491. イーアン、龍に成る
いろいろと話して、ふと時間が気になったイーアンは、時間の確認が出来るか訊いてみた。ファドゥは、外は午後ではないかと答えた。体内時計で何となく2時から3時の感じ。
「戻るのも時間がかかるでしょう。そろそろ私は戻ろうと思いますが、オーリンは」
イーアンの言葉に、ファドゥの表情がさっと変わって寂しそうになる。オーリンはちょっと考えて『俺はもう少しいるよ』と答えた。
「アムハールの上まで行くのですから、どれくらいかしら」
ミンティンと一緒に来た時は、ゆっくりに思えた。ここにいると空気が清いのか、ゆったりする気持ちが生まれる。不安で一杯だった最初は気がつかなかったが、体が楽だった。
「あなたも多分、大丈夫だ。ミンティンと一緒に空を抜けて。アムハールまで行かなくても」
ファドゥが教えてくれたのは、どこの空からでも中間の地に戻れることだった。アムハールの天の穴は、たった一つの、地上との繋がりを示す場所として作られた場所であることも知った。
「そうだったのですか。あそこからしか出入りできないわけではなく」
「勿論。ミンティンはあなたに呼ばれると、どこにでも現れるだろう?ただ、あの場所をくぐった方が、体に負担は少ないかもしれないが」
繋がったアムハールの天の穴を通る道すがら、体を突然に地上の空気に晒さなくて済む、そうした意味らしかった。結構、堪えるのかしらと思いつつ、一度経験してみるのもとミンティン任せで戻ることにした。
「送ろう。最初に私に乗った場所まで」
ファドゥはイーアンを帰すのが辛そうだった。見て分かるくらいに苦しげな表情。じつに表情豊か。イーアンは思う。彼らは感情の出し入れに素直なのだ。オーリンもそういうところがあるけれど、ファドゥはもっとだった。
オーリンもついて来て『ガルホブラフを呼んで、中を見たい』とファドゥに話した。ファドゥは了解して、彼の龍を呼び、オーリンは颯爽と(※イーアン無視)飛び立っていった。
バルコニーでファドゥはイーアンを抱き寄せて、何度も頭を撫でる。『一緒に暮らせたら』と寂しそうに呟いた。イーアンもファドゥの背中に手を回して、とんとん優しく叩く。
「あなたも。中間の地の、太陽の民を愛しているのか。だから戻るのか」
ファドゥはお母さんと(※私は違うが)2度目の別れなのかと思うと、気の毒にも思えるが、イーアンは頷く。
きっとズィーリーは、もっとずっと辛かっただろう。彼のお母さんなのだからと思うと、二人とも本当に可哀相に感じた。
「また。来てくれるか。また来てほしいのだ。私たちは長寿だが、あなたは外にいるとすぐに老いる。そして旅にも出るだろう。どうか命を大事にして」
「ファドゥ。必ず来ます。約束しましょう、あなたより私は早く消えるかもしれないけれど。でも消える前に、何度でも会いに来ます」
本当は旅のことも聞きたかったイーアン。今回は一切、話しに上がらなかったが、それは次に回そうと思った。ファドゥは本当に離したくないようで、腕を解こうとしない。『どれほど待ったのだろう』小さな声で絞るように呟く。
「ファドゥは私と何か。連絡を取る術を知っていますか」
あまりに可哀相なので、ちょっと聞いてみると、首を振って『ない』と言う。『あなたが龍になるかどうか、あれはここにまで届いた気で知った。普段は分からない』イーアンをしっかり抱き締めて切なそうなファドゥ。
「あのう。私この前。連絡を取れる珠を手に入れたのです。こんなに遠い場所でも大丈夫か分かりませんけれど。それが使えたら」
イーアンの言葉に、ファドゥは体を少し離して、彼女の顔を覗き込む。イーアンは金色の瞳を見て頷き、自分の腰袋から何でも良いから(※失礼)玉を出した。それは伴侶の珠だった。
「それがそうなのか」
「はい。まだあります。これは対になる珠を持った者同士が頭に思ったことを会話します」
握ってみて話していると、伴侶の声がした。
『イーアン。イーアンどうした。どこなんだ』
『ごめんなさい。話す気はありませんでしたが、うっかりしました』
『ぐぬうっ。なんて恐ろしいことを告げるんだ。初めて会話したのに』
『ドルドレン。初めては済んでいますよ、お試ししたでしょう。私は空の上です。もうすぐ帰ります。じゃあね』
『イーアン!早過ぎる、早過ぎだ!君はどうしてそう業務的なんだ』
『申し訳ありませんが、只今混み合っております。後ほど』
イーアンは腰袋にそそくさ珠をしまいこんだ。ファドゥは見つめて不思議そうにしている。
「今。この珠の対の相手とお話していました。彼は太陽の民、ドルドレン・ダヴァートです」
「ああ。その名前に聞き覚えがある。でもそうなのか。つまり離れていても、その珠があればあなたと話せるのか」
イーアンはタンクラッドにお願いして、二つの珠を受け取ってみようと考える。ファドゥはその珠をとても求めた。『どうにかして。私にもそれを一つ分けてほしい』懇願するファドゥに、イーアンはそうしようと答えた。
ファドゥは外へは出られない。それは無理も言えないので、バイ菌(※彼ら曰く地上)に頑丈な自分とオーリンが通うことにした。
何度も溜め息をついたファドゥは、仕方ないといったように龍の姿に変わって、イーアンを乗せてくれた。そして最初に立った場所に着いた時。ファドゥの姿も人に変わって、またイーアンを抱き締めた。
「とても辛い。こんなに苦しいのに、なぜ一緒にいられないのだろう」
「必ず来ますからね。大丈夫ですよ。次は球を運びますのでね。そう遠い日ではありません」
イーアンが慰めると、ファドゥは苦しそうにイーアンの頭を撫でて頷いていた。そんなことをしていると、向こうから赤い龍が近づいてきた。
イーアンは気が付いて、その龍を見つめた。はじめに迎えに出てくれた大群の中、一際明るく目立つ龍だったと思い出す。赤い龍は泳ぐようにゆったりと近づき、側まで来て人の姿に変わった。この龍も、龍の子かとイーアンが理解したと同時に、彼女はファドゥとイーアンの真横に立った。
「この方はあなたの母親」
美しい女性は高い声でファドゥに訊ねた。一瞬、ハルテッドを連想させる背の高い彼女は、色白で目つきも涼しげ、腰まで伸びる真っ直ぐな赤い髪に、豊満な肉体・・・(※ここ重要。羨むイーアン)。ファドゥは彼女を見て、悲しそうに首を振った。
「違う。しかし母に瓜二つ。彼女は女の龍だ」
その言葉にあっという間に顔つきが変わり、とても悔しそうに歪んだ女性はイーアンを見た。『何てことなの』本当?と呟く。今しがた、とても優しい微笑だった顔があっさりお怒り。
「誰なの。あなたは。なぜここに来たの」
「私は」
イーアンが答えようとすると、さっとファドゥがイーアンを包み、顔を胸に押し付けて黙らせる。『フラカラ。訊くな。お前に関係ない』赤い髪の女性を窘めるような冷たい言葉をかけた。
「何よ。話くらいさせてよ。私だって、龍に成りたかったのよ」
「成れなかった。それが全てだ。彼女はお前と違う」
「酷い言い方しないで。持って生まれたものが違うなんて卑怯だわ」
「彼女は持って生まれたわけじゃない。自分が誰かも判らず。守られない環境で、死に物狂いで自分を貶めながら、這うように生き抜いた。別世界の混沌とした地で40数年、全ての愚かな否定に耐えて、命も絶たずに、ここまで辿り着いた。それはお前には真似できない」
それを頭上で聞いて、イーアンは絶句する。そんなこと、彼は思ってもいなさそうだったのに。涙がこぼれた。
彼は、私がくだらない世界に生きて、間違えた感覚を持っていると、私に言い続けていた気がしたのに。『理解した』と最後に言った言葉は。その意味は汲んでくれていた、何て大きな深い思い遣りだったのだろうと、今、押し寄せる有難さにイーアンは涙を落とす。
涙に気がついたファドゥは、体に隙間を作ってイーアンの顔をちょっと見ようとした。『泣かなくて良い。知っている』愛してるよとファドゥは呟く。イーアンは泣きながら『有難う』と答える。
「あの時、私はまだ幼くて、母には言えなかった。あなたに言おう。母にも言いたかった言葉だ。あなたも同じように、母と同じように苦しんでからここへ来た。ここで全てを手に入れてくれ。私はあなたを愛してるよ。母にも伝わりますように」
イーアンはぎゅっとファドゥを抱き締め、涙を流しながら『絶対に彼女は聴いている』と答えた。そして泣きながら、何度もお礼を言った。理解してもらった喜びに、許されたたくさんの想いに、今は素直に喜んだ。『有難う。私もあなたを愛していますよ』と。かつてのお母さんの心と、自分の感謝を重ねて告げる。
二人の光景を見ていたフラカラは、面白くなさそうにしていた。でも。ファドゥと彼女がどんな関係か、それを理解するに充分な状況に立ち合わせ、自分も涙を流していた。
それから、反比例する思いもある中。フラカラはイーアンの顔のある当たりに、そっと顔を寄せる。ファドゥが守ろうとして身を動かすと、フラカラは腕を掴んで止めた。『何もしない』小さくそう言って、泣くイーアンを覗き込んだ。
「ファドゥの。お母さんに似てるのね。きっと、とても大変だったんだわ。だから龍なのか」
耳に心地よい静かな高い声に、イーアンは赤い目で見上げる。綺麗な顔が本当にハルテッドみたいで、イーアンはニッコリ微笑む。『私は大変では』言いかけて涙が出る。フラカラは微笑んで、そっとイーアンの目元に指を当てて涙を拭う。
「私はフラカラ。龍に成りたかったの。あなたはもう龍なのね。でもきっとそれは。ファドゥが言ったみたいに、いろんなことを乗り越えたからかしら」
イーアンは首を振って、フラカラに向き合う。『分かりません。さっき彼に打ち明けるまで、私は自分をロクデナシの偽善者と思っていました』なのにね、と不細工な泣き顔で笑う。フラカラも涙目で笑って。
「名前。教えて」
「私はイーアン。これから地上に戻ります。でもまたここに来たいと思っています」
当たり前だ、と頭上でファドゥが言う。フラカラはファドゥを無視して、イーアンに頷いた。『いつでも良い。来て頂戴。私もきっとあなたのようになれると思うもの』いろいろ教えてと、フラカラは金色の瞳を細めた。
イーアンは嬉しい。なぜか、お怒り様だったフラカラも怖くはなかった。ファドゥも温もりが深い。ここは自分のいて良い場所だと全身で理解していた。
いつでも心の片隅にあったイーアンの寂しさが温もりに満たされて、イーアンは静かにその感覚を味わった。それから大きく深呼吸する。
その時、ファドゥが慌てた。『おお』小さく漏れたその声と共に、イーアンを抱き寄せていた腕が解かれた。イーアンが驚くと、フラカラも後ずさって目を見開き、真上を見つめる。『何で』彼女の囁く声にイーアンが驚く。何が、と訊こうとして身を屈める我が身を疑った。
視界に入った、真っ白い腕。自分の腕の周りに、何十倍もあるような肉付きがあり、その指先は完全に『ミンティン?』呟いた言葉も体の奥からゴゴゴオと聞こえた。急いで自分を見渡すと同時に、ファドゥもフラカラも自分から離れているのに気がついた。
イーアンの姿は、本体の人間の体を包む真っ白な龍に変わっていた。
自分では全身像を見れないにしても、ファドゥとフラカラの反応から、とんでもないことになっているのは理解出来た。
「ああ。イーアン。何て美しい。何て素晴らしい。こんな龍がいたことが、かつてあっただろうか」
「これが女の龍。こんな姿になるとは」
イーアン絶賛開催中。前にロゼールが厨房で云たらかんたら、イーアンがいなくても料理の話で盛り上がったと、言っていたことが蘇る。今。自分のはずなのに、自分がいないみたい。ああ、伴侶に見せたい是非。
何で変わったのか分からないが、イーアンは自分の見える部分を幾つか確認する。どうやら中身は一緒。着ぐるみを着たような感覚で、自分はそのまんまといったところ。
良かった。『デービール(古)』みたいに服が破けなくて。あれ、いつも不思議だった。超人ハ○クは下半身は穿いていた。でもお尻が大きくなったのにと、漫画を読むたび素材が知りたかった。
とりあえず、自分の体を包んでいる、龍の体があるらしいことに、一安心するイーアン(※戻って、素っ裸は立ち直れない)。
生きてると何があるか分からない・・・と呟いても。ゴゴゴゴとしか聞こえない寂しさ。声帯の形が違うと理解する。喋ってるのにつまらない。ミンティンもこんな具合なのかと、今更ながらに同情。
さて困るのは。どうやって戻るのか。手足と尻尾、そして見える範囲での体が、完全に人間じゃないので、どうしたものかと悩む。そんなイーアンに気がついたのか。ファドゥは近くに来て(※気がつきゃファドゥもちっこく見える)イーアンの前脚(※手)に触れて微笑んだ。
「イーアン。そのままでいてほしいけれど。もし戻りたければ、自分が人間の姿でいるのを思い浮かべて」
そういうコツがあるのかと思い、イーアンは素直に従う。全然戻らない。でも粘って少しして、ようやく視点が下がり始めた。意識して維持すると、とうとう元に戻ったようで、フラカラが抱きついた。
「素敵!何て素敵なの。男の龍と全然違う。凄い龍気よ!空に拡がるくらいあったかも!力も見たかったわ!」
「イーアン。あなたは最高だ。母の龍を見たことがないから、母も同じようだったのかと思い浮かべた」
フラカラとファドゥが抱き締めて、イーアンは有難いものの、呼吸する場所を探した。どうにかこうにか、イーアン絶賛開催中を終えて無事に解放される。
イーアンはまた近いうちに来ると約束し、二人に見送られながら岩の壁の外へ出た。出てすぐに笛を吹くと、のんびりしたミンティンがやって来て、何も頼んでいないのに摘み上げて首元に乗せた。
「帰ります。でも帰り道はミレイオの家。アードキーの近くにします」
イーアンの言葉に、ミンティンは鈴を鳴らすような声で鳴いた。イーアンは自分が龍になった時、地鳴りのようだった声を思い出し、どうしてミンティンの素敵な声と違うのかと寂しく感じた。
お読み頂き有難うございます。




