457. 西・援護遠征カングート戦後半
「数が多いです」
向かい合う魔物の多さにイーアンは驚く。谷の奥からどんどん出てくる。『片っ端から、だな』オーリンはイーアンを前に座らせているので、後ろから弓を引くことにした。
「ミンティンがもう中の方へ進んでいる。全部の魔物が歌っている気がするが。総長は大丈夫なのか」
「分かりません。でももしドルドレンまで危険だとすれば、ミンティンは帰ってくると思います」
あの仔が守ってくれるはずです、呟くイーアンも不安。ドルドレンは大丈夫なのかどうか。タンクラッドの様子が変わったのを見て、不安が過ぎる。オーリンはその思いを読んだのか、イーアンの肩に手を置いた。
「不安を消すんだ。不安を呼ぶ声だ。恐れるな。君は戦わなくても良いが、不安に囚われるなよ」
そう言うとオーリンは龍の背に立つ。ミンティンよりは小さいが、翼のある背中にオーリンが立つだけの広さはある。弓職人は聖別した弓を構えて、狙える範囲にいる魔物に石を放ち始めた。
びゅっと空気を切る音が聞こえたと同時に、100m以上離れた魔物が仰け反って落ちて行った。『額に』オーリンは呟く。続いてイーアンの頭上で、何発か音が立て続けに聞こえたと思ったら、また前列に見えていた魔物が、鈍く呻いて撥ね飛ばされ、落ちて行った。
「額。首と、眉間と、胸の真ん中」
血も出ないから分からないなと、オーリンは独り言を落とす。
イーアンが見上げると、オーリンの表情は消えていた。ぞくっとするような冷たい表情で、ただ倒すと決めた相手を減らすだけのことを、淡々とこなしているようだった。
オーリンは機械的に腰の袋から石を掴んでは、連射のように向かってくる魔物にどんどん撃ち続ける。既に矢を射る、とした表現ではなく、撃っている。右手に握れるだけの石を掴んで、それを器用に台に乗せては一瞬で弦をかけて引き金を引く。
まるで何年も使っている武器みたいに、オーリンは魔物だけを見つめながら、石の礫を正確に弾き続ける。
見ている前で、魔物が次々に落ちていく様子に、イーアンはひたすら見入った。こんなに凄い腕を持つとはと驚く。そして聖別した武器だからか、当たった魔物は即、力尽きている気がする。使う石は、普通の石というが。
ガルホブラフが突っ込んでいく魔物の群れは、オーリンの正確な連射で、手前に繰り上がる魔物がすぐに撃ち落とされるため、進んでいるのか進んでいないのか、錯覚して分からなくなる。
「歌。そう言えば」
オーリンの腕前に圧倒されて忘れていたが、イーアンは歌が聞こえなくなっていた。オーリンは全く耳に入っていないように見える。気が付けば、魔物の歌は突然耳に入るが、イーアンはそれが何を意味しているのか理解した。
歌の声は大きくなる。一度気が付くと、歌は這い寄る如く流れ込む。イーアンの過去を探り、弱い部分を引っ掻くような、閉ざした不安と恐れを膨らませる歌。
オーリンは不安になるなと、恐れるなと言った。その意味は、恐れを増幅する声に、自分自身が敵になってしまうこと。それに気が付いた時、イーアンの中に、一気に怒りが湧き上がった。
人の痛みを穿り返して、その痛みの重さも分からないような連中に、自分自身に刃を向けるような行為を促されてしまうとは。そんなことを武器にする輩なんて。
一回分かると、全部が繋がる。
『歌を聴くとやる気が失せる』やる気が失せたのは、セフェイの心の弱さを掴んだからだ。
仮に、立てなくなるとしたら、その人が立ちたくない気持ちを引きずり出したから。苦しむ人は、苦しみの記憶を鷲づかみにされるから。
弱くて何が悪い。イーアンは腹が立つ。弱さがあって何が悪い。弱さに負けて人は過ちを犯す。だけどそれを一生のうちで繰り返し、自分を恥じて反省しながら前に進むのだ。その、人たる宿命の何が悪い。
弱くて当たり前だ。強くなるために生まれてくる人間という生き物の、自己との戦いや負け戦を。何も知らない、どこぞの誰かが手を付けるなんて。言語道断だ。ふざけやがって・・・と、イーアンは魔物の歌に心底煮えくり返る。
この歌は。この魔物は。一生懸命生きている人の弱さを突いて、自滅させるための送り歌だ、とイーアンは知る。何てことをするんだ――
前の方に青い龍が見える。ドルドレンは立って剣を使っている。魔物の攻撃に、真っ向勝負で斬り捨てていた。ドルドレンは勝っている。彼の強い、仲間を守る想いが彼に剣を振らせている。
タンクラッドは座っているままだが、背中の剣を抜こうとして柄を握っている状態。離れた後ろから見ても、イーアンは苦しくなった。親方が苦しんでいることに。
いつも頼もしくて堂々としていて、頼り甲斐があって、いつでもすぐに心配して助けてくれる、あの人が。記憶の何かに、片付けたはずの辛い記憶に揺すられ、苦しむ姿を見てイーアンは涙ぐむ。
「タンクラッド!」
イーアンは叫んだ。タンクラッドに聞こえたか、分からない。ただ、ドルドレンは振り向き頷いた。
いつも守ってもらっていた自分が、この人が苦しい時に守れないのはいけない、と思った。そう思ったら、イーアンはガルホブラフの背に立とうとする。オーリンが気が付いて弓を下ろし、イーアンを掴んで立ち上がらせた。
「総長の援護だ。タンクラッドを助けよう」
黄色い瞳が力強く笑みを生む。イーアンを立たせたオーリンは、剣が当たらない位置に下がり、翼の間から弓を構える。『俺は剣から離れている。ガルホブラフも翼を前に出さない。戦え』イーアンに無事を教えて、オーリンは再び弓で攻撃を始めた。
オーリンは感じていた。イーアンの心が揺れて、中から本当のイーアンが出てきたことを。イーアンも感じていた。オーリンが自分を解放して力を漲らせることを。
武者震いして、イーアンは剣を抜く。
剣を振り上げ、ガルホブラフが突き抜ける横の魔物を、連続で斬り捨てた。オーリンは、イーアンに当たらない位置を抜ける魔物に狙いを定め、広範囲で魔物を落とす。
ガルホブラフの飛ぶ至近距離はイーアンが斬り、剣が届かない位置はオーリンが撃つ。倒す量が倍に増え、龍は青い龍の側へ向かう。ドルドレンの剣が届かずに過ぎた魔物を、二人が倒し続けて距離を縮め、ガルホブラフがとうとうミンティンの後ろに入った。
「イーアン!オーリン!」
「もう少しです、ドルドレン」
ドルドレンはミンティンの上で振り返り頷いて、すぐにまた容赦なく魔物を斬る。ドルドレンは歌に揺さぶられていない。それが分かってイーアンはホッとする。
ミンティンの後ろで、イーアンも剣を振るう。魔物の歌う顔、その凶悪な笑い方を見て、怒りがメラメラ燃え上がる。
こんな相手のために、一生懸命生きている人の心が壊されるなんて、とんでもない。前に見える、親方の背中にある金色の大剣が、抜かれようとしたまま抜かれない。苦しんでいるのか、前屈みになって息切れしている。
「私の親方に何しやがった!」
苦しむタンクラッドの姿を見て、どうにも我慢できなくなったイーアンは吼えた。
吼えた声に呼応するように、ガルホブラフは突然速度を上げて、ミンティンの横をすり抜けて下へ回る。ミンティンの下から群れて襲う魔物に飛び込んだガルホブラフの背で、怒りに任せたイーアンの剣が、切っ先の触れる全ての位置にいる魔物を斬って捨てる。
「許さんっ!」
後ろで弓を引くオーリンは、ぞくぞくして、顔に笑みが浮かぶのを止められない。彼女の怒りの気迫がびしびし流れ込んでくるのを感じ、興奮して猛る本性が反応している。オーリンの反応はイーアンの気力に流れて力を増やす一方。
「イーアンの怒りが、悲しみが。俺とガルホブラフを。いや、龍の血を滾らせる。火をつけて炎にする。体に無限大の力が漲っている」
ミンティンはイーアンの声に同調して、大鐘のような吼え声を上げる。ガルホブラフが呼応して叫ぶ。イーアンはお怒り真っ最中。青い龍もオーリンの龍も、オーリンも、イーアンの力を共鳴して増やして猛る。
下から上がってきた勢いづいたガルホブラフと、その背に立つ白い剣を振り翳すイーアン、背中を守る弓のオーリンを見て、ドルドレンは驚愕する。
真っ白い光に包まれた彼らは、ミンティンとも同調して、自分を囲むように守っている。ドルドレンは自分が龍の一族に守られている、と一瞬で感じ取った。
「勇者ドルドレン。龍の子イーアン。龍の民オーリン。そして時の剣を持つにふさわしいか、今それを試された俺」
ドルドレンの背後から低い声が聞こえた。ドルドレンが振り返ると、正面の見えない敵を見据えたような目つきで、タンクラッドが金色の大剣を抜き払った。
タンクラッドは立ち上がる。ドルドレンの背中に合わせて後方を向き、大剣を振った。剣の届いていないはずの魔物が、剣の振られた線上で突然切れて何頭も落ちた。ドルドレンは我が目を疑う。
「タンクラッド」
「もう大丈夫だ。俺は勝った」
振り向かずに、タンクラッドはもう一度剣を振るう。金色の剣から閃光のように剣の輝きが飛び、魔物はやはり一直線上で真っ二つに切れて落ちて行った。
「俺は時の剣を持つ男だ。知恵の坩堝を抱えて、時に溢れる正邪を分け、虚無を斬り捨てるためにここにいる」
「タンクラッド!!」
立ち上がった姿にイーアンが名前を叫ぶ。タンクラッドは振り向いて微笑み『お前の声が俺を救った』と答えた。イーアンは笑顔で頷いた。オーリンも後ろで笑みを浮かべる。
「倒すぞ、全滅させる!」
ドルドレンは、自分の周りを囲む大きな力のそれぞれに武者震いして、大声で命じた。自分の背中には時の大剣を持つ男。横には龍の子と龍の民。自分は彼らに守られて進む、その力を受け取った太陽の民。
ドルドレンの声に全員が勢いをつける。タンクラッドの剣が振るわれると危険なので、オーリンはガルホブラフを離れた場所へ旋回させ、イーアンとオーリンは下方の魔物を、斬り捨てて撃ち続けた。
タンクラッドは見える高さの魔物は一回で、剣の閃光と共に斬り倒す。向かい合う魔物はドルドレンが斬り続けた。
魔物の歌声が延々響いた夕暮れの空を見つめ、地上で魔物を倒した騎士たちは、総長とイーアンたちの戻るのを待っていた。
「どうしたんだろう。もう随分経つ。まさか何か」
「いや。あの人たちが負けるとは思えない。龍もいる」
騎士の声に不安が混じる。歌声を受け止めて、その場に座り込む騎士たちもいた。彼らは疲れに襲われて、戦う気力を使い果たした上に、もう戦えない、歩けないとへたり込んでいた。
日暮れも近づいて、野営地までも距離があることを気にし始める隊長たち。まだ魔物が残っていたとしたら、それを思うと日が暮れることに不安が募った。魔物の歌は少しずつ小さくなっているが、依然として状況は分からないことに焦りと恐れが膨らむ。
その時、夕暮れの空を劈く雄叫びが谷を渡った。『あれは龍の声だ』シャンガマックが顔を上げる。龍の吼え声は再び聞こえ、そこから騎士たちの中に希望が生まれた。閃光が谷から空へ迸るのを見て、白く輝く柔らかい光がどんどん増え、谷を包んでいることに気が付く。
「帰ってくるよ。イーアン帰ってくる。総長も、オーリンもおじさんも(※タンクラッドの名前覚えてない)」
ザッカリアは嬉しそうに、ギアッチに教えた。『俺も皆と、一緒に行く日がくるんだ』レモン色の瞳を輝かせ、何かを見ているようにザッカリアは微笑む。
ザッカリアの言葉のすぐ後、フォラヴがふっと顔を谷へ向けた。『無事で何より』微笑んで白い光の中から飛び出してくる2頭の龍に頷いた。
青い龍と白金の龍は、背中に総長とタンクラッド、オーリンとイーアンを乗せて、夕暮れの空に現れた。騎士たちは一斉に歓声を上げ、彼らの無事を喜び、手を振って迎えた。




