383. 再びマブスパールで
東の支部を後にして、龍はこのまま一度、川の町ブリャシュへ向かう。ここではイカタコが目当て。
町の外の到着し、二人ともいそいそと降りて、楽しみなイカタコに会いに行く(※買いに行く)。店屋さんはイーアンとドルドレンを覚えていてくれて、見るなり『あるよ。仕入れといたから』と嬉しそうに店に入れてくれた。この時、イカタコの名前を二人は初めて知る。
「オラガロ。今日どれくらい要るんだ」
「オラガロですか。そう、あのう。どれくらい購入しても良いですか」
え?店主は半笑い。全部買うならそれでも良いよと篭を見せてくれた。ドルドレンは篭の中を見て、ちょっと驚きの声を上げる。『どうする。イーアン。暫く食べれるぞ』笑う伴侶に、篭を覗き込んだイーアンも笑った。
一つの篭に貝殻付きで30前後入っているという。それが5つ。支部に置ける場所があるかしらと、考えるイーアンをよそに、ドルドレンは全部で幾らだと交渉している。全部買っても想像以上に安いので、ドルドレンは購入することにした。
「この代金は、執務のやつらが渡してきたのだ。東に行けばイーアンが食材を買うと覚えたんだろうな、犬みたいに」
犬って・・・イーアンは笑う。でも執務の騎士たちが楽しみにしてくれた心遣いが嬉しいので、有難く食材を購入した。店主は今日入ったばかりの、白身の魚の干物等も教えてくれた。一尾は小ぶりだが、これも篭に100尾以上入っていて、篭で3つ購入した。
「イーアン。これも揚げたら美味いかな」
「もちろんですよ」
篭8つ。龍でどう運ぼうかと悩む幸せな二人。店主に相談すると、馬で運ぶ際に使う篭網と呼ばれる荷造り品を用意してくれた。大きな馬でも間の綱は自在に調整できるよと。
篭網は重ねた篭を二つ入れられる大きさ。これを4つと、運ぶ背中に渡す綱を2本購入した。店主が町の外まで一緒に運んでくれるということで、馬車を出してくれた。
町の壁の外で、ドルドレンたちが購入したものを降ろすと、店主は笑顔で『良いお客さんだよ』また来てねと喜んで帰っていった。
イーアンは龍を呼び、二人は龍の背に、綱を渡して篭を入れた篭網をかけた。ミンティンをこんな使い方して、と精霊に叱られたらどうしようと思うが、これについてはドルドレンは『そんなに精霊はみみっちくないはず』と言ってくれた。
嬉しい買い物を済ませ、二人は干物付きでマブスパールへ飛んだ。
マブスパールまではちょっと時間がかかった。荷物もあるのでゆっくり飛び、30分くらい。空から干物の篭が落ちてくるなんて、あってはならない。出来るだけのんびり進みながら、目的地へ。
干物を降ろして龍を帰し、二人は干物の篭を見つめる。『どうしましょう、考えていませんでした』『そうだな。安くて嬉しかったから』じーっと見つめてから、これはジジイの家の外に置いておこうとドルドレンは言った。
イーアンに見張りをさせて、ドルドレンは町の中へ行き、町民を3人連れて戻ってきた。おじさんたちはドルドレンに硬貨をもらったので、笑顔で運んでくれた。
運んでいる最中、エンディミオンの息子かと聞かれ、ドルドレンは嫌そうに『孫』と短く答えていた。午後はエンディミオンがテントにいるからと、テントの近くで荷物を下ろしてもらった。
「さあ。これからだぞ、イーアン。緊張するけど」
「頑張ります」
「頑張り過ぎてはいけない。この前は頑張り過ぎたぞ」
「お祖父さんは、お父さんよりは扱いやすいです」
それはそうだと思うけれど。ドルドレンはどっちもどっちのような気がして、複雑だった。親父はアホだから体当たりで奪い去るが、ジジイは頭が回るから嫌な感じ。
二人が喋って一分も経たないうちに、テントの中から白い服の背の高い男が出てきた。嬉しそうに光る白銀の瞳で、くるくるした黒い髪の女に微笑む。
「待っていたぞ、イーアン」
ドルドレンがイーアンを抱き寄せる前に、あっという間にジジイはイーアンを抱き上げた。これにはイーアンもびっくりして暴れる。暴れるイーアンをぎゅっと押さえつけ、目しか見えない格好のお祖父ちゃんは満足そうに囁いた。『軽いな。羽のようだ。それにお前は可愛いなぁ』籠もる手の力が、やらしい動きに変わる。
通りで愛妻(※未婚)を抱き上げられ、烈火の如く憤怒した孫がジジイの背中を殴りつけた。お祖父ちゃんは丈夫だが、さすがに現役の騎士に背骨を殴られて、呻き声と共に手を緩める。ドルドレンは急いでイーアンを奪った。
「大丈夫か。股とか触られていないか」
「白昼の大通りで、その発言は控えて下さい。でも無事です」
「このエロジジイ。姑息な手段で俺たちを呼ぶから来てやったのに。とんでもないヤツだっ」
「ドルドレン。お前は大事な祖父を殴りつけて恥ずかしいと思わないのか」
「うるさいっ。あんたこそ恥を知れ。荷物があるから、まずは家の外に荷物を運ぶ。手伝え」
孫に命令されて、お祖父ちゃんは悔しそうに睨みつける。背中を擦りながら、嫌々でも荷物を運んでくれた。『ドルドレンのためじゃないからな。イーアンのためだ』イーアンだぞと念を押して、孫の背中に隠れる女に恩を売る。
お祖父ちゃんは老体とはいえ、普通に篭を4つ重ねて運んでいた。ドルドレンが運ぶのは分かるけれど、お祖父ちゃんの底知れない体力に、イーアンはちょっと怖かった。
家の外の日陰に篭を置き、ネズミに齧られないようにと周囲に板を置いてくれたお祖父ちゃん。イーアンがお礼を言うと、顔にかかる布をずらして優しく微笑む。
「お前のためならな。幾らでもこんなことする」
イーアンは目を瞑ってお礼をもう一度言った。見てはいけない。お祖父ちゃんは老後のドルドレンの姿なのか・・・・・ でも。お祖父ちゃんもイケメンだけど、さすがに67の男性にどうとも思いません。心の中で謝罪。
孫がイーアンを抱き締めているので、これ以上は近づけない。とにかく入れと、お祖父ちゃんは家に招いた。
孫夫婦(※未婚)を長椅子に座らせて、お祖父ちゃんはお茶を入れる。不思議な香りのお茶で、台所から香辛料の強い香りがする。ドルドレンが目を閉じて香りを感じていた。懐かしそうにしているので、きっと馬車の民がよく飲むお茶の種類かとイーアンは思った。
「手紙を書いてもちっとも来ないからな。騎士に言いつけて、この町を守る龍の女を呼べと申請したぞ」
お茶を出しながら、お祖父ちゃんは小さく笑う。ドルドレンは仏頂面で『仕事を使うな』とお祖父ちゃんを叱る。お祖父ちゃんは白い長衣を脱いで、黒いシャツと深緑色のズボンだけの格好になった。後姿を見ていると、とても67には思えない。
「マブスパールの自警団が自由に龍の女を呼ぶ。そんな方法あるか。あったらイーアンは、どこでも呼び出されてしまう。イーアンを何だと思ってるんだ」
ドルドレンが嫌そうに文句を言って、お茶を飲む。お祖父ちゃんは腕組みしながら立って見下ろし、不敵な笑顔で答える。『イーアンをどう思うか。聞きたいか』ちらっと白銀の羽毛の女を見て笑みを深める。
「この世界を動かす女だろ。この可愛い顔のイーアンは。しかし、お前。そうだ。その羽毛の上着。あれ?この前と色が違うんじゃないか?この前のは獣臭かったぞ」
「あら。獣の臭いしましたか。同じ上着なのですが、ちょっといろいろありまして色素が変わりました。え、でも。これも臭うのかしら。私は毎日着るから慣れてしまったかも」
「羽が一枚落ちていてな。それが獣の臭いがして驚いた。香水でも買わないと。男でも気をつけそうなもんなのに」
そんなに?イーアンは驚いて、上着の襟を引っ張って顔に押し付ける。臭いは分からない。ピンクの時は魔物そのものだったから・・・それでかしら、と伴侶に臭いを嗅いでもらおうと『ドルドレン、これ』と言いかけて止まる。
「ドルドレン。ドルドレン?」
伴侶が。眠っている。どうして?!『ドルドレン、どうしたの。ドルドレン!』起きて、と揺する。凄く嫌な予感がするイーアン。ぐっすり眠るドルドレンに貼り付いて、ハッとして振り向くと、お祖父ちゃんは腕組みしたまま、仕方なさそうに笑っている。
「ドルドレンはなぁ。覚えてないんだな。こいつ、子供の頃からこのお茶が好きなんだけどね。どういうわけか、お茶で眠るんだよ。他の家族はこういう反応ないんだけど。なぜかドルドレンはこのお茶が好きなわりに、飲むたんびに眠っちゃったんだよなぁ」
こんな小さいチビの時からさ、とお祖父ちゃんは腰辺りに手を下げて、笑いながら話す。
それって・・・・・ 知ってて飲ませたの。イーアンは声にならない。ドルドレンを置いて逃げるわけにも行かない。凄いヤバイ状況にいることだけは理解しているが・・・人間相手に剣も出せない。
「お茶。お茶だけなのですか。本当に。薬とか」
「イーアン。俺はこいつの祖父だ。家族に薬を盛るなんて、馬車の家族以外ならあるかもしれないが、そんなことするわけないだろう。こいつはこのお茶がどういうわけか、眠るんだよ。大人になっても変わらないとは」
ハハハ・・・笑うお祖父ちゃんに、イーアンは笑えない。どうしよう。いつ起きるんだろうと、伴侶を見る。お祖父ちゃんは見透かしてるように『どうだろうな。チビの時は夜まで寝たけど』と呟いた。
「あの。ドルドレンが眠ってしまいましたので。私は彼を龍で連れて戻りたいと思います」
「もう?もう帰るのか。でもここは龍が降りれる場所なんかないぞ。ドルドレンは図体がでかいから、町の外まで運べないしな」
「だけど、私だけでは。いつ起きるか分からないなら、どこかへ移動して」
お祖父ちゃんはニッコリ笑って、イーアンの前に動く。イーアンは緊張が走って強張る。お祖父ちゃんはゆっくりイーアンの前に跪いて、細い膝に手を置いた。
「ここにいれば良い。起きるまで。俺のテントはいつも出しっぱなしだし、気にすることもない」
そう言って、固まるイーアンの膝を撫でる。 ひえーーーっっ怖いーーーっ!!顔に恐怖が出るイーアン。ごくっと唾を飲んで、伴侶にしがみ付く。
ニヤッと笑うお祖父ちゃんは、イーアンの頬に手を当てる。『そんな顔するなよ。よく見せてくれ』頬に当てた手をすーっと滑らせてイーアンの首を触る。
眠る伴侶にぎゅっとしがみ付いて、イーアンは一生懸命断る。『お願いします。触らないで下さい』頼むから、と必死に訴える。その反応にお祖父ちゃんが少し寂しそうに微笑んだ。
「触るなと女に言われるのは。滅多にないけど。寂しいなぁ。そんなに年寄りでもないと思うんだけど」
「ごめんなさい。お年寄り扱いしているのではありません。私はドルドレンだけですから」
「うーん。この前、そうかなって思ったんだけど。でも俺も良いと思うんだよね」
そうじゃないでしょ、とイーアンはこぼす。そういう話じゃない。『やっぱり老人だと思われるのか』と年寄り扱いを寂しがるので(←本当にジジイ扱いは嫌い)イーアンは、そうじゃなくてと一応訂正する。
「エンディミオン。あなたがお年寄りなんて、そうしたこと考えてもいません。あなたの武勇伝をティヤーの島で聞きました。現在のあなたが自警団の主力であることも。そんな方が、お年を召してる印象はありませんよ」
お祖父ちゃん。ちょっと止まる。イーアンの膝に置いた手はそのままで。じっと鳶色の瞳を見つめ、首に滑らせた手は頬に戻す。
「イーアン。ティヤーへ行ったのか」
「はい。あなたの話を知りました。この前。ドルドレンが連れて行って下さいました。漁師のオジョルの」
「オジョル。覚えてる。俺を覚えていたのか。ドラガは?ドラガはいたか。知ってるだろ?」
イーアンは、お祖父ちゃんの表情の変わり方に驚く。スケベジジイが(※本心)突然、温もりのある家族に変わる。こうなると、イーアンは弱い。言えない。彼女がもういないことを。
眉を寄せて言い淀むイーアンの顔に、お祖父ちゃんはその意味を知る。さっと目を閉じて、イーアンに触れていた両手を自分の顔に当てる。大きな手がお祖父ちゃんの目を隠した途端、涙がこぼれた。
「お墓を見ました。ドルドレンはドラガのお墓に案内してもらい、私も一緒に行きました。お墓にヨリというご主人と一緒に。お墓に車輪が彫ってありました」
「車輪・・・・・ そうか。そうか」
「ドルドレンは挨拶したかったそうです。でも。私を紹介して下さいました。自分の奥さんを連れてきたと。私も挨拶しました。また会いに来ると約束して戻りました」
うん、うん、と頷きながら、お祖父ちゃんの頬に涙がボロボロ流れる。可哀相になるイーアン。危険人物だけど、パパも同じだった。パパも、アジーズの家族が亡くなったのを見て大泣きしていた。
イーアンはそっと、跪いているお祖父ちゃんの頭を抱き寄せる。目の前で、昔の奥さんの死に泣いている人が可哀相で、抱き寄せたお祖父ちゃんの頭を撫でる。お祖父ちゃんもイーアンの体に腕を回して、羽毛毛皮の胸に頭をつけて泣いた。
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