482. ディアンタ僧院 ~シャンガマックの剣
微妙な親方座席に座りつつ、イーアンはディアンタで調べられることを考える。親方に本を読んでもらわないと、どうにも出来ないので、自分は側にいるだけかと思う。それを話すと。
「だろうな。お前は地名をちょっと読めたりするが。今回はそうでもなさそうだし」
どういう意味が含まれているのか。親方を見上げると、ニコッと微笑まれる。クラッと行きそうになるが危険極まりない空の上なので、がっちり背鰭を掴んで耐えた。
「馬車歌に。10箇所の治癒場らしき名前があったな。それと白い棒の地図に当たった光の地点。あれは全く被っていないんだ」
「名前が昔と違うということでしょうか」
「それもあるかもしれないが。どうにも馬車歌の方が一筋縄ではいかん。総長の親父が翻訳したというし、総長自身もそれをイーアンに説明した時、何も違和感を持たなかったのであれば。訳し方が間違えているわけではない。
被っていない意味。それは、地名らしく歌い継がれているが、地名ではない場合もある。そうした意味だ」
「ドルドレンに聞いてみましょうか。前、私が・・・あ。そうですよ、そう」
イーアンが何かを思い出したのか、手をパンと打った。『どうした』親方が訊くと、イーアンは『変です』と答える。
「変です、だって。ドルドレンは歌を一緒に聞いていました。それで、タンクラッドの家に馬車歌を紹介しに行く朝。彼に確認したのです。細かい部分や、意味を。彼が理解している範囲で答えて下さったけれど」
「それが何か変なのか」
イーアンは親方を見上げる。
「彼は地名について、一切何も反応しなかったのです。私は書き取った、治癒場の地名と思しき名称も読んだのですよ。だけど彼は無反応。
そして、この前。私は・・・そうです。アオファの鱗を配った朝です。
聖別に治癒場へ行った際、『治癒場は、ハイザンジェルに他に2つあるかもしれなくて、タンクラッドは地名を知っていると思うし、それを探したい』と私は言いましたが」
「ん?そう言っても無反応だったのか」
「はい。彼は『自分が地名を聞けば分かる』って。タンクラッドに会ったら聞いてみようと言ったのです。王様騒動で放置してしまいましたが」
「その総長の言い方だと。彼の中で、馬車歌の治癒場の存在と、地名は全く繋がっていないぞ。そもそも地名じゃないんじゃないのか?彼は、俺が『場所』を突き止めたと思っているってことだろう?」
「私が以前、確認した朝の記録。その時には、地名だと思って確認したこと。寝惚けていた・・・とも思えないですが、何も引っかかる様子もなく頷いているだけでした」
うーん・・・考える親方。そう話しているうちに、ディアンタの僧院に着いた。川は氷が張っていて、ミンティンはその上に降りた。氷は割れたが、ミンティンは相変わらず寒そうでも冷たそうでもなかった。
僧院の窓から廊下に入り、イーアンとタンクラッドはミンティンに待つように伝える。ミンティンは氷点下でも何でも関係ない様子で、その川の場所に待った。
「あの仔はここが好きなのです。寒くなくて何より」
「そうだな。あまり気温は関係ないかもしれないな。聖獣だし」
イーアンはタンクラッドと、部屋を通り抜けながら書庫へ向かう。自分によく似た石像の前で立ち止まり、イーアンは会釈する。タンクラッドも一歩前に進み、石像のひんやりした頬を撫でた。
「お前を見ているようだ。こんな寒い場所に独りかと思うと。総長役の男はどこへ行ったんだ」
「その方に同情しても。ドルドレン役と言いましょうか。逆のような。以前の男性もまた、今後どこかで石像としてお見かけするかもしれませんよ」
イーアンはちょっと笑って、親方を宥める。親方は静かな眼差しで石像を見つめていた。それからイーアンの肩を引き寄せて、次の祭壇裏の小部屋を抜け、続きの部屋へ進んだ。
「もう何十年も前だな。ここへ来て。あの石像を見たのは。あの衝撃は忘れない。あまりに見事で、そして不思議で。あの石像を作った職人の業に鳥肌が立った。技巧の極みだと立ち尽くして眺めた」
そして自分が肩を引き寄せている、くるくる髪の女をちらっと見て微笑む。『生きた姿を今、この腕の中に。体温さえ感じられるとは』そう言って、親方は首を小さく振った。
「時々思います。タンクラッドの前の方。その方も彼女を導いたのかと。今の私とあなたのように」
「そうだろうな。言葉に残っていたくらいだから。その時の男もきっと、お前が好きだったはずだ。あの、石像の彼女を」
やれやれ、とタンクラッドは頭を掻いて、イーアンから腕を解いて書庫へ進む。何がやれやれ?イーアンは続きを聞こうと思って、後をついて行く。
じっと見ていると、視線を合わせたタンクラッドは溜め息をついた。『分からないのか。その時の俺も、お前と一緒になれてないってことだろう。今も繰り返すとは惨めだ』全く・・・ぼやくタンクラッドに何も言えないイーアン。すみませんと小さく謝る(?)。
「いい。仕事だ。探すぞ、バニザットの剣を。彼は北東の部族だったな。大きい部族で現在も残っているのは3つくらいだから」
親方は本の背表紙を眺めて、指をちょっと当てながら、時々顔を近づけて目を細め、崩れかける文字のインクを辿る。それを何度か繰り返し、一冊の本を引っ張り出した。
「持っていてくれ。まずそれだ」
イーアンに持たせた本は、同じような背表紙の本が、何十冊も並んでいる中から取った本。ちらっと中を見たが、文字しかないのですぐ閉じた(※読めない)。
下段の大型の本も、しゃがみ込んだ親方はじっくり見て調べる。幾つもある本棚の中から、2冊の本を出して中身を確認し、イーアンに見せた。『これを見てみよう』そう言って、イーアンが以前、フォラヴと来た時に使った、窓辺の机に本を置いて調べ始めた。
「お前はこっち。絵があるからな。俺はお前のそれ。貸せ」
イーアンが手渡した本を、親方はそっとページを捲って読み始める。サマになるわねぇと、読書するイケメンに感心するイーアン。ぼけっと自分を見ているイーアンに気がついたタンクラッドは、ちらっと見て『お前も探せ』と命令。はいはい、とイーアンは急いで、絵のある本を捲り、目当てのものを探す。
イーアンのイメージだと。シャンガマックの剣なるものは、もう、以前の世界のあれしかない。でもあれは剣ではない。斧である。使い方は叩くような。
『ジャウボーン・アックスでしょう、だって』ぶつぶつ言いながら、あれをどう剣にするのかと悩みつつ、近い絵を探す。
「大体。人の半分もある大きさの顎だとしたら、この前の魔物大ってことでしょう。もう恐竜ですよ。牙が生えている時点で。恐竜か、原始的な哺乳類の牙付き有蹄動物とか。
そんなのこの世界にいたのかしら。そもそもここの進化ってどうなのか。シャンガマックの部族が見つけた、地層から化石とか・・・そんなことなのかしら」
イーアンは、独り言を普通の声量で言う癖がある。それも考え始めると、ひたすら一人で喋り続けるので、それもあって、孤独な生活に寂しくないという(※一人で会話が続く&複数人いると思われて泥棒も入らない)。
「おい。ちょっと静かに」
はい?とイーアンが答えると、親方が困ったように笑っている。『お前はずっと喋ってるから』本を手に持ったままのタンクラッドに指摘され、イーアンは、ああと気が付く。
「ごめんなさい。私、独り言が大きいみたいで」
「大きいと言うか。話しかけられているみたいだ。お前の話は面白いが、集中できない」
「申し訳ありません。気をつけます」
うん、と頷いて、口をぴっと閉じ、イーアンは再び絵を見始める。少し笑った親方は、イーアンの頭を撫でて『後で聞かせてくれ』と独り言の内容を認めていたようだった。
暫く二人で沈黙。紙を捲る音だけが静かな部屋に響く中。イーアンがぐっと本に屈みこんだ。タンクラッドはそれに気がついて『あったのか』と訊ねる。
「タンクラッド。これを読んで下さい」
見れば、まさにそれと思える形のものが描かれている。周囲に補足で描かれた絵は、材料や景色、それと。タンクラッドも背を屈めて文を読む。
「そうだな。多分・・・これのことだろう。だが。これが本当なら作れない」
「絵だけを見てもそう思いました。本当に伝説だったのかもしれませんね」
「俺の読んでいる本。こっちは、ハイザンジェルの部族について書かれている。この一冊は、そのうちの北東地域限定だ。
バニザットの部族は、随分昔からあの地域に定着したようだが、元々、アーエイカッダ・・・今のアイエラダハッドから移って来た部族のようだ。
崇めている対象は大地の精霊で、実はこの大地の精霊は、アイエラダハッドの『冬は凍りつく荒野、夏は灼熱の荒野』と呼ばれる地域の精霊だ。どちらの時期も大地はひび割れて、大地を攫う乾いた風は金色に見えるというくらい、土に水気もない。草一本ない過酷な地域の精霊なのだ」
「現在の北東地域に、荒野ってありますの」
「ないな。まとまった荒野はないと思う。仮に似たような環境があっても、アイエラダハッドのそことは比べ物にならない。荒野だけ取れば、まだイオライのほうがその印象に近く思うが」
「シャンガマックの部族はずっと、その。荒野の精霊を崇めて生きているのですね」
「そうだ。で、この精霊の話が鍵かもしれない。精霊が雨を降らせるらしいのだが、その雨を降らせるための道具は、天の穴から降りてくる白い剣とある。精霊が腕を天に伸ばすと、白い剣が天に開いた穴から降りてきて、精霊はそれを掴んで大地に振り下ろす。そして雨が降ると」
「雨が。とても貴重な地域だから。それでそのお話が出来たのでしょうか」
「と思うところだ。いつもなら。だが強ち『お話』でもないかも知れんぞ」
親方はそこまで言うと、イーアンの手の置かれた図葉を指差す。『それだ。それは何に見える』『どう見ても生き物の顎の骨です』だと思ったのよ、と心の中で呟くイーアンを見透かすように、タンクラッドはニヤッと笑う。
「お前。さっき独り言で『人の半分もある大きさの顎』は魔物とか何とか。言ったな?」
「そうです。これを見つける前でしたが、そういう武器の存在は知っていますから。だけど巨大です」
「巨大。そう。巨大だ。だがどうだろう、ミンティンは巨大か?」
「あの仔は、だって。龍ですもの・・・と、まさか。龍の」
「もしかすると、だな。文中にある『天の穴』と、精霊のいる荒野は、それこそさっきオーリンに教えた場所・アムハールだ。アムハールは絶対に雨が降らない。ぽかっ、と青空が穴のように開いているのが見える地域だ」
驚くイーアンは親方を見つめる。『それじゃ。本当に龍や龍の民が上に住んでいて、そこから骨が落ちたとか』言いながら、手元の絵にもう一度視線を戻す。
白い顎のような武器は、口先部分のような場所に握り柄が付けられていて、しかし。
「牙の。もし牙としましたら、向きが逆です」
「そう見える。これは龍とも他の生き物とも違う。普通は顎の奥に向かって、先端が斜形になる。しかしこれは口先に向かって先端が斜形だ。補足の絵には龍に見えなくもない生き物がいるし、加工最中のような絵には、牙を抜いているようにも見える姿もある」
「一度抜いて、向きを変えて?付くのですか、それで」
「付かないだろうな、普通に考えれば。しかしこれをどうしても武器にするというなら、何かで固定する。その説明には『溶ける石』とあるが」
親方とイーアンはお互いの目を合わせ、この本を持ち帰って、じっくり考えることにした。『この場では終わりそうにないな』荷袋に本を入れて、タンクラッドは呟く。
イーアンには、何か空の上に呼ばれる理由が増えているような感覚があった。
「次は。治癒場か。地図を持ってくる」
親方は地図を探しに本棚を歩き回り、旅した僧侶が世界の地名を記した本と一緒に、地図を持って机に戻ってきた。
お読み頂き有難うございます。




