397. 遠征前日の午後
イーアンは工房前に龍を降ろして、荷物を外す。やっと自由になったミンティンは、合図もないうちにさーっと天へ戻って行った(※逃げた)。
「さて。皆さんに紹介します。裏にドルドレンの姿がありませんでしたから、執務室へまず行きましょう」
オーリンはフフ、と笑って頷いた。イーアンは執務室へ行く足が重い。もう目が据わりっぱなし。弓を背負った、野生チョイ悪イケメンを後に連れ、半泣きの気持ちで執務室へ向かった。通り縋る騎士が二度見する。
「ドルドレン。帰りました」
執務室の扉を叩くと、凄い勢いで開いてイーアンは抱き締められた。『もう。遅いから、ジジイに何されたかと』はー、良かった、はー、無事で何より・・・頬ずりするドルドレン。言いにくいイーアンはドルドレンに『あのう』と腕の中で声をかける。
「総長は本当にイーアンが大好きだな」
ハハハと笑う後の男に気が付いて、ドルドレンはイーアンを抱き締めたまま凝視する。『なぜオーリンがここに』ドルドレンは目の前の黄色い片目の男を見てから、イーアンにぎこちなく目を向けて、説明を求める。
「そのですね。マブスパールの後、ダビに会いに行きましたら、ダビはオーリンに詳しく聞いてみてはと。それでお会いしに行きました所」
「俺が勝手についてきた。イーアンは嫌がっていたよ。さっきまで。今もかな」
「なぜついてきた。オーリンは、明日から俺たちが遠征に出ると知らないのか」
「聞いた。だから来たんだ。弓引きの弓を強化するんだろう?俺は出張業務って感じだな」
この後。イーアンと同じ問答を繰り返し、ドルドレンが結局折れた(※優しい)。オーリンはケロッとしていた。
昼食まであと20分ある。ドルドレンは、イーアンの髪にキスしてから『これも何かの導きかも』と諦めたように言い、オーリンを全員に紹介すると言って裏庭へ連れて行った。
イーアンは工房へ戻り、火を熾してから窓を開けて、回収したものの処理の準備。すぐに昼食だから、灰だとか袋だとかを外に引っ張り出して、すぐに処理だけでも済ませることにした。
これが終わったら材料は地下室へ運んで、その後パワーギアを作る予定。『どれだけの人に用意できるだろう』気弱な呟きを落としながら、イーアンは昼までの短い時間に出来ることを進めた。
お昼になり、ドルドレンと一緒に昼食。オーリン付き。オーリンに昼食後、空き部屋と馬の用意があるらしい。ドルドレンはその話をして、それから風呂や、細かいことを説明していた。
「イーアン。午後はどうする。何か準備があるだろう」
「昨日のうちに積める物はヨドクスにお願いして、半分は済んでいます。マブスパールで回収した魔物の材料を処理して、すぐにあの強化装備の続きを行います」
そうか、とドルドレン。『今日は夕食、作らないで良いよ』ちょっと気を遣ってドルドレンが提案する。イーアンは首を振って『でも。ザッカリアのもあるし』と言うと、『無理するな。1時間でも貴重だ』心配そうにドルドレンがイーアンの顔を撫でた。
「イーアンは支部でも料理してるのか」
オーリンの質問に、ドルドレンは頷く。『彼女は自分が保護されてから、俺たちに役立とうと、実に一生懸命気を遣う』な、とイーアンに微笑む。イーアンは少し笑って『出来るだけのことしか。していないですよ』と答えた。
そこへギアッチとザッカリアが来て、ギアッチはオーリンにちょっと挨拶し、イーアンに話しかけた。
「あのね。イーアン。この子がね、今日はイーアンが忙しいから、夕食は良いって言うんです」
「イーアン、俺まだお菓子残ってるから大丈夫だよ。あれ美味しい。また作って」
目を細めたギアッチが微笑みながら、子供の頭をよしよしと撫でて『この子は本当に優しい子で』と言い始めたので、ドルドレンが急いで『今、俺もそう話したところだ』と遮って止めた。イーアンはお礼を言って、遠征中に作れたら頑張りますと約束した。
オーリンはじっとその様子を見ていた。静かに食事を終えて、それから広間の騎士たちを眺めた。一人、自分を見て睨んでいる男を見つけ、じっと見つめ返していると、男は立ち上がってこっちへ来た。
「ドルドレン。こいつは何でお前の隊なんだ」
「弓がいないから。お前があれこれ言うことないだろ。臨時参加だ」
「イーアン。君はどうして俺の隊じゃないんだ」
「あっち行け、クローハル。面倒臭い」
ドルドレンが面倒そうに片手を振って追い払う。闖入者が気に入らないクローハルは、イーアンの横に座って抗議。『君はどうしてそう、俺以外といつも一緒なんだ。あの剣職人だってそうだろ?ショーリだって、いつも君を見つければ、あっさり腕に乗せて』だらだらと文句なのか哀願なのか、分かりにくい心の声を訴える。
「あっち行け!」
ドルドレンがイーアンを抱え込んで、しっしっと手を払う。クローハルは溜め息をついて、オーリンの睨みつけ『俺の大事な人に手を出すなよ』と(※ドルドレン無視)忠告し『イーアン遠征でね』そう呟いて立ち去った。
そろそろ行こうか・・・ドルドレンが少し疲れたように席を立つと、向こうからデカイのが来て挨拶。ドルドレンはまたかとぼやいて、『何』とぞんざいに聞く。
「イーアンに用だ。俺用にその装備を作れないか。今回は相当な相手と聞いた」
「ショーリに?ただでさえ強いのに、まだ強くなる気ですか」
「その方が安心材料が増える」
それもそうかなぁとイーアンは同意。ドルドレンは驚く。『俺には要らないって言ったのに』傷つく伴侶を見上げ、イーアンはその顔を撫でて微笑んだ。『大丈夫です。今回あなたにも用意しましたよ』ね、と愛妻が笑ったので、ドルドレンは機嫌が直った。
「では。ショーリの体は特注ですから、測りましょう」
イーアンが工房でと言うので、ショーリは頷いて腕を出した。よいしょとイーアンは普通に腰掛けて、ショーリはさっさとイーアンを腕に乗せて、歩いて行ってしまった。見送る総長とオーリン。
「何だあれは」
「あれか。気にするな。気にすると胃がやられる」
「そうじゃない。何でイーアンは・・・あの巨漢とは普通にあんな状態で」
「だから。気にすると胃がやられる。胃だけですめば良いが。下痢も起こしかねん。考えるな。イーアンはショーリに干し肉で釣られて以来、あんな具合だ」
『干し肉?』犬じゃないんだからとオーリンが驚くが、ドルドレンは首を振って、今見たものを意識から追い払った。そしてオーリンに部屋を案内すると伝えて、食器を片付けて空き部屋へ連れて行った。
それから。イーアンはショーリのサイズを測るために、机に上ったりして肩やら腕周りやら測り、大凡の寸法を書いてから、ショーリを解放した。
その後は、残業で頑張れるように、塩漬け腸をたくさん水戻ししてから、回収した魔物の処理をした。
毒腺は金属容器に一つずつ入れて10個。腸は開いて中身を出して・・・『食べないのね』中身がなかった。なのでこれも塩漬けで巻いて盥に入れた。
それから皮。実にやりがいのある作業がこれだった。一枚ずつ油で拭いて汚れを取って。1時間半を越えた作業。でもとりあえず一度手を入れれば、保存できる。これを工房に運ぶ。
「手伝いましょう」
鈴のような声。フォラヴが微笑んでいる。『重いし汚れたら』イーアンはこの妖精の騎士には、汚れ作業をさせたくない。貴公子のような笑顔で、空色の瞳が優しさを湛える。
『大丈夫です』そう言うとイーアンの持っている皮のロールを持って、工房へ入った。
優しいフォラヴは特に重そうな様子もなく、全ての回収して手入れした魔物の材料を、中へ運んでくれた。
「明日から遠征です。今回。私の出番は少ない地域ですが、それでもお役に立てますよう努力します」
「あなたはいつでも、役に立つ以上の素晴らしい動きをされています」
有難うとフォラヴは微笑み、イーアンに会釈して戻って行った。イーアンは、皆が緊張しているのが伝わってきていた。自分も、今回のイオライが何か特別な戦いのような予感はしている。皆それをどこか、肌で感じているのか。
「ぼけっとしている暇はありません。作らなきゃ」
気合を入れて、自分の仕事に取り掛かるイーアン。何が何でも、皆さんの安全を守らなければ。鎧を脱いで工房で忙しく作業を始め、この日の日付が変わるまで作業はぶっ続けで行われた(※でも風呂は入った)。
オーリンは案内された後、自分が強化装備を着けたままだったのを思い出した。元から運動神経が良いので、すぐに扱い方や筋肉の調整に慣れて、歩いていても普通に歩けていたので、着けていることを忘れていた。
ドルドレンは、コーニスとパドリックに彼を紹介し、弓部隊長である彼らに、弓の改良を伝えてもらうようにオーリンに頼んだ。それからドルドレンは一旦執務室へ戻った。
「弓の強化が今回の遠征で必要と聞いて。それで俺はここへ来た。強弓を見せてほしい」
片目の威圧的な風貌の男に気圧されながら、コーニスとパドリックは、彼に自分たちの弓部隊と、使っている弓を紹介する。隊の部下たちでも強弓引きはすぐ、オーリンに相談し始めた。
彼らの話をちゃんと聞き、オーリンは必要なことだけを的確に伝え、その場で調整できるものは全て行った。
オーリンの調整と、簡単な分解や補強が行われてから、弓引きたちは弓の具合の違いに驚いていた。彼らの満足な声を聞いた後、オーリンはイーアンの弦を、強弓のいくつかに施した。
「君は強弓でも重いのを引くな。これで試してくれ」
腕っ節の強そうな騎士に持たせ、的に矢を放たせる。騎士は段違いの弓の威力に固まった。オーリンは嬉しそうに笑った。
「オーリン。私にもその弓を用意して下さい」
自分も自分も、と弓引きが頼み始め、オーリンは喜んで叶えてやった。それから自分の大きい黒い弓を背中から下ろして、『俺も良いか』と矢を持った。騎士たちは、オーリンの弓を見て感心し、是非腕前を見せてと促した。
オーリンが矢を番えたと見るや、次の一瞬で矢は的にあった。的は割れて矢だけがそこにあった。
騎士たちの感嘆の声が静かに響く中、オーリンはぐっと屈んで思いっきり飛び上がる。どんっと土を蹴って跳ね上がった弓職人に『わぁ』と歓声が上がり、オーリンは跳ね上がった上から、割れた的に向かって矢を放った。
連続する打撃音の後、オーリンが降ってきて着地する。的を割った最初の矢を囲むように、5本の矢が刺さっていた。
「こんなことも出来る」
振り向いて笑う片目の弓職人に、その場の騎士たちは拍手を贈った。『この人凄いですよ』『職人なんて勿体ない』『初めて見ました』褒め称える言葉に、いつもは独り山奥の生活をするオーリンは、笑いっぱなし。
「これにはタネも仕掛けもある。ほら」
イーアンの作った強化装備を見せて、これを今回の遠征で使えれば、今の自分のような動きが出来るだろうと教えた。『ないと、オーリンはどんな感じですか』騎士の一人に言われて、オーリンは装備を外し、同じようなことを試す。
結果は。『さっきの半分くらいの跳躍は出来るんですね』『どっちみち・・・弓の腕は特級でしたね』『失礼なことを言ってすみません』とした言葉をもらった。オーリンは笑って『この道だから』と済ませた。
コーニスもパドリックも。部下たちに、あっさり慕われる弓職人を見つめる。後ろの方で、自分たちの存在の薄さを悲しんだ。『あれは確かに、ついて行きたくなる』『オーリンは格好イイよ』『私にもあれくらいの腕があれば』『生まれ変わってもムリ』小さな嘆きが夕方に消えていた。
そしてこの日は過ぎてゆく。
遠征前日の夜。誰もが妙な緊迫感を。これまでこんなふうに感じたことは、魔物退治最初の遠征。それ以来の緊迫感と思い出す。そう感じる中で夜を過ごした。生きていられるのか。それとも。
全てが運に操られるような、そんな予感に握り締められて、騎士たちの心は、人生の挑戦を前にしているようだった。
毎晩いちゃつきたいドルドレンも何故か、今日は大人しく健全に眠った。イーアンが日付変更まで頑張ったのも理由だが、何となく今回の魔物が何かの区切りになるような気がしていた。
お読み頂き有難うございます。
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