486. アムハールの空へ
あまり寝付けずに起きた朝。何度も夜中に起きて、イーアンは考えていた。自分は誰なのか。こんな自分で良いのか・・・など。
答えのない問いを、目を覚ますたびに思い巡らせて朝を迎え、起きて暫く伴侶の腕の中で大人しくしていた。
ドルドレンも目が覚めて、ちょっと二人とも心が沈んでいるような、そんな状態で抱き合って過ごした。それから着替えて、朝食を摂る。
「今日。ダビを連れてきてほしい。フォラヴをミレイオの家に送るとか。その帰りにでも」
「分かりました。私は朝夕はフォラヴを送り迎えする予定です。ダビは午前のうちに迎えに行きます」
ドルドレンは微笑んで、ダビの今後を会議で決めると話した。辞めさせるわけではなく、彼の意向と人生の時期を、皆で考えて決めたいようだった。『ダビが支部でやってきたことは、俺たちには助かったから』だからねと笑った。
「良い形で送り出したいだろう。皆。職人になれるなら今だ。あいつが望んでいたことが、もう手の内に入っているのに、いつまでも騎士でいさせるのも」
イーアンは微笑んで頷く。自分も彼が手伝ってくれたからこそ、ここまで来れたと思うことを話すと、伴侶も嬉しそうだった。
「イーアン。行きましょうか」
朝食を食べ終わると同時に、涼しい笑顔のフォラヴが見計らったように声をかけてきた。とても待ち遠しいのか、早く行きたいのが伝わる。イーアンはもう行けると答えて、ドルドレンに出かける挨拶をし、工房へ荷物を取りに行った。
ミレイオへの材料を持って、アオファの冠を首に下げてから、工房に鍵をかけてフォラヴと出発。お見送りのドルドレンは、気をつけて行くようにと手を振った。
「ご心配は要りません。私と一緒ですので」
妖精の騎士はコロコロ笑いながら、総長に軽く手を振り『それでは今日もお元気で』とさよならしていた。イーアンがちらっと見ると、伴侶の顔が悔しそうに歪んでいた。
空の旅はそう長くない。フォラヴは意識して龍に乗るのは初めて。『この前。イオライで意識が消えた時に運んで頂いたようですけれど』と笑っていた。フォラヴは龍飛行はなかったっけ、とイーアンは思い出す。ないかも知れない・・・・・
「楽しいですね。私も乗れそうですけれど、そうは行かないようで寂しいです」
「同乗なら出来るのですけれど。そういえば他の方が呼んで、乗れたかどうか。試したことはありません」
「乗ろうとして拒まれたら傷つきます。試す気になりません」
フォラヴらしい発言に、イーアンも同意した。親方とドルドレンは、何も躊躇わずに当たり前のようにミンティンに乗っていたが。
「話を変えますよ。ミレイオがもし、今日の予定が忙しかったら」
「ああそれは。私は戻りますので、全く問題ありません。武器は受け取れますでしょうから、支部でゆっくり楽しむだけです」
ということで。話していると、ミレイオのお宅へ到着する。ミンティンに待っていてもらって、二人はミレイオの家へ歩いた。時々イーアンが雪に転びそうになるのを、フォラヴが急いで支えてくれて、どうにか安全に辿り着く。『帰りは龍まで送りましょう』と心配そうに言われ、申し訳ないイーアン。
扉を叩くと、眩しいパンクが登場する。ギンギラギンでさりげない、パンクの清々しさ。
本当にぎんぎらぎんだった。金属でも身に付けているのかと思うくらい、銀色の上着は反射板のように僅かな光を跳ね返す。
「来たわね。お入りなさい」
イーアンは玄関でお暇する。フォラヴが今日一日休みを取ったと話すと、ミレイオはニコッと笑って坊や(※50代からすれば坊や)を撫でた。『良いわよ。うちにいれば』ミレイオがフォラヴを見ると、フォラヴもニッコリ笑って『有難くお邪魔します』と頷いた。
ミレイオに、ピンク玉虫の羽毛毛皮を入れた袋を渡し、夕方にお迎えに来ると伝える。ミレイオとフォラヴは、結局イーアンを龍まで送ってくれて、見送られながらイーアンは飛び立った。
「うう。申し訳ない。私はインドア系だったから。もう少し反応を良くしなければ」
雪で転ぶ・お皿ちゃんに乗せると転ぶ、そう思われる自分が情けない。イーアンはいつもしっかり守ってくれるミンティンに感謝して、イオライセオダへ向かう。
『今日はダビを連れて戻りますから、壁の外で』ミンティンにお願いして壁の外へ降り、イーアンは親父さんの工房へ歩いた。迎えに行くとすぐにボジェナが出てきて、おはようの挨拶をする。
「ダビを連れて行く?イーアンはお母さんに会うのかしら」
「ダビは一度連れて戻るように言われていて。迎えに来ました。お母さんに会うのは今日は難しいです」
そうかーとボジェナは困ったように頷いた。『お母さんが楽しみにしてるの。時間があったら行ってあげてね』近いうちに行く、と伝えてお約束。ボジェナはダビを呼んできて、ダビと親父さんが一緒に来た。
「ダビがうちで働ける日をまだかまだかって。俺たちが待っていると総長に伝えてくれ」
親父さんの言葉に、ダビの表情が微妙に嬉しそうだった(※気配)。それも伝えると約束し、ダビと一緒にお暇した。
壁の外へ出て龍に乗り、支部へ向かう間。ダビのあれこれを聞かせてもらっていた。イーアンは彼が、どんどん進むべき道に乗り出しているようで嬉しかった。
「もし私がまた。アーメルの工房に行く用が出来たら。ちょっと一緒に行ってもらえますか」
徐に言われて、イーアンは振り向く。ダビは言いにくそうに、でも決めているように話す。
「アーメルの腕。あるじゃないですか。あれ、魔物のせいなんですよ。背中に大きい怪我して、それで肩がね、やられちゃって。だから魔物退治しに行きたいんです」
「その魔物がまだいるという意味でしょうか」
「多分。東の支部が担当している地域ですけれど、一度東に訊いたら、あの辺の魔物を調査した際には見つからなかったとかで、倒していないっぽくて」
「分かりました。行きましょう。彼はもう現場へは行きませんね?」
「行かないんじゃないかな。あれ確か、矢の材料を取りに行った時って話してたんで。もう取りに行かないでしょ。でもやっぱ、怖いんで」
「良いです。倒しましょう」
ダビはちょっと微笑んでお礼を言った。イーアンも微笑み返し『ドルドレンにも伝える』と言った。老職人を心配するダビの心にも、イーアンは感動する。彼の世界の第二部が始まっている。それがひしひし伝わってきた。
そしてダビを支部へ降ろし、イーアンは一緒に行こうとしたが。『呼ばれている』腰袋が暖かくなったので、オーリンと分かった。
「ダビ。私が伝えることは戻ったら言いますから、今は先に戻って下さい」
ダビが了解して支部へ戻ったので、イーアンはすぐに龍に乗って東を目指した。それから珠を取り出して応答する。
『イーアン。どうだ』
『そちらへ向かっています』
『俺の工房の上までで良いよ。外で見てるから』
分かりましたと返事をして、イーアンは珠をしまった。いよいよだと思うと、心臓が大きく動き出す。ミンティンは何も知らないのでいつもどおり。ミンティンと一緒に行くんだ、心配要らないと、心の中で繰り返し、背鰭を抱き締めた。
東の山が見えてきたところで、向こうからきらりと光る何かが飛んできた。『ガルホブラフ』イーアンが手を振ると、背中のオーリンも手を振り返した。空で待ち合わせるとは、人生何があるやらと思いつつ、オーリンにご挨拶。
「よく眠れたか?そう見えないけど」
「そうした顔ですか。しかし当たっています。あまり眠れませんでした」
「君は良い顔してるよ、何だか気にしてるみたいだから言っただけ」
ハハハと笑って、オーリンは龍を北へ向ける。『早速行こうか。俺についてきてくれ』快活なオーリンに少し緊張も解けて、イーアンとミンティンはついて飛んだ。
ミンティンは何か感じたのか、ちょっと後ろを振り向いてイーアンを見る。イーアンはその視線に頷き『今日。アムハールの空へ向かいます』と呟いた。ミンティンは金色の目を向け、注意深くイーアンを見つめ、大量の鈴を鳴らすような声で答えた。
「お前。喜んでいるの」
イーアンは戸惑いながらも龍を撫でる。ミンティンは首を揺らして、ガルホブラフの前へ出た。『どうした』オーリンが驚いて、さっきの声はと訊ねる。
「分かりません。ミンティンは喜んでいるようです」
オーリンの黄色い瞳が柔らかい光を湛える。『それじゃ正解ってことだ』ガルホブラフの首をぺちぺち叩いて『急ぐぞ、駆け抜けろ』と命じた。その声と共に疾風の如く、速度を上げた龍の背から、オーリンの高笑いが後ろに響いた。
「行ってしまった」
イーアンが呆然としていると、胴体に撒きついた背鰭がぎゅ―っと強く締めつけられ、ミンティンも加速した。『お前まで』良いのよ、ゆっくりでもと叫んだが、青い龍はガルホブラフにぐんぐん迫って、追い抜かした。
笑うオーリンが、もっと速度を上げて並ぶ。イーアンは笑う余裕はない。2頭の龍は遊ぶように互いの位置を飛び交いながら、旋回しては高速になり、減速して前後で並ぶような飛び方を続けた。
生きた心地がしないイーアンは、目を瞑ってしがみ付くだけ。オーリンの嬉しそうな声と龍の動きは、同調しているようだった。
どれくらいそうしていたのか。いきなりオーリンが叫ぶ。『行くぞっ!アムハールの空へ上がれ!』ガルホブラフがその声で、真上に向かって疾走するように飛んだ。
驚いてイーアンが前を見ると、見たことのない景色が広がる中、冷たい寒い灰色の空に、一箇所だけ穴が開いて青空が見えていた。『あれが』タンクラッドの言っていた孔。ミンティンは迷うことなく加速する。
「ミンティン。私は。私があなたと行っても良いのでしょうか」
怖気づくイーアンは、真上の孔に向かって飛ぶ龍の背で叫ぶ。ミンティンは答えなかった。真っ直ぐ駆け上がるように、どんどん青空の孔に向かって近づいていく。前を行くオーリンとガルホブラフが小さく映り、大きな天の穴に吸い込まれていくように見える。
イーアンは激しくなる息をつきながら、どこか、恐れと・・・真実を感じながら、背鰭にしがみ付いているしか出来なかった。
青空の真ん中を突き抜け、白い雲の厚みの先に出た後。真っ青な空に向かって龍は駆ける。壮大な光景にイーアンは言葉を失った。飛行機に乗った昔を思い出した。あれと似ている。空の上に太陽と雲の大地。波打つ白銀の雲は降りれそうで、太陽の輝きを遮るものは何一つなかった、あの光景。
ミンティンはさらに上へ上昇する。行き先を知っている。間違いなく知っていると分かるその速度に、イーアンは過ぎ去る光景を目に焼き付ける。
真上に上がり続けて、上の色が不思議に変わるのを見た。何だろう、と目を凝らすと、幾つもの影がぼんやりと浮かんで見える。
「え。逆さ?」
霧霞に包まれたその続きは、真向かう先に何かが存在していると分かる。それもこっちを、下を向いている。重力は。大気圏は。そんなことが一瞬過ぎるが、まるで鏡の世界のように、霧霞を抜けると突如それは現れた。
「まさか。これが」
島と言えばそうなのか。しかし陸の広さに見える、真っ逆さまの世界に突入した。
「オーリン!!」
不安になってオーリンを呼ぶイーアン。オーリンはもう見えない。返事も戻ってこない。自分がどこへ向かっているのか、全く分からないイーアンはミンティンを抱き締めるしか出来なかった。
ふと、オーリンが来たのかと目端に見つけて振り向くと色が違う。『誰』呟くイーアンの側に、黄緑色の龍が飛んできた。ミンティンは気にしていない。龍は暫くイーアンを見つめてから、戻って行った。
「今のは。ミンティンの知り合いですか」
荒い息を一生懸命抑えながら、戸惑いの渦中でイーアンが訊ねる。ミンティンはちょっと首を揺らすだけ。『ここが空の島』きっとそうだ、と独り言を言うが、楽観的ではいられない。どうしたら良いのか。
気が付けばミンティンの速度が落ちている。ゆっくりとハイザンジェルを飛ぶような速度に変わり、穏やかに空を進んでいた。下方に見えるのは山と海だけ。時々山の間に小さな荒野や草原が見えるが、人工物がない。
困惑を落ち着かせて、イーアンは深呼吸する。そして観察することにした。
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