544. クローハル・ハイル・ティグラスにとってのあの人
久しぶりの遠出休暇に入った、クローハル。
「町が遠いねぇ。ホント」
ぽくぽく馬を進めながら、ウォイブエアハを目指す午前。景色が変わり始めると、気持ちも変わる。道を一つ曲がる度。自分が離れている仕事場を客観的に思う。『休みに思い出さなくてもな』一人、馬の背で呟いて少し笑う。
青空を見つめて、ぼーっとあれこれ。ウィブエアハの女のいる宿で、いつも××××する相手の名前と体を思い出す。
「元気かな。最近、南行かなかったからな」
自分を見つけると、嬉しそうに寄って来る可愛い女の軍団。『今日。何人いるんだろ』へへっと笑うクローハル。名前を復唱して、間違えないように予行練習する。間違えるとえらい目に遭う。
「デナハデアラまで行ければな。時間作って、ちょっと足伸ばすか」
そんなことを思いながら、休日の午前、馬の道を進むゆとりある楽しさ。で。思い出すあの人。
「何で。ツノあるんだろう」
イーアンは角が生えた。支部に来た時は普通の人間だったのに、あれよあれよという間に、龍にまでなっちまった。
「保護しただけの女だったのに。遠征で、意外な一面が凄いと思ったら。イーアンは別の場所から来たとか、空に行っただとか。そんな話の続きが龍とはね」
昨日戻ってきたら角もあるって。ハハハとクローハルは笑う。『もう。俺なんか手が届かない』やれやれ・・・頭を振って、笑みを浮かべたまま呟く。
「俺は、何でイーアンが気に入ったのかな。実際、どうだったのかな」
この数ヶ月で俺の名前を呼んだのは、ほんの数回。
そんなで、俺のことなんか思い出すかな、と思う。『きっと、どこかに出るんだろうな。ドルドレンと』剣職人も一緒と予想をつける。自分よりもずっと仲が良く見えた。
ただ、何か分からない、大きなものが動いているのだけは感じていた。それが理由の出来事や人付き合いなのか。
「彼女と10くらい離れてて。何で彼女が良かったんだか」
支部に一人しかいない女性。それ前提とは思うものの。顔も違う。見た目も違う。魔物を倒すような知恵があったり、工房を持って魔物でモノを作ったり。そんな人間、男でも女でも会ったことがなかった。
頭をわしわし掻いて考えるクローハル。『好きかといえば、それは好きだが。どうしても手に入れたいとか、そんなふうに思ったのは時々で・・・連続しなかったな』ちょっと違う感覚だったのか。好きとは、別の好きなのか。
今や、もう人間でもない女。角まである。彼女を取り巻くヤツらは、存在感がデカい気がする。でもそんなイーアンになる前に、俺は気に入っていたよなぁと考えて、一つ結論が出た。
「俺は。非日常に憧れたんだな。非日常って。魔物が出てからは、戦うと手に入ったけど。そうじゃない。もっと想像もつかない非日常かな」
イーアンは非日常。その存在がそうだった。クローハルは悩んだ。自分が好きなのは、彼女自身なのか、彼女を通して見ていた憧れなのか。
そんなことを思いながら、これから宿へ行って、いちゃつくことも心待ちな自分がいる。こっちが楽しい楽しい現実で、馴染みのある感覚。つまり。ってことか。だからか。
「一度で良い、イーアンと。一晩中、話せたらね」
それで良いんじゃないの、と自分に笑った。一人しかいない道の上。言葉に出してみたら、意外にもしっくり来た。
『俺はムキになってたかな。ドルドレンが羨ましかっただけか』あいつは大変だったのにと、孤軍奮闘で白髪だらけになった友達の、数ヶ月前までを思い出す。『あいつが報われたような気がしたな』俺も報われたかったような。そんな心の動きでもあったかなと。
騎士修道会に入ったガキの頃を思う。突然、支部に放り込まれて、家にいたそれまでの鬱陶しい惨めさが消えたあの日。騎士修道会で自分を見つけた日々、あれも暫く、非日常気分だった気がする。
俺は今もまだ、その先の非日常を欲しがってるのか。非日常を見た時の、困惑と面白さを思い出すと、反応する自分がいる。
「まずいな。身近な非日常のイーアンに会いたくなる」
ハハッと笑って、馬を走らせるクローハル。ウィブエアハの町へ向けて、迷いを振り切るように、クローハルは勢いつけて街道を疾走した。
*****
ハルテッドは朝から荷造りしながら、机に置いたままの手続きの書類を見た。何枚かある(※確認してない)。
「面倒くさ」
ベルにやらせよう、と決めて、荷造りの続き。手続きの紙なんて読む気にならない。
「なーんでだよーって感じ。『ショーリは長年いたから信用ある』って。そんな理由で移動できるの、おかしくねぇ?」
はーっと溜め息をついて、ほどける髪を三つ編みし直す(※髪サラサラ過ぎて、編んでもほどけてくる人)。俺が信用ないみたいに言うのどうよ、サボるけど・・・とぼやく。
「折角友達になったのに。イーアンが旅に出るまで、別にここに俺たちがいたって困んないじゃん」
ドルと昨日話して、結局のところ自分とベルは移動しかないようだった。『春夏なんかすぐだよ、すぐ。秋になったら移動、って出来そうなのに』ドルは神経質だなと改めて思う。
馬車生活をしていた頃。稼ぎが減って、飽きてきたっていうのもあった。でも馬車を降りたら、どんな生活して良いのか、自分もベルも分からなかった。
マブスパールに腰を下ろした馬車の家族に会った時、家ならあるよとか、仕事も紹介してやるとは言われた。
でもそれじゃあんまり、馬車と変わんないかなってことで。どうせ降りるんだから、もうちょっと違う生活しようよ・・・と。ベルと二人で決めた先が、騎士修道会。
ドルとはもう随分会っていなかったけれど、時々、馬車で出くわして、挨拶したり、一緒に食べたりはあった。だからドルが総長だし、話せば通じると踏んでいた。
マブスパールが近い。勤めるなら東の支部なら良いだろうなと、ベルと話し合ったが。最初は、ドルとくっついた方が何かと気楽と思い、本部に話して北西に来た。
「いいじゃんねー。北西で騎士仕事慣れたんだしー。何でここじゃ、ダメっつーんだよー」
ぶーぶー文句を言いまくるハルテッドの部屋に、ガチャっと勝手に扉の開く音がした。『お前、紙書いた?』お兄ちゃんベル。声をかけてすぐ、机の上の未記入の紙を見て、眉を寄せる。
「早くしろよ。荷造りそんな量ないだろ」
「うるせぇよ。あんだよ、お前と違って。そこの化粧品入ってる、赤い箱取って」
渡しながら、ベルは椅子に座る。記入しない紙を手にして、ぶつぶつ文句を垂れる弟を眺めた。『ダメって言われたんだから、仕方ないだろ』分かる?と一言付け加えて、睨まれた。
「おめぇは別に何でもないから、良いんだろーけど。俺はイーアンと友達なの。離れたら会えないだろ」
「ハイル。本当に友達なんだな」
はー?と聞き返し、弟は首を回しながら立ち上がり、ちょっと機嫌悪そうな顔で兄に近寄る。ベルは椅子から見上げるのみ。『何よ。何か悪いこと言ったかよ』言ってねーでしょ、とベルは呟く。
ハルテッドは意味が分からないので、言いたいことは言う。
「友達じゃん。好きだし、だからヤなんだろ。離れるの。何、今更、友達とか確認すんだよ」
お兄ちゃんは何度か小さく頷きながら、理解する。こいつにとって、本当にお友達だったのかと。
最初はスキスキ言っていたし、手も出したがっていたけど、結局はそういう対象にしなかった。ハイルには大事な友達になってたんだな、としみじみ。弟の成長具合に嬉しく思う(※弟34才)。
「うん。分かるけど。でも旅も出ちゃうだろ。そうなったら、何ヶ月とかで帰ってこないでしょ。北西に居たって、どこに居たって変わらないとも思えない?」
「それまで一緒に居たいってのは、おめぇにないの?俺はそうなの。別に顔見てなくたって、近くにいるってだけでも違うんだよ。ベルは分かってねー」
弟は大きく溜め息を吐いて、また床に座った。それから紙をちらっと見て、兄に書くように命じた。ベルは抵抗する。
「お前の字で書くの。これは。お前の書類だから」
「字、マネしなよ、マネ。俺がそういうの、間違えないで書けるって思うか?」
とにかく行きたくないんだな、と察するベルは、仕方なし引き受ける。紙に書いたら、本当に終わりって感じなのかもと理解してあげて、ベルは立ち上がった。『しょうがねぇから書いてやるよ』後でな、と弟に行って部屋を出た。
廊下を歩きながら、ハイルの書類を見つめる。
「イーアンは。あいつの理解者なんだな。イーアン自体が、誰かに理解してもらいたい感じだったけど。二人とも、どこか似てたんかな。だからあいつは気に入ったんだよな、多分。で、安心したから友達になれたか。
ハイルは女装癖でふらっふらなヤツ。イーアンは別世界からです、ってさ。ハハハ、似たような不安さがあったんだろうな」
そう思うと。弟が普通に親しめる友達との日々、旅に出るまでとはいえ、数ヶ月の僅かな期間を取り上げるのも、ベルは心が痛んだ。
自分は。弟が友達みたいな感覚で生きている。弟は俺のことは都合の良い兄でしかない。友達は別。女装もして女言葉で喋れて、それが普通に楽しめて。そんな友達、この先すぐ出来る保障ないかなと思えば。
「ドルに相談するか。東は、もうちょい待ってよ、って」
あいつ泣きに弱いから、泣いてみるとかね・・・ベルは笑いながら部屋に戻った。
*****
所変わって、東の地区マムベト。
占い用の石を覗き込んで、暫く黙る美しいシャムラマートは『ふうむ』と首を捻る。ティグラスがお茶を運んできて横に座った。
「ティグラス。イーアンが変わったのよ。知ってる?」
「何に変わった?イーアンはイーアンだよ」
そうじゃなくって、とお母さんのシャムラマートは息子の肩に腕を回し、頭を撫でる。もう片手でお茶を飲みながら、ティグラスに石を見せた。
「これ見える?イーアン、この前イヌァエル・テレンで龍になったの。私は彼女が、空で龍たちと出会うと思ってたけど、彼女まで龍に。それに空が早いわよ。もっと先に見えたのに」
「そうだ。精霊が早くそうしたかったんだ。祝福だってね、龍になったら何か増やしてあげると」
「お前、知っていたの。ドルドレンたちが来た時に言わなきゃ」
ティグラスは青い目を向けて、驚く母親を見つめ、首を傾げる。『俺はあの時は知らないよ。精霊が何か言ったかも知れないけど』俺が知ったのはもっと後だ、と教えた。
「お前はどこまで知ってるの。ドルドレンはまだ動きがないのよ。イーアンは何か急かされてるけれど」
「俺には分からない。でもイーアンは何かもらっただろうから(←角)次は違う国だ。もう違う国に魔物がいる。今度は早いんだ。だから精霊はイーアンを早く強くしたかったんだ」
お母さんは眉根を寄せて考える。そして、すっ飛ばし過ぎな息子の情報へ、幾つか質問。
「ええっとね。ティグラス答えて頂戴。イーアンが何をもらうと、どうなるの。それと違う国の魔物はどう関係するの。ドルドレンは何かを待ってるの?」
「一つずつだ。俺に分からないよ」
「うーん・・・とね。まずイーアンは何をもらったの。何か祝福なのね」
「俺も知らない。でもそれをもらったら、次は行きやすいんだ」
「誰が、どこに行くの。何かそれを見せると通れる場所かい」
「違うよ。信じてもらいやすいから、仲間になれる」
お母さん咀嚼中。イーアンが祝福を増やしてもらった故に受け取ったものは、どうも、急ぎの用に通じるものなのか。
「そうなの。ではね、それがどうすると、違う国の魔物と関わりがあるの」
「そんなこと分からないよ。違う国でもう魔物がいるだろ。一度に出たら大変だ。早くしないとたくさん死ぬ」
「分かるわ。一度に魔物が出たら大事でしょう。で、それはどうして、イーアンの祝福を急ぐ理由なの」
「イーアンは、次のドルドレンの仲間を連れてくる。それでドルドレンたちと一緒に、違う国へ助けに行く。旅が動き始める」
んん??? シャムラマートは美しい額にシワを寄せて考える。ちょっと待ってねと息子に言い、顎に手を当てて理解を進めてみる。
違う国に魔物が一気に出るとする⇒何か持っているイーアンが向かう⇒そっちの国で信用されて仲間が出来る⇒その仲間を連れてハイザンジェルへ戻る⇒ドルドレンたちと一緒に、助けに出発。かしら?
「分かった?石でも見れるよ。そう訊けば」
「え。そうなの、早く言って頂戴。でも何となく、分かったような気がするわ」
「ドルドレンの乗り物は、イーアンと逆だ。でも仲間だ。その仲間が来たら皆、旅に出る」
ティグラスはそう言うと、窓の外を見てニッコリ笑った。『旅の前に、早くここに遊びに来ないかな』無邪気な言葉に、シャムラマートは苦笑いする。
「魔物が違う国に出たら、あの子たちは忙しくなるでしょ。来れないよ」
「だから早くって。また、来るって約束した。俺を龍に乗せてくれるんだ。イーアンはドルドレンの奥さんだろ。イーアンは動物みたいだ。可愛いから好きだ。馬と一緒だ」
思ったことが全部口に出るティグラスに、いつも笑わせられるお母さんは『そうだね』と答えて、体を捻って長椅子の背凭れに腕をかけ、一緒に窓の外を見た。
「秋より早いと思う?あの子たちが旅に出る時」
「知らないよ。でも海が割れたら行かないといけない。海が割れると人がたくさん死ぬ」
シャムラマートは止まる。そっと息子を見つめると、その青い目はどこかとても遠くを見つめていた。
『この国で、魔物は約束の数がそろそろ終わるから、もう出られない。最初の旅の仲間を誰も倒せなかった。魔物は次へ行くよ。ドルドレンの仲間を探して潰しに行く。皆、揃ったら大変だから』すっと息を吸うティグラス。
「迎えが来たら行かなきゃな。海が割れたら、迎えが来ると思うよ」
ティグラスはちょっと考えて、頭を掻いてから『早く来ないかな。龍に乗りたい』と微笑んだ。
お読み頂き有難うございます。




