンクラッドも痺れを切らす頃だろ。イーアンがいない日々が長いと、あの男は耐えられないとか言うし。もうじき会うだろうから、訊いてみよう」
「その言い方は。正確ですが、笑って良いトコロなのか」
可笑しそうに笑うイーアンに、ドルドレンも笑う。『イーアンもそう言っていたが、彼自身もそんなことを平気で俺に言うから。でも最近は慣れた』心の広いドルドレンは、ハッハッハと笑い飛ばす。
「イーアンが空に上がっただろう?あの時、彼は君と連絡が付かないといって乗り込んできた。いない理由を話すと、話の最中で激怒して、シャンガマックたちを探して駆け回ったのだ。
慌てて取り押さえたが、怒らせると、あの体格だろう。恐ろしい力で俺を振り解くのだ。どうにかショーリに手伝わせ、床に押さえつけ、ショーリに乗らせたまま、話を聞かせたよ」
そんなとんでもないことがあったのか、とイーアンは驚く。ショーリに乗られてよく、体が無事でとそこも驚く。
「話を聞かせたら理解した。理解力は高いから、話さえ出来れば彼は早いのだが。そう、それでね。俺も話しながら辛くて、少し泣いていた。そうしたら、どうしたと思う」
「励まして下さったとか。私はよく、励まされます。頭ナデナデされて」
「そう。俺もやられた。同情したのか、俺の首をな。こうして、こう・・・で、頭を撫でてくれた」
伴侶の再現シーンに、イーアンは胸が撃ち抜かれる。ぐへっ 素敵。見たかった・・・・・ と暢気なことを言えない、発端の自分がいることを意識し、すぐに姿勢を正して咳払いをした。ドルドレンは思い出しながら、笑顔で黒髪をかき上げる。
「あの時、思った。そうかって。イーアンもよく言っていたが、彼なりの愛情表現は俺にも注がれるのだと。
『自分も辛いが、お前のほうが辛い』と言いながら、俺を慰めた。頭を抱え込んで、髪を何度も撫でてくれたのだ」
だから。タンクラッドのそうした優しい温かな面を見て、自分は彼への壁が少し低くなったと、ドルドレンは微笑んだ。
「俺は。こんなことを彼の前では言わないだろうが。タンクラッドが好きだよ」
砕けた笑顔が美し過ぎて眩し過ぎる、照れた絶世イケメンスマイルに、イーアンは机に突っ伏す。
もう無理(←力が抜けるのを止められない)・・・・・ 好きって言っちゃったわよ。私の伴侶が、親方好き・・・・・ ああ、もう是非。親方の前で言ってあげて~(※見たい&親方にも、伴侶を好きってお返事してほしい)
突然、机に突っ伏して、はーはー息切れする愛妻(※未婚)に、ドルドレンは何か衝撃だったかと心配して、具合を訊ねたが、顔を上げたイーアンは嬉しそうだったので、きっと喜びのあまり・・・そう理解し、ニッコリ微笑んで頷いた。
「イーアンも嬉しいな。俺がタンクラッドが好きなら、仲が良くなる。そうすれば意地悪もない」
こうした気持ちが通い合う、仲間はそういう間柄を保てるといいなと。ドルドレンは、じんわり胸に寄せる思いを感じながら願った。
こんな朝食を終えて。聖別については時間を作ろうとなり、近日中に向かうことに決めた。ドルドレンは執務室へ行って、龍も戻ったから東に向かう手続きをする。イーアンは工房に火を起こしてから、木型を取りに、ダビの元工房へ。
イーアンはザッカリアの剣の鞘を作るため、木型をダビに頼んでいた。
いろいろあって日が過ぎ、ダビが出発前、少し会話した際『木型は倉庫に』と言われた。一緒に倉庫へ向かい、ダビが工房にしていた場所に入った。
『イーアンなら、木型も作れると思います。ここに・・・これ、道具と、あと木の見方を描いてあります。
木型作る時、こういう木材あるじゃないですか。こっち上。そっちの場合だとここにフシあるので、ここまでで。
で、上の面見て、こっち線こうじゃないですか。これが木の時って上で。だからこうね。そっちに私が線引いたままのが何種類かあるんで、あれ見て図と合わせながら作って下さい。工具はこれ』
ダビは自分がどうやって作っていたかを、簡単にイーアンに説明して、注意する部分を幾つか図の上に丸印で囲ってくれた。『上から革かけるから、そこまで神経質じゃなくて良いですけど』持ちが違うから、と注意する理由を伝えた。
ダビの残して行った、もう彼が使わない工具や道具、材料を前に、作っておいてもらった木型を手にし、室内を眺める。
「彼は実力のある人です。剣職人に転職したのは、そう導かれたのもあるけれど、きっと彼の技術が、新たな方向に伸びる可能性か充分だったから」
ダビがいなかったら。自分は本当に、半分も満足なものを作れなかった気がした。最初の頃は特に。『素晴らしい作業員でした』恩恵に感謝し、イーアンはダビの工房を出た。
木型を持って帰り、工房で手袋の続きを縫う。もう数箇所で完成するため、これを終えてからの鞘作り。縫っていて、昨日のあの人の話を少し考える。
この『考える』のも、誰かの細い糸で自分は手繰られているのだろうか。何かそれを知る術があれば、注意も出来るが、それさえ分からない。操る。こんな凄い力を持つ地下の方たちだが、でも魔物のような被害を齎さずに、潜んで生きていたのだ。
「地上にいる多くの人が。空の存在を知らなかった。ファドゥは『それも不思議だ』と、本当に不思議そうでした。地下の存在もまた、知らない人が多いのでしょうか。だとしたら、地下の彼らは、誰を対象に操って生きているのか・・・その力は誰に使うために」
想像したこともないような、そんな世界に自分がいる。予測が付かないのも当然と、考えるのを諦めた。
「イヌァエル・テレンは何も奪わない、と話していた。地上は奪う地だとも。地下は、命のみならず、心たる生きる全てを奪う?でも。そんな極端な先入観はいけませんね。やはりミレイオに、誤解の生まれないよう、訊いてみましょう」
手袋の最後を縫いつけながら、イーアンは思い出した。ずっと昔の、学校にいた時の頃。
自分は一度暴れると、手の付けられない子供だった。我慢する期間は長いし、交渉もするし、怒らせないでと相手に忠告するが、怒るまでに至った時、それまで被害者だったのが一変して、加害者になった。その途端『我慢できなかったのか』と言われる結果に会う羽目になる。
半年我慢したぞ、と心の中で呟くのがいつもだった。半年も我慢すれば、もういいだろう、と。子供イーアンはリミットを決めていた。
先生が自分に言った『お前の怒り方は間違えている』の言葉。『それは何によって』とイーアンは聞き返した。『常識だ』の返事に、『誰の常識だ』と返した。先生はバカにしたように、子供のイーアンを見て『世間だよ』と。
イーアンはこの問答の時、13才。ケンカを止めに入った男の先生の頭を、壁に叩き付けた。相手の子供も、先生も怪我をした(※力だけは昔から強かった。運動神経良くなくても)。
イーアンも実の所、先に突き飛ばされ、窓ガラスで切った頭や顔から血が流れていたが、そんなことより、加害者のひどい方に立ってしまう自分は、常に非常識な粗暴な人格と扱われていた。
世間の常識は、自分の何も導こうとはしなかったし、最初から歩み寄ろうともしなかった。その常識に入れないと、要らない人間として扱う。それが常識として使い回される奇妙さに、いつも反発していた気がする。耐えるか、攻撃するか。それしか、出来なかった自分がいた。
「一個人の私と並べてはいけないのですが。地下の方々もまた、何か条件があるのかもしれません。その凄まじい力を扱う理由になる、条件が」
単に、危険とだけ決め付けてかかってはいけません、イーアンはうんと頷く。危険だとしても、その理由を理解しないと。
手袋を縫い終わり、イーアンは外を見る。『仲間となるかもしれない誰かが。私を操って。ドルドレンの側に居たがっているそれ。必ず理由があります』この世界は、全く想像のつかないことも多い。きっと理由があるだろう。そう思うと。
ザッカリアの剣に使う木型を見てから、少し考えて。イーアンは、当初の予定を少し変えたデザインを紙にささっと描き、以前に見た印象を思い出しながら、組み込み方と大きさを決め、それから魔物の硬質の材料をいくらか用意した。
「ミレイオに会いましょう。仕事がてら。この材料を、この大きさと形に切る、削げる工具は、ミレイオの盾に使う工具にあるはずです」
材料とラフスケッチと、他に使う自分の分野の材料を一まとめにし、荷袋に入れてから、イーアンは工房の外に出た。伴侶に言うと気にするからと思うと、目立たないように出かけたかった。
昼までに戻ろうと決めて、時間を見る。2時間ちょっとある。窓の外で笛を吹き、ミンティンを呼んだ。
お読み頂き有難うございます。




