541. 角談議
ドルドレンは、イーアンを抱えたまま降ろさなかった。オーリンはそれを見て、少し笑い、支部に入る手前で『俺、今日は戻るよ。また』と短く伝えて帰って行った。タンクラッドはずかずかと支部へ。
執務の騎士も、表に書類の回収に行った時、どうもイーアンが戻ったと知り、いそいそ簡易机他を片付けた。そして総長を引っ張ってこようとして探し、イーアンを抱えている姿を見たので、今日のところは許してやろうと決めた(※人情は厚い人たち)。
タンクラッドもイーアンを抱えたがるが、ドルドレンは頑として譲らなかった。『俺の奥さんだ。何で、よその男に抱えさせるんだ』ビルガメスだけでも複雑なのに、と灰色の瞳を剣職人に向ける。
「親方だから、安心するために必要だ(※不要のはず)。心配したんだぞ。殆ど食事が摂れなかった。ほら、よこせ(※強引)」
腕を伸ばす剣職人を、ドルドレンは無視して歩く。食事の話を知ったイーアンは、親方をちらっと見て『2日間も?』と確認する。親方は頷いて『腹も減らなかった。喉を通らん』溜息をついて答えた。
「お腹。空いていませんか。何か作りましょうか」
自分が迷惑をかけたことで、気の毒な目に遭わせたと、イーアンは大柄の親方が心配になる(※えらい食べるのを思い出す)。
ドルドレンが驚いて『子供じゃあるまいし。放っといたって腹が減れば、自分で勝手に食べる』いいの、いいの、と止めた。
ムッとする親方。総長に言う。『イーアンの料理が、食べたい場合はどうするんだ。その辺の草でも食べる、みたいな言い方しやがって』工房までついて来て、総長に下ろされるイーアンの横へ行った。
「疲れて戻ったイーアンに。何て配慮のないことを言うのだ。少しは気遣え」
いつもは気遣うけど。言葉を返したせいで、無配慮の烙印をぽんと押された親方は黙る。悔しいが、これ以上は言えないので、ふーっと大きく息を吐いて、とりあえずイーアンの腰掛けたベッドの横に座った。
ドルドレンが暖炉の火を入れておいたので、暖かな室内。イーアンは少し嬉しそうだった。
「帰ってきた、そういった顔だな。工房が一番自分らしい場所だよな」
親方がイーアンの表情を見て、胸中を察して微笑む。イーアンも親方を見上げて頷く。『空は本当に呼吸もしやすくて、体も楽です。だけど工房は私の大切な世界です。ここが一番好きです』ニコッと笑う。
タンクラッドも気持ちは分かるから、笑顔を返して頭を撫でた。
そして気になる、あれを見つめる。視線に気が付いたイーアンは、ちょっと複雑な気持ちを抱えつつ。親方に触っても良い、と自分から言った。
「触りたそうです。角は感覚がありませんから、触っても良いですよ。動かせば頭の皮膚や頭骨には響きますけれど」
「そ。そう。そうか。すまんな、気を遣わせて。でもちょっと。初めて見るから」
親方は総長を見て、総長の顔が仏頂面なのを確認。少しだけにしよう、と思ってイーアンの角に手を伸ばす。
そーっと表面を撫でて、どんな形なのか、髪の毛を分けて観察した。
「これ。どうやって生えたんだろうな。ここの部分の髪の毛は移動したのか?でも、周囲の毛穴に偏りがないから、この面積の分はどうなったのか。根元の部分は、ん?」
分析する親方に見てもらいながら、イーアンは『ん?』の部分にギョッと反応した。『何?何ですか。まだ何か怪しいものが』何々?と焦って訊ねる。ドルドレンも側に来て、タンクラッドが何を見つけたのか、イーアンの頭を覗き込んで見つめる。
「これ。取れない、んだよな?そう言われたか?」
「取れないって言いましたの。だから悲しくて」
「お前。さっき感覚がないと言ったか?この辺、俺が触って分かるか?」
「あら。そこは分かりますね。それは根元ら辺でしょうか」
「ちょっと待てよ。こっちは分かるか?」
イーアン考える。もうちょっと力を入れて摘まんでもらって、分からないと答えた。親方はもう一度別の箇所に触れて、きゅっと親指と人差し指に力を入れてみる。『どうだ』『分かります。痛くはないですが』イーアンはどこを触られているのか、まだよく分かっていないので、親方の説明待ち。
「これ。抜けるかもしれないぞ。今じゃなくて。そういう感じの角だろう、作りだけ見ると」
「えっ。本当?でも全然取れる気配がありません」
「ええっとな。お前、鹿の角と牛の角、違い分かるか。お前のは、鹿の角みたいに思える」
イーアンはビックリ。そうなの?と親方に訊くと、親方は頷きながら、角の先っちょをくりくりして『多分な』と答えた。ドルドレンも驚く。『これ、いつか取れるのか?じゃ、そこの部分は毛がないのか』伴侶の一言に、イーアンはさらにビビる。
「ええっ! 取れたら取れたでハゲ?!それはイヤよ!イヤよ、イヤイヤ。こんな面積でハゲって」
あんまりよ~と両手で頭を押さえて嘆くイーアンを、慌ててドルドレンは胸に抱えて宥めた。
「気にしてはいけない。気にすると毛に影響する(※追い討ち)。うっかり思ったことを言うものではないな」
「お前の方が配慮がないじゃないか。可哀相に。俺は、角が生え変わるかもしれない可能性を、話したかっただけなのに」
ふんふん悲しがるイーアンを気の毒そうに見つめ、親方は総長を叱る。『そういうことになったら、どう対処するかを先に考えてから、ものを喋れ。お前は全く』目を合わせないでいる総長に呟き、親方はイーアンの顔を覗き込む。
「もしだぞ。生え変わる時があれば。お前の頭を隠せるような、そうしたものを二人で考えような。俺も手伝うから」
涙目(※ハゲの可能性による)で自分を見るイーアンの頭を撫でて、親方は慰める。
「次のが生えるまでだから。お前の角の型を取って、金属で作っておくことも出来るだろ?お前はそれを革で固定するような、そうしたものでも用意しておくと、いざという時、怖くない」
だろ?と言われて、イーアンも頷く。『有難う、タンクラッド。そうします。宜しくお願いします』鳶色の瞳同士が見つめ合っているのを、上から眺めてムカつくドルドレン。咳払いして、イーアンに言う。
「今日ね。イーアンも戻ってきたし、昨日の魔物退治の慰労会も延ばしていたから。夜、慰労会をする予定だ。ヘイズたちも、もう厨房で忙しくしている。ダビやベル達の送り出し会でもある。だから」
イーアンは驚いた。魔物退治はさっき聞いたけれど、ダビ?ベル?ハルテッドも。送り出すって、と話を遮ると、ドルドレンは、彼らはここを出ると教えた。
「ダビはイオライセオダだ。もう数日後には行くだろう。ベルとハイルは、東の支部へ行く。アミスと遠征地へ行く際に連れて行く」
タンクラッドもあの兄弟を思い出し、『あいつらは移動するのか』と訊ねた。総長は、もとからそういう話だったこともちょっと教えた。
「そうか。俺も挨拶をしていくか。東まで移動なら、もう暫く会うこともないだろうから」
そう言って親方は立ち上がる。『あいつらはどこだ』総長に居場所を訊ね、庭の片付けに出る時間だと教える。『庭の魔物の死体は外に出さないといけない。正面は昨日と今日の朝で片付いたから、午後は横と裏を片付ける』そう言うと、工房の窓の外を見せた。
「あっちから、ここの前まで、回ってくるだろう。また始めたばかりだから、反対側の横にいるだろうな」
教えてもらったタンクラッドは、そのまま工房を出て行った。ドルドレンはイーアンを見て『ああいうところ。タンクラッドは何と言うか』と少し笑みを浮かべる。イーアンも笑顔で頷く。
「タンクラッドは優しいのです。エラそう、と。よく他の方には言われますけれど、心の温かい人です」
エラそうだよ、でも、とドルドレンは笑った。イーアンも笑って『それはそうだけど』と認めた。『だけど。ベルもハルテッドも嬉しいと思います』彼が挨拶に来てくれたら、と付け加えた。
「外部の者だが。タンクラッドは、慰労会に出しても良いような気持ちになる」
「あの方が大勢を望まなければ断るでしょう。でも遠征の夜も楽しそうでしたから、お誘いしたらどうかしらね」
誘ってみるかとドルドレンも同意する。
それからイーアンを見つめて、ちゅーーーっと長めにキスして頬ずりした。
『イーアン。帰ってきて良かった。俺は離れて生きられない』頬にすりすりする可愛い旦那に、イーアンも嬉しい。よしよし背中を撫でながら、自分も同じだと答えた。
「ビルガメスが連れて帰ったのは、途中から気が付きました。でも不思議なことに、そうしないと治らないと自分でも理解していた気がします。
あの方はね。私が目覚めてすぐ『ドルドレンのところに帰らないといけない』と。彼は苦しんでいると言いました。勿論、私もあなたが心配でしたけれど、すぐには体も動かしにくかったので休みました」
ドルドレンは鳶色の瞳をじっと見つめ、何度かゆっくりと頷いた。『彼は。俺にもそう。イーアンをとても好きなのは分かるのだが、これまでの男のような『好き』の感覚とは異なる。もっと高みの感覚かもしれないな』嫌な感じがしないよ、と呟く。
ビルガメスの話をしていると、間もなく親方が外から回って戻ってきた。そしてわらわらと取り巻きがくっ付いていた。窓を開けてやる総長に、部下はちょっと恥ずかしそう。そこにはベルとハイルもいる。
「あのな。総長、こいつらが」
「ドル。慰労会あんじゃん、夜。タンクラッドさんダメか。一緒に」
ベルが割って入る。顔が懇願。ドルドレンはそのベルの表情に困惑しつつ(※やられたと分かる)いいよ、のつもりで頷いた。
「あのさ。いつも世話になってるから。最近、よく来てくれたし。ダメか?」
ベルは、ドルドレンが『ダメ』で頷いたと思ったようで、もう少し粘ってみる。タンクラッドは後ろで笑って、ハルテッドを見た。弟も苦笑いで首を掻いている。ドルドレン、ちょっと笑う。
「ベル。俺は良い、と答えたつもりだ。タンクラッドが良ければな」
どうだ?とイケメン職人に振ると、イケメンは面白そうに笑って『長居はしないぞ』と頷いた。ベルの顔が輝く。ハルテッドは目を伏せた(※兄の男色傾向に悩む)。それから取り巻きの部下たち(※30人くらいいる)も、嬉しそうに『良かった』『今夜は一緒(※何かが違う)』口々に喜びを表していた。
ハルテッドは中を覗きこんで、イーアンを見つけ、ぱっと顔を明るくする。『イーアン、大丈夫?』手を振って笑顔を向ける。イーアンは頷いて、入ってと促す。
「どうしたの。いきなり倒れたって言われたよ。で、空?最近は空も居場所があるんだね」
ハハハと笑いながら入ってきたハルテッドは、茶色の髪をかき上げて、ベッドに座るイーアンに近づき、表情をそのままに固まる。何度か瞬きして『ツノ。それ、ツノ?』と。
振り向くドルドレン。その言葉に反応するタンクラッド。ハッとするイーアン(※うっかり忘れてた)。
「え?まさか、角があるの?ツノでしょ、その形」
ハルテッドが美人な顔を近づけて、イーアンの角を確認。『どうしたの。何で角あるの?』もの凄くドン引きされているのが分かる。イーアンはドルドレンを見て困ったように首を振る。
「ハルテッド。皆を集めとけ。イーアンは龍なんだ。だから、精霊にその証をもらった。奇妙がられてはイーアンが可哀相だ。全員に最初に伝える」
「何?ドルはあるの、ない?」
俺にあるわけないだろう、とドルドレンは、ハルテッドの肩を引っ張って後ろに下がらせる。『イーアン、これから皆に話しておくから。ここにいなさい』ドルドレンは振り向くハルテッドを押して、窓の外へ出し、自分も外に出た。
「ねぇ。イーアン、それとても可愛いよ。びっくりしたけど」
窓から見えなくなる手前で、ハルテッドは大声で急いで伝えて笑顔を向けた。イーアンはちょっとホッとした。親方の取り巻きも、総長と一緒に他の騎士たちが作業する場所へ向かう。皆、イーアンの角をちょっと目に留めて『ホントだ』と驚いていたが、笑顔で『龍だもんね』と理解してくれた。
「お前は。愛されているな。良かった」
窓から工房へ入った親方が、イーアンの肩を抱く。そして見上げる笑顔のイーアンを見て、そーっと。角くりくりをする。イーアンの目が据わった。笑う親方は、そんな顔をするなと言った(※摘まむのは離さない)
「お前はイヤかも知れないが。ビルガメスが気に入ったのは分かる。お前のこの角は、とてもお前に似合っているぞ。ちょこんと出ていて可愛い」
「他人事ですもの。親方だって、生えたら悩むと思います」
「そりゃそうだ。だが俺にあったら、お前どう思う。何て言う」
イーアンは。親方にビルガメス的一本角や、真横から出るシムのような角があるのを想像して、ちょっと萌えた。『か。カッコイイかも』ぼそっと呟いて頬を染めるイーアンに、親方は驚いた。
「お前のその言い方も他人事だろう。どんな角を想像したか知らんが。まぁでもな。カッコイイか。それはそれで良いかもな」
ハハハと笑い、親方はイーアンの肩を引き寄せる。ぎゅっと抱き締めて『お帰り』と改めて言う。二人きりだから、ちゃんと抱き締めて言いたかった。
イーアンも抱き返して、親方の広い胸に頭を付けて『はい。戻りました』と答えた。ぐりっと頭を擦りつけ、角がごりっと親方の胸を擦る。『おい、ちょっと気をつけないと。硬いから』親方はビックリして角を摘まんだ。
イーアンが笑ったので、『お前。わざとだろ』と角を摘まみ上げてタンクラッドも笑う。『刺さったらどうするんだ』摘まんだ角をぴっと後ろに反らせて、イーアンの顔を上げる。
「刺さりません。後ろに向かって倒れるように捻れているし。刺さったってちょびっとです」
笑うイーアンの頬を摘まみそうになって、親方は止まる。『ふむ。今度から、角を摘まむか』少し意地悪に言うと、イーアンの目が据わった。『刺します』宣言するイーアン。『やってみろ』と親方。二人で目を見て笑って、親方は再び角くりを始めた。
二人がそんなことで、冗談を言い合っている中。総長ドルドレン。外に出ている部下を集めて、イーアンが戻ったこと&角生えたこと&タンクラッドが慰労会に参加することを伝える。
クローハル。目を開けたままドルドレンを向いて固まる。ジゴロの反応に、ドルドレンは何も言わずに静かに頷く。ジゴロ、首を振る。ドルドレン、頷いて答える。
「タンクラッドも参加する」
「それじゃないだろう。角」
「タンクラッドは、部下の信頼が厚い。是非にと」
「ドルドレン。角って何だ」
「剣を直してもらった者もいれば、新調した剣に救われた者もいる。彼も労おう」
ジゴロは大きく深呼吸。言いたがらないドルドレンに近寄り、その肩に手を置いてがっちり掴み、灰色の瞳を真ん前から見る。
「答えろ。イーアンに角だと。今どこなんだ、彼女は」
「落ち着け。いるから」
「落ち着けるか。3日前に突然、倒れたと聞いたら、あっという間に空に連れて行かれて。戻ってきたら角?角なんかなかっただろう。何があったんだ、イーアンに。彼女はどこなんだ」
ドルドレンは鬱陶しそうに頭を掻く。集まる隊長もクローハルに任せて、内容を聞くに徹する。ブラスケッドは可笑しそうだった。『イーアンは退屈しない』ポドリックに囁いて笑っていた。パドリックとコーニスも後ろの方でひそひそ話し合う(※『とうとう角まで生えた』『もう怖くて仕方ない』)。
総長は咳払いし、クローハルをちょっと退かし、全員に告げる。
「いいか。イーアンは仲間だ。俺の奥さんだ。大事な愛妻だ」
それはいい、まだ結婚してない、と部下たちに言われ、総長はもう一度咳払いする。『だから』さっと見渡して続ける。
「差別するな。イーアンも好きでツノ付きじゃない。本人もとても悩んでいるが、もう付いている物は仕方ない。角があるというだけで、彼女自身は何が変わったわけでもないのだ。
精霊に龍の力を受け取った証として、角を与えられた。ただそれだけで、彼女は何も変化ない。慰労会にも出る。からかったり、傷つけるような発言はするな。分かったな」
はい、解散。ドルドレンは言うだけ言って、質問の暇を与えず、足早にその場を立ち去った。
厨房担当も数名参加していたので、イーアンの体調を気にしていたヘイズ(※彼は主軸で厨房から離れられない)に伝えに急いだ。クローハルは暫し、呆然としていたが、すぐにドルドレンの後を追い『会わせろ』と付きまとった。面白そうなので、ブラスケッドもくっ付いて行った。
ザッカリアやシャンガマックたちも、イーアンの角に好奇心はあったが、ザッカリアはギアッチに止められ(※『面白がってはいけないよ』釘)シャンガマックは、フォラヴにやんわり抑えられた(※『私たちのために大変だったので、控えましょう』釘)。
クローハル&ブラスケッド同伴のドルドレンは、工房に戻って、扉の前で彼らに約束させる。『いいか。決してからかうな。決して嘆くな。本人はとても気にしている』気をつけろ、と注意してから扉を開けた。
開けると。角くりくりしているタンクラッドと、角くりくりされているイーアンが、ベッドに腰掛けてこちらに向いた視線と、ドルドレンたち3人の目が合った。
お読み頂き有難うございます。




