47. 魔物の出ない道
ドルドレンたちは朝方出発し、朝食は馬上で済ませたので、昼食は馬から下りて30分ほど休むことにした。
北西の支部から北へ進むと、しばらくは草原地帯が続くが次第に木が目立つようになり、徐々に林の中を通る道へと入る。林の中を通過すると、一旦、目の前が拓けてまばらに民家が見えるようになる。ここは元々は村だったが、1年前に村民は避難して現在は全戸空き家である。村を抜ける手前で、昔は畑だった所に短い下草が生える一帯があり、見晴らしも良いので、一行はそこで馬を下りた。
馬車に積んでいた、ブレズと塩漬けの肉、乾燥した木の実を、馬車担当の騎士が人数分引き出してきた。
イーアンは手伝いに行き、それらの食材を運ぼうとしたとき、ちょっと考えた。支部の夕食で見た食用脂はあるかどうかを訊ねると、『ありますよ。塩漬け肉をそれで包んであるから』と分けてもらった。
馬車に腰掛けて『自分の分で試しても良いですか』と前置きしてから、ナイフを貸してもらって、ブレズを4段にスライスする。もらった脂をブレズに塗りつけて、薄く短く削った塩漬け肉を何層か入れてから、木の実をナイフで叩いてブレズと肉の間に挟んだ。
単に配給されるものを挟んだだけのサンドイッチだが、遠征中はそのまま食べることが多いから、と思い、見た目だけでも変化をつけたらドルドレンが喜ぶかな、とイーアンは作ってみた。
「料理好きなヘイズが見たら、喜びそうなことしますね」
馬車担当の騎士は、イーアンのブレズ加工を見ながら笑った。
慰労会で出された料理はヘイズという騎士が中心になって作られていた、と聞いて、イーアンは『帰ったら料理を教わりたい』と話した。
「30分じゃ煮炊きできないから、肉もブレズも料理しないですけれど。挟んでるだけで印象変わるもんですね。ヘイズもこんなの作っていたな」
馬車担当の騎士は『俺は総長の隊の、ロゼール・リビジェスカヤです。ロゼールで良いですよ』と自己紹介した。戻ったらヘイズに伝えておきましょう、と約束してくれた。
彼は、薄いオレンジ色に波打つ髪の毛と、そばかすのある白い肌に、森のような緑色の瞳を持っていて、身長はイーアンより少し高いくらいの小柄な男性だが、後からドルドレンに聞いたところ、彼はものすごく身体能力が高いそうだ。
イーアンが戻ってこないので、毎度のようにドルドレンが馬車に来ると『皆さんの分、お願いします』とロゼールは苦笑いして馬車の奥へ引っ込んだ。
「イーアン」 「今戻るところでした」
「遅いから」 「ロゼールさんに脂を分けてもらって、ここを借りてちょっと食べやすくしていました」
『ロゼール、とか名前で呼ぶのは』と不愉快な表情で説教を始めようとしたドルドレンだったが、イーアンの持っているブレズに視線を移し、『これは・・・』とじっと見つめた。
「見た目が変わっただけなのですが、少し気分が違うでしょう?」
イーアンはニッコリ笑って、ドルドレンに加工ブレズを渡した。ちょっと待ってて下さいね、と言うと、他の騎士たちにブレズと塩漬け肉と木の実を配って、戻ってきた。
「イーアンが配給しなくても」 「好きでやっているから気にしないで下さい。それより食べましょう」
二人は草の短い場所に座って、食事を始めた。
加工ブレズは二つあるので、イーアンは一つをドルドレンに渡した。ドルドレンは嬉しそうにそれを眺め、『ありがとう』と礼を言うとかじりつく。口に入れたまま、『美味しい』といった感じの目の開き方をしたので、イーアンも『良かった』と安心して、自分も食べた。
ドルドレンの分はそのまんまの形だったので、これは半分に分けて食べた。ドルドレンは『これも、イーアンのみたいにしても良かったんだよ』とブレズを見つめていた。
「気に入るかどうか分からなかったのです。支部に戻ったら料理させて下さい」
イーアンの言葉に、ドルドレンは心が知らず知らずの内に軽くなっていくのを感じた。
イーアンがいて良かった、と心から感謝する。向かう道が厳しくても、食事を楽しもうとしたり、自分の役に立てることを探したり。いつでも普通に振舞う―― そんな人がいてくれると、こんなに気持ちが違うんだな、と。
二人の世界には誰も入れはしないが、周囲は『何か違うの食べてる』『自分のもお願いすれば良かった』
『あれ多分、美味しいよ』『同じものなはずなのにな』と聞こえるように囁き合っていた。ドルドレンには一切聞こえなかったが、イーアンの耳には届いていた。
次の食事の時間が来たら手伝おう・・・と考える。食事は大事なのである。
忙しい昼食を終えて、再び出発する。
スウィーニーの話では、もうしばらく進むと右側に折れる道が見え、その道から徐々にまた林の中に入るという。林の木の種類が変わる頃、前方に町の壁が見えてくるという。
「暗くなる頃ですが、今日中に町に入ります。町の外で野営しますか」
スウィーニーが総長に尋ねる。ドルドレンもそのことはしばらく考えていた。方角が方角なので、夜間は自分たちの支部より少し冷える気がする。イーアンが寒いのではないか、と思うと町で泊った方が良いのか。
「もしスウィーニーの叔父夫婦の民宿に、この人数が入れそうであれば宿泊しても良いかも知れないが」
「客室に空きがあるかを聞いてみましょう。もしなければ、野営にしますか」
「そうだな」
スウィーニーもまた、イーアンが少し心配ではあった。
女性と遠征などしたことがなかったから、どれくらいの環境まで女性が耐えられるのか分からない。町より先に進めば、一気に冷える地域に入る。その手前で宿の部屋に泊らせられれば、せめて一日目は休めるだろう・・・とスウィーニーは考えていた。テントで寝ようが馬車で寝ようが、外がかなり冷えるのを知っているスウィーニーは気温だけが気がかりだった。
しかし。 魔物が少ない。
スウィーニーは馬を戻して、自分の横に並んだ ――ドーナル・フォラヴ―― 水色の鎧に白金の髪の毛、20代後半の涼しい顔をした騎士に話しかけた。
「フォラブ、魔物が出ないな」
フォラヴも同じことを思っていたようで、前を向いたまま『そうですね』と返事をした。
「でも。私が思うに、イオライの帰り道も魔物が少なかったような。山からの道は出ましたが」
「イオライセオダからは何にも遭わなかったな」
白金の髪を午後の日差しに輝かせ、水色の鎧をまとう騎士は周囲を見渡した。何の前兆もない。涼しい風が木立の間を抜けて葉擦れの音をさせる程度。気配はあるような、でもなぜ襲ってこない?――
「イオライの遠征の日ですが。地中から現れた魔物の前・・・一頭も出ませんでしたね」
「うむ・・・・・ 支部からあの魔物に遭遇する間、全くな。気配はあると思うのだが」
「今も気配はありますよ」
後ろから口を挟んだ、黄茶色の鎧の騎士が一点を見つめて顎で示す。その先に林の木立があり、何本かの木の陰に奇妙な形の膨らみがあった。
「トゥートリクス。あれは」 「気配の元です」
――ウィス・トゥートリクス―― 緑色がかったうねる黒髪に、褐色の肌と、大きな透き通った薄緑色の目を持った20代前半の若い騎士は、『うーん』と悩んだように唸る。
「魔物だろう」 「魔物でしょう」 「魔物ですけれど出てきません」
トゥートリクスは首を捻って悩み続ける。スウィーニーもフォラヴも、彼が何かを知っている様子に黙って待っている。
「何日も前から考えていたんですが、魔物が出なさすぎる気がして。理由が一つしか思い当たらない」
「お前は何を考えているんだ?」
「あの人ですよ。彼女」
トゥートリクスは先頭を進む青い馬の背に乗る二人を、顔の前の指でツーッと示した。トゥートリクスの前を進む二人は、顔色一つ変えず何も言わなかった。
「彼女が来た日から、支部の周りも魔物が消えてるんですよ」
薄々そう思ってませんでしたか?と、薄緑色の大きな目を向け、トゥートリクスは先輩二人に意見を求めた。