543. 支部にいる午前
次の朝は遅い。ドルドレンが先に起きた。イーアンはまだ眠っている。
時間を見ると7時前。イーアンは5時前後にいつも起きているから、今日は安心して眠っていると思った。
ぐっすり眠る愛妻の小さな角を撫でて、一人ちょっと笑うドルドレン。角まで生えて。鱗が出ようが体色が変わろうが。イーアンのままなら良いや、と思える自分にも笑う。
「君が好きだよ」
ドルドレンはニッコリ笑って、その小さな角にキスした。角にキスしてすぐ、イーアンの目が開く。何度か瞬きして、愛する人を確認した嬉しさに微笑む。『ドルドレン』腕を伸ばし、伴侶の首に巻きつけ、引き寄せる。『イーアン』ドルドレンもゆったりした気持ちで、その引き寄せに合わせて顔を近づけ、キスをした。
「幸せです。目覚めてあなたを見る、このことが」
「俺もだよ。腕に君がいる。この朝に感謝する」
二人は抱き合って、お互いの温もりを感じ合う。自分たちが離れてはいけない、とお互いに思う。それをひしひしと感じ、見つめ合って微笑んだ。
「イーアン。俺たちが旅の間も離れないように。こうして一緒にいられるかな」
イーアンは伴侶を抱き締める。ドルドレンも笑顔を向けて『どうだろう。だって、俺たちには深刻だろう?』と理由を言う。
「どこまで叶うかは、まだ分かりませんけれど。昨日お話ししましたように、タンクラッドが笛を人数分作るとしますと、皆さん自由な時間も持つでしょう。いつでも、全員一緒ではないかもしれません」
「ぬ。そうか。それぞれが移動手段を持っていれば。合流だけ一緒で自由。旅の仲間とは言え、四六時中一緒に寝起きでもないな。遠征とえらい違いだ」
そういう可能性もあることをイーアンは言いながら、『でも。自由は良いにしても、反対に困ることも起こりますでしょう。いざという時、呼び集めるまで離れていたら』それは大変かもね・・・と続けた。
「俺と君が一緒であれば。まず大丈夫だ。今や俺が守ってもらう立場にさえ思う」
いやぁね。笑うイーアン。『守って下さい、ドルドレン。私も頑張ります』そう言って灰色の瞳を見つめて、額にキスをした。ドルドレンもニコッと笑って頷き、愛妻にきちんとキスを返す。
「そうだな。俺が守らねば。勇者と言われて、奥さんに任せっぱなしも情けない」
一頻り二人で笑い合って、起きようかと着替え始めた朝。今日は平和な、安心する朝を迎えて、二人とも顔を見合わせるたびに微笑んでいた。
朝食を食べて、イーアンは工房へ。ドルドレンは今日の予定を訊いた。
「ミンティンもアオファも上ですから、私は工房で作業です。本当は、これが普通なのですね」
そうかと頷くドルドレン。龍が入ってきてから、イーアンはあちこち動くようになったが、本人は馬に乗る訓練の必要もない立場だけに、自分で移動できない。
「イーアンはこの世界に来て良かったのだ。龍と共にあることを定められていたことは、移動だけに限らず、イーアンの人生を大きく変えた」
「はい。そう思います。そのことを最近よく考えます。龍もそうですけれど、この世界へ来て一番、大きな恩恵は、自分が生きていて良かったんだと思えたことです。皆さんのために生きることが出来る、そんな大きな役目を頂いたことは感謝以外の何もありません。上手く言えないのですが」
当たり前だよと、ドルドレンは少し悲しそうな目をしてイーアンを抱き寄せる。『人は自信を失う時が度々ある。だが生きていていけないなど、そんなことはないのだ』誰もがそうだ、と低い静かな声で聞かせた。
それから改めて予定を訊ねられ、イーアンは今日、工房で縫い物をすると伝える。ドルドレンは後で迎えに来ると言って、執務室へ向かった。
扉を閉めてから、ボジェナのお母さんの上着に使う皮を、イーアンは用意する。羽毛毛皮の中でも、一番綺麗そうなものを選び、丈夫でしっかりした部分だけを切り出した。『普通に着用する場合は、よほどのことでもなければ、きっと長持ちします』これだけ強ければ、と繊維の方向に伸ばして確認。
ここから少し、地味な作業。縫い合わせる部分の羽を抜き、重なる箇所をナイフで漉く。それから油を入れて少し馴染ませ、いくらか縫い穴を開けて縫い始めた。
「ラグス(※ボジェナ母)の上着が縫えたら、龍の皮の上着も縫いましょう」
半端な時間や、余り時間は、自分の衣服や道具作り。そう決めているので、まとまった時間がある時は依頼の品を作る。
ボジェナのお母さんの上着を、キリの良いところまで進めたら、ダビの矢筒も、細かい部分の調整をして渡す。
龍の鱗の皮が余ったら、伴侶にも何か使えるものを作ろうと思う(※パンツではなく)。
「ファドゥが持たせて下さった皮。私の中の何かと、繋がるのでしょうか」
ファドゥはそう話していた。龍のものを身に着ければ、と。最強最強と、最近よく耳にする、自分に授かった力。しかしそれはこの世界全体ではなく、あくまで『イヌァエル・テレンの世界最強』である。と、イーアンは解釈している。
「ミレイオの話が気になります。地下の国の方々も、相当な力を秘めていらっしゃる」
でも彼らは魔物ではないし、魔物のような動きもとらない。だから全く別の存在として、魔性のような雰囲気はあっても、独立した立ち位置を築いている。
縫い物をしながら、思うあれこれ。中間の地と呼ばれるここで、勇者よりも自分が強いわけはない。
私の力は、空では出しっぱなしが可能でも、この地上ではあくまで一時的にしか使えない。それも自分一人では動かせない。『普段はミンティンたちと一緒でなければ』そう思うと、やはり『世界最強ではありませんね』だろうな、と頷く。
そうすると。きっと地下の国の最強もいる。
中間の地では、太陽の民・ドルドレンが最強なのだ。その意味は、彼自身も強くあり、また彼を信頼して力を貸す者と行動する、そうした意味でも最強ではないかと思う。そこに地下の国の誰かも加わるのか。
「もしそうであれば、その方は誰でしょう。いずれお会いするだろうけれど。私が龍たちを探しているのと同じように、地下の国の誰かも、同じように自分の導かれる先を見つめて、今、動かれているのか」
部分ごとに縫い針を進め、イーアンは誰に聞かれることもない独り言を呟く。ちくちくと針を進め、取り留めない思いを浮かばせて、時間は過ぎる。
不意に、扉が叩かれた。返事をして縫い物を机に置いて、扉を開けるとブラスケッドがいた。『あれ、どうする』いきなり言われた言葉に、イーアンは何をかと訊ねると、片目の騎士は外を指差す。
「外の。あの白いの、鎧になるんだろう?確か」
え? 何の話か分からないイーアンは、ブラスケッドに詳しく教えてもらい、ようやく理解する。『そうでしたか。そんなに広範囲に魔物が出て』庭が大変だと思っていたことを答えた。
「庭が最初だったんだ。あのデカイ龍がいなくなったからかもな。草原もかなりの数が出たぞ。
この支部だけなのか・・・退治後、俺たちは心配になったが、どうも他の支部からは連絡がないから、ここだけのようだな」
「草原にも多かったのですね。大変なことになっていらして・・・・・ そうでしたか。皆さんが無事で本当に良かった。そう、では。そうですね。まだあるようなら、回収した方が良いでしょうが」
「だろう?そこで躊躇うよな。龍がいなくてこの状態だから、このまま草原に回収へ行ったら、また魔物と鉢合わせるかもしれない。どこにいたんだ、ってくらいの数だったから」
悩むイーアンとブラスケッド。ブラスケッドは角を見て、ちょっと摘まむ。イーアンはちらっと見る。少し笑う片目の騎士に、イーアンも笑顔で了承。
「お前も龍だろうが。この形では、強く見えないな」
そりゃそうですよ、とイーアンも笑う。そして窓の外を見て、考える。笛は持っているし、白いナイフもあるから、刺激しなければ襲われないかも知れないが・・・と。
「どうしましょうね。材料があるに越したことはありませんけれど。ドルドレンと相談しましょうか」
それが良いなとブラスケッドも頷いて、二人で執務室へ行き、ドルドレンに相談。ドルドレンも唸る。『そうだな、あれがあると今後のためには役立つが。魔物がまた来るとも限らないし』ちょっと待て、とドルドレンは執務の騎士に報告書類をもらう。
「イーアン。数が曖昧だが、大体は分かる。今、報告で上がっている分で」
そこまで言って、ドルドレンは書類の数字をイーアンに指差した。ブラスケッドも覗き込むが、二人が何を思って、会話しているのか分からないので、黙っている。
「これは。もうあとちょっとで、2万頭」
そう、と頷く総長。『気にして見ていたのだ。この数字には、一昨日のも大凡だが含まれている。上限を超えていても良さそうな数を倒している気持ちだが、退治頭数が多いと報告の数字も曖昧だから。しかし、もうじき上限と推定すると』灰色の瞳を向ける。
「この前の。あなたやシャンガマックたちを狙って、とも思えます。アオファも私もミンティンも、上でしたから」
「かもな。龍と龍を従えるイーアンがいなければ、邪魔がない。取れる時に首を取るような、そんな感じも思おうと思えば、無理はないかな。残りは僅かだ。この数字から見たって1000もいない」
「出ないかもしれない。という、こと」
多分ねと、ドルドレンも書類を机に置いて答える。『イーアン、笛はあるだろう』腰袋を指差すドルドレンに、イーアンはあると答える。『龍不在でイーアンだけだが、笛もある。イーアン自身はいるわけだから、誰かと一緒にだったら大丈夫かもしれない』俺が一緒でも良いけれど、と小声で付け加える。
「いえ。総長は昨日の分もあるので外出、出来ません」
執務の騎士に即行、却下を食らう。不機嫌な顔で『あ。そう』と答えて、ドルドレンはブラスケッドにも許可を伝える。
「フォラヴとシャンガマックは、新しい武器を持っている。同行してもらうと良い。馬車で積めれば楽だろうが、襲われたら馬車は危険だ。積みは、ショーリのデカイ馬を出してもらうか」
「あと、アティクも手伝ってくれると思います。彼は私と同じ作業ができます」
ブラスケッドが急遽、班隊長の状態で管理することになり、イーアンとフォラヴ、シャンガマック。ショーリ、アティクの6名で草原へ回収に向かうことに決まった。
「極力、離れるな。もし離れる時は、確実に2名で行動するように」
ブラスケッドは鎧が危なっかしいので、シャンガマックが補佐。イーアンはショーリ、フォラヴとアティクがセット。
「遅くても昼までに戻れ。危険ならすぐに呼びに来い・・・イーアン、珠はあるね」
ありますと答えて、イーアンは了解する。『じゃあ、行くか』ブラスケッドに促されて、ドルドレンに挨拶し、イーアンとブラスケッドは他の騎士を集めに行った。
準備を整えて、早速、6名で草原へ出る。ショーリの馬は大きいので、イーアンは前に乗せてもらっても余裕な広さ。『時々乗りますが、この馬は本当に大きいです』イーアンが馬を誉めると、ショーリは馬について説明してくれた。
「ワズロという。ワズロはもともと大きな種類の馬で、その両親も大きかった。俺がこんな体だから、普通の馬は長く走れない。ワズロを譲ってもらってから、遠征も楽になった」
イーアンはワズロの体を前後見てみる。ドルドレンの馬・ウィアドも、皮を10枚くらいは積めたから、と思うと、ワズロは倍くらい積めそうだった。ショーリもイーアンを観察。頭に角。でも小さ過ぎて、角に見えないため、黙っていた(※髪に埋もれてる)。
「イーアン。あの辺りは近いし、たくさん斬った。あそこから始めたらどうだ」
アティクに指差された場所を見て、全員そちらへ馬を進める。斬り方を見ると剣と分かる。『ダビが毒矢を使った』とアティクが教えてくれて、それで動かなくなった首を斬り落としたらしかった。
「大した腕です。板の繋ぎ目に刺さるとは」
ビックリするイーアン。矢の刺さった部分をよく見てから、ダビは優秀と今更ながらに感心した。それからいそいそと回収する。アティクにも手伝ってもらい、他の人たちには馬上で見張っていてもらう。
「相当な数が取れます。切り方は遠慮なく行いましたから、形は悪いかもしれませんけれど」
フォラヴが後ろからそう言う。どれくらいだった、とブラスケッドに訊かれ、シャンガマックが『200~300では』と答えた。庭に出た数も合わせれば、そのくらいはいたかもと皆が話しているのを、イーアンは聞きながら作業をしていた。
どんどん剥がし、大きな形のある場所を優先に馬に積む。小さい部分は盾や弓に使えるので、袋に入れてもらった。
6人で出た割には、魔物の音沙汰もなく、気配もなく。イーアンとアティクが、移動しながら皮を剥いでいても、作業はすんなりと進んだ。馬上の4人も、渡される皮を集めては、一頭が積み上がると2人セットで支部へ運ぶ。これを繰り返し、昼近くになる。
「もう良さそうじゃないか。支部にかなりある。後は支部から遠い」
「そうしましょう。有難うございました」
イーアンは皆さんにお礼を言い、隊は支部へ戻った。工房の前に回収した皮を運び、それで班を終了とする。ブラスケッドとイーアンはドルドレンに報告に行き、イーアンはブラスケッドにもお礼を改めて伝え、工房へ戻った。
回収した数は結構な数で、アティクが本当に手際が良いと思ったのは、自分よりもずっと早く、皮を剥いでいたと分かる数だった。
お昼までの間の20分くらい。イーアンは皮をきれいに拭く。こうして集められる時に集めて、自分たちが旅に出た後も、作る人たちが困らないように貯めておこうと思う。そして役に立つように願う。
龍がいない支部を見て、本来はこの状態が普通だったんだと、しみじみ感じる。魔物の材料があることも、異常事態だからこそ。
「普通。普通の状態に、早くそうなるように。一つ一つです」
工房の窓の外で皮を拭きながら、呟くイーアン。ドルドレンが来て、手を休めてお昼へ一緒に行く。工房にいる時間は、これまでのことを考えることが多いと話すと、ドルドレンも微笑み頷いた。そして、後で少し時間を作って、一緒に工房で過ごそうと言ってくれた。
お読み頂き有難うございます。




