545. 過去と今と
慰労会翌日と、その次の日。イーアンの日常で、『普通の日々』だった。
龍は戻ってこないが、魔物も襲っては来なかった。イーアンの作業は静かに進み、何事もない朝昼晩を繰り返した。こういう時『これが。普通』そう感じる。
自分はここの世界に入るまで、普通の生活だった。今は様々なことが起こるが、以前の世界では、本当にただ・・・ただ、一個人。おかしな表現だが『人はそれぞれ』の一人でしかない。今もそうだろうとは思うけれど、性質に特性が付いた。
「どこにいたって私は私です。ですが、複雑な状態に変化したのですね」
昔。ヒーローの苦悩を描いた映画を見て、ちょっと考えさせられたことがあった。誰にも正体を言えない、そして自分は特別な力を持っただけの普通の男だ、と悩むヒーローの話は、アメコミならではの分かりやすい苦悩表現で、リアリティを感じた。
「あの映画もそうです」
随分前に見て名前を思い出せないが、フランスの映画。10歳くらいの男の子が末期の病気で、親さえ気遣いながら接している中、ピザを届けに来た、遠慮ない物言いの派手なおばちゃんと仲良くなる話。あの映画は印象的だった。
神様を信じない、と言う男の子を、おばちゃんが教会へ連れて行く場面。男の子は、キリストの磔刑の像を見て『神様なのに強くなさそうだ』と、そんなことを言う。おばちゃんは静かに答えた。『マッチョな神様で、あんたの気持ち分かると思う?』そんな神様のが良かったか、と。確かそういう会話があった。
とても心に残った場面だったのを、今。思い出す。『マッチョな神様ではないから、気持ちが分かるのか』そうかも、と呟くイーアン。
等身大のヒーローじゃなくて良いのか、と訊かれた男の子は、おばちゃんの問いかけに首を振ったのだ。イーアンもそれは理解した。
現在の自分は、ヒーローと近い位置に立っている。連れて来られた理由はそこにある。
自分で良いのだろうか、と思う時は、あれ以来、まだある。とはいえ。自分的には疑問でも、この世界の精霊は気にしていないと。そう銀色の彼は話していた。
ファドゥの話を思い出す。『自分が誰かを助けたくても出来ない時、自分の代わりに助けに現れた相手が、罪深いかどうかで、助けを頼むのを断るか』と問われたことを。助けられるなら、そんなこと気にしないだろう、と。
「私は。この世界で何を求められているのか。私に問われたものは何だろう」
作業を続けるイーアンは、静かな独り言を工房に落とす。ただの一個人。ただの、一人の人間で。どっちかと言えばロクデナシなんだろうなと、思って生きていた自分がいる。今も別に、それが変わったわけでもないが、それでもここにいる。こんな自分を選んでくれたことに感謝して、その責任に、需めに応えたいと、ひたすら思う。
「でも。龍がいないと動けないです。これだけで、あっという間に、閉じこもりの生活です」
情けないと笑って、針を進める。龍がいなければ、無力極まりない。角が生えたけど、単に角がある変な中年女性。そういう言い方をするなと言ってくれる仲間はいるが、こういう自分の無力さや自己肯定の低さは、なかなか消えない、なかなか・・・・・ 気が付けば心のどこかにいつもある気がする。
「これ。この工房だけの毎日。これが私の本来。そうなのでしょう」
誰も聞いていないから、弱音も言える。弱音が自分への、客観的な現実を伝えている気もする。それだけではないと思いたくても、そう理解している部分が多い。でも。
「こんなことではいけません。与えられた力を使って、きちんと呼ばれた責任に応えたいです。海に出られない漁師は網を直して過ごす、と賢者の書にありました。動けない時こそ、思いを高めないと」
今朝。ダビに、矢筒とボジェナのお母さんの上着を渡せた。
ダビは明日行くらしい。龍がいないから、馬で向かうため、一日繰上げで早く出ると。旅立つダビに、何か渡せたらと思ったが、彼は『矢筒。あるから良いですよ』と、ダビらしい答えで終わった。
時間は夕方。縫い物も終わり、糸を切って細かい場所を整える。龍の皮の上着と、手甲とレギンス型の脚絆。自分用だと遠慮なくザクザク作るから早い。このセットを縫う前に、クズネツォワ兄弟の餞別も用意した。
イーアンは、龍の皮を周囲に巻いた宝石を二つ、手に持つ。『首紐も龍の皮だから、暫く鱗が当たるかも』でも彼らに似合うだろうと思って、お揃いにした。
「私は実用だから服ですが。彼らはお守りに」
後ですぐ渡せるように箱に入れ、次の縫い物の準備を始めた。これまでと手袋の大きさが違ったため、昼過ぎに見本を手に入れ、型紙を作った。『龍の皮でドルドレンに手袋を作りましょう』手袋の内側は鱗の薄い部分、外側は鱗の厚さがある部分を使う。
旅の仲間で、防具の気掛かりがあるのは、フォラヴと親方。彼らは鎧に心配がある。フォラヴは次の鎧が来たら交換すれば良くなると思うが、親方は鎧他一式がない人。『彼はどうするのか』今度訊かなきゃ、と呟く。ドルドレンは鎧やマスクはあるので、手袋だけだった。
「龍が戻ってきたら、皆で聖別に行きましょう」
それまでに親方の防具も何か用意したいと思った。そんなことをしていると、ドルドレンが迎えに来て、二人は工房を出て、いつもどおり風呂と夕食を済ませる。
まだ早い時間だったので、寝室で少し長めに話し合った。ドルドレンは、数日間の魔物の状況を報告する。『民間申請などは来るが、数が少ない』もうじきいなくなると見ていることを話す。
「それからね。サージの工房で、また50~60本くらいの剣が出来たそうだ。オークロイからも連絡が届いていて、暫く空いたから30近く鎧が出来ていると書いてあった。オークロイ親子の友達で、廃業した職人が手伝いに来てくれたらしい」
ドルドレンはイーアンに、魔物の材料がどれくらいあるかを確認する。イーアンは大凡の在庫と、今まで各工房に届けた量と出来上がった製品数を考え、手元の材料で作れそうな製品の予想を伝えた。
「あの鋏が。西の魔物の鋏です。この前、タンクラッドに持って行って頂きましたが、あれがどう使えるか。溶かすのかそのままか、使い方で数も変わります」
まだかなりの量があるけれど、とイーアンは言う。『防具と武器だけを見れば、それに適した材料の在庫は、今話したとおりです』また、毒や牙や腸などの小さい材料もあると教えた。
「それらも何に使い道があるか、職人の方と相談してみます」
イーアンはドルドレンが何を訊きたかったのか、何となく分かっていた。ドルドレンは頷いて『もしかすると全ての騎士に行き渡ることなく、終わるかもしれないが。それでも1000人ほどの騎士修道会のうち、支部にいる騎士たちの多くは手に入れられるな』本部は要らないし、と考えるドルドレン。
「本部は基本的に必要ない。しかし支部は、魔物が出なくなれば、剣も鎧も要らないかと言うと、そうでもないから」
「本部の、あの方。名前忘れました。私に誤解がないようにお伝え下さった方。彼が話していましたが、魔物が出る前は、獣や盗賊を、相手にするようなことがあったとか」
そう、とドルドレンは頷く。『大体は静かなものなのだ。魔物が出てからこれほど大変になったが、それまでは平和も良いところだった。平和過ぎて、なぜこの仕事があるのかも分からないくらい暇だった」
「暇」
「暇だ。暇そのもの。フォラヴは入り立ての頃、人に刃を向けるのは嫌だと言っていた。なぜ入ったのか、疑問を持つようなことで悩んでいた。だがフォラヴの願いは届いた。魔物が出るまで、せいぜい演習で人間相手に剣を振るうくらいしかなかった」
笑う二人は、フォラヴらしいと頷く。ドルドレンも髪をかき上げて首を傾げる。『何で彼は、騎士修道会に入ったのだったか。理由を忘れたよ』とにかく、今も昔も彼はあのままと話した。
「シャンガマックは威勢が良かった。彼はアティクよりも後に入ったが、二人とも部族の出身だし、地域も北の方だから、俺の隊に合わせた。細い体だが力が強いシャンガマックは、戦い方を教えると、あっというまに成長した」
「盗賊退治などもしましたか」
「していない。北西はさほど賊も出ない。北や東は出る。南もそう・・・いないかな。南は獣の被害が多いのだ。西と北西は、そこまで剣を使うような事態は。どうだったかな。でも俺の印象では暇だった」
援護遠征などはあったよ、と伴侶は言うが、それも今みたいな遠征ではなくて、貿易で大量に何か入る時期に、増える賊を取り締まるために行く用事、と説明してくれた。
「それが突然。もう話すこともどうかと思うくらい、散々。口を開けば、言い続けた言葉だが『2年前』を境に一気に逆転だ」
ドルドレンは水を飲んで、ふーっと息を吐き、ニコッと笑った。
「どうにか生き延びたが。イーアンには分からないかもしれないけれど、本当に。本当に、散々な目に遭ったのだ。皆。
暇だと笑っていた寝惚けた日々は、一瞬で惨事に引き摺り落とされた。相手は見たこともない生き物で、殺したつもりでも死んでいない。死んだと思ったら復活される。今思えば、どこをどう斬れば良いかも、俺たちは分かっていなかったのだろう。
ある日突然に出てきて以降、毎日、毎日。誰かが死んだ。民間人も、俺たちの仲間も。墓を掘る暇もない。死んだ側から連れて行かれる者もいた。仲間を弔うことも、取り返すことも出来ないのだ。連れ帰った仲間は弔ったが、そのままになった者は数え切れない」
そこまで話して、ドルドレンは首を振る。『この話になると、それしか思い出さなくなる。止めよう』ダメだ、と悲しそうな目でちょっと笑った。
それからイーアンを抱き寄せて膝に座らせ、くるくるした髪をちょっとずらして、その額に自分の額を付ける。
「イーアンはね。常に様々なことを思うだろうが、君が思うよりも、皆を救ったのだ。
今もそうだ。慣れない世界で、男所帯で、それまでの自分らしく生きようとしても、逐一難しさを感じたと思う。それでも支部を出て行くこともなく、戦闘で知恵を発揮して、俺たちを導いたのだ」
何も言わずに聞き続けるイーアン。何と言って良いのか、とても重い話で、静かに聞くしか出来なかった。頷きながら微笑み、伴侶の背中をそっと撫でる。
「私がお役に立てて、本当に良かったです。私がいることで面倒もあり、ご迷惑もかけましたが、私を守り、ここに置いて下さったことに、今もいつも感謝します。これからも頑張ります」
約束しか出来ないな、とイーアンは思う。皆さんの、厳しく大変だった2年間を思うと、涙がこぼれそうになる。自分が力になれたなら、それはとても有難いことであり、今後もそうあるように努力を続ける約束をした。
この後も二人は、今後のことを話し合う。もし魔物がそろそろ終わるのであれば、後は委託した工房に状況を確認して、次の動きに備えないといけないと。
「歌にあったな。一つの国の魔物が終われば、次の国に出ると。あれはヨライデだろうか」
「分かりません。ヨライデに魔物の姿を見たとフェイドリッドは話しています。ですが、魔物の王がいると思われる場所に、魔物が出るのか。私には不自然に思えたのです。歌の最後に『それでも駄目なら11回目は王の心臓』とありました」
「うむ。そうか、その王というのは」
「私も同じように思います。ヨライデの王でしょう。現在のヨライデの情報は入っていないでしょうか」
ドルドレンは首を振る。『知らない。どこの国の情報も、現在のハイザンジェルは非常に少ない量しか入らない』誰でも魔物が出ると知っている、この国に近づこうとしないと話した。
「では。次の国はこことヨライデ以外の国。イーアンはそう思うのだな」
「空と地下も後です。ティヤーか、アイエラダハッドか。テイワグナです。きっと」
どこにしても、犠牲者が出ないようにしたいとドルドレンは呟く。悲しそうな灰色の瞳に、長い睫が被さる。『誰も死なせたくはないのだ』もう充分だ、と低い声を落とす。
「私も努力します。あなたを困らせてばかりですが」
ハハハと笑うドルドレンは、イーアンの角にキスした。『困ってるね。いつも。でもそれも全部、俺と君の歴史なのだ。俺はそんなイーアンが好きで、イーアンはこんな俺が好きだ。二人の話だ』そう言うとぎゅーっと愛妻(※未婚)を抱き締めた。
「時々、思うことがある。イーアンが工房から出なかったら、どうだったのだろうと」
「それは今日。私も思いました。いえ、今日というよりも、工房にいられる日は毎回思うことです。
以前の世界では、本当に籠もりっぱなし。工房から出ることは少なくて。月に1度出るだろうか、とそのくらいでした」
ドルドレンびっくり。そんななの?と目を丸くする。イーアンも他人事のように頷いて『もともと家が好きなのです』と教えた。
「本当に動かないですよ。ずーっと作っています。食事もしなくなる時があるし、って。これはご存知ですね。私は、閉じ込めても苦しまない性質です。何か作らせてもらえていれば」
「誰かと話さないのか。寂しくならないか」
ならない、とイーアンは首を振る。『今はあなたがいますから、一日あなたを見ないとなったら危険ですけれど。そうした相手でもなければ、元々私は独り言で、会話可能ですので、全く寂しくないのです』独り大好き、と自信満々に頷いた。
ええ~ 社交的な印象しかないよ、とドルドレンは驚き続ける。イーアンは真顔で否定した。
「今、こうした生活ですから、お役目もありますしね。あちこち出かけて、お役に立つよう頑張りますが。私は実に、孤独に耐えられる屈強な精神の持ち主です(?)。奇妙な自慢ですけれど、事実です」
「はぁ~・・・そうなの。まー。言われてみれば、2日以上。工房に籠もって、あの寒さで寝食忘れて作るなど、常人では出来ない技だから。そうなんだね。
イーアンは孤独向き。ぼっち力が異常に高い。でももう今後は、俺がいるから無理だけど」
「はい。ドルドレンがいますので、もう孤独生活は終止符です。
話を戻しますが、工房に閉じ込めるとして。窓は要ります。自然光、大事。それで、お食事を差し入れ頂くとして。トイレとお風呂が満たされた条件なら、私、そこから出ないでも生きられます」
うへーーーっ 伴侶はびっくりが止まらない。そんなのって、人間大丈夫なもんなのか。それは軽く牢獄では。
イーアンはちょっと考えて『あと、お洗濯場も要るか』と条件を加えていた。それは、生活が工房中心で回るという意味か、と確認すると、イーアンは自信を持って『そうだ』と言った。
「何か作らせておけば良いのです。私に。黙々とやりますから。買い物や社交もそれなりに好きですが、それらはこの工房生活において、そこまで大きな楽しみには至らないです」
あー、そー。へ~・・・と、ドルドレンは大きく頷いて、戦闘能力の高い愛妻(※未婚)はこの世界に来たからこその、今の姿と認識した。
それまでは『おうち大好き』な人であった。過去大荒れとはいえ、やはり、おうちが一番だったのだ。
恐ろしいほどの集中力の高さは、何かしらに注ぎ込めば良いのかとも理解した。戦闘に注ぎ込むとああなるだけで。料理なら、料理。ものづくりなら、ものづくり。こういう人もいるんだなぁと、今更ながらに感心した。
時間を見て、二人とも今日はいろいろ話したからと言うことで、そろそろ眠ることにした。ドルドレンは『おうちがあると、きっとかなりの効力を発揮する(※おうち力)』と思い、おうち必須であると、改めて思いながら眠った。
お読み頂き有難うございます。




