547. 次の一人の予感
手袋を縫うイーアン。そのままお昼になり、ドルドレンと一緒に昼食。手袋を作っていることを教えたいが、ちょっとそれはお楽しみにして。
それではなく、暫く、気になっていることを代わりに話そうと思った。
お昼の話題は『イーアンが一緒にいる時間が長い』これは大事だと、そうした話だった。イーアンも思うことを話す。『旅に出たら、今よりずっと一緒の時間が増える』そう思うと伝えると、伴侶も大いに頷いていた。
そしてもう一つ。勘を言ってみた。『ドルドレン。仲間に女性がいる可能性があります。その方があなたをとても好きになるとして、そうしたら、どう行動しましょう』イーアンに振られた唐突な内容に、ドルドレンは咽た。
「な。何を。何言ってんの。どうしようったって。どうもしないよ。俺は相手にしない」
ビックリしながら、ドルドレンは口を拭いた。イーアンは、いきなりこんなことを話してすまない、と謝ってから、実はそうした気がしていることを話す。
「どうすると、そういう気がするの」
「ええっとですね。不思議な話です。
最近工房でしょう?ここ3日間ほど久しぶりに。来客もないので、実に静かなものです。って、これは良いのですが。
私は作業に没頭していても、頭の中は考え事がわんさか沸いていまして、考え事の最中、無意識的な映像も混ざります」
「え。それで見たとか」
うん、と頷くイーアン。げっ、と椅子に仰け反るドルドレン。『そんな曖昧な』やめなさい、と注意する。
「ここからが本題です。不思議な話、と最初に言いましたが。私、実は悔しくありませんでした」
さっと血の気の引くドルドレンは、そっちの方が嫌だ、と思った。『何で?俺が他の女と一緒なのに』怖いけど答えを聞きたい。イーアンは食べ終わって口を拭き、声の音を落として話す。
「何だかですね。その方は、ありな気がしたのですね。女性なのですけれど、微妙で」
「あり、って。ないよ、ない、ない。女だよ。仲間で女っていたら、本当にそうなって、くっ付かれて『微妙』なんて言っていられないぞ」
「実際にお会いしたら違うのか。私が『どう行動しましょう』と聞いたのは、私はその方をもしかすると、認めるかもしれないと思いまして。何かの理由で」
ちょっと待て、とドルドレンは止める。『イーアン。よく聞くんだ。今まで、俺に女の話がちらっとでもあった時。イーアンは激しく嫌がっただろう。それが四六時中、一緒に動く仲間で、俺をとても好きになるとか、そんな相手が出てきたら大惨事だぞ』分かってる?と愛妻の頬を押さえて訊く。
「微妙。これに意味があります。ちょっと場所を変えましょう」
えええっ ドルドレンは困惑。イーアンが席を立ち、食器を片付けようと言う。嫌な予感しかしないドルドレンは、困惑しながらも仕方なし、食器を片付けて工房へ行った。
「私が何度か見たのは。人なのですけれど、人と言い切れない方です」
扉を閉めてイーアンが呟く。『あれは。一体・・・』すっと息を吸って、イーアンは首を何度も傾げて、お茶を淹れながら、不安そうなドルドレンに向き直る。
「え。映像っていうけど、何か映っているんだろう?影とかそうした、印象とかで」
「はい。その方は大きいです。男龍ほどではないですが、あなたよりも大きいの。そして大きなお胸付きで」
「よせよせ、やめろ。そんな女が仲間で、尚且つ、俺に貼り付いてスキスキ言われていたら、俺は君に嫌われる」
目を瞑って頭を振りながら嫌がるドルドレンに、イーアンは落ち着いて続きを聞くようにお願いした。
「続きがあります。困らせて申し訳ないです。その方は大きなお胸は印象的でしたが、その。下もありまして。そして彼女の体色は紺と言うか。それは夜空の色でした。夜空がそのまま、数多の魅力を詰め込んだ人型になったような」
「何だと?人間じゃないだろう、それ」
「ええ。恐らくそうではないかと思います。でもお顔立ちも良く。男龍の女版、いや私ではなくですね。どうお伝えするべきか。しかしその方は見た目だけが良いのではないのです。あなたをとても好んで、知恵を下さるような」
待ちなさい、と話を遮ったドルドレンは、腰を浮かせて机に両手を付き、首を振った。
「俺を好き?俺はイーアンのように『実は違う種族だった』とかじゃないはずだ。
男龍たちは、イーアンが女龍だから、仲間意識もあってあそこまで協力的だと思うが、俺は人間だ。その女だか何だかは、体も色が違うし、男女がくっ付いているん・・だ・・・ え?あ。くっ付いて」
ドルドレンは目を見開いたまま、イーアンを見つめる。イーアンも困った顔で頷く。『もしかして。それは』ドルドレンの気付きは、続きを言わないまま止まった。
「そうかなと私も。私は、その方の印象が何度か頭に浮かんだ時、すぐに思い出したのです。ミレイオの話」
「地下の国。の、誰か。って、それか?」
「ちょっとね。唐突でしたので、順を追ってお話しします」
イーアンはそう言うと、暫く考えてから言葉を選んだようで、ドルドレンにこの話題を出した意味も話す。
「私は最強、と空で言われますでしょう?あれは私の解釈では、空の世界での話です。そして地上の最強はあなた。だと思います。あなたは人間として最強の立場で、その意味は『別種族の信頼を得る人』という意味の強さもあるような。
まだ何も言わないでね、続けます。そう捉えると、地下の国がある以上、地下にも最強がいるのではないかと思いました。
以前。タンクラッドはお祖父さんの数え歌を解釈した際に、『全てに3の条件がある』ようなことを話していました。それは、私の立ち位置に通じる話でしたが、この謎解きを始めてから、よくそれを思います。
話を変えます。私が今後一緒に行動する龍は、全部で3頭です。最初にミンティン、次がアオファ。最後はグィードです。
ミンティンは空から来ました。アオファは山の中、本当に山の真ん中にいました。これが地上とすれば、グィードは海と思っていたものが、ミレイオによれば地下の国です」
「何となくだけど。言いたいことが分かる気がする」
伴侶の相槌に、頷くイーアンは続ける。
「それぞれの龍は、それぞれの世界にいるのです。この3頭は、イヌァエル・テレンの世界でも特別な龍と言っていました。この3頭だけが、イヌァエル・テレンを離れても、問題ないくらいに強い龍だそうです」
「で、イーアンは。グィードは地下だと思うことから、地下の国にも、俺や君と同じような位置にいる誰かを察していると」
「はい。はっきりしたことは予想もつかないですが、地下の国にいる誰かを思い始めたら、その方の映像を見るようになりました。だからそのような気がして」
ドルドレンは悩む。どっちみち、いちゃつかれたら危険であろうと。そんな伴侶の悩む顔を見て、イーアンも少し言いにくそうに続ける。
「どうして、その方があなたをとても好きだと思ったか。それは彼女と言って良いのか、彼女があなたを抱え込んでいる場面しか出てこないのです。こう、背中から嬉しそうに」
言いながら困ったように笑うイーアン。そんなイーアンにも驚くが、そんな危険な予告も驚く。
「心臓に悪い。それはナシだろう」
「ええ。普通に考えればそうなのです。だけど、どうしてか私には、それは何か意味があるような気がして。自分でも不思議なくらい、その方のあなたを大事にする場面を、嫌だと思わないのです」
「あれか。男のアレが付いてるからか」
いや、そうじゃないかも、と笑い、イーアンは首を傾げる。『仮にそうした理由でも。いえ、理由は本当にまだ分からないのですけれど、何かもっと根本的に大きな繋がりがあるような』そう思いまして、と答えた。
ドルドレンは溜め息をつく。そして愛妻を見つめ、首を振った。
「イーアン。現実ではない。本当にあっても困る話だ。俺は最強の誰かさんに好かれるとしたら、イーアンじゃないと困る。他の最強は、他の誰かにしてほしい」
ドルドレンの真面目な顔に、イーアンも謝って頷いた。『ごめんなさい。何かおかしなことばかり言って。ただ、あなたに伝えないといけないような。どうも、そうした気持ちが増えていました』でもごめんなさい、と頭を下げる。
黙る二人は暫くそのままだった。昼休みはそろそろ終わる頃。イーアンはちょっと伴侶を見て、すまなそうに俯く。ドルドレンは側に行って、イーアンを抱き寄せ、頭を撫でた。
「空にも行くし、角ももらったから。イーアンはもしかすると、違う能力も伸びたかもしれない。それが予知やそうしたものだとしても、俺とイーアンに関することは。そう、二人の仲に関わるようなことは、気にしないようにしてほしい」
ドルドレンの頼みに、イーアンも『申し訳ないです』ともう一度謝り、二人はちょっとの間、抱き合ってから、仕事に入ることにした。
ドルドレンは執務室に向かう間も、執務室に入ってからも。話が気になっていた。
これまでだって、イーアンが、まさか空の最強だとは知らなかったが、イーアンがそうした立場になったからこそ、自分は龍の助けも得られる。イーアンが従える龍と、イーアン本人。そして男龍の存在まで確保したような現時点(※オーリン忘れてる)。
そう捉えてみれば、果たして合っている解釈かどうか、確認しようがないけれど。
地下の国の最強が味方について、自分を好むとすれば。その誰かが従える、地下の国の強力な味方も、自分の味方に付くと考えることも出来る。
『でもなぁ。胸も下もある、見た目が女の相手』それはマズイだろう~ ドルドレンは呟いて、頭をわしわししながら悩む。
執務の騎士が、ちらっと見て注意する。『総長。書類にフケが落ちますから止めて下さい』全く、と嫌そうな顔をされた。
「フケなんかあるか。毎日風呂入ってるのに」
「言われたくないなら、そんなことしてないで早く書いて下さいよ。毎日やってることでしょう」
この人、本当に慣れないんだから、と吐き捨てられる総長。ムスッとした顔で、渋々仕事の続きを行う。だがすぐに意識が飛んで悩み、またケチをつけられて、それを繰り返す午後になった。
その後の工房では、イーアンが手袋を縫い続ける。
作業をしていると、ふっとまたあの人が見える。針を休めて窓に顔を向け、少し凝った肩を叩いた。
「あの方は。人間ではないと思うけれど、また何か。私や龍族とも違うような。何か擬人化したような印象があるのは・・・なぜかしら」
でもそれを言ったら、私も擬人化なのかしら~と悩む。私は本体が人間だと思っているけれど、龍になる方が本当となれば、これまで全てが擬人化人生。
「しかしそれとも違います。何かもっと、意味がある気がしてなりません。ドルドレンに嬉しそうにぴったりくっ付いている姿。あれは郷愁のように見えました。何かとても、そう。そうよ、ファドゥと似ている笑顔」
あれだ、とイーアンは気付いた。ファドゥの、ズィーリーの思い出話をする時に、私を見て微笑むあの顔。私を通してお母さんを見ている、懐かしそうな顔。
「ドルドレンは人間のはず。地下の国の方々と昔、ドルドレンの家系の誰かが、繋がっていたのかしら」
自分で口にしておいて、さっと目が据わるイーアン。『ありそう。あの家系の男性なら、相手がそこそこホットバディなら、気にしない気がする』ぬぅ・・・・・ 伴侶にこれは言えない。言ったら凹むのが分かる。
「でも。真実は分からないにしても、きっとあの方は、ファドゥのような、とても大きな思いでドルドレンを待っているのかも」
ファドゥに会った後だから、こう思えるのだろうなとイーアンは頷いた。何百年も休眠を繰り返して、お母さんの再来を待ち続けたファドゥ。この世界には、思いもよらない現実がある。
自分の角に手をやって、『これも現実』だもの、と呟く。地下の国の方かどうかも、郷愁ゆえかどうかも、何も分からない。それに、ドルドレンに伝えないといけない気がして、つい教えてしまったけれど、これが本当になるかどうか、それさえ分からない。
「男龍は、いろんな能力を備えているらしいけれど。私にも角が生えたから、そうしたものが少し宿ったのか。
でもそうね。ドルドレンの言うとおりです。二人の仲に関わることで、はっきりしないのに言うものではないです」
何か。急かされるように、伝えた方が良いような、そんな気持ちになっていた自分に反省する。もう言ってしまったし、仕方ないけれど。これからは気をつけようと戒めた。
それから大きく深呼吸して、イーアンは手袋に取り掛かった。
窓の外。支部の庭。黒焦げになった庭木の倒れた場所に。黒い鳥が一羽、工房を向いて佇んでいた。
その鳥はうずくまっていて、黒焦げの倒れた木々の合間にいると、見分けが付かないくらいに黒かった。そしてその静かな青い目は、工房をじっと見ていた。
「早く。早く。来い」
まだ。まだ。まだだけど。 黒い鳥は、自分たちの言葉で呟いた。『開いた。開いた。開く。もう。まだだけど』感情の無い音のような声で、思いを呟き続ける。
それから首を回して、大きな翼を広げた。その翼を見たら、忘れないほどに広く大きな翼を広げ、羽ばたくことなく浮上する。その大きさが見えないはずはないのに、騎士たちの目にも止まることなく、勿論、イーアンにも見られることなく。鳥はそのまま塀を越え、支部の屋根の高さまで上がってすぐ、一瞬にしてどこかへ消えた。
その存在は近くにいた誰も、気が付かないままだった。たった一人、その黒い鳥を見たのはフォラヴだけで、勉強部屋の窓の向こう、支部の端に浮かぶ黒い姿に眉を寄せた。
「今のは。あれは工房の近くでは」
少しの間、静かに考え込む空色の瞳は、何か思いついたように外を見た。それから外で演習する仲間の姿や、自分と同じ部屋に入る数名の騎士たちの様子から、理解したように頷いた。
お読み頂き有難うございます。




