44. 二人の夜
部屋の扉を閉め、鍵を下ろしてドルドレンがイーアンを見る。イーアンは元気がない様子で、自分の部屋のベッドに腰掛けた。ドルドレンはイーアンの部屋の蝋燭をつけながら、俯いた彼女の表情を伺う。
「早く部屋に戻れば良かった。嫌な思いをさせたな」
そう。もっと早く切り上げてしまえば。自分が総長だから参加しないわけには行かないが、酔っ払った者も出てくるのは分かっていたのだから――
イーアンは自分が慰労会を邪魔した、と思っている。違うのに。イーアンは料理を楽しみたかっただけだ。
「いいえ。私がもう少し上手く立ち回れたら、問題なかったかもしれません」
そういうことに頭が回らなくて、と申し訳なさそうに言うイーアン。ドルドレンは気の毒になって、彼女の横に腰を下ろし、イーアンの手に自分の手を重ねた。
イーアンの手は、ものづくりを生業にしていたからか、女性にしては広いしっかりした手だ。でも自分の手を重ねるとすっぽり隠れてしまう。そっと手を握りながら、ドルドレンはイーアンの顔を覗き込んだ。
「イーアン」
「ごめんなさい。せっかく気分の良い慰労会だったのに」
「もう謝らないでくれ。イーアンは悪くないんだよ」
紫色の長衣が、普段と違うイーアンの魅力を引き立たせている。風呂上りのイーアンを見た時はびっくりして声も出なかった。服を買った奴は腹立つが、服に罪はない。何て綺麗なんだろうと心底震えた。
こうして二人だけの空間にいると、蝋燭の明かりが彼女の姿をもっと幻想的に見せる。まるで別の世界から来たみたいに―― いや、実際そうなのだが。彼女は何ともいえない魅力に包まれている。
「イーアン。飲み直そうか」
そんなことを言うのもどうかと思ったが、元気がないと、幻想的に見えている分、儚げで消えてしまいそうで。イーアンはいつも笑顔の印象があるから。元気にしてあげたい、とドルドレンは思う。
少し間を置いてから、イーアンがドルドレンを見上げてニッコリ笑って頷き、そのままドルドレンの腕に寄りかかる。ドルドレンがちょっと照れて、どうしようかと対応に困っているとイーアンが呟いた。
「ドルドレンはいつも優しいです。心が温かくて、思い遣りが深くて、頼もしくて。
だから・・・・ 私。我慢しても、好きになるのを止められなかったんだな、と・・・今、思いました」
真剣に、一つ一つの言葉を慎重に選んで伝えられた、ドルドレンへの恋文。ドルドレンの胸がぎゅうっと締め付けられる。声にならない喜びと押し寄せる愛情が、言葉が要らないことを教える。
鼓動が速すぎて、息も絶え絶えの苦しい呼吸で、ドルドレンは寄りかかるイーアンをしっかり抱き締めた。
気がつけば。好きで好きで、どうすることが一番、二人に良いのか。考えても分からなかった。
あまりにあっさりと恋に堕ちていたのか。 泉で? 夢で? 最初はただ、保護しなければと思っただけのはず。
――それまで、魂を削るような日々だった。先なんて真っ暗だった。王都を頼っても助力はないと知った、悔しさと痛みしかなかった帰り道。あの時から、自分の運命が変わったなんて気がつかなかった。
腕の中に舞いこんだ、一人の女性。腕にも胸にも彼女の体温が伝わる。俺は一人じゃなくて、二人なんだ、と分かる。この人と一緒なら、俺はどんなところでも行ける。俺はどんな場所でも生きていける。俺が生きていた理由が、ここにあると知る。
ドルドレンは黒い螺旋がかる髪に顔を埋めた。自分の体に腕を回して抱き締め返してくれる、大事な大事な・・・特別な存在。
「気持ちが全部、言えたら良いのに」
灰色の瞳に長い睫を伏せて、切なげにドルドレンが囁く。
胸に抱き締めたイーアンの顔に手を添える。小さな顎に、指を滑らせゆっくり上向かせる。揺れる橙色の蝋燭の明かりで、一層明るく輝く鳶色の瞳を見つめた。少しずつドルドレンの顔が近づき、イーアンの唇に自分の唇をそっとそっと優しく落とす。触れ合っているだけの、隙間のある口付け。お互いの吐息が熱を帯びて行き交う。
「イーアン。消えないでくれ」
唇が触れ合いながら、呟く願い。「どこにも行かないでくれ。ずっと一緒にいてくれ」溢れる想いが願いにも祈りにも似て、こぼれ出す。
イーアンが唇を一瞬押し付け、顔を離す。その顔はとびきり優しく、真っ直ぐに心の奥まで届く。
「もちろんです。――『私のこの身を、ずっとお側に置いて役立てて下さい』」
冗談めかしてそう言うと、少し涙ぐんで照れたように微笑んだ。
――今度は本当に言われた。自分だけに。ドルドレンの感情が溢れ出し、イーアンの頭を支えて思いっきり口付けする。息もつけないくらいに唇を何度も何度もむさぼる。抑えていた求めが、津波のように押し寄せた。
イーアンの背中を抱いていた手が忙しなくなって、腰に動き、腰から腿へ這う。柔らかい腿の感触にドルドレンの熱情が一層激しくなる。口付けたまま、イーアンの体を抱き上げてベッドに倒した。――が。
この時、机の上にあった容器の中からビシッと割れるような音が聞こえた。
イーアンの目がさっと音に反応して机を見た。
ドルドレンも我に返ったが、唇が離れない、というか離す気になれない。このまま、音なんか無視して続きに進みたい(最後まで進みたい)ドルドレンは、ちょっとだけイーアンを確認した。彼女の顔つきが既に違う。
思ったとおり、イーアンはドルドレンに視線を戻して微笑んだ。――この微笑みは『ちょっといい?』の意味だ。ドルドレンは眉根を寄せて、往生際悪く無言の抵抗をしてみたが、自分の下に体を横たえたイーアンが小さく笑い、優しく腕で押し上げられた。どいて、との身振りに渋々覆い被さっていた自分の体をどかす。
「ごめんね」
イーアンが笑いながら謝って、ベッドを降りる。黒髪をかき上げたドルドレンは、音め!!と心の中で悪態をつく。イーアンは机の上の容器に、触ろうかどうしようか考えている。どうやら魔物の土産が入っている容器から音がしたようだった。
イーアンは一つの容器を見ながら、すっと目を細めた。金属の容器の下方が凍っているふうに見えた。
何も言わないままもう一つの容器にちょっと触れて、大丈夫と分かるとその蓋を開け、また蓋を閉める。そして最初の容器に目を向け、側にあった布を分厚く畳んでから容器に当てて蓋を回した。
中を見た途端にイーアンの目が見開き、すぐに蓋をした。そして落ち着かなさそうに部屋を見渡し、蝋燭の位置を確認してから、ドルドレンを見た。
異様に驚いているイーアンの様子にドルドレンも怪訝に思い、『どうした』とベッドを降りる。
「もしかしたら、もしかしたらですけれど。 ちょっとした魔法じみたことをお見せするかもしれないです」
イーアンの顔からは笑顔が消えていた。そう言って、緊張を大きく息をして吐き出し、ドルドレンを見上げた。
「裏庭へ連れて行ってください。 蝋燭を一つ持って」
ドルドレンは頷いた。今夜はお預けだ、としっかり理解して。
お読み頂きありがとうございます。
これを書いている間、ずっと 『Kiss me slowly』~Parachute の曲が流れていて今回の内容に合うなぁと思いました。素敵な曲なので気になったら是非聴いてみて下さいね。