423. ドルドレンの思い遣り
どれくらいぶりだったか。イーアンは工房でひたすら作りながら、ふと手を止めて思う。
イオライに出る前に、パワーギアを作った。あの時も夜までかかって作ったけれど・・・・・
時間を見ると、そろそろ夕方になる。昼食は摂らなかった。というか、気がつかなかった。工房の鍵は開けておいたが、伴侶は疲れているのか、それとも仕事が詰まっているのか。思えば扉を叩かれた気がしない。誰も来なかったかも。
夢中になって作る時は、自分が消えてしまう気がする。そんなに没頭したのは、どれくらい前だったかなと回想するがすぐ止めた。思い出したところで別に何の意味もない。
「今日はここまでしか出来ないけれど。でもどうしよう。もっと作れれば。連続できたら」
そう言いながら、一度お茶を淹れかけて、再び口も付けずに立ち上がって、作り始めたものを手に持つ。ちょっと触って、調整する所を合わせ、そしてナイフで削って合わせて。とやってるうちに、再びのめり込む。
イーアンはこの日。風呂も忘れ、夕食も忘れ、ひたすら作った。真夜中が来て、別の作業に入り、それも黙々と何かに憑かれたように続いた。でもその顔は感情が時々見えて、上手く出来ると笑っていたり、難しいとぶつぶつ独り言を呟いて眉を寄せていた。
楽しくて仕方なかった。大きな作業机の上には、工具と材料、切り屑や拭き取った布、垂れた絵の具や膠といろんなものが乗っていた。イーアンの最高の時間だった。
呼ばれない以上。誰かが止めない以上。もしくは精神力が尽きるまで、イーアンは続ける癖がある。
こうなってしまうと、自分が没頭以外のどの状態にも身を置かないので、ひたすら手が動く限り、目が閉じない限りは続ける。
ドルドレンは見守っていた。夕方も、夜も、真夜中も。朝も、昼も、また夕方も。もう止めないといけない気がした。他の騎士たちも、2日目の朝にはさすがに心配し始めて、止めた方が良いと言いに来た。
だがドルドレンは彼らの心配を聞きつつ、自分の心配も織り交ぜつつ。考える。考えて、結論を出す。イーアンの本当の仕事をさせたいと話した。彼女が望んでいるのだから、これまでやらせなかったのだから、と説明した。
ドルドレンは見守る。2~3時間置きに見に来ては、様子を眺めてそっと戸を閉じる。午後は外の窓から少し見て、誰も近寄らないようにと命じた。
2日目の真夜中にドルドレンが見に来た時。イーアンは工房のベッドに横倒れで寝ていた。夜に見に来た時には作業机に屈み込んで作っていたのに、この2時間の間で力尽きたらしかった。きっとベッドに腰掛けた途端、倒れたのだろう。もしくは、倒れたらそこがベッドだったか。
驚いてすぐに中に入り、毛皮に埋もれるイーアンを見つめる。
風呂が好きで遠征でも入りたがるのに、2日間風呂も入らず、ひたすら起きて作っていた彼女は、今目の前で眠っている。上掛けもかけず、昨日の朝に着た服のまま。
触りたいけれど我慢して、ベッドの端に腰掛け、ドルドレンはその眠る姿を暫く眺めた。ランタンはついていたが、暖炉の炎は今日の朝には消えていた。部屋は冷え込み、イーアンの手も白っぽく乾いていた。
「寒さも。空腹も。眠りさえ、本来なら君の意欲には勝てないのか」
お腹が少し上下しているのを見て、生きているとは分かるのが安心する。口の端に乾いた唾液がひび割れて付いている。おそらく水分も摂らなかった。
ドルドレンは、そっと大きな毛皮をイーアンの上にかける。見たかったけれど、作業机の上は見ないように意識した。
どうしようかなと考えて、とりあえず工房の扉を閉めて鍵を下ろし、暖炉の火を入れる。横倒れのイーアンの背中側から包むような形で、自分もベッドに入り、大きな毛皮を上にかけて、一緒に眠ることにした。時間はもう深夜の1時だった。イーアンは何十時間・・・起きて作っていたのか。
身動きもせずに眠る細い体を、そっと抱き寄せ、ドルドレンも眠りに落ちた。
翌朝になり、ドルドレンが目を覚まして気が付く。いつもの寝室ではないこと。そうだった、ここは工房の・・・ぼんやり思いながら、腕の中のイーアンの温もりに安心する。イーアンはまだ起きないんだと分かる。
時計を見て、自分も少し寝すぎたかと思う。7時を回った頃で、もう朝食が始まっている時間。8時半からは仕事だから、もう食事を摂っておかないと。
イーアンの体温。服の上からでも分かる、体の線。ゆっくり確認して、ドルドレンは自分は起きることにした。
そして、静かな寝息を立てる顔にちょっとだけキスして、微笑んで。自分が何をするべきか分かっている総長は、ベルを探しに行き、その後、出かけた。
イーアンが起きた時。自分がどれくらい眠ったのか。いつ眠ったのかも分からなかった。それに今日が何日なのかも。目が覚めたら、工房にいて。窓から午前の光が見えた。時間は10時になったばかり。
毛皮の中で眠る自分。起き上がってベッドに座り、髪の毛を触る。脂っぽい(※風呂入ってない)ことに気が付く。『やだ・・・』やっちゃったかーと髪の毛のまとまった感じにがっかりする。
ささっと立って、壁にかかる鏡に映った顔がやばいことも知る。『私、一日お風呂入ってないだけで、こんなに』ううう、ほうれい線に水分が必要だわと、婆くささに嘆きながら、口の端に白く乾いたヨダレもせっせと拭く。
「こんな姿を人に見られるわけに行きません」
やだやだと腕をさする。歯磨きもしてないから口臭が嫌過ぎる(※絶食により胃の臭いしかしない)。うへ~と自分に悲しくなりつつ、急いで風呂を計画する。
走って着替えを持つ⇒風呂へ行く⇒多分ぬるま湯はある⇒ちょっとでも良いから洗う。
よし、と決めて、ふと作業机を見る。そして自分に自画自賛の喜びを持つ。作りたての作品は朝の柔らかい明るさに、清々しく美しい。これぞ自分のアートだと、イーアンは満足の溜め息をついた。
そっと作品を撫で、ゆっくりと持ち上げ、上から順に並べる。横にも並べる。『後は剣』それは私じゃないわねと笑顔を深くした。
そして風呂へ行こうとして振り向くと、同時に扉が開いた。
「起きたか」
優しい伴侶が笑顔で両腕を広げて、すぐに抱き締めてくれた。イーアンも抱き返す。でもちゅーはムリ(※口臭)。『ごめんなさい。朝になってしまいました』イーアンはお風呂へ行かなきゃと苦笑い。
「風呂の用意をさせているから。その前に食事をしよう。ちょっと待っていなさい」
ドルドレンはそう言うと、工房から出て扉を閉めた。待っていてと言われたので、イーアンは大人しく待つ。お風呂の用意をしてくれているなんて。優しいなぁと心から嬉しくなる。ミレイオにざくざく刺されてしまったけれど、本当にドルドレンは優しいし、思い遣り深い人。どうにかそれを伝えられるよう。もっと表現を豊かにして、ミレイオに理解してもらえるようにしなきゃとイーアンは反省した。
イーアンが一人反省会をしていると、扉が開いて、ドルドレンは盆を持っていた。『あらーっ』嬉しいイーアンは両手で顔を押さえる。
美味しそうな香辛料の香り。別ニンニクの空腹を直撃する香り。ぐーぐーお腹が鳴る。イーアンはすぐに作業机の上の物を寄せた。ドルドレンはそこに料理を置く。
「腹が空いたな。食べると良い」
思えば。これは出来立て。それも・・・この時間に。ハッとして伴侶を見上げ『この時間、10時です』真っ赤なソースのかかる焼いた肉と、湯気の立つブレズを見て、イーアンが理由を聞くとドルドレンは微笑む。
「俺が作った。ベルに粉をもらって」
早くお食べ、と笑顔のドルドレンにイーアンは泣いた。あっという間に涙が溢れて、ぼろぼろ涙が落ちる。ドルドレンもちょっとつられて涙が浮かんだけれど、イーアンの背中を押して椅子に座らせ、自分も横に座る。
「俺も作れる。子供の時に覚えたものなら」
ドルドレンが、丸太のように巻かれた肉を切ると、中からカリッカリの肉が出てくる。湯気の立つブレズの中に、焼いた芋が香菜と一緒に入っている。『馬車の料理だけど、俺の食べ方だ。昔。俺はたまに自分でこうして』そう言いながら、切り分けた肉をイーアンの口に差し出した。
「食べてくれ」
泣いて不細工な顔のイーアンは、泣き顔のまま、一口で肉を食べる。『おいしい。美味しいです。ふぅ~・・・ あああ。もう死んでも良いくらい』泣きながら溶けて微笑み、くねくねしているイーアンに、ドルドレンは笑って頭を撫でた。
「死んだら大変だ。死なないでくれ。好きなだけ食べるんだ。美味しかったら夜も作るから」
イーアンは泣き止まないで食べる。うえっうえっとしゃっくりしては涙を拭き、拭いてはこぼれる涙にまみれて、肉をムシャムシャ食べ、ばふっと割られた芋入りブレズを頬張る。一口ごとに『こんな美味しい料理は初めてです』『ドルドレンの料理は最高です』『美味し過ぎて死ぬかも』と・・・口に入ってるからよく分からない言葉で言い続ける。
最初から最後まで涙を流して、イーアンはドルドレンの料理を味わって食べた。私のドルドレンは、何て温かい人なんだろうと。何て優しい人なんだろうと思うと。涙は終わることなく湧き上がって、どうにも止められなかった。感謝しかなかった。
どうやってもミレイオに叱られる人ではない。こんな最高の人は絶対いないもの、とイーアンは思った。ミレイオに誤解を解いてもらおうと、食べながら思う。ちらっとドルドレンを見ると、嬉しそうに微笑んでいる。そしてイーアンの額にちゅーっとして、最後の一口をもぐもぐしているイーアンに頷いた。
「これからは、俺も作りたいと思う。定期的にじゃないかもしれないけれど。こんなに喜んでくれるのを見たら、もっと食べてほしい」
ちょっと止まったはずの涙が、またわーっと流れた。思い遣りに感激して、抱きついてワンワン泣いた。貼り付いて泣くイーアンの背中を撫でながら、笑顔のドルドレンも少し涙が落ちた。
「もっと早くこうしたら良かった。ミレイオのお陰で、自分がどうするべきかちゃんと理解した」
怖いからもう行かないけどと付け足し、ドルドレンは笑った。イーアンも笑った。イーアンは本当に幸せだった。本当に本当に幸せでしかなかった。感謝で一杯の胸が苦しくなるくらい。
ドルドレンに促されて、泣くだけ泣いたイーアンはお風呂へ向かう。ドルドレンは休みを取ったと話し、今日はイーアンの側にいると言った。
イーアンは大事な愛する伴侶にお礼を言って、いそいそお風呂へ入った。
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