538. イーアンの回復
イヌァエル・テレンの3日目の朝。
イーアンを連れてきて二日丸々経ち、ビルガメスは夜明けに目を覚ます。『動いたような』腕の中のイーアンをじっと見て、手足に視線を移す。どこも変わっていない。
思い過ごしか。ビルガメスはまた、布を引っ張り上げてイーアンに被せ、腕に包んで眠る。温かいから、回復を待つだけ。それが分かっているだけでもビルガメスには安心だった。
朝日が差し始める頃に、やはりビルガメスは、イーアンが動いたような気がして目を開ける。
「イーアン。聞こえるか」
頬をちょっと撫でて、目を閉じた顔に囁く。表情はそのままに、ビルガメスの心臓にドンッと振動が来た。『何?』驚くビルガメス。今のは何だ、と片肘を着いて体を起こし、イーアンにかけた布を取って体を見つめる。
「動いていないよな。何だったんだ?心臓に何か」
言いかけて再びドドンッと胸に響く振動。『うっ。イーアンだな、イーアン』これは間違いなくそうだと思い、ビルガメスが話しかける。
「イーアン、イーアン。力が戻ってきている。目を開けてみろ、体の外だ。外に向けろ」
小さな顔に手を添えて、聞こえるように何度も同じことをビルガメスが伝える。『俺に放つな。自分の中で動かすんだ。俺が返しても、まだ受け取れないぞ』分かるかな、と心配になる。
ビルガメスの声が聞こえたか。イーアンの息が大きくなった。『お、反応した。イーアン。自分の中で力を回して体を動かせ、無駄に俺に向けて出すな』分かるか、体を動かすんだ、と何度か言うと、イーアンの瞼が動く。
「イーアン」
「はい」
ビルガメスの声に、返事をしてばっと目を開けたイーアン。そして目の前の男龍を見て、ふーっと息を吐いてハハッと笑った。『有難う』イーアンは気が付いていたと知り、ビルガメスは嬉しくなってイーアンの目にキスをした。
「イーアン!良かった、目覚めたか。頑張ったな」
「あなたが。私をずっと『大丈夫だ』と励ましたから。聞こえていました。でもどうすれば良いのか、全然分からなくて。身動きが取れませんでした」
起きたイーアンの顔を撫でながら、ビルガメスは笑顔で頷く。『大変だった。きっとお前はこれを忘れないだろう』でも良かった、と大きな手で優しく髪と顔を撫でる。
「体が痛いです。同じ姿勢だったから」
イーアンはちょっと困ったように、肩を浮かす。ビルガメスが支えてやると、イーアンは上半身をゆっくり起こした。『床ずれ・・・かも』イーアンはお尻や背中をそっと触って、参ったわと呟く。ビルガメスに床ずれの意味は分からない。体が痛むことだけは理解する。
「どうしたら良い。お前の痛みはどこで治す」
「これはどうでしょう。起きて暫くすれば。数日すれば良くなるかも」
とにかく起こしてやり、ベッドに座らせてビルガメスは顔を覗き込み、鳶色の瞳を見る。『他は?どこか悪いところはあるか』心配するビルガメスに、イーアンは微笑んだ。
「大丈夫です。ビルガメス。ずっと付き添って下さって有難うございました」
「そんなことは良い。どんな具合だ。大丈夫か。精霊が、お前は回復すると話していたが。ドルドレンのところに行くか」
イーアンはちょっと驚く。ぼんやりした頭でも、ビルガメスがすぐに、ドルドレンの名前を出したことに、とても温かな気持ちになる。
ニッコリ笑って、目の前の男龍の顔に手を添えた。ビルガメスも驚いたようにその手に視線を流す。
「優しいビルガメス。ドルドレンを気にして下さって嬉しいです。そう出来れば良いですが、もうちょっとだけ、ここで休ませて頂けますか」
微笑む男龍は、イーアンの手に自分の手を重ねて、頬にその温もりを感じて目を閉じた。『もちろんだ。お前が良いまで居ると良い』欲しいものがあれば言え、と訊く。
「少し。まだ起きたばかりなので。静かにしています。私はどれくらい・・・ここに居たのでしょうか」
ビルガメスはイーアンの横に座り直し、イーアンを引き取った日から、3日経ったことを教える。その間に起こったことも、短く要点を伝え、中間の地のことは知らないと話した。
「ドルドレンは耐えている。お前を連れて行くと知っても、抵抗しなかった。自分には治せないと分かっていたのだ。恐らく、今とても苦しんでいる。お前は彼に会いに行かないといけない」
イーアン。本当にビルガメスの大きな心に感動する。優しい人だなぁと思う。その思い遣りに感謝して、腰回りを見る。あら。自分のコルセットも剣もないことに、やっと気が付いた。腰袋の中の珠を、と思って見たら、ない。きょろきょろするイーアンに、ビルガメスは脇に置いた道具を指差す。
「お前を連れてきてすぐ、窮屈そうだから。上着とあの革の巻き物は取った。そこにある」
お礼を言って、イーアンは腰袋の中の珠を探す。どれも光っておらず、伴侶の珠を取り出してビルガメスを一度見た。『これで彼と交信します。少々お待ち下さい』そう言うと、イーアンは珠を握って、伴侶を呼んだ。
『イーアンっ!!イーアン、どこにいる。イーアンだな?』
『ドルドレン、私です。愛していますよ。今は』
『俺も愛してるよ。死ぬかと思った。本当に辛かった。大丈夫か』
『今はビルガメスの家です。彼はずっと私を見守って下さいました。先ほど目を覚まし、痛いのは床ずれくらいです。体は一切動かしていなかったので。でも、気力は戻りました』
『ああ。良かった、とにかく良かった。本当に。もう涙が』
『回復しましたが。もう少しだけ体が落ち着いたら、戻ります。起き立てで、力が思うように入りません』
『分かった。いいよ、会いたいが。でも無理はダメだ。絶対に無理してはいけない。ビルガメスにお礼を』
イーアンは嬉しい。涙をちょっと溜めた目で、ビルガメスを振り向き、珠をその手に持たせた。不思議そうなビルガメスは小さな珠を手に置かれ、『イーアン』と聞こえ、ハッとした顔でイーアンを見る。
『なぜ。ドルドレンの声か』
『うん?ビルガメス。ビルガメスと今、俺は交信しているのか?イーアン?』
『イーアンは珠を俺に渡した。考えるとお前と話している。そうなのか』
『そうか。ビルガメスに代わったのだな。そうだ、ビルガメス。俺が礼を言おうとしたから、イーアンが代わったのだ。有難う。有難う』
『ドルドレン。礼を言うな。お前は耐えた。イーアンが好きだな。大事なのに、俺に預けた。大した男だ。心配するな。彼女は元気を取り戻した』
ドルドレンは涙が出て何も言えない。何度か頷きながら、大きく息を吐いて『ビルガメスに礼を。有難う』と伝えた。ビルガメスもニコッと笑い『俺は側で見守るだけ。彼女は、イヌァエル・テレンの空気に癒されたのだ』と伝えた。
「ドルドレンは俺に礼を伝えた。早く会いに行くと良い」
ビルガメスはそう言いながら、笑顔で珠をイーアンに返す。余計なことも言わず、きっと心配させないように、この大きな男龍は伴侶を労った、とイーアンは分かる。珠を受け取って、ビルガメスに微笑んでから、ドルドレンに今日中に戻ると伝えた。
『イーアン。タンクラッドも、とても気にしていた。オーリンも。出来れば連絡を。一言で良いから』
優しい伴侶にイーアンは頷く。すぐに連絡をすることを伝え、また後でと交信を終えた。伴侶は、タンクラッドやオーリンたちにも心を開いている。それがとても嬉しかった。
ビルガメスに他の人にも連絡する、と伝えると、ビルガメスは『そうしてやれ』と言ってくれた。
『タンクラッド』
『イーアン、どこなんだ。無事か。俺は』
『今。ドルドレンと話したばかりです。彼はあなたが気にしていると』
『当たり前だ。どうなんだ、どこなんだ。俺はどこへお前を迎えに行けば良い。教えろ』
笑うイーアン。親方の【上から目線心配】が、いつもどおりでホッとする。自分はビルガメスという男龍の家に居て、彼はとても親切だから大丈夫と伝え、今日中に戻ると伝えた。
『ああ。イーアン。俺はどんなに心配したか。いや、その。総長もそうだと思うが』
『私は果報者です。本当に有難うございます。無茶をして、ご迷惑をお掛けしたことを謝ります。本当に申し訳ない』
『いい、謝るな。良いんだ。お前に会いに行く。今日だな?今日支部に戻るんだろ?行くぞ』
『あ。そうでした。ミンティンは呼ばないであげて下さい。あの仔も、私のために疲れています』
『呼んでいない。最初の日は知らずに笛を吹いたが・・・でも以降、呼んでいない。お皿ちゃんがあるから大丈夫だ』
そうか、とイーアンも思い出す。お皿ちゃんがあるなら良いかなと思い直し、イーアンは、今日の午後夕方までの間に戻る気でいることを伝えた。親方はそれを聞いて、落ち着いたように了解した。
「もう一人。龍の民に連絡します」
「龍の民?そこら辺にいるぞ」
イーアンはオーリンの存在を教える。ビルガメスは暫く考えた後。『そいつは連絡しなくても良い』とイーアンを見て言う。
「来たければ来る。遠慮していても、イヌァエル・テレンにいるなら知っているだろう」
「それがですね。彼の場合はちょっと込み入っています」
龍の民・オーリンが、自分の手伝い役だと話すと。ビルガメスは『またおかしな相手を』と笑った。イーアンは話を続け、彼は最近、地上から空へ来たこと、そして仲間に会った喜びから結婚することや、その後に悩んでいることも話した(※洗い浚いチクる)。
「ハハハ、そいつは放っておけ。龍の民は俺たちの親族みたいなものだが、全く違う。人間に近いと俺は思う。大丈夫だ、感覚と感情に、波のように正直なヤツらだから。
きっとすぐに来るぞ。そいつなりに我慢したとは思うが、あいつらに我慢なんて、あってないようなものだ」
「でも。3日間ここへ来ませんでしたね。オーリンは我慢したのでは」
「地上で育ったから。我慢を天秤にかけるという・・・滅多にないような。オーリンは、貴重な龍の民だな。それはあるかも知れない。だが大丈夫だ。もう来る」
イーアンは首を振って男龍を見つめる。ビルガメスは優しく微笑んで、イーアンの顔に手を添える。『いるぞ。もう来る』ニッコリ笑って、外を見た。
そしてじきに、ガルホブラフが躊躇いがちにうろついている姿を見つける。
「オーリン?」
イーアンが声をかけると、ビルガメスの神殿のような家の外から『イーアン。俺』と言いかけて止まる、聞きなれた声がした。ビルガメスが笑って手招きする。『オーリン。こちらへ』イーアンが呼ぶと、嫌がっているガルホブラフがウロウロしながら近づいて、友達を背中から降ろした。
オーリンも入って良いのか、考えて立ち止まっている。『お前。入っても構わない。イーアンだろ』ビルガメスの言葉に、オーリンは頷いてゆっくり入ってきた。
可笑しそうなビルガメスを横に、ベッドに座ったままのイーアンに近寄り、ちらちらと男龍を気にしてオーリンは訊ねる。『イーアン。どう?ちょっと変わったのかな』少し困惑する表情で、それが精一杯の様子。
「あなたは、こんな遠くまでいらして。有難うございます。先ほど起きました。私は身の程知らずで」
「イーアン。そんな言い方をするな。お前は力強い、だが繰り返す気なら。俺を呼べ」
ビルガメスに止められて、イーアンは頷いた。それからオーリンに向かい、微笑む。
「オーリン。心配して下さって有難うございます。今日、私は午後に支部へ戻ります。あなたは婚約者の元へ」
「イーアン、止めろよ。俺はもうそれ、解決して来たよ。君と一緒に旅に出るんだ。俺がいつ呼ばれても良いようにしたんだ。昨日話しに行ったら、彼女はあっさり『あ、そう』で終わったし」
ちょっと情けなさそうに苦笑いするオーリン。ビルガメスも笑い出した。イーアンもちょっとだけ、失礼かなとも思いつつ、困って笑う。
「左様でしたか。分かりました。では私の側に、どうぞいらして下さい。お願いします」
「そうする。ごめんな、俺。ちょっとさ、その。気が浮かれてて。でも、ホント良かったよ。元気になって」
オーリンは心配そうな表情をそのままに微笑んだ。イーアンも微笑み返して『また腸詰を食べられそうで嬉しい』と冗談を言う。オーリンは首を振って『幾らだって作ってやるよ』と下を向いて笑った。
「なぁ。俺と帰ろう。俺も良いなら。午後に帰るんだろ?俺が一緒に行くよ、そしたらイーアンは、そのままでも大丈夫だろ」
オーリンはビルガメスを見ながら、イーアンに訊く。ビルガメスはじっと見つめてから、イーアンに質問した。
「お前は。体に無理がないと分かるか?思うかどうかではなく。俺が一緒でも良い」
「自信がないです。ビルガメス、一緒に来て頂いて宜しいですか。帰りはアオファとお戻りになられて」
問題ない、と男龍は首を振った。オーリンはこのまま男龍の家にいるのも、緊張で難しいので、一旦、龍の民の場所に戻ると伝える。
「帰り。俺を呼んで。聞こえるんだよ、何だか知らないけどさ。だから」
「はい。呼ばせて頂きます。ご一緒下さい」
オーリンはニコッと笑い、頷く。『呼んでくれ。来るよ』一緒に帰ろうな、と笑顔でイーアンの腕を撫でた。そしてガルホブラフに乗って、一度こちらを見て微笑む。『それ、なかなか良い感じだぞ』じゃ、と飛んで行った。
『ん?』何が良い感じなのか、とイーアンは会話を思い出したが、最後の言葉はよく分からなかった。ベッドに座って壁に寄りかかるビルガメスも、イーアンと目が合い、少し笑って首を傾げた。
「さて。オーリンは解決したな」
「そのようです。約束した、と言っていたから。結婚の約束を放棄するなんて、させられないと思っていましたが」
「龍の民はそんなものだ。オーリンは中間の地に育ったようだから、お前たちのような感覚を刷り込まれているだけで。龍の民はふらふらと自由だ。
あれが手伝いだと、しょっちゅう面倒が起こる。そう言えばズィーリーも。手を焼いていたようだったな。2~3人交代させていた気がするが」
そうなの?イーアンは心配になる。呼んだ時に来ないとか、呼んだら違う人来たとか。それは一々、面倒臭い。ビルガメスはイーアンの顔を見て、ちょっと笑う。『あいつはお前が好きみたいだから。大丈夫だろう』好かれればまぁ、と言う。
「今回のような。『誰それとくっ付いた、だから行かない』ということは珍しくない。
ズィーリーの時、俺は関わっていないから分からないが、ルガルバンダが手伝いに中間の地に向かった理由も、確か『彼女が大変で見ていられなかった』ような理由だったかな」
ぐわ~・・・・・ そんなあやふやな、お手伝いさんたち~? 見かねて来てもらったのか、ズィーリーは。気の毒~~~ そりゃ、情にほだされるかもしれない。お手伝いさんがお手伝いになってない危機。
「ハハハ。まぁそういうヤツと分かっていれば違うだろう。それに俺は、お前のために中間の地に行く、と約束している。聞けばタムズもそうだと言うし。オーリンがほっつき歩いて来なくても、俺とタムズがいれば問題ない」
いや、寧ろ、いなくて良い・・・と、ビルガメスは笑顔で頷く。後で切れ、と言われて『それは人として出来ない』とイーアンは丁寧にお断りした。
お読み頂き有難うございます。




