431. ザッカリアの関わり方
翌日この日。イーアンは工房に籠もる。ただ、この前のような籠もり方ではなく、制限時間を伴侶に告げての作業とする。
朝から弓作り。材料を出して、朝、倉庫で探した破損の弓を置いて。
で、ギアッチが久しぶりに来て、『ちょっとお邪魔だろうけど』そう言いながら教科書を置く。イーアンは断らなかった。ギアッチの気持ちは分かる。ザッカリアも笑顔で見つめてくれる。
「私も」
フォラヴがそっと扉を開けて加わった、朝の授業。ギアッチは、この時間がもうじき消えることを考えている。それが伝わるから、イーアンは微笑んで招く。以前のようにお茶を淹れて、暖炉の側で一緒に勉強する。
誰ともなく時々、目を見やってニコッと笑う。そしてそのまま、勉強をする。
本当は、フォラヴはとっくに勉強等しなくて良い年齢で、充分に知識を身に付けた人。でも彼は学ぶ姿勢そのものを大切にしているので『私は老人になっても学ぶことを喜ぶ』とよく言う。なので、ギアッチは感心して自分の範囲ならと何でも教えている。
ザッカリアは実に頭の良い子で、あっさり文字も読めて書けるようになり、歴史も地理も社会も覚えた。もともと知りたがりなのもあるのか、ギアッチも教え甲斐がある。四六時中、一緒だったのも手伝って、来てから3ヶ月越えたくらいの現在。最初とは比べ物にならないくらいの知識を吸収した。
私は・・・・・ 寂しくなるイーアン。文字もろくすっぽ読めない。語学力が低いのかしらと悩む。地理は覚えた。歴史も社会も言われていることは覚えた。が、文字が難しい。ぬううっ。自分に悲しい。
こんな勉強の時間も朗らかに過ぎ、1時間はあっという間に終わる。皆が退室する時、ザッカリアがじっと見ているので、イーアンは近づいて『どうしたの』と訊ねる。
「俺。お菓子また食べたいの。忙しいから食事は良いや」
優しい子、とイーアンは抱き寄せて、頬にキスした。『お菓子を作ります。待っていて』と笑うと、ザッカリアはほんわかした笑顔で抱き返してくれて『今日、一緒にお風呂入ろう』と言う。げっ、と思うものの、笑顔で了承。
嬉しそうなザッカリアを送り出し(※横のギアッチが頭を下げていた)イーアンは作業に取り掛かった。
お昼まで作業して、ドルドレンが迎えに来たので昼食前にすぐに『お風呂』と真面目な顔で言うと、察して凹んだ。『ぐうっ。くるしい』悲しむドルドレンに抱きついて、イーアンは説得する。
「あの子は本当は毎日一緒でも、と思っているでしょう。でも、頑張って我慢しています。まだ10歳そこそこなのに。だからどうぞ」
「裸の付き合いがそんなに嬉しいとは」
「そっちじゃありませんよ。そんな意識はまだあの子にありませんでしょう。きっとお母さんとの普通の日常生活を、急いで思い出に積み込みたいのです。すぐに大きくなってしまうから」
ハルテッドの言葉を思い出しながら、イーアンはそう伝える。ドルドレンは頷いて『俺も入りたい』と呟いた。どうにかどこか、問題なさそうなお風呂で入りましょうねとイーアンは提案した。
ドルドレンは一抹の不安を持つ。もしかすると、一緒に寝たいと言いそうだと。自分の勘の良さに怯え、急いでそれを振り払った。
そして昼食を摂る。『ザッカリアのお菓子を作ります。皆さんのも作るし、今日はドルドレンにも』そう言うと、ドルドレンは優しく微笑んで『イーアン有難う』と言った。
美味しい昼食の後。イーアンは料理担当に話して、今日は早く厨房を借りられた。そして日持ちのするパウンドケーキと、ちょっと手間をかけて、解けるような儚い菓子を作る。
「イーアン。私らは、いつもあなたの仕事以外のことを頼んで。でも美味しくて本当に嬉しかったから」
ブローガンがイーアンを覗き込む。イーアンは微笑んで『本当は毎日でも作りたい』と答えた。でも。自分には工房があるから両立が出来なくて、と謝った。
「良いんです。あなたが謝ったらいけません。私たちは本当に、あなたの作ってくれるのが嬉しかった。いつもワガママを言ったけれど、それは本当に美味しかったから。本当に嬉しかったから。でもこれからは待ちます。どうぞ、また作りに来て下さい」
イーアンはホロッとくる。何て良い子なの~ おばちゃん頑張るわよっと決心。ミレイオに言われたことも加味しつつ。自分はまだまだ、時間を有効に使って、自分にも相手にも笑顔を導けると信じる。
「今は。難しくても。でも、私の仕事が落ち着いたら必ず、私はこのクリーガン・イアルツァの厨房のおばさんになります。そしたら毎食作りますので、老婆になってもどうぞ置いてやって」
ブローガンは目を瞬かせ、それを聞いて、いきなり走って消えた。あら、引かれた。しまった、と思ったイーアン。さすがに老婆はムリかと思っていると、ブローガンがヘイズとロゼールを連れて戻ってきた。
(ロゼ)「お婆ちゃんになっても。俺はイーアンが大好きです」
(ヘイズ)「お婆さんのイーアンに働かせられませんが、でも私はあなたの味を受け継ぎます。あなたを私の味の師として」
(ブロ)「イーアン。俺のお婆さんなんて言わないで。俺の母さんでいて下さい。あなたの料理が好きなんです。支えるから、ずっと一緒に作ってほしい」
ひやーん。素敵な場面じゃないのこれ~!! イーアンはちょっと涙ぐむ。ブローガンにもヘイズにもロゼールにも抱き締められ、イーアン感謝。身の置き場と職に安定を感じる瞬間。有難う、若い人たち。
うっうっ、と涙ながらに感動しつつ。若い人たちを抱き締め、イーアンは燃える。『私、愛されていて本当に幸せです。今は出来なくても、必ず厨房のおばちゃんになります』そう約束して、菓子を増やす。
パウンドケーキも3台にした。ホロホロ崩れる初恋の菓子(?)も人数分の倍を焼いた。絶対に北西支部の厨房のおばさんになるんだ!と決意し、イーアンはその道の修行を目指した(※具体性も計画性もない)。
試食はとても喜ばれ、皆、別の意味もあって(※厨房のおばさん決定)作ったお菓子を絶賛してくれた。
「これはザッカリアです。これはドルドレン。そしてこれは。あなたたちの。この小さい方は、騎士の皆さん全員です。後は職人の方々へ」
ヘイズはイーアンを抱き寄せ『最高です』と頷いてくれた。取り置きのお菓子を外し、皆で分けて、彼らは笑顔で帰っていった。
時計を見て3時。イーアンは工房へ戻り、弓の続きを行う。この前初めて作らせてもらって、どういうものかは大方理解した。
工房の鍵を下ろさないまま、イーアンは制限時間まで没頭した。時間を忘れ、何もかも関係ない状態で、ひたすら目の前の指先が操るものだけを見て動いた。その時間は瞬く間に流れる。
夕方5時半頃、ドルドレンは扉を開ける。集中して机に屈みこんでいるイーアンに微笑む。扉をそっとノックして『イーアン』と声をかけた。ハッとしたイーアンはドルドレンを見て笑顔になる。
「どう?」
「はい。止めて下さって有難う」
その言い方は良いのか悪いのか、と笑いながら伴侶は近づいて、机の上の作業中の作品を見る。『終わり?』イーアンに訊ねると、イーアンは首を傾げて手元を見つめ『どうかしら』と。
「お腹は。腹が空いただろう」
言われると突如お腹が空きますと答えるイーアンに、ドルドレンは笑って頬にキスし、待っているようにと言って工房を出て行った。暫くして戻った伴侶の手には盆があり、湯気立つ赤い汁物と、肉詰めの焼いた野菜料理が乗っていた。
「お食べ。俺がさっき作った」
「あなたは何て。本当に優しくて、愛情深くて」
「君がしてくれることの僅かだ。それは良いから、熱いうちに食べて」
思い遣りある愛情豊かな伴侶にキスして、イーアンは有難くお祈りしてから食事を食べる。馬車の料理だと思うと、もうそれだけでも涙が出そう。それも伴侶が手ずから料理してくれた。嬉しくて、少し食べては噛みしめて味わう。
「ドルドレン。大変に美味しいです。これほど美味しい料理を私は知りません。あなたが作った料理は実に美味しいです」
「そう言ってもらえると嬉しいな。有難う」
イーアンは食べながら、ドルドレンにも切り分けて差し出す。『俺は試しに食べた。夕食も食べる』と微笑んでくれる。でもやっぱり差し出すイーアン。ちょっと笑って、一緒に食べてくれるドルドレン。
「美味しいでしょ?」
「本当だ。美味しく出来て良かった」
肩を寄せ合って、作り立ての愛情の料理を味わう二人は幸せ。本当に幸せで、感謝でいっぱいだった。きちんと完食した後は。ご馳走様の言葉と共に次の段階へ移行する。次はお風呂。お風呂が待っている。
「イーアン。風呂だ」
「ええ」
覚悟を決め、ドルドレンは愛妻を掻き抱く。『イヤだ~』『知っていますけれど。どうぞご理解下さい』分かってるよと泣きべそのドルドレン。あの子が待っていますから、とイーアンは着替えを取りに行く。ドルドレンは脱衣所前で待っていた。
そしてザッカリアとギアッチが来て、イーアンも来て、ドルドレンの泣きそうな顔を見たザッカリアが、ちょっと悲しそうな顔で『総長。俺が入るの我慢なの』と訊ねた。
「う。いや。いろいろだ」
「総長も一緒に入ってもいいよ」
優しいザッカリアの言葉に、ドルドレンはクラッと来る。一緒に・・・・・ 俺も一緒なら、イーアンも大丈夫。家族じゃないか(※ギアッチはダメ)。
「ど。どう。どうなの。どうなんだ、それ。本当に良いなら」
「総長、ちょっとそれは」
ギアッチが止めた。ジロッと見られて、ドルドレンは萎れる。ギアッチも一緒に入りたいのが伝わる(※こっちは男親として)。ぐぬうっと唸って、ドルドレンはザッカリアに礼を言い、『今度ね』と呟いた。
そしてお風呂時間。
イーアンはこの前同様。布を巻いて入り、ザッカリアが先に体を洗っていて・・・までは同じ。この続きに、この日は背中を洗うというハプニングがあった。
いつもギアッチの背中も洗ってあげるんだと、純粋に言われて断れず。背中だから大丈夫・・・イーアンは『親子。私たちは親子』と小声で唱えながら、恥ずかしさに耐えた。お礼にイーアンも背中を洗って、一緒に湯船。
やっぱりザッカリアは横に来て、イーアンの肩に顔を乗せる。そして嬉しそうに目を閉じ『良かった』と何度も言った。濡れた黒髪を撫でるイーアンに甘えて、ザッカリアは自分の思う龍の話をたくさん話した。話しているとあっという間に制限時間。
ドルドレンの裏声の叫びが響き、ザッカリアはちょっと笑った。『総長も一緒に入りたいんだ』そう呟いて、パッと顔が輝く。
「どうしたの」
「俺。良い事考えた。一緒に寝ればいいんだ。総長と俺とイーアンで」
「な。なぜ?」
「お風呂、皆とイーアンは入れないでしょ。総長もそれ守ってるから、イーアンが好きでも一緒に入らない。俺は子供だから大丈夫だけど。だけど眠るのは良いと思う。そしたら総長も嬉しいよ」
それはどうなんだろう・・・・・ 伴侶が喜ぶかどうかは疑問だったが、ザッカリアは素敵な思い付きを早速話しに行くと、風呂を上がった。ちょっとしてイーアンが上がる頃、脱衣所の外で素っ頓狂な声が聞こえた。
イーアンが脱衣所を出ると、ドルドレンを介抱するギアッチと、総長を心配するザッカリア、そして倒れたドルドレンの現場を見た。
「刺激が強かったようで」
困るギアッチの言葉に、イーアンは見ていないけれど流れを理解し、倒れて呻く伴侶を支える。ザッカリアはとても悲しそう。『俺が可哀相なこと言ったかも』総長ごめんね、と総長の頭を撫でてくれた。
「きっと。総長は俺よりも子供なんだ。大きいけど。だから、イーアンが俺に取られちゃうと思ったのかも」
大当たりです。ギアッチもイーアンも戸惑いつつも正解に頷く。うんうん呻いているドルドレンには聞こえないが、手触りでイーアンを探り、ひしっと抱きついて小刻みに震えていた。
「総長も、お母さんがいなかったから寂しいのかな。俺、総長のお兄ちゃんになってあげたら良いかも」
床に膝を着いて、よしよしと総長の頭を撫でる子供。そして総長のおでこにちゅーっとキスしてくれた。『きっと頑張ってるんだ。大人になっちゃったから。でも気持ちは子供なんだね』今度一緒に眠ろうね、と。優しいザッカリアは総長の頭を抱き締めて、笑顔で約束した。
「この子は。本当に優しくて、思い遣りがあって。愛情深くて、頭も良いし、観察力も」
ここで止められたギアッチは、つくづく大した子だと感心した。ショックで頭が朦朧とするドルドレンは、よく分かっていなかったが、何やら同情されているらしいことだけは理解した。
ドルドレンは、回復してから風呂に入るということで、ギアッチとザッカリアは先にその場を立つ。イーアンは子供に、厨房でケーキを1台受け取るように伝えた。ザッカリアはとても嬉しそうに頷いた。
イーアンは伴侶を起こして椅子に座らせ、慰めながら付き添う。背中を洗ってもらったことは言わなかった(※また倒れる)。
ザッカリアは時々。妙に聡い子と思うが。子供は皆そういうところがあるのかも知れない。心の闇や、わだかまりを直感的に感じるのか。うっすら開く伴侶の目を見つめ、イーアンは微笑む。
「ザッカリアは。あなたのお兄さんになるそうです。それで、今度一緒に添い寝してくれるようですよ」
「いいのに」
「あなたが、自分よりも私を必要としている、と解釈したようです」
「それは有難い解釈だが。何か釈然としないのは気のせいか。同情されているだけではないような」
「お兄さんですもの」
「イーアンまで。そんなこと言う」
ドルドレンの背中を撫でて、お風呂に入るように促す。イーアンは寝室で待っていることにして、ドルドレンは夕食を部屋で食べることにした。イーアンは伴侶にも、厨房にお菓子があることを伝えて、部屋に持ち帰るように言った。
この夜。ザッカリアの立ち位置を悩むドルドレン。一緒に寝ると言われて、正論で、どうにか止めさせる方法を必死で考えた。イーアンはザッカリアの存在が、いろいろな角度から繋がる、自分たちのリンクなのかなとも思った。そう思うと、より絆が強くなるような。
そんなことを思いながら、遠征で一緒の時は、一緒に眠ってみようと考えた。普段は伴侶と一緒。出かけ先では親子川の字みたいな。そうするとギアッチはどうなるのかとか。
あれこれ二人は思いつつ、この日は健全に。知らない間に眠ってしまった。
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