391. 遠征準備と治癒の洞の秘密
光が静まるまで、イーアンは目を閉じていた。下手に開けると目が潰れそうで、時々薄目にしてはまだ眩しいと閉じた。ドルドレンはどうしたのだろう。それだけが心配だった。
目を閉じて顔に両手を当てていると、急に『イーアン』と名前を呼ばれ、イーアンはハッと顔を上げた。『ドルドレン』答えると、そこにドルドレンがいて、一気に安堵したイーアンは抱きついた。
ドルドレンもイーアンをしっかり抱いて、『無事で』と頭にキスをする。
「ここはどこでしょうか」
「分からない。でもさっきの場所ではないな。似ているが」
二人は自分たちが違う場所に来ていると知り、その場から見える様子を不安そうに眺めた。同じような造りの場所だが、先ほどの洞よりも小さく、祭壇もない。
手を繋いだまま、そっと青い光の外へ出ると、丸く刳り貫かれた土の中というのだけは同じ。祭壇を探すが、祭壇はない。向かいの壁に棚のような人工的な抉れがあり、そこには何も置かれていなかった。
イーアンはその棚に近づき、棚を調べる。土を抉っただけの棚。よくよく見ると、棚板部分に凹みが見える。何かが昔置いてあったのは分かるが、それが何かまでは分からない。
「イーアン。出口かな」
ドルドレンが指差した方向に細長い亀裂が見え、その先に光が見えた。二人はその光の亀裂を見に行き、近づいて驚いた。
「ドルドレン。ここは海です」
亀裂の向こうには海しかない。崖のような場所に居ると分かり、二人は後ずさった。『ここを作った人間は、どうやってここへ来たのだろう』こんな所に作るとは・・・ドルドレンが呟く。
ふと、イーアンは思い出す。タンクラッドが前、話していた僧院のことを。ディアンタの僧院の階段から上がる時、扉の鍵が近くにあって・・・・・ イーアンは亀裂へ近づき、明らかに海面よりも高い位置にあるこの場所に、何か近づく方法があったのではと探す。
「イーアン。危ないからあまり、縁に出るな。落ちたら怪我で済まない」
「はい、気をつけます。でもここに上がる工夫と言いましょうか。何か手立てがあるはず」
細い切れ目の先は、真っ逆さまに断崖絶壁の海の上。だけど上がる方法がないなら、誰がどうここを作ったのか。
イーアンは必死になって調べた。見える範囲で、手の動かせる範囲で、何か見つけたいと頭を働かせる。ドルドレンは見守る。こういう時は、イーアンに好きにさせる方が、必ず何かを見つけ出すと知っていた(※愛妻=『ここ掘れワンワン』)。
「あった」
10分くらいして、イーアンが何かを見つけた。ドルドレンはすぐに愛妻の手元を見る。足元に張り付くようにして、絶壁の黒い岩に腕を伸ばしているイーアン。何かを掴んだらしく、ゆっくりと体を起こしながら、腕をそろりそろりと引いて、息を呑むドルドレンに振り向いて微笑んだ。
「見て下さい。こんなものが」
手に汗握りましたと、イーアンが髪の毛をかき上げて片手に掴んだものを見せた。『何だ?綱?』ドルドレンには、それがただの綱を巻いたものにしか見えなかった。
「綱ですね。太い綱。先端に何か、あれ。これ欠けています。壊れたのかしら。輪のようなものがあったのでしょうね。綱の結び目に引っかかって、欠けていても外れなかったのでしょうか」
綱は相当長そうで、グルグルと巻かれて絶壁の凹みに入っていたと、イーアンは話した。『でも』違和感を感じるイーアンは、ドルドレンに綱をよく見せる。
「いつの時代のものか知りませんけれど。随分・・・傷んでいませんね。保存状態が良い場所でもなさそうなのに」
「そうだな。古いとは分かるが。しかしこの、輪のような欠けた金属も錆もなしに、よく。鈍色のくすみは磨けばきれいになるかな。欠けてるから、強くこすったら壊れるかもしれない。
イーアン。この綱はここを上り下りしていた、誰か。もしかすると、ディアンタの僧のような者が使用していたかもな」
「かも知れません。今これを使うのは危険でしょうね。もし加重に耐えられず切れても困るし、引っかかるはずの金具も壊れていますし」
どうやって戻ろうか、と二人は悩む。綱を使って上り下りしていたかもしれないが、現在この綱に命を預ける気にもなれない。
ところで、とイーアンはドルドレンを見る。二人は中に戻り、ドルドレンの姿を改めて見つめた。
「ドルドレン。私と一緒。白銀の羽毛に変わりましたね」
素敵~と喜びの声を上げるイーアンは、ドルドレンの姿を見てこんな事態でもメロメロする。ドルドレンも嬉しくて、イーアンを抱き締めてちゅーちゅーしていた(※緊張感0の夫婦)。
「剣もだ」
ほら、と剣を引き抜くと、黒の角を加工した刃の部分は、透明度のある紺色の刃に変わり、銀色の剣身はさらに輝く真珠のような銀色に変わっていた。そして樋にしっかりと文字が入っていた。
イーアンが作った魔物製の鞘も、黒かった本体の皮は、虹色を含む紺色の輝きを伴い、編み込まれて隙間から見えていた白い皮も、もっと虹色を増していた。
「何て綺麗なんでしょう。こんなに美しいなんて」
「イーアン。イーアンの鞘は?」
ドルドレンに言われて、イーアンも自分の鞘を見る。白い皮に、魔物の腸で編んだ鞘が。びっくりするほど美しい、柔らかな真珠色の鞘になっていた。編み込み紐の魔物の腸は、オレンジがかる黄色だったのに、それは琥珀のような透き通る飴色に変わって、編み目を持つ石のように見える。
「凄い。イーアンの美しさだ。イーアンが持つにふさわしい」
「ドルドレンの鞘も、剣も、ドルドレンそのものです。信じられない美しさ。とても美しいです」
二人は抱き合って誉め合い、お互いを見つめ合ってメロっていた(※幸せな人たち)。
暫くちゅーちゅーしていたが、イーアンは『そろそろお昼?』と時間に気がつく。ドルドレンはちゅーちゅーが欲望に火をつけて、手の動きがさわさわに変わりつつあったので、素面に戻るイーアンの顔を引き寄せて、しつこくキスしていた(※ここは聖なる場所)。
「うん。あの。ドルドレン。そろそろここから出る方法を考えませんと」
絡みつく伴侶の攻撃をどうにか交わしながら、イーアンは提案する。ドルドレンは灰色の宝石のような瞳に欲望を滾らせているので、あまり会話が成立しない。イーアンの胸をまさぐっている手を、イーアンはぴしゃっと叩く。
「叩かなくても」
「出ますよ。ここを」
ちょっとキビシク注意して、咳払いする。『夜ね』と笑顔で言うと、ドルドレンは股間を押さえながら『今でも大丈夫なんだけどね』と呟いていた。
それを無視して、イーアンはもう一度青い光のふわふわしている場所へ近づく。ドルドレンの手を握って、二人一緒に入ろうと決める。『綱。持って行くか』ドルドレンが床に置いたままの綱を見たので、イーアンはそれを手に持つ。
「入るだけ入りましょう。それで何も変わらなければ、もっとここを調べないと」
イーアンとしては。本当にどうにもならない時は龍を呼ぼうと思っていた。でも万が一。万が一。ここに龍が来なかったら。何かの理由で来なかったら。それこそ絶望的だと思い、最後の手段にしようと考えていた。
ドルドレンはイーアンを抱え上げる。『この方が手を繋ぐより確かだろう』イーアンをぎゅっと抱えて、イーアンもドルドレンの体に腕を回して、二人は緊張する。
「入るぞ」
ドルドレンが青い光に踏み出す。一歩目は何もない。不安に駆られながら、もう一歩を踏み出す。両足が青い光の中心に入った時、一気に銀色の煙が噴き上がった。
目をぐっと瞑って、イーアンはしがみ付く。ドルドレンも目を瞑り、イーアンの体を決して離すまいと自分に押し付けた。
眩し過ぎて、何も見えない。でも手の感触だけはわかる。イーアンはドルドレンを、ドルドレンはイーアンを、お互いの体温と感触を必死に感じ続けた。暫くして、目を少し開けては眩しさで閉じ、また開けてと繰り返し、ようやく何回目かでうっすら目が開けられる状態になった。
「イーアン」
ドルドレンの声が最初に響き、イーアンはすぐ『はい』と答え、そっと目を開ける。伴侶の優しい顔がそこに見えて、一安心。ドルドレンがイーアンを抱きかかえたまま、体の向きを変えた。
「戻った・・・と思う。多分」
「元の場所?」
ドルドレンは自分の足元と、青い光のふわふわする凹み部分を見渡してから、目の前にある祭壇に踏み出す。祭壇は凹みの前にあり、祭壇の向こうはディアンタ僧院の近くの治癒場と同じに見えた。
「同じ。ではないか?」
「そう見えます。ちょっと下りても大丈夫かしら」
イーアンは下ろしてもらい、土を踏む。乾いた土の床は粉っぽく、自分たちの入ってきた時の靴の跡が残っている。ここはそうだと思うと、イーアンは伴侶に伝え、一応手を繋ぎ、二人は青い光に頭を下げてからこの部屋を出た。
表へ出るとやはり、あの場所で。ちゃんとミンティンは待っていた。長く待たせたような気がしたが、ミンティンは時間の観念がないのか、あまり変化なくボーっとしていた(※聖獣に失礼)。
「待たせてしまって。ごめんなさいね」
イーアンが近づいてミンティンを撫でようとすると、ミンティンはちょっと首を引っ込めた。あれ?とイーアンが不思議に思って、もう一歩前に踏み出すと。龍は瞬きを何度かして、イーアンの手に大きな顔をぐっと押し付けた。
「ああ。これ?」
何かと思って、ミンティンがぐりぐりしている手を見ると、自分が綱を持って帰ったことを思い出した。『これお前。知っているの』何か関係があるのかと訊いてみる。ミンティンは綱に顔を付けて、匂いでも確かめているように見えた。
「あんまりぐりぐりすると、壊れてしまいます。古そうだから気をつけないと」
なぜかミンティンが反応しているので、イーアンはちょっと止める。龍は金色の目でイーアンを見つめ、言うことを聞いたらしく、押し付けるのを止めた。
「今の。何だったのだろうか」
「何でしょう。この仔はとても古い時代からいますから、もしかすると何か。懐かしいものを知っているのかもですね」
とりあえず。二人とも無事に戻ってきたので、龍に乗って支部へ戻ることにした。
帰り道で時間を気にしながら、お昼を過ぎていないと良いけれどと心配する。昼を過ぎていると執務のやつらが煩いと、嫌がるドルドレン。イーアンは何か、彼らにちょっと食べ物を差し入れして、機嫌を取ろう、と提案した。
さっきの別の場所については、どんなに考えても何が起こったか分からないので、とりあえずイーアンは馬車歌を調べてみると話した。
「別の場所へ移動する。それは多分、これからもあるんだろうな。何かの条件で起こる現象か」
「そうですね。私、タンクラッドが入った時は、ああはなりませんでした。やはりあなたが主役だから。何か特別なものが働いたのかもしれないです」
「主役。響きが良いけれど。その主役が、なぜ現象を起こしたか分かっていないというのも寂しい」
「でも。治癒以外に、別の場所へ移動するという機能があることは確かみたいですね。条件を調べてみましょう。タンクラッドにも話してみます」
「ぬう。タンクラッドか。何かにつけてタンクラッド。悔しいな」
「仕方ありませんでしょう。私も頭を捻って頑張りますけれど、あの方はあっさり見つけるんですもの。相談するに越したことありません」
それからイーアンは、タンクラッドが、お祖父ちゃんの書いてくれた紙を見たいというのも伝えた。
『私たちが遠征中に、手がかりを探してくれるそうです』次回に行く時、持って行って良いかと愛妻に言われて、ドルドレンは『どうぞ』と短く答えた。自分だって馬車の家族で、頼ってもらっても良いのにと、ちょっと不機嫌。
「いくつかの視点で見えたものを、合わせて考えたいと思います。だけど、ドルドレンの理解が一番頼もしいですよ」
一番と言われて、ドルドレンは機嫌が直った。それもそうだなと思える(※どこまでも単純)。イーアンと二人で、好き好き言いながら支部へ戻り、丁度お昼前だと分かって安心した。時間が経っていたようで、そうでもなかったのは不思議だった。
お読み頂き有難うございます。




