421. ミレイオと約束
その夜。ドルドレンの心境に変化があった。
戻ってきたイーアンはすぐに寝室へ来て起こしてくれた。そして風呂に入って、二人で早めに夕食にする。イーアンが夕食に作ってくれた、青さパンやシカの唐揚げ、野菜の煮物を食べながら、ドルドレンは自分の午睡中の出来事を聞いた。
ドルドレンは食事中、普段よりも、一生懸命夕食を頬張って食べていた愛妻(※未婚)が、朝も昼もろくに食事を取っていなかったことに気がついた。さっと見渡せば騎士の夕食の皿に唐揚げが乗っている。イーアンは支部で3回作ったのかと理解した。そしてオーリンの家でも、作った話。
美味しい食事に感謝して、イーアンとドルドレンは寝室へ引っ込む。ドルドレンはすぐにイーアンを抱き上げて、ベッドに寝かせた。それから自分も横になって、寝そべって話を続ける。
「疲れただろう」
「少し。急ぎの用が多かったかも」
食事も摂らせないで。自分ばかりが何をしていたのかと、ドルドレンは反省した。人の家に行けば料理して、支部に戻ったら自分や皆の食事を作って、あちこちへ龍と一緒に出かけて。行った先で謎を解いたり、仕事の話を取り付けて。遠征の翌日は休みなのに。
「イーアン」
ドルドレンは愛妻を抱き寄せる。『ごめんね』腕に包んで頭を撫でた。甘ったれはまだまだ。ダメだなぁと反省が押し寄せる。イーアンもドルドレンに腕を回して、大きな広い胸にくっ付いて微笑む。
「やっと落ち着きました」
でもいろんなことが起こって、それなりに楽しかったですよと笑った。愛妻のくるくるした髪をちょっと指でずらして、ドルドレンは額にキスした。『早めに休もう。明日も行くんだろう?』盾の職人の約束を確認。
イーアンの話では、変わった相手で、協力的だと思うが、契約等に縛られるのは嫌がっているという。そうした場合はどうすれば良いのかと訊かれた。
ドルドレンとしては『普通に買えば良いんじゃないの』と。それで大丈夫?と言うので『どっちみちそこでは、量を作らないのだから』個人が買いに行く感覚で、イーアンの工房が買い取れば良いと教えた。
「私が、私の工房で購入するの。契約ではなくて」
「だって。デナハ・バスでタンクラッドと買い物した時もそうだっただろう。執務のヤツに言ってお金を受け取って、あっちで工房の名前で領収書切ってもらって。それだけだよ」
ああ、そういう感じで良いの、と愛妻も納得。『じゃあ。ドルドレン行かなくても良いですか』続く言葉にぴくっとなる。
ちょっと考えて、もう一度ミレイオについて質問した。思うに、馬車の家族の、曲芸師の男とかと似てるのだと認識する。そこに収集癖があるというか。『その人、出身地はハイザンジェルなの』『聞いていません。どこかしら』聞いた雰囲気だと国外の人間のような。
「一緒に行く。一応、把握しておいた方が良いと思う。それにタンクラッドが怒った相手だろう?ハルテッドみたいな感じなんだろうか」
「それも違うような。タンクラッドの怒り方は、あなたのようでした。一方ミレイオは、ハルテッドのような感じではないです。
あの方は、私に触ったり抱え込んだりしますが、あの方は男女の感覚ではありませんね。全く個人ですよ。性別の動きではないです」
「触られて。またイーアンはどこでもよくそう・・・本当に誰にでも触られやすい。よほど可愛いのか。撫でたくなるのか。確かに撫でたくなるけど」
「ドルドレンまでそんなことを。でも『触らせている』と言われない分、構いません。だけどこの世界の人は男女問わず、実によく人に触れますね。年齢もあまり関係ない気がします。慣れましたが」
――慣れちゃったよ、とドルドレンも困る(←元祖触りまくった人)。うちの奥さんは、慣れるの早いんだよな。
気にしないっていうか。撫でられようが、貼り付かれようが、平気な顔で普通に。淡々と自分の状態を保つ。最近、嫌がるのはクローハルとか親父くらいなもんだ。ジジイにさえ平気になってしまった(※危ない)。
オーリンにもぽんぽんされてるし(※実はケツも叩かれた)あっちこっちで、感動して自分から抱きついているようだし(※それもどうよ)。
俺が同じことしたら、真っ先に殺される方向へ行く気がするが。もしくは晒し者にされるのか。とにかく刑罰が待っていることは確かだ。恐らく無実だとしても聞き入れてはくれまい。剣先を突きつけられるだけだ。
だがイーアンには、それを誰も求めない。老若男女の全員が。これも精霊のご加護たるものなのか・・・・・
でも考えたドルドレン。自分は今日、ピーピー泣いていたけれど。
その原因たるタンクラッドが、自分の代わりをちゃんと務めて、イーアンを守ろうとしていたこと(※支配気分)。
タンクラッドはちょくちょく、イーアンを抱き締めたりとか、食事を作らせるとか、怪しからん行為を行うが、でもイーアンを誘惑したりはしない。笛もくれたし。
単に鈍くて、天然で、大人気ないというだけの男で(※自分は棚に上げる)もしかして。実は俺を大事にしてるから、俺は愛されているのかも(※極端)。
イーアンも『タンクラッドは俺を好いているから大丈夫』と言っていた。もしかすると。もしかするかも。
俺は認められていて、本当はタンクラッドは俺と仲良くなりたいのか(※思い込ませると病的な家族)。そうなんだろうか。威圧的な態度だし意地悪だけど、ひょっとすると。俺が好きなのかも。俺に好きになってもらいたいのかも(※そこまででもない)――
伴侶が複雑な心境で、うんうん呻いているので、イーアンは可哀相に思って頭を撫でた。そして明日はミレイオの家へ、一緒に行こうと伴侶に促す。きっとミレイオに会えば安心すると思った。
ドルドレンもそうすると頷いて、二人は眠ることにした。夜はやらしいことをしないで、健全に眠った。
そして翌朝。イーアンは早起きして、厨房が落ち着く時間に、手土産を作りたいと言いに行く。朝は7時過ぎれば大丈夫と教えてもらい、その間にあれこれと支度を済ませ、二人は朝食を終えて、それぞれのすることへ。
ドルドレンは一応執務室へ行き、書類をざーっと見てから急ぎがないと判断し、契約の難しい相手のところへ話をしに行くと告げ、執務室を出てきた。
イーアンは、7時過ぎたきっかりくらいで厨房へ。火が使えると言われて、10枚の小さなパンケーキを焼いた。料理担当の人の分がないので、これはまた近いうちにと話すと、彼らは『昨日も頑張ってくれたから気にしないで』と言ってくれた。
パンケーキに、支部で使うジャムをもらって塗り、一枚ずつを二つ折りにして、油紙にちょいちょいと包んで袋に入れた。
厨房から出てすぐ、ドルドレンが迎えに来たので、一緒に龍で出発。『フォラヴは』『ミレイオが良いとはっきり言っていないから、後日だ』ということで、二人だけ。
「最初はタンクラッドか」
「そうです。彼を乗せますから。アオファの方が良かったかしら。あ、でもミレイオの家はムリね」
「うーん。そうだな。例え着陸場所が広くても、ミンティンとアオファで行くような距離でもないし。アオファはイーアンだろ。そうすると必然的に」
「あなたと私がアオファという方法もあります。ミンティンはタンクラッド」
「それもちょっと抵抗がある」
とりあえず、伴侶の精神に影響のない範囲でとイーアンは思い、やはり3人乗りが無難とする。そうこうしてタンクラッドの家の裏庭へ到着。扉を開けた剣職人は総長を見つけ、笑顔を引っ込める。
それからささっと上着を羽織り、何も言わずに出てきた。『おはようイーアン。総長』『おはようございます』『おはよう』社交辞令のような挨拶が交わされて、タンクラッドはひょいとミンティンに跨った。
そして無言で、ミレイオのいるアードキー地区へ。『ここは西だな。俺たちの管轄じゃない』ドルドレンは街道から見て判断して言う。
「そうなのですか。アードキーって、初めて昨日聞きまして。私も西なのかと」
「イーアンは西と、東南は行ってないのか。他の支部の騎士には会ったな」
「東南も南でお会いした隊長がいらっしゃいますけれど。西は一切ですね」
二人が話しているのを、後ろでつまらなさそうに剣職人は聞いていた。早く着けば良いのに、と心の中で繰り返し続けた。
そして間もなく到着。ミンティンを帰して、3人でミレイオの家へ歩く。先頭はタンクラッド。続く二人は手を繋いで一緒に歩く。後ろをちらっと見て、舌打ちする剣職人。ドルドレンは気にしないでおいた。
きっと、自分も手を繋いでほしいと思ってるのかものかもしれない(※既に自分が好き設定)。それは無理かなと思いながら、若干余裕が出来たドルドレンは笑顔だった。
扉を叩き、タンクラッドが溜め息をついた。今日は何で総長がいるんだろうなと思いつつ。扉は開いて、ミレイオが出てきた。
「早いわね。あら。亭主連れてきたの」
「はい。彼はドルドレンです」
「ドルドレン・ダヴァートだ。イーアンと今年結婚する」
その自己紹介に、タンクラッドが目をむいて振り返る。ミレイオを見てもドルドレンは普通だった。そしてミレイオはニコッと笑って『そう。幸せなのね』と頷いた。そして中へ入れてくれた。
初めて見たら驚くばかりの異空間なのに、ドルドレンはぐるーっと見渡して、ふうんと面白そうに一声漏らしただけだった。ミレイオは昨日の長椅子の部屋へ連れて行く。
そして長椅子に最初に自分が腰掛けて、イーアンにおいでおいでする。イーアンは『はい』と答えて、ひょこひょこ行ってしまった。そしてミレイオの横に座り、派手なミレイオに寄りかかられた。
ドルドレンはその場面には固まったが、どうやら。理解した。一瞬で理解できる、自分の育ちがこんな時に役立つとは。馬車の家族にも何人かいた。
ミレイオは性同一者なのだ。恐らく。男と女の中間ではなく、男でもなく女でもない、越えた自分を選んでいる。どっちも100%である。
だからイーアンは平気なのだ。イーアンは差別が嫌いだ。自分も差別されると時々口にする。差別されない相手を直感的に選んでいるんだろう。ミレイオはイーアンが好きだろうが、それはイーアンが変わっている存在だからだ。見た目などではなく、感覚で自分と似ていると気付いたから。
それが伝わってくるので、ドルドレンは大人しくもう一つの長椅子に腰掛けた。この二人は放っておいても大丈夫だと思った。
タンクラッドは、総長の態度が不自然に思えて、眉を寄せた。だが総長が二人を平然と見ているので、已む無し自分も、総長の横にちょっと隙間を空けて座った。何で怒らないのかと、総長の横顔を見ていた。
「ドルドレン。あんたお茶飲む?イーアンは?」
「俺に聞かないのか」
「タンクラッドは昨日失礼だったでしょ」
イーアンが笑って、自分がお茶を淹れると言うと、ミレイオは止めた。『だめ。私の家で、女のあんたが動くなんてダメよ。男でも女でも、欲しい人が動くの』分かった?ミレイオはイーアンに教えた。
イーアンは微笑んで、浮かせた腰を戻しお礼を言った。『イーアンはお茶欲しいのね。私も飲むから淹れるわよ』私はここの主ですものとニッコリ笑った。ドルドレンは、自分が淹れた方が良いのかなと思ったが、黙っていた。タンクラッドはむすっとしていた。
とか何とか言いながら、ミレイオは4人分のお茶を出してくれた。イーアンはミレイオを見てニコッと笑う。優しいなと思う。ミレイオも分かってるから、笑みを浮かべてお茶を飲んでいた。
「それで。なんだっけ。あんたの所の盾を作るのよね。私が作って、それをたくさん作るのは別の工房って話しだったけど」
「そうだ。それで良かったら、イーアンと俺たちを手伝ってほしい」
「うーん。お金はどうするのよ。私契約は嫌なんだけど」
「それはイーアンにも昨日話したが、作ったものをイーアンが買いに来る。それを売った時に、イーアンに領収書を渡してくれ」
「それって普通の売買でしょ。そんなで良いの?」
「問題はない。契約が必要な場合はそうするが、それはイーアンの工房の委託先として保障があるからだ。ミレイオにそれが要らないなら、販売価格もかかった費用も、販売時にまとめて請求してくれれば良い」
「そうなの。じゃ、私が作ったら、後はイーアンを待ってれば良いってこと。そうよね?」
その通りだとドルドレンは微笑む。これでイーアンの盾の行き先は確保した。多分この相手なら、口約束はない。突然消えることもないだろう。ドルドレンはイーアンが安心できるのが一番だと思う。
イーアンは嬉しそうに頷く。『良かった』と呟いた。ミレイオが、イーアンの肩に回した腕をちょっと自分に寄せる。
「盾。いつまでにどんなの欲しいとか決まってるの?何かもう予定がある?」
「ええっと。私はそのあたりも分からないのです。ドルドレン」
「そうだな。騎士修道会の盾はこれだが、素材が変わるのだ。それで話を持ってきた」
「うん。その盾は知ってるわよ。革と金属のね、あんたたち全員それよね」
ドルドレンがイーアンに素材を任せる。イーアンはタンクラッドをちらっと見た。タンクラッドはムスッとして無口だったが、視線には気がついて頷いてくれた。
「ミレイオ。俺が今工房で作ってるのは、魔物の体から採れた金属だ。もともと金属だったのだろうと思う。高温で焼けば金属化し、そのままだと皮や昆虫の翅や殻だ。それでもかなりの強度を持つ」
へえっ・・・ミレイオはタンクラッドに見本を持っていないのかと訊く。タンクラッドは口角を上げて『この二人が』と指差した。
ドルドレンとイーアンは剣を抜く。二人の剣は聖別されて、既に最初の状態ではないので、タンクラッドはそれを説明した。『だが、この状態になる前もかなりのものだったぞ』見た目は負けるかなと笑う。
ミレイオの目は真剣だった。『触るわよ』とイーアンに目を一瞬向けてから、屈み込んでイーアンの剣に触れる。剣は柔らかな白い光を走らせた。ドルドレンの剣も触れ、銀粉を放つ青い光が走った。
「何なの。何て美しいの。こんなものが、私の生きている間に見れるなんて」
唾を飲んで指先が震えるミレイオに、イーアンはその感動がひしひし伝わってきて嬉しく思う。この人は芸術が好きなんだとちゃんと分かる。美しいものに感動し、だからこの家が出来上がったのだ。
一頻り感動し、他の三人を放ったらかして、ミレイオは剣を堪能した。それから目を付けていた二人の鞘を見せてほしいと頼んだ。
二人の鞘を受け取って、ミレイオは『ああ』と額に手の甲を当てて、背凭れに力を抜いた体を預ける。ちょっと心配したイーアンは『大丈夫ですか』と声をかける。そのままの姿勢でミレイオは天井を見て、頷いた。
「有難う。素晴らしいのよ。とてもじゃないけれど、こんなの見せられて断れやしないわ。この剣はタンクラッドが作ったんでしょ?鞘はどこで作ったの」
「イーアンだ。彼女が、俺の鞘と自分の鞘を。その後に聖別されて、ここまで変化した。だが作ってくれた最初も、既にそれは工芸品のようだった」
「あんたが作ったの?あんた一体何を知ってるのよ。こんなもの作れるなんて、職人じゃないでしょ」
誉められてイーアンは、恥ずかしそうにもじもじしていた。でもミレイオはその反応ではなく、正体を聞いているので、ドルドレンがちょんちょんと愛妻を突いて『イーアン。ミレイオは技術の出所を聞いてるんだ』と教えた。
ああそうなの、とイーアンはもじもじを止めて、ミレイオに向き直る。『私は職人ではありませんでした。工房を持っていましたが、古い手作業の仕事全般、使われた知恵等を好んで、それを中心に覚えて』それで作るとそうなる、と話した。
ミレイオは目の前の女をじっくり見て、その頬を両手で挟みこんで鳶色の瞳を覗きこむ。『何て目をしてるの。あんたは芸術家なのね。その目でずっと違う時空を見ているのね』そして優しく微笑み、ピアスがずらっと並んだ唇で、イーアンのおでこにちゅーっとした。
ドルドレンもタンクラッドも固まる。タンクラッドの腰が浮きかけて、ドルドレンがそっちを見ずに片手で止めた。剣職人は総長をさっと見たが、ドルドレンの表情が怒っていないので、自分も腰を戻した。
イーアンはえへっと笑った。単純に誉められて照れていた。ミレイオはうんと頷いて『よし』と野太い声で言う。
「良いわ。あんたと約束しましょう。私に魔物の材料を頂戴。扱い方はある程度、タンクラッドに訊くけれど、後は私が自由にするわよ」
「その意味は。俺の解釈だと」
「ドルドレン。合ってると思うわよ。私が作るんだから最強よ。これまでの盾を忘れなさい」
ホーッホッホッホッホ・・・ 弾けてしまったように高笑いを続けるミレイオに、イーアンはとても嬉しかった。凄い味方がまた増えたことに、感謝しかなかった。
「おい。大事なこと忘れるなよ。お前の続きは、一般の工房が連続生産するんだからな」
タンクラッドの一言で、ミレイオはちらっとそっちを見て『分かってるわよ。凡人で出来そうなくらい、分かりやすい説明書付けてあげるわよ』鬱陶しそうに吐き捨てた。
まあ、私についてこれる凡人がいればね!!と続けて、再び高笑いを決め込むミレイオ。堂々たる自信にイーアン拍手。ミレイオはイーアンを片手で抱き寄せて、『見てらっしゃい。気絶するくらい凄いわよ』そう囁いて、笑った。
カッチョイイ~ こういうのでもメロるイーアンは、ミレイオに自分から、ひしっと貼り付いていた。
ミレイオに背中をナデナデされながら、イーアンは凄い盾が早く見たいと期待する。この人は芸術家なんだと心底思った。そんな人に会えて本当に嬉しかった。
これを見ている男二人は、口にも出さなければ止めもしなかったが、どうして良いのか分からない悩みを抱えて見守っていた。
タンクラッドは、総長の気持ちが初めて理解できた。ドルドレンは度々あることとはいえ、毎度理解に苦しみつつも理解を頑張った。




