45. 夜の裏庭実験時間
イーアンを連れたドルドレンは蝋燭をランタンに移して、人気の少ない階段を使って裏庭へ向かう。まだ騎士たちは広間にいて飲んだくれているので、廊下に人はほとんどいなかった。
建物の裏側に、洗濯やゴミ捨てのために表へ出る裏口がある。暗い廊下を進み、裏口への通路に入った時、割れた声が二人の背中に声をかけた。
「そこにいるのは誰だ。何をしている」
ドルドレンがランタンを掲げると、通路に入ったくらいの離れた位置にブラスケッドが立っていた。
「ブラスケッドか。裏庭に出る。気にするな」 「裏庭。夜だぞ、イーアンもいるのか。何があった」
ブラスケッドが怪訝そうな顔で近寄ってきたので、ドルドレンが『放っておけ。急いでいる』と無視して立ち去ろうとする。
その時、イーアンの目が、ブラスケッドの目と合った。
イーアンは何かを思いついた子供のような表情をして『一緒に来ますか』と誘った。ランタンの光りに鳶色の光がきらりと光り、ブラスケッドは少し驚いた様子で『何があるんだ』と反射的に構えた。
「急ぎます。いらっしゃるなら、今ついて来て下さい」
そういうとちょっと微笑んで、ドルドレンの背中を押した。ドルドレンは何だか納得いかない様子だったが、ブラスケッドを一目見てからイーアンを連れて裏口へ向かった。ブラスケッドも困惑気味についていくことにした。
裏口の扉を開けると、すでに外は真っ暗で、風はないが冬の始めの冷たい空気に包まれていた。日中は、日差しの強さで暑いくらいだったのに一気に冷え込んでいる。
格好が格好なので(腕出しスタイル)ぶるっと震えたイーアンだったが、真っ直ぐ暗闇を見つめて歩き出す。戸口から数mほど離れた場所へ進んで、イーアンは立ち止まった。そして、横に立つドルドレンを見上げ、ランタンを地面に置いてもらいたいと頼んだ。
「イーアン、何をする」 「すぐ終わります。ちょっと見ていて下さい」
イーアンはランタンの近くに跪いてから、布に包んでいた金属の容器の蓋を開け、すぐに指でさっと容器の内壁を触った。イーアンが何か確認したように頷き、ドルドレンを見上げて微笑む。ドルドレンはイーアンが魔物の土産で何かをするつもりだ、と分かり緊張した面持ちに変わった。
ブラスケッドも彼女とランタンが見える位置に立って、これから何が始まるのかを注意深く見つめる。
金属の容器を傾けたイーアンは、あろうことか(ドルドレン的には)、中から垂れた少量の液体を手の平で受け止めた。
『イーアン!』ドルドレンが思わず叫んだ次の瞬間、イーアンは素早くその手を平行に動かし、ランタンの上へ手をかざした。
その途端、炎が勢いよく燃え上がった。イーアンの手の平から直に燃え立つ炎。メラメラと揺らめき、寒空の下で嬉しそうに派手に踊る炎の姿。
イーアンは空いている手の方で容器の蓋を器用に閉めて、手の平に炎を乗せながら立ち上がった。唖然とする二人の騎士の顔を見て、ニッコリ笑う。いつもどおりの普通の笑顔で。
「これは・・・・・ 」 「イーアン。君は」
何が起こっているのか、必死に理解しようとしているブラスケッドが炎を食い入るように見つめ、ドルドレンは炎と彼女の手を交互に見ながら、銀色に輝く瞳で微笑むイーアンに説明を求める。
しばらく盛んに踊り楽しんだ手の平の炎が少しずつ小さくなり、イーアンの手を惜しむように舐めてからその姿を消すと、イーアンは手の平をふっと吹いて言った。
「思ったよりも使えそうで何よりです」
イーアンは小さく笑う。『さぁ戻りましょう。やっぱりこの格好では寒いです』さっと布に包んだ容器を抱えて、ドルドレンの腕に張り付いた。
ドルドレンは炎の驚きもさておき、腕を組んできたイーアンにドキドキしながら、ああとか、うんとか、おかしな返事をしながら建物へ歩き出した。ブラスケッドは、二人に忘れられたランタンを拾い上げて慌てて後に続いた。
「あれは何だったんだ?」
裏口の戸に鍵を下ろしたブラスケッドが、何もなかったように前を歩く二人に訊く。
イーアンは振り向いて『ここで説明するのも何ですから』と流した。ドルドレンも早く聞きたそうな目を向けたが、イーアンは『ちょっと暖かい場所へ行ってからにしましょう』と廊下を歩く足を緩めない。
広間で聞けないか、とブラスケッドは言ってみたが、イーアンは首を横に振って『皆さん楽しんでいるので』と自室へ促した。これにはドルドレンもブラスケッドも、先ほどのこともあって何も言えなかった。
ドルドレンの部屋に着くと、ドルドレンは渋々ブラスケッドを中に入れて、『椅子に座れ』と椅子を引いて無言で命じた。ブラスケッドは苦笑して『話を聞いたらすぐ出て行くよ』と言った。
イーアンは自分の部屋から椅子を一つ持ってきて、3人で机を囲んだ。『手は大丈夫か(ド)』『魔法か(ブ)』『なんで火がついた(ブ)』『魔物の毒はなかったのか(ド)』『突然燃え上がったぞ(ブ)』『痛くなかったか(ド)』
良い年した大人の男二人がイーアンを急かすので、イーアンはおかしそうに笑いながら『それでは』と説明し始めた。二人は黙って、目の前の小柄な女性が机に出した容器を見つめた。
――イーアンの話では。
簡単に言えば、「液体になったガスが燃えていた」という。
ガス自体も名前を聞いたことがなく、そのガスと、液体の関係がよく分からない二人は、不思議そうな顔をした。
「ガス、とは何だ?」
イーアンは自分がガスと呼んだ物質のことで、いくつか彼らに質問した。ドルドレンが以前、火山帯に出かけた話をしてくれたことを思い出し、そこで煙のような色で妙な臭いのする空気が出ていたかどうかを訊いた。
『ああ、それなら』と二人は顔を見合わせ『それは見たし知っている』と二人が答えたので、イーアンは、それは私が言っているガスの一つです、と教えた。
そしてガスなるものが、いくつかの条件を満たすと液体に変化すること。液体化したガスは、その工程の逆を行なうと再び気体に変わることも話した。気体のガスが、燃える性質のガスであった場合は、近くに火を近づけるとその成分が燃焼します、と。
「その燃焼したガスが、あの炎だったということか?」
ブラスケッドは話を聞くだけ聞いて、ちょっと考えてからイーアンに質問した。イーアンはブラスケッドの反応が楽しく、笑顔で頷く。ブラスケッドは好奇心が旺盛だから、こうした実験は好きだろうと思っていた。
「そうです。炎はランタンの中からもらって、引火したのですね」
『ちょっと手をかざしただけなのに、あんなに早く燃えるとは。とても燃えやすいガスのようです』とイーアンは思い出しながら話す。ドルドレンはイーアンの手をじっと心配そうに見つめ『怪我は?熱くないのか?毒は』と改めて訊く。
「大丈夫です。最初は自分の考えにちょっと自信がありませんでしたから、下手すると手がやられるかな、と心配はありましたが。ほんの少しだけ、指の先で触って問題ないと判断したので、多分見たいものが見られると実行しました」
すまなさそうに笑うイーアン。イーアンは自分でも危なっかしいことを分かっている。
以前の世界でも、接着剤などを手で塗ってしまうとか、エタノールに直に触れ続けて作業するとか、タンニン液を採集するのに夢中で手指の皮が剥けるとか、半日で腱鞘炎になるような作業をするとか。自分が一度夢中になると、ちょっと危険な性格であることは理解している。
ただ、今回のような内容は、ある程度『工程から結果』までが知識で備わっている場合しか試さないようにしている。変なところで怖がりでもある。
「下手すると手がやられる、と思うようなことを、すぐに実行してはいけない」
ドルドレンの眉が、音がしそうなほどにぎゅっと寄せられる。『あれは魔物の体の一部で、何があるか分からないのに』と溜息をついた。イーアンは魔物に恐れがないのかもしれない、とドルドレンは不安でならない。
ブラスケッドは、イーアンとドルドレンのやり取りを見ながら苦笑し、『酒を飲みながら聞きたかった』と彼なりの誉め言葉を伝えた。
「で。その魔物の石というのはガスの固まり、ということだろうか。どう思っている?」
ブラスケッドの質問に、イーアンは微笑む。その微笑みは必要ない・・・と、黒髪の美丈夫が小さく横に首を振るのをおかしそうに見ながら、イーアンはブラスケッドの質問に答えた。
「もっとよく観察しないとはっきりしないので、話せるのは想像できる範囲だけです。
あの『着火石』として私がお見せした物体は、着火石かもしれないけれど、同時に液化ガスを内包している殻かもしれませんね。あの魔物の炎の材料であることは間違いないでしょう。
容器に衝撃を与えてもいないのに、何かのきっかけで、3つあった石の一つが割れました。見ると、割れた外側の部分はそのままの形で、内側は空洞でした。外側自体は本当に岩質である可能性が高いです。」
そう言うとイーアンは、机に置いてあった容器の蓋を開けて、中から割れた石を取り出した。ドルドレンは素手で石をつまむイーアンに驚いて、手を伸ばしかけた。イーアンは安心させるように笑顔で言う。
「ドルドレンはこれを拾ってくれましたが、その時、着ていた鎧の指先は」 「手袋だ」
ドルドレンが答える。イーアンは、うん、と頷き、『手袋で触れても大丈夫なら、素手でも大丈夫かと思いました。だけど会議の時はまだ触る前だったため、一応触りませんでした』と話した。
取り出された石は、割れた木の実の核が消えたように内側が空洞だった。ブラスケッドもドルドレンも、イーアンも。目の前のそれをじっと見つめて、しばし黙り込む。沈黙を破ったのはイーアンだった。
「私。今回この石から出てきた液化ガスを見て、実際に試してみて炎がついて、思うのです。
もう一度あの場所へ行って、この石を集められないか、と」
真面目な顔で呟いたイーアンの言葉に、ドルドレンは『イーアン、なんて危ないことを』と椅子から立ち上がりかけた。が、ブラスケッドがドルドレンの肩に手を伸ばして、座らせる。そして片目でイーアンを見据えて口角を吊り上げた。
「俺もそれを考えていた。俺が同行しよう」
「いや、違う。ブラスケッドが数名連れて、採って戻ってこい」
ドルドレンが即、提案を捻じ曲げる。驚くブラスケッドは『お前はそんな奴だったか』とこぼす。年上なのに、とか、戦地へ戻るのに、とか。イーアンは『言い出した自分が行きます』と言うが、ドルドレンは絶対許さなかった。
「それとイーアン。一つ忘れている。倒した魔物は一週間ほどで壊れる、と話したことを。持って帰っても一週間して壊れたら使えないだろう」
「ドルドレン。私は思いました。持ってきて、そのままの形であれば壊れるかもしれないけれど、物質の形が変化したのを確認した以上、形を変えて保存することが出来るかもしれないと。
元は魔性でも、形を変えれば自然現象の一つに戻って、魔物の特性から離れる可能性が高いと思いました」
壊れたテントの修理で見た、魔物に壊された後のテントの質。負傷した騎士の鎧に付着している固形化した粘液。そして金属の容器に入ったままで蒸発もせず、固まりもしなかった液体。
イーアンがそれを伝えると、ドルドレンは『む・・・』と唸った。それに、とブラスケッドが援護する。
「この支部でのイーアンの仕事は、お前が決めたんだろう。【魔物性物質の企画制作】って」
イーアンは嬉しそうにブラスケッドに頭を下げた。ブラスケッドが笑顔で返す。
嫌なところを突かれたドルドレンは『そうだが、あれはイーアンが好きに買い物が出来るようにと』とか何とか、実際には理由にもならないような私情を吐露した。『経費に私情を絡ませるな』とブラスケッドは思ったがそこは黙っておいた。
「よし。イーアン。俺と一緒に採りに行くか」
片目の騎士が笑いながら、イーアンに頷く。ドルドレンはそれは絶対許さない、と拒み続けた。
この後、埒が明かないので、この話はまた明日ということになった。
ブラスケッドは『飲み直してくる』と部屋を出ていき、イーアンはドルドレンとのあの続きが来そうな夜を躊躇って、話を逸らしながらそそくさ消灯しベッドに戻った。
素に戻ると、やっぱりちょっと体の関係になるのも早いような、イーアンはそんな気がした。もうちょっとゆっくり・・・と。
思ったとおりだ、とドルドレンは蝋燭を消してベッドに入った。お預けになると分かってはいたが、次にあんな展開がくるのはいつなんだろう、と思うと溜息しか出てこない。悶々とした夜になった。
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